なんとなく、昨日の記事の続きみたいな感じになるが、『沙石集』は説話は分かりやすいのに、無住が述べる教理(と言っていいのか分からないけど)がやたらと難しい。頑張って読んでみると、ものすごく理路整然と書かれているのだが、それがなかなか面倒くさい。学術論文に近い書き方である。

これは現在同時進行で読んでいる『徒然草』とは対照的だ。同じ仏教的な内容でも、『徒然草』の方は簡潔にかかれており、はるかに読みやすい。ただし、あまり理詰めではないので、文字どおり随筆といった体である。

無住と兼好はほぼ同時代の人だが、同じボーサンでどうしてこうも違うのだろうか。

二人の一番大きな違いは、出家した年齢である。無住が出家したのは18歳、兼好は詳しくは分からないが、30歳ごろと考えられている。片や、若い時から仏法を学び八宗兼学と言われたエリート、片や酸いも甘いも噛み分けた中年に差し掛かって出家した隠遁者。違うのは当然である。

昔、師匠から、「君たちは坊さんというと同じだと思っているけど、坊さんにもプロの坊さん(以下プロ坊主)とアマチュアの坊さん(アマ坊主)がいて、これらは分けて考えなければならない」と言われた。その時はイマイチ分からなかったが、これほど対照的だとよく分かる。

閑居友』の作者とされる慶政は、幼少期に出家し20歳で隠遁したプロ坊主だった。『閑居友』は鴨長明の『発心集』の影響を受けているが、長明の出家は50歳でまったくのアマ坊主である。

たしかに、『発心集』と『閑居友』はよく似ているが、『閑居友』にはプロ坊主の限界があるように思う。具体的には言えないけど、一生懸命面白くしようとして、すべっている感じがするのだ。

しかし、ガチガチのプロ坊主である慶政が、アマ坊主長明の影響を受けたというのは、なかなか興味深い。年齢的には長明の方が34歳も年上だが、遁世キャリアは同じぐらいから始まっている。

慶政は長明をライバルと見ていたか、年長者として尊敬していたか、その両方か。たぶん、複雑な心境で『閑居友』は書かれたのだろう。