東京五輪「ブラックボランティア」中身をみたらこんなにヒドかった:現代新書|講談社
このリンク先は、『ブラックボランティア』の著者、本間龍氏のインタビュー記事で、内容そのものはおおいに参考になるのだが、
――就職活動で有利になる、と考える学生もいそうです。
「それはありえません。11万人以上ものボランティアがいるのですから、希少価値はまったくないでしょう。面接する側も『またオリンピックの話か…』とうんざりしてしまうのではないでしょうか」

これは違うだろう。

おそらくオリンピックボランティアの経験は就職で有利になる。それは、ほとんどの日本企業には「希少な経験」を評価する能力がないからだ。

僕が自転車で旅していた時、日本中の分水嶺の峠を回って、道路にペットボトルの水を垂らして写真を撮るというスゴイ人がいた。そういう人が日本に何人いるか知らないが、たぶんオリンピックのボランティアよりは希少だろう。が、道路に水を垂らしているだけの写真を見せられても、「はぁ、変わった趣味をお持ちですね」ぐらいで、就職に有利とは思えない。

これではあまりに浮世離れしているというなら、別の例を出そう。最近、クラウドファンディングでお金を集めて、フィリピンの貧困地帯に行きたいという学生がいた。ところが、なぜだかネットで叩かれて、行く前からやめてしまった。僕には、なぜ彼らが叩かれているのか理解できなかった。

日本の社会は、若い人が知らない世界へ行くことの価値を評価していないのである。こんな社会では、何か特別な体験をしたところで、評価されないのは自明である。希少な体験は、自分でレールを敷かない限りできない。残念なことに、日本の社会は人が敷いたレールの上を走ることしか評価できないのだ。

だから、学生に「オリンピックのボランティアなんて就職には有利にならない」と言ったところで、それは空虚なウソである。「オリンピックのボランティア程度しか評価できない」が正解だ。

僕はオリンピックのボランティアを勧めるつもりは毛頭ない。文字どおり志願してやるのを止める気はないが、そんなつまらないことより、若い人には、自分でレールを敷いて、そこを走るような体験をしてほしいと思っている。

ボランティアの場合、レールは人が敷いてくれるから失敗がない。自分でレールを敷くことは難しいことだし、失敗することもある。しかし、レールを敷くこと自体に意義があるから、失敗しても、オリンピックのボランティアよりもよほどいい経験になるだろう。