偽満皇宮博物院へ行った(その1)のつづき。

前回の記事で、溥儀・婉容・譚玉齢は緝熙楼に住んだと書いたが、本来はそれよりはるかに巨大な同徳殿に入るはずだった。
同徳殿入口
したがって、同徳殿には溥儀の寝室があるが、これは使用されなかった。溥儀は関東軍の盗聴を恐れたため、同徳殿竣工後も緝熙楼に住んだのである。それだけ不信感が強かったということだろう
溥儀の寝室
謁見室。いうまでもなく、皇帝溥儀が客人や日本の役人と謁見するための部屋だが、使用されることはなかった。
謁見室
同徳殿の一階廊下。寒い土地なので、スチーム暖房があちこちについている。高校生の時、よくこの上に弁当乗せて温めたものだ。懐かしい。
同徳殿の廊下
この廊下の右側はビリヤード室や映画上映室などが並んでいる。下の写真はやたらと広い映画上映室。
映画上映室
スクリーンの反対側には玉座が。寝室や謁見室など、全く使われなかったのに対し、これらの遊びの部屋は実際に使用されたそうだ。傀儡皇帝は遊んでろということだろう。
映画上映室の玉座
同徳殿には和室もある。日本との密接な関係を表すために作られたんだそうだが・・・。
和室
同徳殿の裏手には書画楼(小白楼)という(ここにしては)小さな建物がある。かつては貴重書籍502帙、210冊、書画1353点が所蔵されていた。
書画楼
ここで溥儀は書画を鑑賞し、つれづれをなぐさめていたという。
書画鑑賞中の溥儀
これらの書籍・書画は、ほとんどが溥儀が紫禁城から「盗み出した」物だと、解説に書いてあった。

この「盗み出した」という表現が歴史を物語っている。清朝再興をめざす溥儀にしてみれば、皇帝のものだから盗んだ意識はない。しかし、溥儀を偽の皇帝とする立場からすると、国の宝を盗んだということになるのだ。

偽満皇宮博物院へ行った(その3)につづく。