京浜急行青物横丁駅からJR・東急大井町駅方面へ行く坂の途中に品川エトワール女子高等学校という高校がある。

僕は以前、定時制高校への通勤にこの学校の前を通っていたのだが、ある日の帰り道、目立たないところに「町田学園」と書いた看板があるのが目に止まった。町田学園は品川エトワールの旧称で、現在も法人名になっている。大きなものではないので、それまで気付かなかったようだ。

夜だったので暗くてよく見えなかったが、妙にクセのある字だ。よく見ると、「溥傑」と書かれた落款がある。ラストエンペラー愛新覚羅溥儀の実弟、溥傑である。溥傑は独特の書風で知られる書家でもあるので、その時は、何かの機会に書いてもらったんだろうぐらいに思っていた。

ところが、前回の記事(偽満皇宮博物院へ行った(その1)参照)を書くためWikipediaを調べていたら、溥傑の妻、嵯峨浩の項に意外なことが書いてあった。
日本に引揚げた後、父・実勝が経営する町田学園の書道教師として生計を立てながら、日吉(神奈川県横浜市港北区)に移転した嵯峨家の実家で、2人の娘たちと生活した。一方、溥傑は、溥儀とともに撫順の労働改造所に収容され、長らく連絡をとることすらできなかった。(Wikipedia:嵯峨浩)
なんと、溥傑の奥さんが品川エトワール(町田学園)の書道教師だったらしい。そりゃ溥傑に看板を頼むなんて容易いことだ。

しかも、Wikipediaの記事によると、父親が経営者だったとある。品川エトワールのサイトを見てみると、現在の理事長は嵯峨実允氏という人で、嵯峨実勝の孫にあたるらしい。

理事長挨拶:品川エトワール女子高等学校

それでは、なぜ嵯峨学園ではなく町田学園なのかという疑問もわいてくるが、これもちゃんとWikipediaに書いてあった。

妹の幾久子が町田学園(現・品川エトワール女子高等学校)の創始者・町田徳之助に嫁いだ縁で、昭和24年(1949年)6月15日、町田学園エトワール幼稚園を開園し初代園長を務めた。(嵯峨実勝:Wikipedia)

ちなみに嵯峨家は、かつての正親町三条家で、藤原北家の流れをくんでいる。由緒正しいなんてもんじゃない。

もうちょっと調べればいろいろ出てきそうだが、とりあえず覚えに書いた次第。