ことほどさように(昨日の記事参照)、トップにはゼネラリスト性が求められるのだが、最近水滸伝脳になっているので、林冲と王倫の場面を思い出した。

林冲は武術のスペシャリストである。彼は晁蓋らを受け入れなかった初代首領の王倫を殺してしまう。普通なら殺した林冲が首領になるが、自分は器でないと固辞し、首領の座を新参者の晁蓋に譲る。自分にゼネラリストとしての能力に欠けていることが分かっていたから晁蓋に譲ったと見ることができる。

さて、梁山泊の歴代首領は王倫・晁蓋・宋江の三人がいるのだが、この三人、全然違うタイプで、現代でも上司としていかにもいそうな感じでおもしろい。

1.王倫
王倫は科挙に落ちた落第書生である。落ちたとはいえ、科挙を受けるぐらいだから頭はいいのだろう。

しかし、彼は腕の立つ人物が来ると、自分の座が脅かされるのではないかと不安になり、仲間に入れることができない。自分以下のレベルの人しか扱えないのである。

こういう人はお山の大将で満足していて、組織を大きくすることはできないし、その気もない。いかにも中小企業の社長に多そうな人物である。

2.晁蓋
もともと田舎番長みたいな人で、宋江ほどではないが人望がある。番長だから腕に自信もある。しかし、下手に自信があるために、みんなが止めるのも聞かず、自分が戦場へ行ってしまったため戦死してしまった。

部下にとって必要なのは、トップの統率力であって、実力ではない。実際、『水滸伝』では、晁蓋が出陣しようとするのを、宋江たちが止める場面が度々出てくる。しかし、本人からするとそれでは我慢ができない。現場に出て腕をふるいたくてしかたがないのだ。

トップが現場を理解しているのは大事なことだが、みずから現場に出るのは困りものだ。だいたいロクな結果にならない。

3.宋江
宋江は番頭タイプの人である。文武両道のゼネラリストで、人望もあり統率力もあるのだが、トップに立つことを全く考えておらず、常に二番手以下を望んでいる。実際、そっちのほうが力を発揮するタイプだろう。

ところが、不幸にも晁蓋が死んでしまったために、周りから推されてトップにされてしまった。トップなんて思いもしないから、首領になった後もバカバカしいぐらいに首領の座を譲ろうとする。

ところが、人望で宋江に勝てる人はいないので、誰も引き受けない。ならば国のトップである皇帝をトップにするしかないということになる。だから宋江は招安(朝廷に帰順すること)にこだわる。宋江はもともと小役人だったが、いかにも役人的な考え方である。

どうにも三人とも帯に短し襷に長しで、なんともビミョーな気持ちになる。しかし、『水滸伝』はそこがいいのだ。どの〈好漢〉をとってもビミョーな気持ちになるのが、『水滸伝』の面白さである。