多賀大社のことは祖父母からよく聞いていた。祖父母は現在の長浜市の北の方の出身で、多賀大社とはかなり離れているはずだが、それでも出征する前など大事な時にお参りするのは「お多賀さん」だと言っていた。僕は名神高速の多賀SAには何度行ったか分からないぐらい行ったが、多賀大社にお参りするのは初めてだった。

ちなみに、多賀SAには立派な休憩施設があり、風呂も入れるし仮眠もとれる。使ったことはないがホテルもある。そんなわけで、自動車で京都より先に行くときは、必ずここで休憩をしていた。施設は下り線にしかないが、上り線から高速を渡って入ることもできる。

EXPASA多賀(下り):NEXCO中日本

さて多賀大社である。さすがにでかいが、「お多賀さん」と親しみを込めて言われるだけあって、観光地というよりは地域の人の信仰の神社という感じがする。祭神はイザナキ・イザナミだから、中世から近世にかけては、伊勢神宮・熊野大社なみに賑わったらしい。
多賀大社鳥居
上の写真の鳥居の向こうに橋(反橋)が見える。こういうのは渡ってはいけないのだろうと思いきや、「反橋を渡る時は充分注意してください」という立て札がある。ということで、渡ってみた。
反橋
すると、よせばいいのに足元の覚束ないオバチャンがついてきた。
足元の覚束ないオバチャン
本殿もでかい!
多賀大社本殿
俊乗坊重源に由来するという寿命石(多賀大社#重源:Wikipedia参照)。重源といえば、『徒然草』(に引用される『一言芳談』)の「後世を思はん者は、糂汰瓶一も持つまじきことなり。(徒然草98段)」を思い出す。
寿命石
祖父は88歳で亡くなり、祖母は100歳で存命だから、この石のご利益かもしれない。

大釜。寛永十年(1633)と元禄十二年(1699年)の銘がある二つの釜が並んでいる。写真は寛永十年の方。徳川幕府が造営・修復をした際に「御湯神事」をしたときに作られたものというが、「御湯神事」が分からない。吉備津神社の鳴釜神事みたいなものだろうか。
大釜
豊臣秀吉の寄進でできたという蔵。
太閤蔵

文庫。もと多賀大社の大禰宜車戸宗功邸にあったものを移築したものだそうだ。桜田門外の変以降、彦根藩が勤皇方へ転向する際、ここで車戸宗功と長州・土佐の志士が何やら悪巧みをしたとかしないとか。
文庫
帰ってから母に「多賀大社行った」と行ったら、一番最初に言われたのが、「糸切り餅食べた?」。もちだけにもちろん門前の莚寿堂という店で食べた。
名物糸切り餅
一部滋賀県民にとっては、三本線といえばアディダスではなく糸切り餅らしい。この三本線は元寇の際の蒙古軍の旗印に由来するという(糸切り餅のお話:莚寿堂本舗参照)

これがびっくりするほど安い。店の中でゆっくり食べられるのだが、写真にある2個で100円。一瞬耳を疑った。セルフサービスながらお茶も飲める。これだけでもびっくりだが、毎月1日の1日の7:30〜9:00は無料だという。もちろんうまい。

近くには、村山たか女の住んでいた所というのもある。村山たか女の説明はWikipediaに一任するが、よく見たら、またあのおばちゃんが・・・。
村山たか:Wikipedia
村山たか女の住処
それにしても、説明の最後を「・・・」で終わらせるのはいかがなものか。自信ないのだろうか。
村山たか説明書