近世文学の大家、中野三敏氏が亡くなられた。
九大名誉教授の中野三敏さん死去 84歳 江戸文学の大家、文化勲章受章:毎日新聞
江戸文化研究への多大な功績で文化勲章を受賞した九州大名誉教授の中野三敏(なかの・みつとし)さんが11月27日、急性肺炎のため死去した。84歳。
もちろん面識はないが、なにしろビッグネームだから、論文や著書は読んだことがある。中でも1995年に出た『書誌学談義 江戸の板本』は出た時に買っている。
江戸の板本

僕が思い出すのは、NHKの「爆笑問題のニッポンの教養」(通称爆問学問)での爆笑問題との共演である。この番組に国文学みたいな地味な学問の先生が出るのは珍しく、一方で爆笑問題の太田光氏はかなりの読書家なので、どんな話になるのか楽しみにしていた。

なにしろ8年近く前なので、番組の内容はよく覚えていない。神保町を三人でしゃべりながらブラブラする感じだったと思う。覚えているのは、番組冒頭で大屋書房に入り、版本の山を前に話していた場面。始めに中野氏はこんなことを言った。

「これだけの本があるのに、今の人は文字が読めないんです。こんなに面白いのにもったいないことです。ちょっと勉強すれば、これが全部読めるようになります」

うろ覚えだが、そんな感じだったと思う。よく覚えているのは、これに対する太田氏の言葉。

「だったら、先生が僕らにも読めるようにしてくれればいいじゃないですか」

冗談めかして言っていたが、太田さんさすがだなと思った。どちらが正しいとか言うつもりはない。これは立場の違いである。

いうまでもなく中野氏は多くの注釈書を世に出しており、誰よりも古典を「僕らにも読めるように」している。それだけに限界があるのもよく分かっているはずだ。だから、自分で直接版本を読めるようになれば、もっと読書の幅が広がると言っているのだろう。これは専門家の意見である。

一方で、太田氏は読書家だから、日本だけでなく古今東西の文学を読みたい。中野氏の言っていることは、「フランス文学には翻訳されていない面白いものもたくさんあるから、フランス語を勉強せよ」と言っているのと同じように聞こえたはずだ。

実際には、版本の文字(意地でもくずし字とは言わないぞ)はそれほど難しくないし、古語とはいえ日本語で書かれているのだから、フランス語を学んでフランス文学を読むよりはるかにハードルが低い。しかし、それは専門家に近い人の考え方で、世界中のあらゆる本を読みたい読書家からすれば、写本や版本を直接読めといっても、そんなヒマはないというのが正直なところだろう。

どうしても専門家は、自分の分野に興味や理解のある人の方を見てしまうものだ。しかし、本当に大事なのはあらゆる本を読もうとする読書家である。作品は読まれるために生まれ、読まれたから現在まで残った。大昔に作品が生まれ、現在まで生き残っているのは、研究者のおかげではなく、読書家のおかげである。これを無視することは、作品の命を縮めることにほかならない。

果たして、日本の古典文学は太田氏のような読書家にアプローチできているだろうか。読書家の書架に日本の古典文学はどれだけ入っているだろうか。もし、当たり前のように日本の古典が読まれるようになれば、「古典は本当に必要なのか」などという議論は意味をなさなくなるだろう。