毎年好例の今年の漢字は「令」だった。いかにも、「平成から令和になったから「令」でいいいだろ」と決められたっぽい。いくらなんでもそれは安直すぎるだろうと思ったが、よくよく考えてみると、そのイイカゲンさがいかにも今年の日本を象徴しているような気がして、案外これはいいのかもしれない。

僕は以前から日本人ぐらいイイカゲンな国民はいないんじゃないかと思っていた。それが確信に変わったのが今年である。「日本人ぐらい」というと、「あの国はどうだ、かの国はどうだ」という人が出てくるだろうが、他の国のことなんかどうでもいい。イイカゲンさを他の国と比べる時点で十分イイカゲンである。

イイカゲンさもさることながら、日本人は自分達がイイカゲンであることにまるで気づいていないらしい。イイカゲンなくせに自分たちはマジメでイイカゲンではないと思いこんでいる。

例えば、日本人は自分達は遵法意識が高いと思い込んでいる。遵法意識が高いとは、すなわちイイカゲンでないということだ。しかし、本当に遵法意識が高いのなら、サービス残業なんか問題にならないはずだし、横断歩道で人が待っていれば車は止まるはずだ。実際はどうかはご存知の通り。習慣や雰囲気が法律や規則すら超越する、これをイイカゲンと言わずして何をイイカゲンと言うか。

例の「桜を見る会」なんてその象徴である。税金のムダ遣いといっても、その額はたかが知れている。そういう点でいえばたいした問題じゃないのかもしれない。しかし、イイカゲンさでいえば、これほど酷いものはない。イイカゲンに招待客を決めて、イイカゲンに名簿を管理して、イイカゲンな答弁で有耶無耶にしようとする。なにもかもイイカゲンなことを、いちばんイイカゲンではいけない機関がやっている。

どうにもならなくなった入試制度改革とやらもそうだし、ついに東京ではマラソンできなくなったオリンピックもそうだ。すでにイイカゲンの弊害は出ているようだ。来年以降、こういうイイカゲンに起因する問題はもっと出てくるだろう。

それ以上に恐ろしいのは、役人や政治家がイイカゲンであるヤバさに国民が気づいていないことである。だから、イイカゲンな首相が歴代最長の政権になる。普通はイイカゲンな首相などさっさとお引き取り願うところだが、国民がイイカゲンだから、イイカゲン首相が政権を保てるのだ。だいたい、「他に適当な人がいないから」なんて理由で憲政史上最長の政権を保てること自体イイカゲンである。

イイカゲンな人間が信用されないように、イイカゲンな国は信用されない。政府のイイカゲンを許している国の国民も信用されなくなるだろう。今はどうかしらないが、すぐにそういう時代はやってくると思っている。

一ついいことを思いついた。改元の記念に「令」という字にイイカゲンという訓を与えてはどうだろうか。令和と書いて「イイカゲンに和す」。今の日本にはぴったりじゃないか。