例の運動会、またケチがついた。もう言うまでもない。開会式作曲担当小山田圭吾氏のアレである。

小山田氏は僕と同い年なので思う所もないではないが、それはさておき、さすがに今となっては首をすげ替えるのは難しい。実際に短期間で曲を作れといわれれば、ほとんどの人がお断りだろう。しかも、最初から依頼されたのではなくコーネリアスの代役というんじゃますます受けられない。

こういう時こそ古典の出番である。日本には雅楽を初めとする伝統的な音楽があるし、西洋のクラシックでもいい。著作権フリーで作曲料を払う必要もない。評価が定まっているからケチもつかない。演奏者も豊富にいる。

問題は古典を使いこなすなら、演出家にある程度の教養が必要なことである。開会式に葬送に使う雅楽を使うわけにはいかないし、勇ましいからといってワーグナーなんか使ったらとんでもないことになりそうだ。古典を使うのには教養が必要だということすら知らないと、安定しているはずの古典を使ってもケチがつく。

なんだ、やっぱり古典必要じゃん。

「それは音楽の話で文学とは関係ない」という人には、「うっせえバーカ」とだけ言っておこう。

【追記】
近田春夫先生がやってくれるらしいよ。もうこれでいいじゃん。