どんなにショボいイベントでも、開催するより中止する方がはるかに大変である。

もうずいぶん前のことになってしまったが、僕が実行委員長をしていた展覧会が東日本大震災で中止になったことがある。出品者への連絡と出品料の返還、すでに送られてきていた作品の発送、会場や懇親会場のキャンセル、それにまつわるキャンセル料の交渉、もう思い出したくもないイヤな思い出である。

40人程度の展覧会でさえそうなのだから、例の運動会を中止するのは並大抵のことではない。だから中止しないのではなく、中止できない、つまり中止する能力がないのだろうと思っていた。

ところが・・・。

菅首相 “五輪 やめること簡単 挑戦が政府の役割” 米有力紙で:NHK NEWSweb
そして、菅総理大臣は「やめることは、いちばん簡単なこと、楽なことだ」としたうえで「挑戦するのが政府の役割だ」と強調しました。
なんと、菅首相は中止するのは簡単だがあえて挑戦するのだという。これが他の人なら「中止する能力がない」というと格好悪いから言ってるのだろうと思うのだが、菅首相の場合本気で「やめることは、いちばん簡単なこと、楽なことだ」と思っていそうな気がする。

安倍政権の官房長官時代、記者の質問に対してわけの分からぬ回答を繰り返していたのは、安倍首相に代わって、バカのふりをして悪役を演じているのだと思っていた。しかし、首相になってもわけが分からんから、「ああ、あれはガチだったんだ」と分かり、この人は無能なのだなと思った。

もし本気で「やめることは、いちばん簡単なこと、楽なことだ」と思っているなら、これはいよいよである。たぶん、これまでの人生で自分が陣頭指揮を取ったことがないのだろう。もしくは、自分が取ったつもりで優秀な裏方がやっていたか、どちらかである。

僕は、政治家というのは必ずしも有能である必要はないと思っている。無能であっても、自分の無能を見つめられる人が優秀な政治家である。しかし、菅首相は自分が無能であることを分かっていないタイプらしい。こういう人が政治家としていちばん質が悪い。