今月の総括といえば、当然網膜剥離の入院・手術のことになる。

コロナの感染者数も減少する中、まさかこんな災難に合うとは思ってもみなかった。こういう病気はもっと年を取ってからなるもんだと思っていたが、気がついたらいい年になっていたということだろう。幸い、目玉の中に入っていた空気はすべて吸収され、今は普通に見える。白内障手術もしたため視力が変わってしまったのでちょっと見づらいが、いずれ完治したらメガネを作り変えれば問題ない。

さて、今回入院したのは昭和大学病院付属東病院である。自宅から徒歩15分ほどで行かれる場所で、いい病院が近所にあってよかった。昔と違い病室から携帯電話をかけてもいいし、病院内にコンビニもある。もちろん自販機も各階にある。メシも三食とも十分な量でなかなか美味い。給食に関しては僕は(食う方の)エキスパートだが、これまで食べた給食の中でも一・二位を争う美味さである。難点といえばタバコが全く吸えないことぐらいだが、これは社会の趨勢だから仕方がない。
病院の夕食
実はこれは人生初めての入院ではない。今を去ること35年前、大学に入学する直前に10日ほど、実家のある埼玉の病院に入院したことがある。

その時は、コンビニなんか論外、唯一買えるのは自販機の飲み物だが、それも藤沢薬品の気配館などという病院特有のわけのわからんものだった。ちなみに、気配館は「けはいかん」ではなく「きくばりかん」と読む。もちろんメシも不味くて、おまけにやたらと夕食の時間が早かった。スマホどころか携帯電話もない時代なので、本を読むかラジオを聞くぐらいしか時間をつぶす術がなかった。

それからくらべると、今回の入院生活ははるかに快適である。だから贅沢を言っちゃいけないが、35年前の入院とは決定的な違いがあった。それは今がコロナの真っ最中だということだ。

まず、入院する前にPCR検査がある。PCR検査の後は病院から一歩も出ることはできない。最初に行った眼科から「入院覚悟で朝イチで行け」と言われていたが、前の晩とにかく学校の仕事を片付けなければならなかったので、覚悟ばかりで準備は十分ではない。だが、PCR検査を受けてしまったので、取りに帰ることもできない。

もちろん、面会もできない。妻に差し入れをリクエストしたが、直接の受け渡しはできない。お見舞いの人が誰も来ないから、昼間の病棟は患者と看護師ばかりある。静かなのはいいのだが、なんだか寂しい。

それなら患者同士で仲良くなればよさそうなものだが、これもコロナのせいか、プライバシーの確保なのか、常にベッドのカーテンが閉められていて、隣のベッドにどんな人がいるかよく分からない。たまたま会っても、お互いマスクを付けているから顔もよく分からない。35年前入院したときは、必要なとき以外カーテンは閉められてはいなかった。最初はそれが嫌だったが、ちょっとしたおしゃべりなんかして患者同士で親しくなったりしたものだった。

このときの入院でよく覚えているのが、患者の中にほとんど治っているにもかかわらず、どこが痛いあそこが痛いとゴネて退院しないトラックの運転手がいたことだ。なんでも、保険がおりるから入院が長引けば長引くほどいいらしい。後日、駅で僕の後に退院した人に会ったら、その運転手は階段から落ちてまた入院が長引いたという。わざと落ちたんだろうというのが、僕とその人の共通認識だった。

話がそれたが、もう一つ、コロナとは関係なく35年前の入院と違うところがある。今回の病院は近いといっても徒歩15分も距離があるにもかかわらず、病院の窓から自分の住んでいるマンションがよく見える。目がダメなだけで体は問題なし、家は遠くに見える。これがかえって郷愁をさそって、35年前の入院よりもずっと快適なのに、早く家に帰りたい気持ちははるかに強かった。