2022年北京オリンピックが始まった。オリンピックといえば開会式、開会式といえばクライマックスは聖火の点火である。

なにしろ中国、しかも演出は2008年の夏も担当した張藝謀(チャン・イーモウ)先生だ。2008年のオリンピックでは、資本主義の象徴ともいえる李寧社長を空に飛ばした人である。ド派手な演出が見られるのではないかと期待した。

次々に聖火がリレーされ、最終ランナーが点火すると思ったら、何とトーチをそのまま雪の結晶の形をしたオブジェの中心に突き刺した。これにはびっくりだったが、それでも「中国だし、張芸謀だし、これで終わるはずがない。最後にドバーっと燃え上がるのでは」と期待した。ところがそれで終わり。遠目に見たら燃えているんだかいないんだかよくわからない、すぐにでも消えそうな小さな火である。

聖火というものはドバっと燃え上がるもので、ましてや中国なんだから相当景気よく燃やしてくれるだろうという期待は見事に外れた。期待を裏切るだけでなく、これは近年の環境保護の文脈にもあっている。張藝謀に見事にしてやられたと思った。

しかしそんな解釈でいいのだろうか。相手は高名な映画監督である。もっと重要な意味が込められているに違いない。

もう一度聖火台をよく見てみよう。聖火台は雪の結晶の形をしているが、それは参加国の国名が書かれているプラカードの集合体である。つまり、さまざまな国の中心で小さな火が燃えているという構図になっている。

ここで僕はビリー・ジョエル(Billy Joel)のWe didn't start the fireという曲を思い出した。

この曲はとてもヘンな曲で、ちょっとした歌詞以外は1949年(Billy Joelの生まれた年)から1989年(曲が発表された年)の歴史的な事件や人物の名前をひたすら羅列するだけである。なぜだか「ハートにファイア」というアホみたいな邦題を付けられてしまったが、本来のタイトルは「僕たちが火をつけたのではない」という全く逆の意味である。

この歌詞の歴史的事象以外の部分、ビリーはこう歌っている。
We didn’t start the fire.
It was always burning since the world’s been turning.
要約すると「僕たちは火を点けていないが、火種は世界ができてから常にある」と言っている。逆に言えば、「僕たちは火を点けていないが、火種を大きくも小さくもするのは僕たち次第だ」ということだろう。

続けて、
we didn't light it.
But we tried fight it.
「僕たちは火を点けていないが、戦おうとした」という。「火を消そうとした」ということだろうか。

ここでもう一度北京オリンピックの聖火を思い出してほしい。聖火はオリンピックという戦いの象徴で、開催期間中消えることはない。その火種は常に小さく燃えているのである。

そのまわりは冷たい雪の結晶で、火を消す性質がある。その雪の結晶は、世界各国がガッチリと組み合わさったものでできている。ビリーのいうように、小さな火種は世界ができてからあって、それはどうしようもない。しかし、世界の国々が団結すれば、それを大きくせずにすむ。そういうことだろう。

映画はとるに足らないシーンでも意味を持たせることがある。さんざん派手に演出したあとのクライマックスにあのしょぼい火である。深い意味がないわけがない。俗っぽい言い方にはなるが、あの聖火には、張藝謀監督の平和への希望が込められていると考えられる。