『醒睡笑』のテキストを作成していて、有名な落語『平林(ひらばやし)』の元ネタに行き当たった。

落語『平林』の筋は次のようなものである。なお、サゲは噺家によって違う。
 丁稚の定吉は、医師の「平林(ひらばやし)」邸に手紙を届け、その返事をもらって来るよう、店主から頼まれる。物忘れのはげしい定吉は、「ヒラバヤシ、ヒラバヤシ」と繰り返しながら歩くが、結局忘れてしまう。定吉は字が読めないため、通りがかった人に手紙の宛名「平林」の読み方をたずねる。
 最初に尋ねられた人は「それはタイラバヤシだ」と答える。定吉は別の人に「タイラバヤシさんのお宅は知りませんか?」と聞くが、要領を得ないので手紙を見せると、その人は「これはヒラリンだろう」と定吉に教える。また別の人に「ヒラリンさんのお宅は知りませんか?」と聞き、手紙を見せると、「イチハチジュウノモクモク(一八十の木木)と読むのだ」と定吉に教える。さらに別の人が同じように定吉に問われると、「ヒトツトヤッツデトッキッキ(一つと八つで十っ木っ木)だ」と教える。
 困った定吉は、教えられた読み方を全部つなげて、「タイラバヤシかヒラリンか、イチハチジュウノモークモク、ヒトツトヤッツデトッキッキ」と大声で唱えて歩くと、定吉の周りに人だかりができる。そこを通りがかった、顔見知りの職人の男が駆け寄ると、定吉は泣きながら「お使いの行き先がわからなくなった」と訴える。職人が「どこに届けるのだ?」と定吉に聞くと、「はい、ヒラバヤシさんのところです」。
『醒睡笑』の方はずっとシンプルで、「平林」と書いた宛名を通りがかりの僧に読ませたが、いろいろ読むものの、肝心の「ヒラバヤシ」が出てこなかったという話である。

『醒睡笑』巻6推はちがうた「文の上書に平林とあり・・・」:やたナビTEXT

いずれにしても、日本語では漢字の読みがいくつもあり、どの読みとどの読みを組合せるか、固有名詞では分からないことを利用した笑い話である。

ところが、やたナビTEXTの底本、内閣文庫本では・・・
内閣文庫本の「平林」
文の上書に平林とありとをる出家によま
せたれは平林か平林か平林か平林一八十に林か
それにてなくは平林かとこれほとこまかによみ
てあれとも平林といふ名字はよみあたらす
とかく推にはなにもならぬ
なんと全部「平林」!読みがなも無い。これでは、どれがタイラバヤシかヒラリンか分からん。分かるのは落語の「イチハチジュウノモクモク」に当たる「一八十に林」だけだ。筆写した人は、内容が分かっていたのだろうか。

ともかく全部「平林」にしたのでは落語の「平林」を知らない人には何だかわからないので、ここは読みがなを振りたいところだ。幸い手元に寛永版本の影印(古典文庫)があったので確認してみると、こちらにはちゃんと読みがながある。
寛永版本の「平林」
これによると、ヒョウリン・ヘイリン・タイラバヤシ・ヒラリン・イチハチジュウにボクボク・ヒョウバヤシ(現代仮名遣いにした)の順になっている。「一八十に林」の林が「はやし」や「りん」ではなく「ほくほく(ぼくぼく)」となっているのが面白い。

これが正しいという根拠はないが、順番が解釈に影響するものではなさそうなので、とりあえずこれを採用した。思わぬ手間がかかったが一件落着。