安倍首相の暗殺事件以来、統一協会が話題になっている。統一協会といえば霊感商法である。信者などに法外な値段の壺や多宝塔を売りつけた事件で、多宝塔という言葉はこれで知った。おかげで顔真卿の多宝塔碑と聞いても、頭の中にあの胡散臭い大理石製の多宝塔が思い浮かんでしまう。

それはともかく、よく分からないのは壺である。霊感商法に限らず、漫画などでも、よく分からないけど価値のあるものとして壺が出てくることは多い。たとえばつい割ってしまった汚い壺が、えらく高価なものだったとか。壺と花瓶は材質・形状ともに同じようなものだが、花瓶が高価だったという話は寡聞にして聞かない。

このように、壺は高価な骨董の代名詞になっている。形も「ツボ」と聞けばだれでもあの形を思い浮かべる。では壺とは何だろうか。

もちろん、昔は水や酒を入れる実用的なものだったというのは分かっている。しかし、あんなに口が狭くては出し入れしにくいだろうし、底に向かってすぼまっているので倒れやすい。もしあの形状が適切なら、今も使われているはずだが、壺を本来の用途として使っているのを見たことがない。では単なる置物としてはどうかと考えると、倒れやすいのでは置物としてもふさわしくない。

痰壺・墨壺・骨壷など、中に入れるものを限定した◯◯壺はたくさんある。しかし、共通しているのは中に何かを入れる容器ということだけで、そのどれもがあの壺の形をしていない。ならば、壺とは形ではないということになるが、壺の形といえば誰もがあの形を想起する。ますます壺とは何か分からなくなる。

どうやら、壺は何だか分からないナゾの物体らしい。分かっているのは、あの形と中に何か中に入れる容器だということだけだ。中を覗き込んでも、何が入っていたか、何が入っているんだか分からない。どう使うのか、美しいのか美しくないのか、役に立つのか立たないのか、価値があるのかないのか、皆目分からない。

たぶん何だか分からない物だから、不思議な魅力があって価値がでるのだろう。壺を買ったことのない僕にはちょっと理解できないけど。