僕は今までこのブログで、「師匠」とは書いてきたが、それが松本寧至先生だとは(たぶん一度も)書いてこなかった。師匠の名前を出すと、ともすれば師匠自慢になる。自分が師匠を超えるか、せめて師匠と同等ぐらいでなければ、虎の威を借る狐みたいでカッコ悪いと思っていたからだ。

しかし、僕にとっては師匠と言えるのは松本先生だけであることも事実だ。お世話になった先生は他にもたくさんいるが、師弟関係という言い方ができるのは松本先生以外にはいない。

一番感謝していることは、僕みたいな面倒くさい奴を弟子として迎えてくれたことである。あのころは何もできないのに、やたらと生意気だった。教える側になったからよく分かるが、二十代のころの僕みたいな奴は、自分ですら弟子にはしたくない。

それでも弟子としてかわいがってくれたのは、何か通じるものがあったのだと思っている。一つ思い当たる節としては、松本先生は何か一つの研究対象に固執するタイプの研究者ではなかったことだ。

松本先生の業績といえば、角川文庫『とはずがたり』の訳注や、『とはずがたりの研究』(桜楓社)、『中世女流日記文学の研究』(明治書院)に代表される、日記文学の研究が知られている。しかし、僕がゼミに入ったころは、説話文学や近代文学の論文を書いていた。中古・中世文学を軸足にしてはいたが対象の幅は広かった。方法論も同じである。とくに一つの方法論にこだわるのではなく、論を立てるのにはそれに適切な方法論を使っていた。

松本先生は一つの対象をどこまでも掘り下げるタイプの、今でいうオタクタイプではなかった。とはいえ、それぞれが浅いということはない。対象が芋蔓式に変わっていくので、弟子としては着いていくのが大変である。おかげで幅広い知識がついた。

松本先生と僕に共通点があるとすれば、それはオタクではないということだと思う。誤解のないように言っておくが、僕はオタクをクサしているわけではない。むしろオタクを尊敬し、オタクになりたいとすら思っている。しかしなれないのだ。

松本先生も「オタクではない」のではなく「オタクになれない」人だったではないだろうか。院生のころ、「中川はオレの論文全然読んでないけど、オレに一番近いよな」と言われたことがある。これはそういう意味だったと解釈している。

最近は話す機会も少なくなっていたが、機会があれば「今何やってる?(研究しているか?の意)」と聞かれた。僕はいつも答えに窮した。もう20年も、何もやっていないからである。僕は「不肖の弟子」という言葉すら憚られるほどの不肖の弟子である。まだ何の学恩にも報いていない。それだけが悔やまれる。