一昨年、101歳で亡くなった祖母から聞いた終戦直後の話。

祖母は当時滋賀県の実家に疎開していた。現在の長浜市の北にある、小さな集落である。戦争が終わり、その集落にもGHQのアメリカ兵が来ることになった。村は大騒ぎ。誰からともなく、

「アメリカさんは赤い物が嫌いで、赤い物を見ると狂ったように怒り出すらしい。」

という噂が流れた。たぶん誰かが「アメリカ人はアカ(共産主義者)が嫌いだ」とか言ったのが妙な具合に伝わったのだろう。

冷静に考えればアメリカ人だって人間だ。闘牛の牛じゃあるまいし、赤色を見ただけで興奮するわけはない。しかし、村の人たちにそんな余裕はない。なにしろ、相手は武器を持っている上に言葉が通じないのだ。

せっかく終戦まで生き延びたのに、赤フンで殺されたらたまったものではない。村人総出で手ぬぐいやらふんどしやら、ちょっとでも赤いものは人目に付かないところに隠し、郵便ポストは見えないように布をかけた。

赤いものは全て隠して準備万端、アメリカ兵が来る日になった。大人は全員鎮守の社に集合してアメリカ兵を迎え入れた。

村人が武器を持っていないかチェックしていたアメリカ兵の一人が、突然何か怒鳴りはじめた。何を言っているかさっぱり分からない。なにしろ英語はちょっと前まで敵性語として禁止されていたのだ。だが怒っていることは分かる。

すぐに一人のよぼよぼ爺さんが数人の屈強なアメリカ兵に捕まえられた。村人の目は怯えた爺さんに釘付けになる。赤いものは・・・持っていない。

するとアメリカ兵の一人が、爺さんの腰の帯に挟まっている細長いものを取り上げた。それは煙管(キセル)だった。アメリカ兵には煙管が拳銃か何かに見えたらしい。

爺さん、慌てて煙管を吸うモノマネをして必死に説明、事なきを得たという。