今月のニュースは、安倍元首相暗殺事件からの延長で、自民党と旧統一協会との関係に終始していた感がある。あの霊感商法の統一協会と自民党がここまで深い関係だったとは驚き・・・ではない。なにを今さらである。

勝共連合≒統一協会≒原理研究会と自民党の深い関係は、40年ぐらい前にはニュースになっていた。第二次安倍政権からは山上容疑者が犯行の動機としていたように、それを全く隠さなくなっていたから、自民党と統一協会がズブズブだといわれても、何を今さらとしか思わない。

第二次安倍政権以降、明らかに自民党の政策に観念的なものが増えてきた。選択的夫婦別姓が分かりやすい。選択的夫婦別姓は文字通り選択的なのだから強制するものではない。ようはどちらでもいいということだ。同姓にしたいならすればいいだけだ。

これに反対する理由が行政上の問題、例えばシステム的に難しいというのであればまだ分かる。だが、日本の伝統がどうのとか、家族の絆がどうのといわれると、それは観念的としかいうほかない。

もともと日本にそんな伝統はないし、夫婦別姓の国はいくらでもあるが家族の絆がないとは聞いたことがない。そもそも政治家が家族の絆なんか論じる必要はない。別姓にすると家族の絆が壊れるとかいうのは観念にすぎない。

同性婚も同じで、たとえ同性婚が解禁されたとしても、ほとんどの人が異性と結婚するだろう。反対する人は生産性がどうのだの、少子化に拍車がかかるだのワケの分からん理由で反対する。これも反対している人にとって実は理由なんかどうでもよくって、結婚は異性間でするものという観念が先にあるからである。

そういう観念を個人的に持つのは自由である。しかし、それを政治に反映されたらいい迷惑だ。そういう「あんたの観念を押し付けないでくれ」と言いたくなるような政策が、最近の自民党には多い。

もっと問題なのはその観念がどこから来たかである。日本の政治だから、本当に日本人の持つ習慣や宗教に由来するものであれば、まだ検討する余地があるだろう。しかし、この観念の実体は極めて特殊な特定の宗教によるものだったようだ。これでは検討に値しない。最初からお断りである。

お断りしなかった、つまり日本人が観念の強要に寛容すぎだったのが、この問題の発端である。カルトと自民党が密接な関係だったということばかりに焦点があたるが、その教団の教えそのものがひそかに政策に反映されていることはもっと重要である。そしてそれは、よく考えれば簡単に分かることだから、そういう観念の押し付けをする政治家には退場していただくほかない。