網膜剥離一周年(その2)の続き。

網膜剥離と診断が出た次の日(12月14日)の午前8時ごろ、自宅から徒歩十分ぐらいの昭和大学東病院に向かった。

入院を覚悟して行けと言われていたので覚悟はしていたが、ちょっと覚悟が足りなかった。なんだかんだ言っても目以外は健康そのものだし、その目にしたって左目は何の問題もない。すっかり忘れていた。今がコロナ禍の真っ最中であることを。つい最近まで、祖母や義母のお見舞いに行くのに一苦労していたのに、自分が入院するとなるとどうなるかは考えもしなかったのだ。

まず、入ってから紹介状を渡し診察の手続きをする。診察までの間、PCR検査がある。PCR検査が終ったら退院まで一歩たりとも外には出られないホテル・カリフォルニア状態。せめてタバコ一本吸ってから入ればよかった。

当然入る方にも制限があり、見舞いはもちろんのこと、差し入れも直接患者に渡すことはできず、職員に渡して病室に持ってきてもらう。病院内にコンビニがあってそこでたいがいのものは売っているのだが、パンツだのシャツだの、すでに持っているものを買うのもアホくさい。

そんなこんなで、診察である。視力検査に始まり、様々な目の検査、入院・手術を前提としているので血液検査もある。そのたびに待合室と診察室を何度も何度も往復する。待合室にはこんな額がかかっていた。
養心研学
立派な書で文句なくうまいが、落款にある石原忍が誰だか分からない。スマホで調べてみたら、前橋医学専門学校(現在の群馬大学医学部)の初代校長で、あのつぶつぶで書かれた文字を読む色盲検査を開発した人だった。

石原忍「色盲検査表の話」:青空文庫

ちなみに2003年以降、小学校で色盲検査は行われておらず、「あのつぶつぶで書かれた」とか言っても、若い人には通じない。

それにしても、眼科というものは独特の雰囲気がある。診察室は薄暗く、検査のためのいろいろな機械がある。さすがに目はカメラと同じ構造だというだけあって、CanonだのNiokonだのTOPCONだのLeicaだの、一部の人にはおなじみのブランド名が見える。なぜか内科ではよく見るオリンパスはないようだ。

中でもひときわ目を引くのが、みんな大好きカール・ツァイス。機械の横の面に例のツアイスマークがでかでかと描かれている。
Zeiss_logo
眼科検査の満漢全席だったから、このツアイスの機械も使った。さすがはツアイス、すごかった。

どういう仕組みか知らないが、眼底の様子がカラーで地形図のように立体的に撮影できるのだ。黙って見せられたら、どこかの火山を写した衛星写真だと思うだろう。実際は自分の目玉の奥の地形なのだが、どこに穴があいていてどこが剥がれているか、一目瞭然である。

すべての検査が終わったのは四時過ぎだった。手術は次の日の午前中と決定した。

つづく。