「邯鄲の歩み」という諺をご存知だろうか。『荘子』秋水篇にある話である。燕の田舎者が、趙の都邯鄲の人々のカッコイイ歩き方を真似しようとしたら、自分の歩き方を忘れてしまい、這って帰ったという話である。転じて、人の真似をしたため、真似どころか自分のやり方もできなくなってしまうことをいう。ちなみに、ぼくは邯鄲に行ったことがあるが、邯鄲市民が特に変わった歩き方をしていたようには見えなかったし、歩けなくもならなかった。
この話は示唆に富んでいるが、それにしても歩き方を忘れることなんてあるんだろうかと、ずっと思っていた。しかし、最近、歩き方を忘れることがあるということを知った。普通の状態ではない。認知症である。
年をとって歩けなくなるというのは、筋力が弱くなったり、関節や骨に問題がおきたりしてそうなるのだと思っていた。もちろんそういう場合もあるが、認知症で歩き方を忘れることも多いらしい。
実はこれはたいがいの人に経験がある。初めてスキーやスケートをしたときを思い出してほしい(したことなかったらすみません。)。最初は立つのも難しかったはずだ。いったん転ぶと、今度はどこに力を入れていいか分からないから、疲れるばかりでなかなか立ち上がれない。慣れるといとも簡単に立てるようになって、あの苦労は何だったんだろうと思う。
歩き方を忘れるというのは、そういうことである。平地を歩いているときは何の問題もない。坂や階段、デコボコなど、イレギュラーな場所に当たると、とたんにどう足を運んでいいか分からなくなる。なにかの拍子で倒れると、今度はどうすれば起き上がれるか分からないから、ヘンな所に力を入れて、なかなか起き上がれない。さらにひどくなると、平地でも足の運びが分からなくなり、まったく歩けなくなる。
僕たちは当たり前のように二本の足で歩いているが、なかなか複雑なことをしている。ロボットだって、スムーズに二足歩行できるようになったのはつい最近である。認知症になって歩けなくなるのは、それほど不思議なことではないのだ。
この話は示唆に富んでいるが、それにしても歩き方を忘れることなんてあるんだろうかと、ずっと思っていた。しかし、最近、歩き方を忘れることがあるということを知った。普通の状態ではない。認知症である。
年をとって歩けなくなるというのは、筋力が弱くなったり、関節や骨に問題がおきたりしてそうなるのだと思っていた。もちろんそういう場合もあるが、認知症で歩き方を忘れることも多いらしい。
実はこれはたいがいの人に経験がある。初めてスキーやスケートをしたときを思い出してほしい(したことなかったらすみません。)。最初は立つのも難しかったはずだ。いったん転ぶと、今度はどこに力を入れていいか分からないから、疲れるばかりでなかなか立ち上がれない。慣れるといとも簡単に立てるようになって、あの苦労は何だったんだろうと思う。
歩き方を忘れるというのは、そういうことである。平地を歩いているときは何の問題もない。坂や階段、デコボコなど、イレギュラーな場所に当たると、とたんにどう足を運んでいいか分からなくなる。なにかの拍子で倒れると、今度はどうすれば起き上がれるか分からないから、ヘンな所に力を入れて、なかなか起き上がれない。さらにひどくなると、平地でも足の運びが分からなくなり、まったく歩けなくなる。
僕たちは当たり前のように二本の足で歩いているが、なかなか複雑なことをしている。ロボットだって、スムーズに二足歩行できるようになったのはつい最近である。認知症になって歩けなくなるのは、それほど不思議なことではないのだ。
コメント
コメント一覧 (2)
> ロボットだって、スムーズに二足歩行できるようになったのはつい最近である。
なるほど。しかしロボットがもっと進化すると、認知症で歩けなくなることがあるかも知れませんね。最近流行の AI もまた、認知症にかかるようになって初めて完成の域に達するのでは?
中川聡@やたナビ
が
しました