『土佐日記』の電子テキストを公開しました。
青谿書屋本『土佐日記』:やたナビTEXT
底本は青谿書屋本(せいけいしょおくぼん)です。いつもどおり、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。
『土佐日記』は本文研究が進んでおり、やたナビTEXTにまったく新味はありません。ただ、一つだけ他と違うのは、一日一ページになっていることです。
藤原定家によると、紀貫之自筆の『土佐日記』は巻子本だったそうです。読むとすれば、一日の記事の冒頭を右端になるように、紙を巻き取りつつ一日ずつ広げることになると思います。一日一ページはそれに近い読書体験になると思います。
久しぶりに『土佐日記』を通読しましたが、あらためてこれぞまさに文学だと思いました。日記文学の嚆矢であると同時に、紀行、和歌文学、歌論、そして私小説など、後の日本文学に繋がる要素が詰め込まれています。短い作品ですが、よく読み込む必要があります。
この作品の場合、どんなによく出来た現代語訳でも原文の半分も魅力を伝えることができないでしょう。自分で作っておいてこういうのもなんですが、テキストだけでは十分に理解するのは難しいと思うので、できれば複数の注釈書を読んだほうがいいと思います。研究が進んでいても、いまだに解釈の分かれるところが多いからです。
注釈書はいくつかトップページに紹介しておきましたが、この本もオススメしておきます。
小松英雄『古典再入門―『土左日記』を入りぐちにして』(笠間書院)
青谿書屋本『土佐日記』:やたナビTEXT
底本は青谿書屋本(せいけいしょおくぼん)です。いつもどおり、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。
『土佐日記』は本文研究が進んでおり、やたナビTEXTにまったく新味はありません。ただ、一つだけ他と違うのは、一日一ページになっていることです。
藤原定家によると、紀貫之自筆の『土佐日記』は巻子本だったそうです。読むとすれば、一日の記事の冒頭を右端になるように、紙を巻き取りつつ一日ずつ広げることになると思います。一日一ページはそれに近い読書体験になると思います。
久しぶりに『土佐日記』を通読しましたが、あらためてこれぞまさに文学だと思いました。日記文学の嚆矢であると同時に、紀行、和歌文学、歌論、そして私小説など、後の日本文学に繋がる要素が詰め込まれています。短い作品ですが、よく読み込む必要があります。
この作品の場合、どんなによく出来た現代語訳でも原文の半分も魅力を伝えることができないでしょう。自分で作っておいてこういうのもなんですが、テキストだけでは十分に理解するのは難しいと思うので、できれば複数の注釈書を読んだほうがいいと思います。研究が進んでいても、いまだに解釈の分かれるところが多いからです。
注釈書はいくつかトップページに紹介しておきましたが、この本もオススメしておきます。
小松英雄『古典再入門―『土左日記』を入りぐちにして』(笠間書院)
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