『一言芳談抄』の電子テキストを公開しました。


慶安元年版本『一言芳談抄』:やたナビTEXT

底本は慶安元年版本です。いつもどおり、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

『一言芳談抄』は中世に成立した仮名法語集で、その名の通り、浄土教の高僧の短い言葉が集められています。『徒然草』98段に引用されていることでも知られています。



仏教の考え方は、ものすごくざっくりいうと「悟りを開いて仏になろう」というものです。その方法によって宗派が分かれるのですが、なかでも浄土宗の主旨は「環境の悪い現世でいくら修行してもムダ。阿弥陀如来におすがりして、来世は極楽浄土に生まれ変わりそこで仏になろう」というものです。

ですから、やることは非常にシンプルで、ひたすら「南無阿弥陀仏」と阿弥陀如来の名前(名号)を唱えればいいわけです。

一見簡単そうに見えますが、本当に簡単でしょうか。実際にやってみると、理論は勉強しなくていいのかとか、本当に救ってもらえるのかとか、どう唱えればいいのかとか、飽きたらどうすればいいかとか、いろいろと疑問が湧いてくるはずです。『一言芳談抄』はそういった疑問に対して、たくさんの高僧たちが答えています。

こう書くと、これは浄土教のことだから信者以外は関係ないように思えます。しかし、念仏を唱えるように反復しなければならないことは、日常でもよくあります。

勉強でも、仕事でも、スポーツや音楽などの練習でも、何も考えずに繰り返しやらなければならないこと、そしてそこに疑念を持つことは山ほどあります。『一言芳談抄』が読まれたのは、信仰としてだけではなく、彼らの言葉に汎用性があったからでしょう。

実際に話した言葉なので、ときどき短すぎて意味が分からないものもあります。例えばこれ。


顕真座主の云はく、「轆轤(ろくろ)かまへたることぞ」。
轆轤というと陶芸でつかうクルクル回る台のことだと思っていたので、最初さっぱり意味が分かりませんでした。実は滑車(ウィンチ)のことで、「(阿弥陀仏におすがりすることは)ウィンチを用意した(ようなもので、浄土に引き上げてもらえる)」という意味です。

分かるかこんなもん。