現在、嵯峨本伊勢物語の電子テキスト化を進めている。

嵯峨本『伊勢物語』:やたナビTEXT


嵯峨本というのは古活字本である。連綿している部分があるので一見そうは見えないが、木活字を組み合わせて版木が作られている。どのように木活字を並べたかよく知らないが、活字だから行はきれいに並んでいる。

ところが、第69段の和歌「かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは今宵さだめよ」の「こよひ」の行間に「一説よ人」と注記(傍注)が入っている部分を見つけた。
一説
これまでこんなのは出てこなかったので、後人の書入れかと思ったが、他の嵯峨本を見てもこうなっている。

これは、「かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとはこよひさだめよ」とあるが、一説には「かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは世人さだめよ」だという意味である。こういう注記は写本ではよく見られる。写本は手書きだからいくらでも入れられるが、古活字本で行間に注をいれるのはなかなか面倒くさそうだ。

不思議なのは、この注の意味である。これが「イよ人」だったら「異本では『よ人』になっている」という意味で何の問題もないが、ここでは「一説」である。調べてみると、『古今和歌集』646が「世人さだめよ」になっているので、一説とはそういう意味らしい。

これが『伊勢物語』の歌では解釈が困難で、『古今和歌集』の「世人」の方が通りがいいというなら分かる。しかし、この歌は伊勢斎宮から送られた歌に対する返歌で、実際その晩斎宮に逢おうとする(が、国守の飲みに付き合わされて失敗する)のだから、「今宵」の方が内容にあっている。男(業平)と斎宮のやりとりなのに、「世の中の人決めてくれ」というのはいくらなんでも唐突すぎる。おそらく、内容に合わせるため『伊勢物語』作者がもともとの歌を改変したのだろう。

もちろん嵯峨本の親本にある注記をそのまま入れた可能性もあるが、改変した歌はいくらでもあるのに、そんな傍注はこれまで一つも出てきていない(これから出てくるのかもしれないけど)。わざわざ手間をかけて、内容にそぐわない「一説」を紹介する理由が分からない。

天福本の他の写本を調べていないし、そもそも何か説があるのかもしれないけど、ちょっとおもしろいなと思ったので、覚えに書いた次第。