嵯峨本『伊勢物語』を翻刻しているうちに、どうにもよく分からない挿絵が出てきた。
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業平とおぼしき人物が何か書いている。服装に注目。なぜか十二単みたいなのを着ている。書いている姿勢もどことなく女性っぽい。さらによく見ると、書いている紙もなんだかヘンだ。懐紙のようだが、なぜかワク(界線?)がついている。

この絵は第93段のあとにある。これまで挿絵は章段の終わりか章段中のエピソードの終わりについていた。ということは第93段の挿絵ということになるが・・・。

 昔、男、身は賤しくて、いとなき人を思ひかけたりけり。少し頼みぬべきさまにやありけん、臥して思ひ起きて思ひ、思ひわびて詠める、
  あふなあふな思ひはすべしなぞへなく高き賤しき苦しかりけり
 昔もかかることは、世のことはりにやありけむ。
高貴な女に身分の下の男(業平)が懸想して、思い悩んで詠んだ歌というただそれだけの話である。「あふなあふな」の歌が難解だが、「あぶなあぶな(やべーやべー)」と解釈する説もあるらしい。

それはともかく、ここには「男」が女の服を着ていたなんてどこにも書いていない。「臥して思ひ起きて思ひ、思ひわびて詠」んだ歌でとあるが、思い余って女の服を着てしまったのだろうか。そりゃたしかに「あぶなあぶな」だが、もちろんそんなことも書いていない。そもそも挿絵を入れる必要のありそうな話でもない。

前栽のハギや屏風のススキを見れば秋のように見えるが、第93段からは季節が読み取れない。だが、次の第94段は秋の話である。これまで章段の冒頭に挿絵が入ったことはないが、あるいはこちらだろうか。
 昔、男ありけり。いかがありけん、その男、住まずなりにけり。後に男ありけれど、子ある仲なりければ、こまかにこそあらねど、時々もの言ひおこせけり。
 女がたに絵描く人なりければ、描きにやれりけるを、今の男のものすとて、一日二日(ひとひふつか)おこせざりけり。かの男、「いとつらく、おのが聞こゆることをば、今まで給はねば、ことわりと思へど、なほ人をば恨みつべきものになむありける」とて、弄じて詠みてやれりける。時は秋になんありける。
  秋の夜は春日忘るるものなれや霞に霧や千重まさるらん
となむ詠めりける。
 女、返し、
  千々(ちぢ)の秋一つの春にむかはめや紅葉も花もともにこそ散れ
しかし、これも季節が秋であること以外に、挿絵と関係するものがない。せめて挿絵で描かれているハギでも出てくればいいのだが、第94段に出てくる植物は紅葉だけ。いうまでもなく、女装も無関係。この章段の絵ではないといっていいだろう。とりあえず通例どおり93段の絵としておくことにした。

あるいは、古注釈か何かに説話があるのかもしれないが、今のところ見つかっていない。どなたかご存知でしたらご教示お願いします。