先日『隆房集』が終わったが、4月から『三宝絵詞(三宝絵)』の電子テキスト化を始めている。底本は漢字片仮名交じりの東寺観智院本。

東寺観智院本『三宝絵詞』:やたナビTEXT


『三宝絵詞』は平安時代中期に成立した仏教説話集である。永観2年(984)成立なので、時代的にはちょうど今話題の大河ドラマ『光る君へ』と同じころとなる。

『三宝絵詞』は、『本朝文粋』や『本朝麗藻』に多くの漢詩文を遺す文人貴族の源為憲が、冷泉天皇の第二皇女、花山院の姉に当たる尊子内親王のために書いたものである。

タイトルどおり、本来は絵があったらしい。三宝とは仏・法・僧のことだが、それぞれ3つ巻に別れていて、上巻「仏宝」では本生譚(釈迦の前世の説話)、中巻「法宝」では仏法が日本に伝わるまでの説話と伝来に功績のあった人の伝記、下巻「僧宝」では仏事の起源や寺社の縁起、高僧の伝記などがまとめられている。

執筆の経緯は序に詳しく書かれるが、『大鏡』伊尹伝にも経緯が書かれている。
また、花山院の御いもうとの女一の宮は失せたまひにき。女二の宮は冷泉院の御時
の斎宮に立たせたまひて、円融院の御時の女御に参りたまへりし、ほどなく、内裏の焼けにしかば「火の宮」と世の人付け奉りき。さて、二三度参りたまひて後、ほどなく失せたまひにき。この宮にご覧ぜさせむとて、『三宝絵』は作れるなり。
尊子内親王はこれ以上ないぐらいに身分が高いが不運な人生を送った。体も弱かったらしく、二十歳で亡くなっている。それにしても、内裏が焼けたからといって「火の宮(「妃の宮」をかけてあるらしい)」はひどい。ほとんどいじめである。
尊子内親王:Wikipedia


『三宝絵詞』は不幸な尊子内親王のために、親王が出家する際に為憲が仏教の教科書として書いたものである。残念ながら、完成してしばらくして親王は亡くなったらしい。

今回、完成までにはちょっと時間がかかると思いますが、一つ気長にお付き合い願います。