奈良県知事の発言が一部で物議をかもしている。

奈良県立民俗博物館展示室休止へ スペース足りず資料廃棄処分検討も「保管はコストかかる」:産経新聞/Yahoo!Japanニュース
同館では、収蔵資料の保管場所が足りていない状況が続いており、山下真知事は10日の定例記者会見で「ルールを決めた上で価値のあるものを残し、それ以外のものは廃棄処分することも検討せざるを得ない」との見解を示した。(中略)会見で山下氏は、「物を保管するのはコストがかかるので、見合うだけの価値があるものしか引き取るべきではなかった」とし、「文化財に指定されていない資料を保管し続ける意味はどこにあるのかという議論から始めなければいけない」と述べた。
資料保存のために存在する博物館が資料を廃棄するということだから当然批判が高まる。山下知事の発言も、理解が足りないのか、言葉が足りないのか、いい印象を受けるものではない。

民俗博物館の資料は民具といい、一般の人が使っていた道具である。すでに歴史的な役目を終えた道具ということで、簡単にいってしまえばガラクタである。昔はどこにでもあったものだから、それそのものに文化財に指定されるような価値なんかないし、逆にいえば価値があったら民具とはいえない。民具とはガラクタであること自体が価値なのである。

だから、価値によって廃棄するものとしないものを選別することは不可能である。せいぜい同じものが2つ以上あったら1つだけ残して残りを処分することぐらいだろう。とはいえ、工場で量産されたものではないから、全く同じものはない。

民具は立体物でなかには巨大なものもあるから、無尽蔵に保管することはできない。この記事によると、奈良県立民俗博物館はすでにパンク状態らしい。ある程度の処分は避けられないだろう。

問題は所蔵する民具の詳細なデータが取られているかである。廃棄にしても売却にしても、一度手放した資料は二度と戻ってこない。廃棄や売却だけではない。災害や経年劣化で損なわれる可能性もある。せめて詳細なデータをとり、いつでも復元できるようにしておくべきである。

そしてもう一つ大事なことは、そのデータをインターネットで広く公開することである。しまってあるガラクタは、博物館だろうと農家の納屋だろうと、同じ単なるガラクタである。世界中すべての人が見られるようになれば、ガラクタは価値のあるガラクタになる。