戸越地蔵尊(その1)の続き。
まずはもう一度全体像。

さて、いよいよ主役のお地蔵さんをご紹介しよう。

身長は147cm、蓮台も加えると241cmになるという。お地蔵さんとしてはなかなかの高身長である。この写真では鈴と紐が邪魔してご尊顔が見えないので、近くに寄って撮影した。

解説によると、造立年代は彫られておらず不明だが、形式から江戸中期から後期にかけてのものらしい。
お地蔵さんの手前、ちょうど池波正太郎の玉垣の裏隣には髭題目が彫られた墓碑がある。

いかにも古そうだが「寛文2年」とあるので1662年か。なぜか中の解説には「造立年代は大正3年」とあるけど、そんなに新しくはないだろう。あるいはここに置かれた年のことだろうか。
お地蔵さんの左隣には1.6メートルの供養塔がある。かなり古そうだが、やはり年代は分からないらしい。江戸時代中期と推定できるそうだ。

その隣には風化が激しくて何だかわからない板碑みたいなのがある。解説によると宝暦4年(1756)造立の庚申塔で青面金剛が刻んであるそうだ。

地蔵堂?の外にも庚申塔が2基ある。右が延宝元年(1637)、左が寛文6年(1666)の造立。いずれも三猿が彫られている。

まずはもう一度全体像。

さて、いよいよ主役のお地蔵さんをご紹介しよう。

身長は147cm、蓮台も加えると241cmになるという。お地蔵さんとしてはなかなかの高身長である。この写真では鈴と紐が邪魔してご尊顔が見えないので、近くに寄って撮影した。

解説によると、造立年代は彫られておらず不明だが、形式から江戸中期から後期にかけてのものらしい。
お地蔵さんの手前、ちょうど池波正太郎の玉垣の裏隣には髭題目が彫られた墓碑がある。

いかにも古そうだが「寛文2年」とあるので1662年か。なぜか中の解説には「造立年代は大正3年」とあるけど、そんなに新しくはないだろう。あるいはここに置かれた年のことだろうか。
お地蔵さんの左隣には1.6メートルの供養塔がある。かなり古そうだが、やはり年代は分からないらしい。江戸時代中期と推定できるそうだ。

その隣には風化が激しくて何だかわからない板碑みたいなのがある。解説によると宝暦4年(1756)造立の庚申塔で青面金剛が刻んであるそうだ。

地蔵堂?の外にも庚申塔が2基ある。右が延宝元年(1637)、左が寛文6年(1666)の造立。いずれも三猿が彫られている。

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