自分の家の墓を建てることになった。墓所はすでに買ってある。外構(でいいのか)も出来ている。問題は墓石である。施主は父である。施主代行の母の意向で古典的な縦長の墓ではなく、いわゆる洋風の墓になった。母は「○○家」ではなく、言葉を刻みたいという。

そこで、仮にも博士(文学)の僕にお鉢が回ってきた。そんなのすぐできると思って安請け合いしたものの、よく考えたらこれがなかなか難問だ。

参考に近くの墓を見てみたが、こういっては失礼かもしれないが、似たような言葉ばかりで面白くない。墓石の銘文に面白いも何もないのだが、頼まれた以上、他の墓と同じというわけにはいかない。

ざっと見たところ「ありがとう」的な感謝を表す言葉が多いようだ。生前は世話になって感謝するという感じだろうか。もしくは、お参りしてくれた人に対して「ありがとう」だろうか。ストレートなのはいいけど、もう少しひねりがほしい。

うちの墓の近くに俳優の松田優作の墓があって、これには「無」と書いてあった。
松田優作の墓
かっこいいけど、「必死に生きてきた人の行きつく先が無であっていいはずがありません」って僧侶ハイター(『葬送のフリーレン』)も言ってたから「無」系は却下。

「平安」とか「偲」とか「寂」とかも多い。実はそのへんも考えていたのだが、これほど多いと博士(文学)のプライドが許さない。

しかし何も思いつかないので、『墨場必携(ぼくじょうひっけい)』を繰って見た。『墨場必携』とは書道の作品を作るために、いい塩梅の文句をまとめた便利本である。ちょっと敗北感がなくもないが、いたしかたない。とても墓石の銘には使えないようなめでたい系の文句が並ぶなかで、

善哉

という言葉が目に映った。アレ?これちょっといいんじゃない?

善哉は「ぜんざい」と読む。訓読すると「よきかな」となり、英語でいえば「very good!」、中国語でいえば「很好!」といったところか。禅宗でよく使われる言葉で、師匠の質問に対して弟子の解答がよかったときに使われる。

どんな生き方をしようが善哉。どんな死に方をしようが善哉。悲しいことだけど、死んじまえば全部終わって善哉。この墓に誰が入ろうが善哉。お参りに来ても善哉。来なくても善哉。ちょっと上から目線のような気もするが、まあそれも善哉。ついでに施主の父はぜんざいが好き。これでいこう。

当初、銘は妻に書いてもらおうと思っていた。妻は隷書が専門だからである。字数が少ないとはいえやはり石碑、篆書か隷書か楷書で書くべきだ。しかし「善哉」に決めたら、こういう言葉を重々しい書体で書くのはちょっと違うんじゃないかと思えてきた。

口頭で「よろしい!」というような感じで、そのへんの筆でさっと書く。草書だと読めなくなってしまうからここは行書で。そんなイメージがわいたので、特に行書が得意というわけじゃないけど、僭越ながら僕が書くことにした。実際書いてみると、まとめやすく書いていてなかなか気持ちいい。
善哉

何枚か書いて「われながらなかなか良く書けたわい」などと自己満足していたら、施主代行(母)から連絡があり、「文字だけじゃ寂しいから、自分の描いた水彩画のユリの絵も入れたい」などと言ってきた。石屋によると、輪郭をトレースすれば入れられるという。いや、簡単に言ってくれるけどなかなか面倒くさそうだ。いや、実際面倒くさかったんだけど。

その2につづく。