年始の挨拶の次が総括という、なんとも締まらないことになってしまったが、今月も終わりである。

今月は中国の生成AI、DeepSeekで関連株がAI大暴落したり、三郷市の道路に大穴があいたり、いろいろあったが、なんといっても中居正広氏とフジテレビの件が世間を沸かした。

先日、実家に帰った時、母がこの件は何がなんだかさっぱり分からないという。母はネットや週刊誌のニュースなどは見ない。テレビだけ見ていると、「中居正広の女性トラブル」としか出てこないらしい。中居氏は独身だし相手も独身だから、何らかのトラブルがあったとしても、なんでこんなに大騒ぎしているか分からないのだという。

相手方の女性がフジテレビのアナウンサーで、この〈トラブル〉により退職したこと、そのトラブルにフジテレビ社員が強く関わっていた可能性が高いこと、フジテレビの最初の会見(二回目もだけど)があまりにもオソマツだったことを話したら納得していたが、いずれもテレビを見ているだけでは分からなかったそうだ。

ここでいう、テレビはフジテレビだけではない。どのテレビのニュースを見ても、それだけでは概要が理解ができないほど、各局がまともな報道をしていないということである。

もう一つ、テレビ業界がここまで時代遅れになってしまったことにも驚いた。僕は職業柄、時代遅れがときに命取りになることを知っているし、時代に遅れてしまったために現場から退場させられた人を何人も知っている。

体罰を例にすると、僕が高校生のころ教師は生徒をボコボコ殴っていた。卒業して三年経って教育実習に言ったら、同じ先生が「君たちのころとは時代が違うんだから、絶対に手を出さないように」という。どの口が言うのかと思っていたが、今となってはありがたい言葉だ。これでこの件については時代遅れにならなくてすんだ。

それから30年以上経った。体罰はほぼなくなったが、あくまでほぼである。今でも時々体罰で退場させられる人の話は聞く。その人は時代遅れになってしまったゆえに命取りになったのだ。時代遅れとは恐ろしいものである。

僕はテレビ業界というのは時代遅れとは正反対の、トレンドの最先端にあるものだと思っていた。ダメ会見をした港(前)社長は、僕たちが若い頃のトレンドセッターだった。聞くところによると、80年代に港氏の手によって大ヒットした番組の焼き直しを令和の今やっているという。ノーミソが80年代からまったく更新されていない。時代遅れに気づいていなかったのである。流行の最先端であるべきテレビ局の上層部がこういう人たちで構成されているのは驚愕するしかないし、これではテレビがつまらないのも道理である。

時代遅れそのものは別に悪いことではない。年をとれば仕方がないことでもある。しかし、責任ある立場にあれば、時代遅れは命取りになることもある。ノーミソをアップデートするか、それができなければ隠居するべきだろう。いずれにしても、自分が時代遅れになっていないかは常に自問する必要があると思った。