というわけで(『三宝絵(三宝絵詞)』の電子テキストを公開しました:2025年02月12日参照)『三宝絵(三宝絵詞)』の電子テキスト化を終えたわけだが、はるか昔に買った『諸本対照三宝絵集成』(小泉弘 高橋信幸・笠間書院・昭和55年6月)がとても役に立った。

この本、20代のころに神保町の古書店で買った。値段は5000円。もちろん値段なんか忘れていたが、鉛筆で本にそう書いてあるから間違いない。

30年も前なので細かいところは記憶が曖昧だが、買った時のことはよく覚えている。古書店の本棚からこの本を見つけ、値段を見てびっくりした。高いのではない、安いのだ。

当時、『諸本対照三宝絵集成』は数万円が相場だった。専門は説話だからほしいことはほしいが、『三宝絵』は現代思潮社の注釈書をすでに持っていたから、ないと困るというようなものでもなかった。しかし、数万円が5000円なら話は別だ。金に困ったら売っちまえばいい。そのころは本さえ買えば賢くなると思っていたから迷わず買った。

買った後、中身を読むことはほとんどなかった。「諸本対照」だから中身は諸本を対照しているに決まっている。こういう本は必要になったら開けるもので読むものではない。それ以来30年余り、この本は僕の書架で眠り続けていた。

今回、『三宝絵』の電子テキストを作るにあたって必要になったので、『諸本対照三宝絵集成』を引っ張り出してきて、ようやくこの本の偉大さに気づいた。これはとんでもない労作である。

諸本対照の「諸本」とは、前田家本・東寺観智院本・東大寺切(関戸本)の三つを指す。これが『三宝絵』の主要な伝本なのだが、それぞれ全く違う特徴を持っている。

前田家本は全巻揃っているが、漢字のみで書かれている。まともな漢文ではないから、それだけで読むのは困難…というよりほぼ不可能だ。あくまで他の本と対照して読める本で、底本にはならない。

東寺観智院本は漢字片仮名交じりで書かれていて読みやすく全巻揃っているが、前田家本や東大寺切と比べると誤脱が散見される。とはいえ、まともに読めて全巻揃っているのはこれだけだから、底本にするにはこれしかない。今まで活字になった本も、やたナビTEXTも底本はこれ。

問題は東大寺切である。これは雲母摺りの美しい料紙に、これまた美しい仮名で書かれている。尊子内親王に献上された本もかくやと思われる美麗なもので、本文もよさげだ。
東大寺切
東大寺切(東京国立博物館蔵):ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

しかし、いかんせん東大寺切は古筆切(こひつぎれ)である。古筆切とは冊子や巻物などの形をしていたものを、観賞用にぶった切ったもののことをいう。切り出された元の関戸本(名古屋市博物館蔵)というのも残っているが、三分の一ぐらいしかない。それ以外はその美しさゆえにバラバラに切られてしまったのだ。

切られた無数の古筆切は、あるものは博物館や美術館、あるものはコレクターの家、あるものは古書店、あるものはオークションと様々な場所にあり、目録や図録、書道の手本など様々な形で世に現れる。それも単独で軸にでもなっていればまだいいが、手鑑(てかがみ・様々な古筆切を集めて冊子にしたアルバム)に貼られていると、古書店やオークションに出ても、開けてみないことには分からない。

『諸本対照三宝絵集成』の東大寺切はそれらを博捜し集めて翻刻したものである。それでも全文にはほど遠いが、とんでもない労力がかかっている。買ったときはなんでこんなに高いのか分からなかったが、なるほどこれはそれだけの価値がある。

探してもいない数万円の本を5000円で買ったのは偶然である。もし、もともと数千円の本だったら、買っていたとしても買った事を忘れていたかもしれない。30年以上前に買った本が、今になって役に立ち、その価値が分かったのも偶然である。こういう偶然の積み重ねが、本を買う醍醐味かもしれない。