ついこの前まで暑い暑い言ってたのに、なんだか突然寒くなりました。天気もあまり良くない日が続きます。どうやら秋はなくなってしまったようです。さて、今月の話題といえば、熊さんと高市さんに尽きるでしょう。

熊といえば、学生時代、秋田県○○村出身の後輩が「私の実家はナマハゲも熊も出ません!」と言っていたのを思い出します。なにしろマタギの本場で「村」ですから、誰もがそう思っていました。卒業後、後輩を訪ねてその村に行ったんですが、想像していたような山奥ではなく、のどかな田んぼの広がる平地で、ナマハゲはともかく、どう考えても熊なんか出そうにありません。後輩には深く謝りました。

このように熊が出るのは山の奥というのが常識でしたが、今年からその常識も崩れてしまいました。例の○○村(現在は横手市に編入)でも多数目撃されています。○○村どころか市街地にも現れて問題になっています。それらの多くは、熊の本来の生息域からはかなり隔たっています。

では、なぜそんなところに熊が現れるようになったのでしょう。もちろん、私は熊の専門家ではありませんので、話半分で読んでください。

ちょっと哲学的な話ですが、「熊が現れた」というのは、熊が人の生息域に来るの同時に、その熊を見た人がいるということです。たとえどんな大都会に熊が来ても、人に見つかる前に山に帰ってしまえば、それは現れたことにはなりません。

ご存知の通り、現在地方都市は人口が減少しています。それは実際に行ってみると実感できます。10年前に行ったときは活気があったのに、今行くとおそろしく寂れているように感じる街はたくさんあります。そういう街では数字に出てくる人口減少以上に人がいない印象を受けます。

熊だって本当は人間には見つかりたくないはずです。しかし、その人間が減ってしまった。過疎化が進むに従い活動域を広め、その一部が人が少なくなった街に現れ、さらにその一部の迂闊なヤツが人に目撃されたり被害を与たりするのでしょう。見つかっている数の何倍もの数が人里に来ているとしか考えられません。

もちろん、さらに根本には熊の生息数が増えているというのもあるでしょう。山に食べ物がなくなったから人里に出るともいわれますが、もしそうだとすれば単純に生息数は減るはずです。メガソーラーで生息域を奪われたというのもおかしい。メガソーラーは熊の本来の生息域にはありません。そんなところに作る経済的合理性がないからです。仮に熊に影響したとしても、せいぜい雨宿りに便利なぐらいでしょう。

私の考えをまとめると次のようになります。人のほとんどいない山奥に生息していた熊が、過疎化とともに本来人間が住んでいた所まで、すこしずつ活動域を広げていった。過疎化といっても人が住んでいた所ですから、山奥よりは熊の食べる物はあります。その結果、栄養状態がよくなり生息数が増えた。この一部が、より餌の多い市街地に出て、さらにその一部の迂闊なやつが目撃されたり被害をおよぼして騒ぎになる。そういうことではないでしょうか。

まあ、素人考えなんですけどね。高市首相についてはまたこんど。