鎌倉時代に書かれた書論『入木抄』に、ものすごい「日本スゲー」章がある。章題からして「入木一芸、本朝は異朝に超えたる事」。「(文学や管弦などは別にして)書道だけは中国を超えている」という。もうこれだけでお腹いっぱいだ。
作者は青蓮院流(御家流)の祖、伏見天皇第六皇子の尊円法親王である。皇族だから、「日本スゲー」もしょうがないような気もするが、それにしても贔屓の引き倒しっぷりがすごい。
この章の冒頭は空海で始まる。
尊円法親王とてこのことを知らないはずがない。知っていて彼らを無視しているのだ。これは歴史修正主義である。
このあと、日本の能書家、とくに和様の能書家たちがいかに優れているかを述べ、次のようにまとめる。
流派の正当化が目的だろうが、これは批判として正当なものだろうか。実際このころから江戸時代までの和様の書は似たようなものばかりで見るべきものは少なく、江戸時代初期の寛永の三筆や唐様の復興に至って、ようやく書道は芸術的な進化を遂げる。「日本スゲー」の代償は重かった。
『入木抄』の「入木」は、王羲之の書が木に三分(9mm)染み込んでいたという『書断』の故事に由来する。おそらく、書道発祥の地である中国へのコンプレックスがこんな文章を書かせたのだろう。しかし、それが「入木一芸」の停滞を招いたのである。
それにしても現代の特殊な思想を持つ人たちとよく似ている。「日本スゲー」と自賛して内にこもり、発展の足を引っ張るのはいつの時代も同じらしい。
作者は青蓮院流(御家流)の祖、伏見天皇第六皇子の尊円法親王である。皇族だから、「日本スゲー」もしょうがないような気もするが、それにしても贔屓の引き倒しっぷりがすごい。
この章の冒頭は空海で始まる。
弘法大師入唐の時、王宮壁王羲之筆、一間破損。大師勅を奉りてこれを書き、晋代より唐朝に至るまで久しく絶えたる道を興されをはんぬ。空海が入唐したのは延暦23年(803年)、それ以前に太宗や初唐の三大家、智永、孫過庭、懐素など王羲之の流れを組む名だたる先輩がいる。こんな話を空海が聞いたら、びっくり仰天、即座に否定するだろう。
尊円法親王とてこのことを知らないはずがない。知っていて彼らを無視しているのだ。これは歴史修正主義である。
このあと、日本の能書家、とくに和様の能書家たちがいかに優れているかを述べ、次のようにまとめる。
本朝は毎事跡を追て国風を失はず。異朝はしからず。先代の旧風を改めて当時の風俗を流布せしむるなり。つまり、「日本の書は平安時代以来の和様の書を伝えているが、中国の書は昔の書き方をあらためてその時代に流行したの書風ばかり流布している」と批判しているのだ。
流派の正当化が目的だろうが、これは批判として正当なものだろうか。実際このころから江戸時代までの和様の書は似たようなものばかりで見るべきものは少なく、江戸時代初期の寛永の三筆や唐様の復興に至って、ようやく書道は芸術的な進化を遂げる。「日本スゲー」の代償は重かった。
『入木抄』の「入木」は、王羲之の書が木に三分(9mm)染み込んでいたという『書断』の故事に由来する。おそらく、書道発祥の地である中国へのコンプレックスがこんな文章を書かせたのだろう。しかし、それが「入木一芸」の停滞を招いたのである。
それにしても現代の特殊な思想を持つ人たちとよく似ている。「日本スゲー」と自賛して内にこもり、発展の足を引っ張るのはいつの時代も同じらしい。
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