カテゴリ: やたがらすナビ1

『大和物語』の電子テキストを公開しました。例によって、翻刻部分はパブリックドメイン(CC0)で、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

三条西家旧蔵伝為氏筆本『大和物語』:やたナビTEXT

底本は伝為氏筆本。影印は国立国会図書館デジタルコレクションで見られる、古文学秘籍叢刊による複製です。伝為氏筆本は講談社学術文庫『大和物語』などの底本となっていますが、いずれもこの複製によっています。

比較的読みやすい写本でしたが、勘物が多く含まれていて、これがなかなか苦労しました。

勘物の内容は登場人物に関する考証なので、判読が難しいときは、久しぶりに公卿補任だの尊卑分脈だのを引いて調べましたが、明らかに間違っていることも多く、「なんじゃこれは」というものも結構ありました。

実はこれまで『大和物語』を通読したことがありません。何度かトライしましたが、あまりに興味がもてないので、前半で挫折してしまうのです。

僕にとって『大和物語』は相性の悪い作品でしたが、今回むりやり読んでみて、いろいろと勉強になりました。苦手だった和歌の解釈にも自信がつきました。何よりも、ところどころ見られる中世文学の萌芽に気づけたのが収穫でした。

まあ、あまり細かいことを語るとボロがでそうなので、今日はこんなところで。とりあえずご報告まで。

SSLとは、サーバーを認証したり通信を暗号化したりして、安全に通信が行えるようにする方法である。

例えば、あなたのパソコンで『やたがらすナビ』を閲覧したとする。一見、あなたのパソコンと『やたがらすナビ』は1対1で繋がっているように見える。しかし、実際は間にいくつものコンピュータを経由している。もし、そのうちの一つが、悪意のある者だったり、そういう人に乗っ取られたコンピュータだったりしたらどうだろう。

その場合、『やたがらすナビ』から送られたデータが、あなたのパソコンに届く前に書き換えられたり、『やたがらすナビ』のフォームに入力した内容が第三者に読まれたりしてしまう。SSLを使うと、通信が暗号化されて、それが防止出来るという寸法だ。説明にちょっと自信がないけど、だいたい合ってると思う。

やたがらすナビの場合、サイトに送られるデータがせいぜい検索キーワードぐらいだし、改ざんされるようなものでもないので、しばらく様子を見ていたのだが、Google先生がしつこくSSL対応せよと言ってくるので対応した。

SSLで接続するには、URLの最初のところをhttp://からhttps://に変えるだけでよい。

https://yatanavi.org

これで接続すると、ブラウザのURLを示す所に鍵のマークが付く。

Chromeの場合はこう。
chrome

Firefoxの場合はこうなる。
firefox

しつこくいうだけあって、Google検索の結果はすでにhttpsバージョンになっている。
やたがらすナビの検索結果

なお、従来のhttp://でも問題なく閲覧できるので、とくに気にしない人は、わざわざブックマークを変える必要はないだろう。

鴨長明『発心集』の電子テキストを公開しました。例によって、翻刻部分はパブリックドメイン(CC0)で、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

慶安四年版本『発心集』:やたナビTEXT

底本は慶安四年版本で、影印は名大システム 古典籍内容記述的データベースと、早稲田大学図書館古典籍総合データベースを利用しました。慶安四年版本は、いわゆる流布本で、角川文庫や新潮日本古典集成などの底本になっているものです。

漢字カタカナ交じりで、非常に読みやすいのですが、漢字表記が多く、不統一で、さらに濁点、句点がすでに付されているので、これをどう校訂本文に生かしていくか悩みました。

例えば、「発す」は「おこす」と読めばいいのですが、現代ではあまりしない表記です。とはいえ、作品名が「発心集」なので「おこす」と平仮名にしてしまうのも、「起こす」と別の漢字を当てるのも気が引けます。やむなく「発(おこ)す」としましたが、これだと「発す」で検索できません。

読み仮名や送り仮名をどう処理するかも悩みました。翻刻ですべてカッコに入れてしまうと、やたらと読みにくいものになります。やむなく、翻刻では読み仮名・送り仮名は省略し、校訂本文の方に必要に応じて組み入れましたが、これもいろいろ疑問があります。

例えば、「本意」。底本の読み仮名に従うと、「ほい」「ほんい」両方あります。他にもあやしい読み仮名や不統一の読み仮名はたくさんあり、たぶん版本を作った人が勝手に入れた読み仮名だと思いますが、そのまま校訂本文に組み入れました。

最後に『発心集』について。

『発心集』は『方丈記』でおなじみ鴨長明による仏教説話集です。長明が語りモードに入って、少々難しくなることもありますが、仏教説話として読みやすい部類に入ります。

『発心集』とはいうものの、発心譚(仏道に目覚める話)だけではなく、霊験説話・往生説話・遁世説話など、あらゆる仏教説話のタイプが揃っています。無いのは仏伝と縁起ぐらいでしょう(あったっけ?もう忘れた)。そのため、仏教説話集入門としては最適だと思います。

さて、やたナビTEXTに収録した長明の作品は、『方丈記』と『無名抄』があります。これで長明の散文作品はすべて揃ったことになります。

鴨長明ブーム、来ないかなぁ。

一般的に活字で出てている古典文学のテキストは、校訂者によって作られたものである。どう作ればいいという決まりがあるわけではなく、校訂者の方針や、版元の方針によって変わってくる。同じ作品でも、読むテキストによって読みやすかったり読みにくかったりするのはそのためだ。

これを仮にテキストのレベルという。すると、だいたい次の五段階ぐらいにわけられるだろう。

レベル0…原典の影印
レベル1…影印の忠実な翻刻。
レベル2…忠実な翻刻に句読点・濁点等を付し、段落分けしたもの。
レベル3…レベル3を歴史的仮名遣いに直し、送り仮名を修正したもの。
レベル4…漢字表記の統一。

レベルが上がるに従って、現代人にとって読みやすくなるが、それは原典に手が加えられているということでもある。実際にはこんなにきれいに分けられるものではないし、レベル4でも、ルビや注釈によってレベル1に戻せるように工夫したものもある。

やたナビTEXTの場合、『今昔物語集』と『宇治拾遺物語』以外は、レベル1とレベル4をテキストとして提供している。

レベル4のテキストは読みやすく、検索もしやすいが、一方でもともとのテキストの味が消えてしまうおそれがある。また、校訂した人の解釈が加わってしまうため純粋なテキストではない。逆にレベル1のテキストは読みにくい。ヘタをするとレベル0よりも読みにくくなるが、そのぶん解釈は入らず、原典の味に近くなる。

これは紙の本では難しい。なにしろ、同じ文章を二つ並べなければならないので、本の厚さが倍になってしまう。しかし、まったくないわけではなく、たとえば岩波文庫『新訂 方丈記』(市古貞次・1989年5月)は、校訂本文に翻刻、影印までついている。これは『方丈記』が短いからできることだろう。

研究者はできるかぎりレベルの低いテキストを欲しがる。だから日本のネット上のテキストは影印ばかりになるのだが、それでは検索ができないし、初心者には敷居が高い。そもそも、研究者だって自分の専門以外は、レベル4のテキストで読む方が多いはずだ。

研究者はその手のテキストはすでに持っているか、容易に読める立場にいるから、ネット上のレベル4テキストには関心がない。しかし、それでは古典文学の読者を広げることはできないだろう。

読みたければ注釈書を買えばいいと言われるかもしれないが、昨今、文庫本でも1000円オーバーは当たり前、あらゆる物が安くなったのに本は高すぎる。読めるかどうか分からない本を1000円以上も出して買う奴はいない。

7月になった。7月といえば、僕にとっては、夏休みの到来とともにブログを毎日更新する「ブログ強化月間」が重要なイベントになっている。

最近ブログの更新が減っていて、6月にいたってはわずか4回、しかも6月最初の記事は本来5月の最後に書くべきもので、これを引くと3回しか更新していない。こんな状態で、毎日更新できるとはとても思えない。今年はしれっとやめちゃおうか・・・と先月の終わりから、少々心が折れそうになっていたのだが・・・。

これまでのブログ強化月間を見て、大変なことに気づいた。なんと、今年のブログ強化月間は10回目である。

ブログ強化月間:2008年07月01日

フェードアウトさせるなら、6回とか7回とか中途半端な時がいい。ピッタリでやめるなら、区切りの5回とか10回だろう。9回というのはなんともきまりが悪い。

というわけで、10年目のブログ強化月間、始まります。
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掲示板を通して、半魚文庫の謡曲三百五十番集入力がリンク切れになっているのを知った。

謡曲三百五十番集入力は、名著全集本『謡曲三百五十番集』・赤尾照文堂版『謡曲二百五十番集』を底本とした謡本(能の台本)の電子テキストで、金沢美術工芸大学の高橋明彦氏の主宰で、1998年11月から手分けして入力する方法で始まっている。

早くから、古典文学電子テキスト検索に入れていたのだが、確認してみると、すべて金沢美術工芸大学のトップページにリダイレクトされてしまう。

幸い、Internet Archiveですべて見ることができた。

半魚文庫
謡曲三百五十番集入力:半魚文庫

古典文学電子テキスト検索のリンクもInternet Archiveへ張り直したので、従来通り作品名等で検索できる。

金沢美術工芸大学の教員紹介のページを見ると、まだ在籍されているようなので、システムの変更によりページが見られなくなったことをご存じないのかも知れない。

【追記】

半魚文庫は下記のURLに移転しました。古典文学電子テキスト検索のリンク先もすでに変更してあります。

http://hangyo.sakura.ne.jp/

詳細は、当エントリのコメント欄を御覧ください。
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『今昔物語集』の電子テキスト化が一通り終わったので、次は『大和物語』にした。

三条西家旧蔵伝為氏筆本『大和物語』

伝為氏筆本『大和物語』は、講談社学術文庫や日本古典全書などの底本になっている本である。これらの注釈書は古文学秘籍叢刊の複製を使っているが、同じものを国会図書館デジタルコレクションで見ることができる。

古文学秘籍叢刊 大和物語上
古文学秘籍叢刊 大和物語下
古文学秘籍叢刊 大和物語解説

実は、『大和物語』を通読したことがない。何度か読もうと思ったのだが、気がつくと飽きてしまうのだ。

『大和物語』というと、『伊勢物語』・『平中物語』と並んで、歌物語の代表として知られるが、それらと違い、一貫した物語性がなく、正直言うとあまり面白くない。和歌がわかれば楽しめるのかもしれないが、どうにも和歌は苦手で、そこまでに至っていない。

テキストを作るとなると、どうしても深く読まなければならないから、また別の発見があるものだ。それを期待して読んでいるが、早速琴線に触れる章段を見つけた。

第10段 監の命婦堤にありける家を人に売りて後・・・

監の命婦が、鴨川近辺にあった家を売って、粟田に引っ越したのち、売った家の前を通った時に歌を詠んだ、というだけの短い章段である。歌は、次のようなもの。
ふるさとをかはと見つつも渡るかな淵瀬ありとはむべも言ひけり

「ふるさと」が旧宅を指し、「かは」は「彼は」で、「これは(昔の家だ)」と「川」を懸けている。「淵瀬ありとはむべも言ひけり」とは、「人生に浮き沈みがあるとはよくいったものだ」と言う感じでわりとありきたりの表現だろう。技巧は凝らしてあるが、たいした歌でもない。しかし、これが他人事ではない。

現在、祖父母が住んでいた家を貸しに出している。まだ借り手はついていない。この家は、僕が生まれて最初に連れてこられた家でもある。東京の病院で生まれた僕は、病院から近い祖父母の家に最初に連れてこられたのである。

もちろん、そんな時代のことは覚えていないが、大学を卒業して数年間、諸事情によりここに居候した。その後、近所に仕事場を借り、だんだんとそこで生活するようになったが、結婚後も徒歩15分程度の近所に住んで、一昨年祖母が倒れるまで週に何度も通った。居候して25年以上である。

まだ借り手はつかないが、中身はすっかり空になっているので、入っても自分の知っている家ではない。長くいる気にもならず、さっさと出てしまう。玄関に鍵をかけて振り返ると、寂しいのとも違う、悲しいのとも違う不思議な感覚におそわれる。

近所だからしょっちゅう前を通っていて、たいして懐かしくもない。毎日会ってた友人が、突如見知らぬ人になったような、なんとも表現できない奇妙な感覚である。監の命婦も「淵瀬ありとはむべも言ひけり」程度の言葉しかでてこないのも理解できる。

今でなければ、この章段も「つまんねぇ話だな」としか思わなかっただろう。今はつまらない歌しか出てこないのも含めて、いや、それだからこそ「こんな感じだよなー」としみじみと思うのである。

『今昔物語集』の電子テキスト化が一応完了したのでご報告します。

攷証今昔物語集(本文):やたナビTEXT

2014年4月30日に入力を開始したので、まる三年かかりました。始めた当初は、文字が小さい上に、簡単には出てこない異体字が多く、ちょっと入力しただけで頭痛に襲われ、十年以上かかるんじゃないかと思いましたが、慣れてくるに従いスピードが上がり、意外に早く終わりました。とにかく、老眼が進む前に終わってよかったと思っています。

当初、できるかぎり『攷証今昔物語集』(芳賀矢一・冨山房)の忠実な電子テキスト化をして、パブリックドメインで公開しようと思っていましたが、読みやすさや検索の便、HTMLで表現する成約から、もともとの本文からかなり手を入れざるを得ませんでした。

そんなわけで、現在のところ、「攷証今昔物語集」というタイトルにしていますが、「攷証」は取って、他のテキスト同様CC BY-SAで公開する予定です。

このテキストに関しては、『今昔物語集』という巨大な説話集の全編を、とりあえず公開することを目的としました。あまり読みなおしていないので、テキストの精度はイマイチかもしれません。何しろ千話以上あるので、中には大きな誤脱があるんじゃないかと、少々心配でもあります。

ですから、これで終わったとは思っていません。これからも少しづつ見直していくつもりですので、ご批正よろしくお願いします。

撰集抄』が終わって、そのころ同時に進行していた、『今昔物語集』も震旦部付仏法だったこともあり、少々仏教説話に食傷気味だったから、『平中物語』・『成尋阿闍梨母集』と、ちょっと毛色の違うものをやった。

なんとなく飽きていた仏教説話だが、『今昔物語集』も震旦部の最後の巻「震旦 付国史」になって、不思議と仏教説話を読みたくなった。というわけで、次のやたナビTEXTは鴨長明作の仏教説話集『発心集』をやることにした。

慶安四年版本『発心集』:やたナビTEXT

鴨長明が専門だったわけでも、好きなわけでもないが、これで、『方丈記』・『無名抄』・『発心集』と、主要な散文作品はすべてやたナビTEXTに収録されることになる。

『発心集』は、わりと最近、角川文庫から新版が出たので、テキストとしては入手しやすいが、決してお安くはない。僕の調べた限りでは、ネット上に電子テキストもない。



底本は新潮日本古典集成『方丈記・発心集』や旧角川文庫と同じ、慶安四年版本。版本なので、あちこちの画像データベースで見られるが、とりあえず名古屋大学所蔵のものが使いやすそうなので、これを底本にすることにした。

名大システム 古典籍内容記述的データベース(名古屋大学図書館)『発心集』

この版本、漢字(楷書)片仮名交じりで、字も大きく、ルビと句点まで付いているので、ある意味現代の活字本よりも読みやすい。翻刻をするのはそれほど難しくないが、校訂本文の方が少々悩む。

底本の味を伝えるためには、漢字をそのまま生かしたいのだが、やはり読みにくく、他のテキストと統一感がなくなり、検索が難しくなる。同じページに翻刻があるから、そのへんは、読みやすさ優先で大胆に書き換えていこうと思う。

『成尋阿闍梨母集』の電子テキストを公開しました。例によって、翻刻部分はパブリックドメイン(CC0)で、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

宮内庁書陵部本『成尋阿闍梨母集』:やたナビTEXT

底本は宮内庁書陵部本で、影印は書陵部所蔵目録・画像公開システムを使用しました。これは、現在、大阪青山歴史文学博物館に所蔵されている、定家本を丁寧に書写したものとされています。伝本はこの2つしかありません。

非常に美しく書かれていて読みやすく、文章も一部意味不明の語が含まれる以外はそれほど読みにくくないので、スイスイと翻刻が進みました。今一部で流行しているらしい翻刻の練習にもオススメです・・・・が、終盤に行くにしたがい、アレ?なんだか読みにくくなったような・・・。

この本、最初は10行で書かれています。これが書き出し。字そのものも美しく、字間にも行間にも余裕があって、仮名書道作品みたいです。
4左
ところが途中(書陵部所蔵目録・画像公開システムの48コマ左)から11行になります。まあ、一行増えただけなので、やっている最中は気づきませんでしたが・・・。
48左
終盤に差し掛かって(61コマ左)、「アレ?読みにくい。なんかヘンだぞ」
数えてみたら12行になっていましたが・・・
61左
ついに、14行に(62コマ左)。字もずいぶん小さくなりました。最初の余裕はどうした!
62左
このあとは、しばらく13行と14行が混在するのですが、最後の丁(69コマ左。オーラス70コマ右は2行で終わり。)で、何事もなかったかのように、しれっと11行に戻ります。
69左
大阪青山の紹介ページを見ると、最初の一丁の写真があって、書陵部本と全く同じ字詰めになっているので、定家本の段階からこうだったのでしょう。

行数が変わることはたまにありますが、こんなに変わるのは見たことがありません。あの定家が、「うわ、やべぇ。紙が足んねぇ。」とか言っているのを想像すると、思わず笑ってしまいます。

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