カテゴリ: 日常1

トビ(鳶)という鳥は「トンビが鷹を生む」とか「トンビに油揚げさらわれた」とかロクな諺に使われないが、古典でもあまりいい役回りを与えられていない。

例えば、『今昔物語集』には、「糞鳶」が仏に化けて人をだましていたとか、天狗の正体が「糞鳶」だったとかいう話がある。ただのトビではない。クソ呼ばわりだ。

トビはタカ目タカ科の猛禽類で、大きさもオオタカと決してひけを取らない。たしかに、オオタカほど恰好よくはないが、鷹の仲間だけに飛んでいる様子はなかなか堂々としている。それに、ピーヒョロロなんてないて悠々と空中を旋回する様子は、牧歌的で悪くない風景だ。

『徒然草』(第10段)にも、後徳大寺大臣(藤原実定)が寝殿に鳶避けのヒモを張っていたのを見た西行が「トビがいるのに何の不都合があろうか。この殿の心はその程度のもんだったんだな」といって、二度とそこには通わなかったという話がある。

トビ避けのヒモというと鳩よけのテグスを思い出す。トビはたしかに群れる傾向はあるが、よけるほどのものでもない。

兼好も理由が分からなかったらしい。「綾小路の宮のおはします小坂殿の棟」に池の蛙を取られるのがかわいそうだという理由で烏避けのひもが張ってあったことを引いて、「後徳大寺にも、どんな理由があったのでしょうか。」なんて言っている。

僕も、ついこの間までは、後徳大寺大臣がトビを嫌う理由が分からなかった。だが、今は違う。

ちょうど、溶連菌で高熱を出す前日のことである。僕は、ヨメと由比ヶ浜を歩いていた。少々腹が減っていたので、浜辺で座って蒲田駅で買ったアンティ・アンズ(Auntie Anne's)のプレッツェルを食べた。

これを袋から取り出し、手に持ってしゃべっていた。手に硬いものが当たったような痛みを感じた瞬間、目の前を黒いものが通り過ぎ、もうプレッツェルは無くなっていた。まわりを見回したが何もない。空にはトンビが悠々と飛んでいる。もう、あいつしか考えられない。

この後、いろいろなところで「トンビに注意」と書かれた看板を見つけた。最近、鎌倉付近ではトンビに油騰げならぬ、弁当をさらわれる事件が多発しているらしい。僕はトビが大嫌いになった。たぶん、後徳大寺大臣も何か盗まれたのだろう。このクソトビめ!
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先週の金曜日、39度の熱が出た。尋常でなく喉が痛く、だるい。食欲は当然ない。次の日、病院に行ったら溶連菌なるものにやられているという。何だか怖い名前だ、溶連菌。

病院から帰ってきて、申し訳程度の食事をし、病院で処方された薬を飲んだ。全部で6種類。薬のせいかどうか分からないが、夕方、腹が痛くなったのでトイレに行ったが出ない。腹は相変わらずキリキリ痛む。

ガンバル、出ない・・・。これを三回ぐらい繰り返して、「仕方がない仕切り直しだ」と思い、立ち上がってズボンを穿こうとしたら、ふっと力が抜けて目の前に白い幕が下りた。

次の瞬間、気が付くと、僕は便座に座って全身びしょ濡れになっていた。ズボンは下したままで、それもずぶ濡れになっている。僕はパニックになった。

何が起こったのか分からないが、これは全身から何か液体が噴き出ているようだ。このまま干からびて死ぬに違いない。死ぬのは嫌だ。怖い。

「ヒー」とか、ナサケナイ声を出して回りを見渡すと、トイレのタンクに繋がるパイプが破損して水が出ている。一瞬意識をなくしたときにどこかぶつかったらしい。「ああ、オレの体から出た水じゃなかったんだ・・・」と少しは安心したが、今度は水をどうにかしなければならない。

しかし、どうにも腹痛はおさまらず、どうしたらいいか考えもつかない。そうこうするうちにも水は出る。床はかなり水浸しになっている。そのうち下の階にも漏れるだろう。

僕のナサケナイ声を聞いて、ヨメが来た。あとはヨメに任せて、僕は尻を出したまま、トイレから退場した。結婚していてよかった。

現在、症状はかなり収まったが、まだ食うように薬を飲んでいる。
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先日、夜食でアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノを作って食べた。

ご存知ない方のために少々説明すると、アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノとは、オリーブオイルと唐辛子、ニンニクだけで作る簡単なスパゲッティ料理のことである。アーリオはニンニクを、オリーオはオイルを、ペペロンチーノは唐辛子を表す。ペペロンチーニということもあるが、それは複数形で、この時は一個しか使っていなかったので、ペペロンチーノで間違いない。

この時はいつになくうまくできた。塩加減が最高によかったのだ。ところが、しばらく食べていると、股間に違和感を感じるようになった。

違和感は次第に痛みに変わっていった。最初は全体に「何かヘンだな」という感じだったのが、先っぽだけが強く痛むようになった。

パンツを下して先っぽを見ても特に変化はない。いつも以上にショボくれているのが変化と言えば変化だが、それは痛みによる変化であって、ショボくれているから痛いのではない。

そうこうしているうちにも、ひりひりとした熱さをともなった痛みに変わってきた。これは物理的に何かが刺さっている痛さではない。喩えるならば、先っぽに焼け火箸を当てられたような・・・いや、もちろんそんな経験はないのだが、そんな感じである。

この感覚は前にも経験がある。香川県の健康ランドにあった「薬草風呂」なるものに入った時だ。その風呂はかなりぬるく、旅の疲れをいやすために長時間入るには最適だった。不思議なことに僕以外誰も入っていなかったのだが、特に疑問は持たず、香川県民はぬるい風呂が嫌いなのだろうというぐらいにしか思わなかった。

この風呂から出てしばらくして、僕のイチモツは火を吹いた。痛い!熱い!痛い!熱い!洗い場にいる最中、僕は水をかけ続けて消火活動にいそしんだ。これがどんなに冷水をかけても、なかなか鎮火しない。結局、次の朝まで鎮火せず、一晩中股間のほてりに悩まされることになったのだが、洗い場で股に水をかけ続ける僕は、変態にしか見えなかっただろう。

その時の経験から、入浴剤が犯人かとも思ったが、風呂に入ったのは2時間以上前である。第一そんなヤバげな入浴剤は使っていない。

こうなれば犯人はペペロンチーノ以外に考えられない。

この時のペペロンチーノは唐辛子が効いていて辛かったが、辛いものを食べて後に来たことはあっても、前に来たことはない。そもそもまだ食べ始めて5分と経っていない。唐辛子にそこまでの即効性はないだろう。

ならば料理をしている間に付いたのだろうか。たしかにゆで汁をオイルに入れたとき、かなり油がハネた。しかし、下半身丸出しで料理をしていたわけではない。よもやズボンとパンツを突き抜けて油が染み込むことはあるまい。

濡れタオルで丸出しの股間を押さえて悶絶する僕に、ヨメが言った。

「さっきトイレに行って手を洗った?」

「洗ったよ!」

洗ったに決まっている。だが・・・

「行く前は?」

「あ、洗ってない・・・」

確かに、手は洗った。が、それは終わったあとのことである。トイレに入る前は手を洗っていない。手が食べ物で汚れたり、濡れていたりすれば洗うだろうが、ニンニクと唐辛子を切っただけだったので、考えもしなかった。

疑問は氷解した。おそらく唐辛子を切ったとき、そのエキスか何かが手についていて、トイレに入ったときに先っぽの方に着いたのだろう。先っぽを直接触った記憶はないが、例えばパンツについたのを上げたときに付いたのかもしれない。

ペペロンチーノを作っている最中にトイレに行きたくなったら、トイレに入る前にしっかり手を洗うべきである。もちろん、出てきたときも忘れてはいけない。
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花粉症で耳鼻科を試してみた(その1):2013年02月12日
花粉症で耳鼻科を試してみた(その2):2013年03月07日
のつづき。

今年は桜の開花が早く、もうほとんど満開だ。そして杉花粉も満開である。

「アラミスト」と「キプレス錠」の効果は絶大で、去年とは比較にならない。とはいえ、何もないかといえばそうではなく、時々ムズムズ来てしばらくクシャミが止まらなくなったりすることが一日に数度ある。それでも、ティッシュの使用量は例年よりもずっと少ないし、ちょっとした外出だと、マスクをしないこともある。

今は去年との比較で効いていることが分かるが、来年、再来年になってくると効いている気がしなくなるかもしれない。年々薬に慣れてきて効かなくなるという話を聞いたことがあるが、それは効かなくなるのではなく、辛かった素の状態を忘れてしまうのだろう。

さて、そんなことよりももっと大きな問題がある。目のかゆみだ。

目と鼻はつながっているので、点鼻薬をやると目の方の症状も軽減されると聞いたのだが、これが一向に効いている感じがしない。それどころか、去年よりもいっそう痒いような気がする。

たぶんこれも気のせいで、本当は鼻がだいぶ楽になったから、かえって目のかゆみが目立つのだろう。だがそんなことはどうでもいい。とにかく痒い。ネットで検索したら、耳鼻科でも目薬を出してもらえるようなので、次に行ったら頼んでみようと思う。
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花粉症で耳鼻科を試してみた(その1)のつづき

スギ花粉はすでに「非常に多い」のレベルになった。
花粉


耳鼻科でもらった「アラミスト」は二本目に入った。これは一日一回、鼻の孔一穴につき二回ずつ噴霧する薬で、2月12日以来毎日欠かさず噴霧してきた。これと「キプレス錠」を寝る前に一錠のんでいる。投薬して約一カ月経ったが、効果はどうだろうか。

今のところときどき鼻がムズムズすることはあるものの、鼻水、クシャミはほとんど出ない。一応外出時にはマスクをしているが、取った瞬間、鼻水だらだらということもない。薬は効いているようだが、目薬はもらっていないので、目のかゆみは感じる。

今朝、朝の攻撃(モーニングアタック)らしきものがあった。これも、クシャミ二回程度で終わり。ただし、これはシーズンの初めだからか、薬が効いているのかはまだ分からない。そもそも、朝とか言っているが、今朝起きたのは11時すぎである。

朝と言えば、今朝起きたら下半身丸出しだった。これは高校生ぐらいのときから僕に取り憑いている「妖怪パンツ脱がし」によるものだが、この妖怪は夏に頻繁に現れるもので、この季節に出るのは珍しい。もしかしたらこれが薬の副作用かもしれない。
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いよいよ、毎年恒例の花粉症シーズンが近づいてきた。花粉症歴も長くなり、そろそろ第4期「挑戦期」から5期「妄想期」に移行しつつある。なお、この「期」については下記のエントリを参照してほしい。僕が勝手に考案したので、医者に行って「第3期です」とか言わないように。

花粉症を受け入れる階梯:2011年03月06日
4.挑戦期(別名、挫折期)
空気清浄器、マスク、薬、健康食品、お祈りなど、いろいろな花粉症対策グッズを試してみる時期。
しかし、思うほどの効果が上がらず、挫折する。
とりあえず病院へ行きましょう。

5.妄想期
国の林業政策が悪いとか、中国の大気汚染が悪いとか、考えてもしょうがない原因を考え、果ては製薬会社だの、フリーメイソンだの、反日勢力だのの陰謀だと思い込む。
つまり、花粉症とは、日本を裏から操るフリーメイソンが、日本人のやる気をそぐために政治力で杉の植林を進めた結果で、その資金は薬の需要をもくろんだ製薬会社からもでている。最近ではそこに便乗した反日勢力が、大気汚染と黄砂によって攻撃をしかけているのである。
とりあえず病院へ行きましょう。

このままでは、ある日突然ネットなんとかになっちゃったり、陰謀論者になったりするかもしれない。そういえば最近「キモーイ」という女子高生の声が聞こえるような気がする。まずい。ここままでは耳鼻科を通り越して、精神科のお世話にならなければならくなる。

陰謀論者はともかく、ネットなんとかになるのだけは絶対に嫌なので、意を決して耳鼻科の診察を受けることにした。

症状はかなり重い方だと思っている。シーズン中は片時もマスクとティッシュが手放せず、家の中でもマスクをしている。モーニングアタックと呼ばれる朝の発作によって、一時間ぐらいはクシャミが止まらない。そして一重の目が三重になる。そんな状態だ。

一番ひどい時期は春休みで仕事がないのが幸いだが、ときどきシーズンオフにそっくりの症状がでることがある。おそらく杉以外にも何かあるに違いない。そこでアレルギー検査をしてもらった。

花粉症のアレルギー検査というのは、パッチテストみたいなのをやるのだと思っていたが、血液検査だった。注射針を刺すときに目をそらす人がいるが、僕は刺さるところを凝視しないと気が済まない。いつ来るかわからないと怖いのだ。一度「見ていて大丈夫ですか」と聞かれたことがあるが、見ない方が大丈夫じゃないのだ。

この検査は一回の採血で33項目の検査ができる。MAST33というらしい。検査料はちょっと高めで(6000円ぐらい)、もう少し項目が少ないと安くなるそうだ。そう毎年やるもんでもないので、33種類でお願いした。

血液を採ったのが先週の火曜日(2/5)で、今日(2/12)結果が出た。さぞかしいろいろ出るだろうと思っていたのだが・・・。
アレルギー検査結果


「スギだけですね〜」とお医者さんがいう。ヒノキ、ブタクサ、ハウスダストぐらいは持ってるんじゃないかと覚悟していたのだがすべて陰性だった。ありがたいことだが、ちょっと拍子抜けした。

とりあえず「アラミスト」という点鼻薬と、「キプレス錠」という錠剤をもらってきた。どちらも一日一回である。もちろん、まだシーズンに入っていないので効果は分からない。

この薬で、僕は中川1.0から中川2.0にバージョンアップする!(はず)
大嫌いな春よさようなら!
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僕が勤務している学校で、近々修学旅行がある。長崎に行くとかいう話で、カステラの話で盛り上がっていた。

生徒A「大浦天主堂の近くのカステラが美味しいらしいよ」
生徒B「へー。東京にもできないかな〜」
生徒A「東京にはないみたいよ」
生徒B「お土産だからない方がいいね。あったら行く必要なくなるもん」

ここまではよかった。この後が問題だ。

生徒B「でその店、どこにあるの?商店街?」
生徒A「は?だから大浦天主堂だよ。有名でしょ?」
生徒B「えーアタシ知らな〜い。コマーシャルとかしてないじゃん。スーパーとかで売ってる?」
生徒A「だから東京にはないって・・・」
生徒B「じゃあなんで有名なの?」
・・・

なんだかイマイチ話がつながっていないなと思っていたが、ここで気が付いた。生徒Bは「大浦天主堂」を「池田模範堂」とか「ヒサヤ大黒堂」みたいな屋号だと思っているのだ。なるほど、そういわれてみれば老舗菓子店の屋号っぽい。

長崎には「浦上天主堂」というのもある。天主堂が共通しているうえに「大浦」「浦上」と名前も似ている。老舗カステラ店「浦上天主堂」と「大浦天主堂」は関係があるに違いない。ここで僕のウソツキスイッチが入った。

中川「ああ、天主堂は有名だな。昔はテレビでコマーシャルもやってた。」
生徒B「へー、聞いたとないけど」
中川「君らが生まれる前だからな。そのころはまだ「大浦」は付いてなくって、ただの天主堂だった。」
生徒A「また始まった」
中川「そのころの社長はもうずいぶん高齢だったんだけど、息子が二人いたんだ。長男は大学出で会社経営を担当してた。次男は職人気質で、家の味を守るため一生懸命働いてた。ところが、社長が死んじゃったんだな」
生徒B「で、どうなったの?」
中川「社長としては、次男に次いでほしかったみたいだが、次男は会社経営にイマイチ自信がない。だから、兄貴に社長のイスを譲ったんだ。長男はもともと店の規模を拡大したかったんだが、親父がそれを許さなかった。父親が亡くなったのを契機に事業を拡大しようとしたんだな。テレビコマーシャルをしていたのはそのころだ」
生徒A「で、事業に失敗すると・・・」
中川「それはまだそれは早い!次男の方は事業を拡大することには、賛成でも反対でもなかった。ただ、天主堂の味が守られればいいと思ってたらしい。ところが、兄の方は店を増やすだけでは飽き足らず、新商品の開発まで始めたんだ。当時流行ってたティラミスとかパンナ・コッタを作るためにイタリアから職人を呼んだりした。挙句の果てには、ポルトガル風ファッションのTENSHUDOっていうアパレルブランドまで立ち上げて、パルコに店を出した。」
生徒A「で、事業に失敗すると・・・」
中川「まだ早いって!昔から勤めていた職人さんたちは面白くない。次男と職人さんたちは天主堂を割って出たんだ。最初はこっちも天主堂を名乗っていたが、長男に訴えられたので自分の名字をつけて大浦天主堂という名前にした」
生徒B「長男の方はどうなったの」
中川「なにしろバブルだったから、会社の規模はどんどん拡大した。でも、やがてバブルがはじけて倒産しちゃった。会社更生法の適用をうけて復活したときに、「大浦の上を行く」という意味で「浦上天主堂」にしたらしい。この二社はいまだにどっちが正統かでもめている。」
生徒A「やっと、事業に失敗したよ」
生徒B「そんなのどうでもいいよ。それでどっちが美味しいの?」
中川「お前はそれしか興味ないのか。それはだな、まあ人によっても違うが・・・修学旅行の栞に書いてあるから、よく読んでおけ。」

#上記の会話はすべて創作です。先生がウソをついてはいけません。
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自分の子供はおろか、近くに甥も姪もいないので、今まで一度もお年玉というものをあげたことがない。今年、親戚のショータくんが5歳になる(満4歳)ので、あげてみた。人生初のお年玉である。

ところがポチ袋がない。去年まで売るほどあったのだが、全部フリーマーケットで売ってしまった(フリマで文房具を売った:2011年11月13日参照)のだ。

仕方がないので、開いていた近所の100円ショップを捜したが、どうもいいのが見つからない。なんだか無駄に絵が多いか、逆に何も書いていないのしかない。とりあえず白紙のものを一束買ってきた。

しかし、このまま筆で「お年玉」とか書いても面白くない。なにしろ相手は子供である。ここで僕の創作意欲が火を吹いた。

ポチ袋(表)ポチ袋(裏)


で、ヨメの実家に来ていたショータ君にあげてみた。お年玉ですよ、ハイどうぞ。

・・・・

反応が薄い・・・。

ショータ君もこれが人生最初のお年玉で、その上少々寝ぼけていた。ヘンな紙袋をもらっても、何が何だかさっぱりわからなかったらしい。

何事も初めて同士というのはうまくいかないものである。
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あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
中川 聡

トグロビーヘー

※このヘビは僕が描きました。著作権を主張しませんので、年賀状を出し忘れた方はご自由にお使いください。
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僕の場合、どういうわけか知らないが、過酷な物の使い方をしているときは壊れないのに、なんでもないときに壊れることが多い。

昨日、愛用の一眼レフデジカメ(Pentax K-100D)の背面液晶が壊れた。昼食前までは何にも問題がなかったのに、帰ってきたらこのありさま。キラキラして、なんだかとっても綺麗だが、これでは何の役にも立たない。
背面液晶

どこかにぶつけたのは間違いないが、ぶつけた記憶が全くない。当たり所が悪かったのだろう。

このカメラは、これまで結構過酷な使い方をしてきて「あ、これはやっちゃったかな?」と思う場面も結構あった。2010年の中国自転車旅行なんかは、結構なスピードで砂山に激突してひっくり返ったから、これは間違いなく逝っただろうと思ったが、どこも壊れていなかった。もっとも、この時はカメラより自分が壊れなかった方が幸いだったのだが。

それが、今回のように何でもないときに壊れるのである。そういう旅の途中で壊れるよりはずっといいのだが、こうあっさり壊れると釈然としないものを感じる。

それにしても、背面液晶がない―つまりすぐに確認できない―というのは不安なものである。銀塩時代はどんな写真が撮れているか現像するまで分からないのが当たり前だった。そんな時代から、10年も経っていないのに、ちゃんと撮れているか不安でしょうがない。

とはいえ、背面液晶が壊れたからといって、写真が撮れないわけではない。このまま使おうかとも思ったが・・・ああ、設定ができねぇ。ダメだ。買おう。
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