カテゴリ: 日本の古典文学1

光速超えるニュートリノ 「タイムマシン可能に」 専門家ら驚き「検証を」
名古屋大などの国際研究グループが23日発表した、ニュートリノが光よりも速いという実験結果。光よりも速い物体が存在することになれば、アインシュタインの相対性理論で実現不可能とされた“タイムマシン”も可能になるかもしれない。これまでの物理学の常識を超えた結果に、専門家からは驚きとともに、徹底した検証を求める声があがっている。

タイムマシンなんかできるわけがないが、科学的なことはよく分からないので、もしできたら”文系”的にはどうなるんだということを考えてみた。

まず、一番恩恵を受けそうなのは民俗学だろう。民俗学は常民(簡単に言うと一般ピープル)を対象とするから、虚無僧のコスプレでもして行きたい時代に行き、気が付かれないようにパカパカ写真を取ってくればそれだけで資料になる。

次は歴史学だ。歴史学は文献から史実を探求する学問である。タイムマシンがあれば、文献である程度分かっていることを、現場に行って確認することができる。例えば、関ヶ原の合戦を見に行って、従来の説を補強するとか、逆に覆すとかできるだろう。ただし、民俗学に比べると、多かれ少なかれ命がけになるので、旅行保険は諦めた方がいい。

しかし、歴史学はテレビだの雑誌だの、スポンサーがつくと思われるので、若手研究者にはオイシイのではないだろうか。戦場カメラマンならぬ戦場研究者みたいなのが出てくるかもしれない。

さて、我らが国文学はどうか。

国文学は書かれた文献そのものが学問の対象になる。是非とも著者自筆本を手に入れたいものだが、江戸時代を除いて文献は本屋に行けば売っているというようなものではない。他に考えられるのは作者にインタビューだが、身分制度の時代になかなか難しいだろう。

まず、奈良時代。『万葉集』の編者に会って、どう読むのか聞いてみたいが、編者が誰だかよく分からない。それ以前に『万葉集』そのものにお目にかかれるかどうかすら分からない。

東歌だったら、東国へ行ってその辺の農民に聞けば歌ってくれるかもしれない。しかし、奈良時代の東国なんてヤバそうなところちょっと行きたくない。

大伴家持に会ってインタビューするのが一番現実的か。家持なら、事跡がわりとよく分かっているので探しやすいだろう。問題はどうコネをつくるかだ。

平安時代に行って『源氏物語』の紫式部自筆本を見るのはどうだろう。それには、なんとかして貴族社会に入らなければならない。しかし、いくらコスプレしたところで、海のものとも山のものとも分からない未来人を受け入れてはくれないだろう。

渡来人のふりをして現代の技術(頭痛薬でも持っていけばいいだろう)を使って道長あたりに取り入るという方法はどうだろう。この方法はグッドアイディアだと思ったが、よく考えたらかなり長期留学になりそうだ。

うまく潜り込めたところで、紫式部本人から直接受け取らないと、本当に自筆本かどうかは分からない。下手をすると、現存本よりもカスなのをつかまされる可能性すらある。たとえ道長に取り入ったとしても、紫式部に会うのはもっと難しいかもしれない。

それでも、作者が分かっているものはまだいい。『平家物語』なんかだと、せいぜい琵琶法師から平家琵琶を聴くぐらいのことしかできないだろう。まあ、それでも十分といえば十分なのだが。

『今昔物語集』になると、もうどうしようもない。『今昔物語集』は近世になってから世に出てきたので、どこにあるか皆目わからないのである。それに、書かれている内容は成立(平安末期)以前のことなので、成立当時に行ってもあまり意味があるとも思えない。

長明とか兼好みたいな隠者文学はなんとかなりそうだ。住んでいたところが分かっているので、手土産でも持ってインタビューすればいいんじゃないだろうか。兼好なんか快く話してくれそうだ。うまくいけば執筆中の『徒然草』が見られるかもしれない。あ、『徒然草』に登場しちゃったらヤバいな。

近世は事跡が比較的分かっているから楽そうだ。西鶴だろうと秋成だろうと、ちょっと握らせればインタビューに応じてくれるだろう。芭蕉は奥の細道を先回りすればいい。

いずれにしても、歴史学と違い、手間がかかる上に地味すぎてスポンサーがつきそうにない。私費で行くか、科研費でも申請していくしかない。
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ぎょうせい(至文堂)刊行の「国文学 解釈と鑑賞」の休刊にはずいぶん反響が大きかったようだ。

『国文学 解釈と鑑賞』休刊への反応:Togetter

少々トンチンカンな人もいるようで、それがまた面白いのだが、今度は同じくぎょうせいから刊行されている「国語と国文学」も発行中止になるらしい。

「国語と国文学」というのは、書く人のための雑誌(「解釈と鑑賞」休刊:2011年08月10日参照)である。それも国文学研究では最高のものといってよい。もし、これが休刊となれば、書く人がいないということになる。これはまさに危機的状況だが、よもやそんなことはあるまい。

「国語と国文学」発行中止のご挨拶:ぎょうせいオンライン
「国語と国文学」は、大正13年に東京大学国語国文学会の編集により、国文学研究成果発表の役割を担う雑誌として、株式会社至文堂より発行されました。平成21年の業務統合後は、当社より発行を続けてきましたが、雑誌経営を取り巻く厳しい状況に鑑み、今年9月発売号(10月号)をもって、弊社からの発行を中止することといたしました。

これがもし休刊なら、いよいよ憂うるべき事態である。

しかし、わざわざ「弊社からの発行を中止する」とあるのだから、他社に移管するということだろう。ちなみに「解釈と鑑賞」の「「国文学 解釈と鑑賞」休刊のご挨拶」には「今年9月発売号(10月号)をもって、休刊することといたしました。」とあって、「国語と国文学」とは対照的になっている。

笠間書院のブログにも、「ただ、「国語と国文学」については、小社ではありませんが、某社に移行して発行が継続されるという「噂」を把握しています。(ぎょうせいが「国語と国文学」の発行中止を発表(ぎょうせいオンライン):笠間書院)」とあるので、移管は間違いないとみていいだろう。

それではなぜ「解釈と鑑賞」は休刊で、「国語と国文学」は存続するのか。ここからは全くの推測だが、出版という商売の視点から見ると、

「解釈と鑑賞」…刊行すると損をする雑誌
「国語と国文学」…損はしないがあまり儲からない雑誌

だったのだろう。「国語と国文学」のような投稿誌は、出版コストもそれほどかからない。それならば残しておいてもよさそうだが、そこに使うリソースを他に振り向けた方が儲かると判断として切り捨てたのである。

逆に言えば、「国語と国文学」は、あまり儲からなくても安定した儲けがあるといえる。それを必要とする出版社も少なからずあるはずだ。

たぶんね。

【2011/09/29追記】
「国語と国文学」は明治書院から発行されることになった。
【雑誌情報】学術雑誌『國語と國文學』を明治書院が引き続き刊行いたします
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「国文学 解釈と鑑賞」(ぎょうせい)が休刊するらしい。

『国文学 解釈と鑑賞』休刊のお知らせ:Prof. Shima's Life and Opinion

學燈社の「國文學」は一足先(2009年)に休刊になったので、国文学に特化した雑誌(学術雑誌を除く)はこれで完全になくなったことになる。一抹の寂しさがないわけじゃないが、ぶっちゃけ、なくなってもしょうがないなという感覚がある。

大学生のときからそう思っていたのだが、この二つの雑誌、何がしたいのかイマイチわからなかった。分かりやすく言うと、初心者に敷居が高すぎるのである。

僕は雑誌には二種類あると考えている。一つは書く人のための雑誌、もう一つは読む人のための雑誌である。

例えば、紀要とか学会誌は論文を書く人のための雑誌である。読者のことなんか考えなくっていい。いい論文を選別して活字にすればいいのである。基本的にテーマとか特集は必要ない。書く人のための雑誌だから、誰でも投稿できる(ことになっている)。

それに対して、コンビニで売られているような雑誌は読む人のための雑誌である。読む人が面白いと思うような記事を載せる必要がある。だから、編集者がいい記事を書いてくれそうな人に依頼をする。

「解釈と鑑賞」にしても「國文學」にしても、本来は読む人のための雑誌だったはず。ところが、目次を見ると、論文然とした題目ばかり目を引く。いや題目だけではない。内容も投稿論文と何ら変わりがない。読むための雑誌を装っているが、中身は書くための雑誌なのである。

だから、初心者は読んでもよく分からない。初心者だけではない。国文学の専門家でも、自分の専門分野と違う特集を読んでもよく分からない。この点では「國文學」の方が少しマシだったと思う。

正直に言おう。僕がこの雑誌を新刊で買ったことがあるのは、自分の専門分野が特集されているときと、知り合いが書いているときだけである。そして、ほとんどの人がそうではないだろうか。

読む人を意識しなければ、商業雑誌なんか成り立たないのはあたりまえである。むしろ、このやり方でここまで持ったのが奇跡だと思う。

しかし、国文学科の学生や大学教員を始め、中学・高校の国語教員、一般の愛好家、思っているよりこの分野を必要としている人は多いのだ。ちゃんとニーズをつかめばもっと売れる雑誌はできるだろう。
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今日は旧暦の7月7日、七夕。

七夕の伝説で天の川に橋を架けるのがカササギ(鵲)である。大伴家持の「鵲の 渡せる橋に おく霜の しろきを見れば 夜ぞ更けにける」という歌はあまりにも有名だし、中世、二条派の和歌では七夕を題とするとき、カササギ以外の鳥を詠むことは認められなかった(『正徹物語』を読んだ:2011年06月27日)

このように、古くから和名が与えられ、よく知られた鳥だが、日本人でカササギを見たことがあるという人はあまりいないはず。実はこの鳥、佐賀県を中心とした九州の一部にしか生息していないのである。

それも、タンチョウ(丹頂鶴)のように昔はどこにでもいて、今は九州の一部にしかいないというのではない。カササギはもともと日本にはいない鳥で、今、九州の一部にいるのも人間の手によって朝鮮半島から連れてこられた外来種だといわれている。家持にしても、カササギにこだわった二条派の歌人にしても、おそらくカササギを一度も見たことがないのである。

ところがこの鳥、世界的に見れば珍しくもなんともない鳥らしい。七夕伝説の発祥の地である中国では見たことがないが、今回、フランスで何度か見かけた。

最初に見たのはパリの公園だった。この時は写真を撮らなかった。二度目は、たまたま立ち寄ったレンヌのSt.ジョルジュ庭園(地図)である。

IMGP3596


この美しい庭園で、二羽のカササギがピョンピョン跳ねていた。カササギはつがいで行動する習性があるそうなので夫婦だと思われる。カラスの仲間だけあって、動きが烏そっくりである。尾が長く、色以外はこれまたカラスの仲間であるオナガに似ている。

カラスの仲間なのでとても賢い。写真を撮ろうとして間合いを詰めても、すぐ逃げられてしまう。それも、屋根の上とかどうやっても撮れないところならあきらめもつくが、僕のレンズ(望遠側70mm)では小さすぎる微妙な間合いをとる。なんだか、カササギにからかわれている気がする。

で、やっと撮れたのがこれ。クリックしても拡大しないので念のため。でも、なんとか背中の青い羽根は確認できるだろう。

カササギ1
カササギ2
カササギ3


もっとちゃんとした写真を見たい方はこちらをどうぞ。

カササギ:Yachoo! オンライン野鳥図鑑
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最近刊行された『正徹物語』(小川剛生訳注・角川ソフィア文庫)を読んだ。



『正徹物語』は室町時代の歌僧、正徹による歌論書である。正徹は『徒然草』最古の写本の筆写者としても知られる。

内容は、詠歌技法、歌語解説、歌体論・創作論、会席作法・故実、古歌・自作の解説、歌人・作品の逸話(小川氏の解説による)と、バラエティに富んでおり、初学者をターゲットにしたらしく、比較的読みやすい文体で、雑然と並んでいる。

『正徹物語』を読んでいると、正徹の和歌に対する姿勢が見えてくる。正徹は「芸術とは何か」ということを真剣に考えていたのではないだろうか。もちろん、当時は今使われているような意味での「芸術」という言葉はなかったが。

日本の芸術は、どんなジャンルであれ、おおむね次のように進行すると僕は考えている。

1・単純な表現により始まる。
2・次第にいろいろな技法が編み出され、それがセオリー化する。
3・セオリーの運用方法により、いくつもの流派に分かれ、セオリーが絶対的なルールに変わる。
4・ルールが細分化され厳密になり、いかにルールを守るかだけがテーマとなる。
5・滅亡する、または、革新が起き1に戻る。

この中で、和歌における室町時代は3に該当する。3は芸術が衰退しはじめる時期であり、表現者にとってルールと表現の板挟みになる、難しい時期でもある。

例えば、本書でいう第118段には、こんな話がある。
ある七夕の会のとき、頓阿とその子供の経賢が出席した。経賢が「七夕鳥(七夕鳥)」という題を取って、歌を詠み、父に見せたところ「これではダメだ」と投げ返された。再び詠んで見せたがまた返された。三度目も返された。
経賢が「どうすればいいのでしょう?」と聞くと、頓阿は「七夕には決まって読む鳥があるでしょう」と言った。そしてまた経賢が歌を詠んで、父に見せると「これは問題なし」と言った。詠んだ鳥はカササギだった・・・。

この話に対する正徹の評は次のとおり。こちらは原文で引用する。
か様に二条家には、少しも異風なることを嫌ふなり。七夕鳥ならば幾度もかささぎを詠むべし、星・鵲ながらいかにも風情を珍しく取りなさむと心ざすべきなり。これが先づはよき体にてもあるなり。但し七夕鳥とあらん題を、五、六首も詠まん時は、雁をもなに鳥をも詠むべきなり。


二条家は七夕の鳥はカササギであるという厳密なルールがある。だが、そのルールに従いながらも、「いかにも風情を珍しく取りなさむとこころざすべき」であると正徹はいう。

小川氏の注によると「か様に二条家には、少しも異風なることを嫌ふなり。」は、伝統と着想を墨守し異風をみとめない二条派への批判であるという。小川氏は専門家なので、他に根拠があるのかもしれないが、ここだけを見る限り、ルールそのものを批判しているのではなく、ルールはあくまで絶対的なもので、それを守った上で新しい表現を目指せと言っているように思える。

正徹のいうとおり、表現は絶えず新しいものを目指さなくてはならない。だが、芸術は作者だけのものではなく、鑑賞者がいて成り立つものである。新しいだけで、セオリーやルールを無視すると、鑑賞者から作品として認められない。とくに、芸術が衰退する3・4の時期はそうなる。七夕の鳥にカササギを詠まなかっただけで、読みもせず捨てられてしまうのである。

いくら画期的な表現を思いついても、「あんなの和歌じゃねぇ」と言われてしまえばそれまでだ。だから、正徹はルールにこだわる。

それでは実際、正徹の歌はどうだったか。正徹の歌は難解なものとして知られ、二条派からは異端とされたそうだ。ルールにのっとっていても異端とされるのである。『正徹物語』には自作の歌の解説があちこちに見られるが、そこにルールと格闘する芸術家の面影が見えるようだ。
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古典文学電子テキスト検索にはe-国宝のリンクが含まれる。

e-国宝は国立博物館所蔵の国宝・重要文化財の画像が見られるサイトである。非常によくできていて、全画面表示や拡大縮小が自在にできるようになっている。モニターいっぱいにして、最大に拡大すると、書いた人の息遣いまで伝わってくるようだ。

例えば古本説話集なんて、僕はモノクロの影印本でしか見たことがなかった。拡大してみると「アレ?古本説話集ってこんなに上手かったっけ?」という感じだ。写本や古筆が、これだけの高精細の画像で、しかも無料で見られるようになったとは、すごい時代である。

その他にも、貴重な資料がたくさんある。

しかし、古典文学電子テキスト検索には断簡零墨は登録しない方針なので、ここで紹介する。特によく書道の手本にされるものを集めてみた。

一品経懐紙
手鑑「藻塩草」
本阿弥切
久隔帖
秋萩帖
元永本古今和歌集
熊野懐紙
手鑑「月台」
寸松庵色紙
亀山切
高野切第三種
大手鑑
継色紙
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近世文学のジャンルは分かりにくい。もちろん、俳諧だの浄瑠璃だのは分かるのだが、仮名草子・浮世草子・草双紙・赤本・青本・黄表紙・読本となるとパッと見では何が何だかわからない。

大学の文学史あたりで習ったような気もするが、西鶴の浮世草子とか、読本の秋成とかいう程度で時代以外にどこがどう違うのか、はっきりわからん。

たぶん、他の時代のジャンルが、後からつけられたのに対し、近世のジャンルはその時代に実際に使われていたから分かりにくいのだろう。

こういう時は、高校の国語便覧あたりを読むと分かる・・・と思って開いてみたが、作品名と少々の内容が羅列してあるだけでさっぱり分からない。

例えば、「仮名草子」には『伊曽保物語』『竹斎』『醒酔笑』『可笑記』なんかが並べられている。しかし、どうも共通点が見つからない。どうしてもというなら、その名の通り仮名で書かれているということになるが、それなら他のは仮名じゃないのかというとそんなことはない。

しょうがないので、新潮社『日本文学大辞典』(岩波のを持っていないので)を引いてみたが、どうにも説明が多すぎる。そこで、それを簡潔にまとめてみることにした。近世に詳しい方、おかしなところがあったら教えてください。

1 仮名草子
まず、最初に出てくるのが仮名草子。
漢詩文や和歌・連歌・俳諧などのハイソな文学に対して、仮名で書かれた平易な文学という意味。
そんなわけだから、内容はいろいろで、小説・説話・随筆などがある。短編ばかりで、長編はない。

2 浮世草子
仮名草子から出てきたのが、かの有名な井原西鶴。
西鶴の作品を読むと、これまた内容がバラバラだが、仮名草子の流れにあるからそうなるんだね。
それまでの仮名草子と違うのは、現代(江戸時代初期)をテーマにしたところらしい。今からすると、仮名草子も浮世草子も「昔」の話だが、当時は斬新だったようだ。
この西鶴の方法は、次々にフォロワーを生む。

2.1八文字屋本
八文字屋本は西鶴没後の浮世草子。京都の書肆八文字屋から出版された。西鶴のころ、浮世草子は大阪で刊行されていたが、八文字屋本から京都が中心になるらしい。
作者は江島其磧、八文字屋自笑など。

3 草双紙
仮名草子がアダルトの方向に発達したのが浮世草子なら、子供向きに発達したのが草双紙らしい。
もともと子供向きなんで、絵が中心になっている。最初は絵と文を同じ人が書いていたというから、現代でいう漫画みたいなもんだろう。
この草双紙もだんだん大人向きのが作られるようになる。これも漫画と同じである。

3.1 赤本・青本・黒本
いずれも草双紙で、赤本は子供向けのおとぎ話など。これが最初にできた。続く青本・黒本は大人向け。内容は歌舞伎の梗概などで、文学的な価値は高くない。

3.2 黄表紙
江戸時代中期になって、草双紙はさらに大人向けになって、創作性が高くなり黄表紙になる(最初は青本と呼ばれた)。恋川春町の『金々先生栄花夢』(安永4年(1775年)刊行)を嚆矢とする。

3.3 合巻
近世後期に現れた、長編の草双紙。柳亭種彦『偐紫田舎源氏』など。

4 読本
江戸時代中期にはじまった。それにしても読本とはヘンな名前だ。読まない本なんてない。が、草双紙と比較すると分かりやすい。

草双紙が絵を主体とした漫画に近いものだったのに対して、こちらは文章が主体のハードなもの。だから見る本じゃなくって、読む本ということになる。最初から大人向けで、中国の白話小説の影響を受けている。

作者も、都賀庭鐘(儒学者・医師)、上田秋成(国学者)など、インテリが多い。

江戸中期のものを前期読本と呼ぶのに対し、江戸後期の滝沢馬琴『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』などを後期読本という。
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古今和歌集最古の写本 筑波大生、18年かけ復元:東京新聞 TOKYO Web
現存する古今和歌集の写本としては最古で字体が最も美しいとされ、完本の三巻が国宝に指定されている「高野切(こうやぎれ)本古今和歌集」を、筑波大芸術学系の学生らが十八年かけて復元し、つくば市の同大総合交流会館で八〜十三日に一般公開する。 (小沢伸介)
 高野切は十一世紀半ばに、当代きっての書の名手三人が分担して書き写した全二十巻。豊臣秀吉が切断して高野山の僧に与えたことが名前の由来で、以後、次々と分割されては茶の湯の掛け軸に使われるなど散逸し、千百首のうち三割足らずしか残っていない。
 そこで、残された歌から行の間隔や書き出しの高さを調べたほか、共通する単語を集めるなどして字体の特徴を把握。残っていない部分は藤原定家による活字本を基にし、一九九三年から復元作業を始めた。


これは面白い試みだと思う。こういう復元は美術の分野ではよく行われているが、書では聞いたことがない。この記事を読んで、あらためていつぞやの源氏物語写本(写本ではない。書作品である。:2009年07月11日参照)を思い出した。

高野切は上の記事にあるように、三人の書き手からなり、それぞれ第一種、第二種、第三種と呼ばれる。

第一種が巻一・九・二十、第二種が巻二・三・五・八、第三種が巻十八・巻十九が残っている。そこから類推して、第一種が序と巻一・九〜十二・二十、第二種が巻二〜八、巻十三〜十九を担当したと考えられている。第一種の担当した巻が飛んでいるのは、当時の習慣により最も優れた書き手が最初と最後そして中間を書いていると考えられるためである。

あとはそれぞれの書き手のくせ(書風・変体仮名の使用頻度・行間など)を調べれば、ある程度科学的に復元できるはずだ。が、いうのは簡単だが、復元するにしても、かなり高野切の臨書をしなければできるようにならないので、大変な作業である。18年かかったというのもうなづける。

これが文学作品としての『古今和歌集』の研究に役立つかどうかは疑問―というよりたぶんあまり役に立たないだろうが、最古の写本の全貌を見ることにより、成立当時の「雰囲気」を味わうことができるだろう。成立当初の「雰囲気」なんて、ちょっと非科学的だが、文学作品を理解する上では案外ばかにならない。

この復元『古今和歌集』は2月13日まで展示してあるそうだ・・・って、もっと長くやればいいのに。

「高野切本古今和歌集」復元全巻完成記念展

ともあれ、携わった皆様、ご苦労様でした。
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「古典文学電子テキスト検索」の使い方:1月9日で紹介した「古典文学電子テキスト検索」をさらにオシャレにした。

検索すると、GoogleとAmazon、Wikipedia、国立国会図書館サーチの検索結果へのリンクが出るようになった。これは便利ですよ奥さん!

電子テキストサーチスクリーンショット


というわけで、電子テキストが見つからなかったら、Amazonで買いましょう。ちょっと僕が儲かります。
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現在古典文学電子テキスト検索で、謡曲三百五十番集入力:半魚文庫にある作品を登録している。ナサケナイ話だが、僕は中世文学専門(だった)にもかかわらず、謡曲には疎い。さすがに歌舞伎ほどではないが、読みに自信のないものがあるので、怪しいものは調べてから入力している。

こういう時にインターネットは便利だ。Google先生にお願いすればたいがい教えてくれる。そうして調べているうちに、かなり高い確率でヒットする、同じサイトがあることに気付いた。で、あらためて読んでみたらこれがとても面白かった。

謡蹟めぐり 謡曲初心者の方のためのガイド

このサイトのメインコンテンツは、宝生流の謡曲、180曲全曲の紹介である。だが、単にストーリーを紹介しただけではない。その舞台となった地を訪ねたときの写真と詳細なレポートがある。

恥ずかしながら「謡蹟」という言葉を知らなかったのだが、謡曲の舞台となった(といっても、能楽堂のことではない)場所のことらしい。謡曲はあらゆる古典を題材にしている。だから謡曲にあまり興味がなくても、日本の古典に興味がある人は参考になるだろう。

このサイトは謡蹟の紹介だけではなく、能の基本的な知識も解説している。これがまた簡潔で実に読みやすい。

それにしても、これだけのものを作るのは大変なことだ。デザインもすっきりしていて読みやすく、非常に完成度が高い。作者がいかに能を愛しているかが伝わってくる。個人サイトのようだが、一体どんな人が作ったのだろう、と思ってプロフィールを見た。

プロフィール:謡蹟めぐり

高橋春雄 大正14年2月生れ・・・

高橋さん、すごすぎます!
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