カテゴリ: 日本の近代文学

妻に、「食べてすぐ寝ると牛になるよ」と言われて、突然、子供のころ読んでいた新聞小説のことを思い出した。

覚えているのは断片的で、お母さんから、「食べてすぐ寝るとネコになるよ」と言われて、「ネコになってもいいよ」とか答えると本当にネコになってしまうという話だったことぐらいだ。内容は何一つ覚えていない。

当時僕の家で取っていたのは毎日新聞だった。タイトルも覚えていない。作者は井上ひさしだったと思うが、なにしろ子供だったので自信がない。そもそも、自分が何歳だったか覚えていない。

とりあえず、「猫 井上ひさし 新聞」あたりで検索してみたら、すぐに『百年戦争』というタイトルが出てきた。インターネット万歳!あらすじを読んだらこれで間違いないようだ。amazonで検索すると、Kindle版が上巻だけなら100円である。もはや考える必要はない・・・というわけでポチった。なお下巻は540円。

連載されていたのは毎日新聞夕刊で1977年2月28日〜78年7月15日だそうだ。ということは、僕が8歳から9歳のころということになる。よくこんなの覚えてたな、オレ。作者が「井上ひさし」だから覚えていたが、「幡随院長兵衛」とかだったら絶対に覚えていなかっただろう。

さて、実際に読んでみたら、読んだ理由も、内容をさっぱり覚えていない理由もすぐに分かった。

この小説、登場人物がほとんど小学生(5年生)である。清・良三・秋子の小学生三人がネコになったり、ネズミになったりして銀座を駆け回る。変身の仕方もおもしろいし、ネコとネズミのアクションシーンも多い。出てくるのが小学生とネコ・ネズミだから、そんなに難しい言葉も出てこない。だから小学校3年生の僕は子供向きの小説だと思ったのだろう。

ところが、読み進めていくと、宗教やら当時の社会情勢やらが絡んできて、なかなか難解だ。おまけに銀座の歴史だの哲学だのの薀蓄がやたらと長くて、およそ小学生(しかも低学年)が理解できるものではない。

新聞小説の一回は短いから、連載で読んでいれば、数回に渡って薀蓄が続いたはずだ。薀蓄が終わったときには、何のための薀蓄か、大人でも忘れてしまうのではないか。薀蓄の内容は、ストーリーに絡むものもあるが、ほとんどは関係ない。例えば、銀座の店の歴史的な変遷リストが延々つづくのには驚いた。井上ひさし先生、やりたい放題である。薀蓄は井上ひさし小説の特徴らしいので、これが好きな人にはたまらないだろう。

さて、これでは内容がなんだかさっぱり分からないと思うので、簡単に解説しておく。

ネコやネズミに変身できるようになった小学生三人が、銀座ネコと築地ネズミの抗争を通じて、人類滅亡の危機を救う。読むに従って、なぜ変身できるようになったのか、銀座ネコと築地ネズミの抗争を仕掛けた黒幕は誰か、そして抗争の真の理由が分かるようになっている。この黒幕がまた壮大にもほどがあるほど壮大なのだが、とてつもなくしょぼい理由で倒される。そう、これはセカイ系である。そんな言葉、当時はなかったけど。

現在のセカイ系と違い、清(銀座ネコの首領)と良三(築地ネズミの首領)の男子二人が人類滅亡の危機を救う。ヒロインの秋子は目立ってはいるがあくまで脇役で、ストーリーの展開にはあまり重要な意味を持っていない。このあたり、40年以上前の作品ではあるが、なんだか新鮮な感じがする。
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城前寺(宗我神社と城前寺参照)を出ると、妻が「こっちの方に・・・」といって、来た方と逆の方角へ行こうとする。ついていってみると、なにやら殺風景な空き地があった。
大雄山荘跡
大雄山荘跡の前の道
「何ここ?」
「太田静子さんが住んでた所だよ」

太田静子は太宰治の愛人で、作家太田治子の母親である。このあたり、昔は別荘地で、大雄山荘という印刷会社社長の別荘があり、そこに太田静子と母親が疎開してきた。『斜陽』のかず子と母親の住んでいたのは、ここがモデルになっている。

『斜陽』では次のように書かれている。
私たちが、東京の西片町のお家を捨て、伊豆のこの、ちょっと支那ふうの山荘に引越して来たのは、日本が無条件降伏をしたとしの、十二月のはじめであった。

設定は伊豆に変えられているが、実際「支那ふうの山荘」だったらしい。ここには2009年3月まで空き家として存在したが、放火とみられる火事で焼失してしまった。

太宰は、斜陽の元ネタになった静子の日記(いわゆる斜陽日記)を借りるため、1947年2月21日から24日まで来訪したという。僕が行ったのが22日だから、やはり梅の盛りだったはずだ。あらためて『斜陽』を読んでみると、たしかに梅がよく出てくる。
二月には梅が咲き、この部落全体が梅の花で埋まった。そうして三月になっても、風のないおだやかな日が多かったので、満開の梅は少しも衰えず、三月の末まで美しく咲きつづけた。朝も昼も、夕方も、夜も、梅の花は、溜息ためいきの出るほど美しかった。そうしてお縁側の硝子戸をあけると、いつでも花の匂においがお部屋にすっと流れて来た。三月の終りには、夕方になると、きっと風が出て、私が夕暮の食堂でお茶碗を並べていると、窓から梅の花びらが吹き込んで来て、お茶碗の中にはいって濡ぬれた。

そんな話をしていたら、地域住民のおばちゃん登場。

「ここ、知ってる?昔、太宰治の愛人が・・・」

知らなきゃ写真なんか撮っていないが、分かっていて話しかけてきたのだろう。いろいろ話を聞いて、おばちゃんは去っていったが、その直後、今度は地域住民のオッサン登場。

「ここ、知ってる?昔、太宰治のいい人が・・・」

「愛人」が「いい人」に変わっただけで、登場のしかたが全く同じである。

オッサンの話によると、ここが焼けたのはクリスマスの夜だったそうだ。何しろ、道が狭いので大騒ぎになったらしい。2009年は旧吉田茂邸(大磯)・旧住友家別邸(横浜市戸塚区)など歴史的建造物が焼失したので、これも同じ放火犯ではないかと噂されたそうだ。あとは、子供の頃、勝手に忍び込んで池の金魚を釣ったとか、どうでもいい話を聞いた。

下曽我には太宰と交流のあった尾崎一雄が住んでいた。尾崎家は宗我神社の神官の家柄だったので、大鳥居のわきに文学碑が建っている。
尾崎一雄碑

最後は何の意味もなく僕が流鏑馬場でたそがれている写真でおしまい。
流鏑馬場
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今、授業で使っている現代文Aの教科書に死臭が漂っている。気になったので、死者の数をカウントしてみた。
  • 宮沢賢治「永訣の朝」・・・病死1名
  • 河合隼雄「花女房」・・・殺人?1名
  • 夏目漱石「こころ」・・・自殺2名
  • 山田詠美「ひよこの眼」・・・心中2名
  • 米原万里「バグダッドの靴磨き」・・・戦死1名・爆死3名・拷問死1名・射殺7名
人が死ぬのは、26単元のうち5単元で18名。「永訣の朝」の病死をのぞき、すべて壮絶な死因である。死んだわけではないが、井上ひさし「ナイン」で自殺未遂が1名。かの有名なトラになっちゃった人も1名。

動物も死ぬ。しかも、江國香織「デューク」の犬は、ほぼ人間扱いなので、人間の死に含めてもいいぐらいだ。
  • 江國香織「デューク」・・・犬1匹
  • 山田詠美「ひよこの眼」・・・ひよこ1匹
  • 千松信也「クマを変えてしまう人間」・・・クマ・シカなど多数
国語の教科書なので、書いた人がすでに亡くなっているのは珍しくはないが、壮絶な死因の方が二名ほど・・・。
  • 芥川龍之介「鼻」・・・自殺
  • 星野道夫「ワスレナグサ」・・・熊に襲われる
国語教科書、『水滸伝』に負けず劣らず、死屍累々である。
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馬上駿平『重箱の隅から読む名場面』(新典社)を入手したのは、今年の1月。今ごろこれを書いているのは、なかなか読めなかったからである。

新書版で全127ページ。全然長くない。それでも、これを読むのに時間がかかったのは、この本がスルメ本だからである。スルメ本とは、スルメイカのように、噛めば噛むほど味がでる本のことで、こういう本は繰り返し読まないと理解できないし、自然と繰り返し読んでしまう。だから、薄い本でも読むのに時間がかかるのだ。

といっても、文章が難しいわけではない。文章はむしろ平易で読みやすい。しかし、扱っているテーマが「重箱の隅」である。「重箱の隅から読む」とは筆者によると、重箱の隅=「一見何でもなさそうなさりげない言葉」で、それを読む=解釈することだという。だから、この本の読者もざっと読んで分かった気になってはいけない。

対象は近代文学で、向田邦子『思い出トランプ』・志賀直哉『暗夜行路』・夏目漱石『道草』・芥川龍之介『猿』の「さりげない言葉」を題材に、そこに隠された表現・情報を読み取っていく。

重箱の隅に隠された情報は、その読みが合っているかどうかは別にして、古典だとわりと気づきやすい。現代の文章と違うから、おのずと気をつけて読むからである。

近代文学の場合、容易に意味が取れるからついスルーしてしまうものだ。例えば、この本で扱っている『暗夜行路』の「淋しい気がされた」などという言葉は、一瞬「アレ?」とは思うけど、「まあ大正時代はそんな言い方だったんだろう」ぐらいで済ませてしまうだろう。

最初に「スルメ本」などと書いたが、よくよく考えれば、名作と言われる作品はすべてスルメ本である。プロットや名場面だけ理解して読んだつもりになっていたら、もったいないことだ。そういう読み方を、この本は指南してくれる。


こちらも同じ著者による『文法で味わう名文』。こちらは文法なので、さらに読むのに時間がかかって、紹介する機会を逸してしまった。


『文豪たちの「?」な言葉』は、以前このブログで紹介(馬上駿兵『文豪たちの「?」な言葉』を読んだ)した。

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このブログはやたがらすナビの付録のブログである。やはり、少しは文学の香りがしないといけない。

大阪で文学といえば、オダサクこと織田作之助。そして、織田作之助といえば『夫婦善哉』。
織田作之助『夫婦善哉』:青空文庫
夫婦善哉
千日前の愛進館で京山小円の浪花節を聴いたが、一人では面白いとも思えず、出ると、この二三日飯も咽喉へ通らなかったこととて急に空腹を感じ、楽天地横の自由軒で玉子入りのライスカレーを食べた。「自由軒(ここ)のラ、ラ、ライスカレーはご飯にあんじょうま、ま、ま、まむしてあるよって、うまい」とかつて柳吉が言った言葉を想い出しながら、カレーのあとのコーヒーを飲んでいると、いきなり甘い気持が胸に湧わいた。
自由軒はこんな感じ。隣にケバブ屋があるのが、なんともシュール。
自由軒
入ってみた。今の大阪は〈作られた感〉がすごいが、ここは違う。ちゃんと昭和している。

他のお客さんもいたので、店内の写真は撮れなかったが、座席の配列がちょっと変わっている。店の真ん中に、テーブルが一列に並んでいて、そこに向かい合わせになって座るのだ。フィーリングカップル5対5のテーブルが狭くなった感じといえば、(若い人には分からないけど)分かるだろうか。普通の4人席も空いていたのに、妻と二人で入ったら、フィーリングカップル席に向かい合わせに座らされた。

「ここのラ、ラ、ライスカレーはご飯にあんじょうま、ま、ま、まむしてあるよって・・・」というカレー、現物は撮っていないが(僕は食い物の写真を撮るのが苦手である)、サンプルは撮ってある。たしかに、よくまむしてある。ちなみに「まむす」は韓国語でいえばビビン、中国語ではバンバンである。

卵は大盛りだと2つになる。そこへお好みでソースを掛けて、さらにビビンする。子供の頃、父がよくカレーにソースを掛けていたのを思い出す。味?食えば分かる。
織田作之助好み名物カレー
ハヤシ・・・もといハイシライスもあるでよ。やはり生卵が乗っているらしい。
ハイシライス
最近はレトルトのものも出ているので、店で食べられなくても、駅の土産物屋で買える。
自由軒レトルトカレー
実はamazonでも買える。

若女将らしい。
若?女将
柳吉は「どや、なんぞ、う、う、うまいもん食いに行こか」と蝶子を誘った。法善寺境内の「めおとぜんざい」へ行った。道頓堀からの通路と千日前からの通路の角に当っているところに古びた阿多福人形が据えられ、その前に「めおとぜんざい」と書いた赤い大提灯がぶら下っているのを見ると、しみじみと夫婦で行く店らしかった。
こちらが、夫婦善哉。今は巨大資本が経営しているらしい。
夫婦善哉(汁粉屋)
モッサモサの水掛け不動。
水掛け不動
法善寺横丁入り口。こちらの額は、藤山寛美によるもの。
法善寺横丁
こっちは、今年の1月に亡くなった三代目春団治。
JPG
さて、こんなところかと思っていたら、たまたま買ったフリカケを売っていた店もでてきた。あとから気がついたので、店の写真はない。
山椒昆布を煮る香いで、思い切り上等の昆布を五分四角ぐらいの大きさに細切りして山椒の実と一緒に鍋なべにいれ、亀甲万の濃口こいくち醤油をふんだんに使って、松炭のとろ火でとろとろ二昼夜煮つめると、戎橋の「おぐらや」で売っている山椒昆布と同じ位のうまさになると柳吉は言い、退屈しのぎに昨日きのうからそれに掛り出していたのだ。
をぐら屋
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昨日のエントリ(講談社少年少女日本文学全集:2016年11月20日)を書いていて、芥川龍之介の『三つの宝』を思い出した。

『三つの宝』は昭和3年6月に改造社から刊行された、芥川龍之介による童話集である。芥川の生前に企画され、死の直後に刊行された。芥川の本は、装丁に凝ったものが多いのだが、これは格段に凝っている。その理由は後ほど説明するが、装丁は芥川の本のほとんどを手がけた小穴隆一である。

最初に断っておくと、これはほるぷ出版によるレプリカである。本物だったら相当するらしいが、以前本物を見た時には、ほとんど見分けがつかなかった。

まず、函はこんな感じ。いたってシンプルである。
『三つの宝』函
中身は、手触りのいい布装で、講談社少年少女日本文学全集同様、イラストが貼り付けてある。もちろん小穴隆一の絵。ふと、講談社少年少女日本文学全集は、これを意識したのではないかと思ったのである。

表表紙
『三つの宝』表表紙
裏表紙
『三つの宝』裏表紙
ついでに背。
『三つの宝』背
扉。6色も使っている。
『三つの宝』扉
本文はこんな感じで柄のある枠が印刷され、ところどころに小穴隆一の挿絵がある。これも、直接印刷するのではなく、別の紙に印刷して貼ってある。
『三つの宝』挿絵と本文

その他の挿絵をいくつか。
『三つの宝』挿絵2

『三つの宝』挿絵3

ベッタリと貼るのではなく、すぐにも剥がれそうな感じで貼ってあるのはなぜだろう。こっちの方が手間がかかりそうだが・・・。

さて、この本、長辺が31cmもあり、バカでかい。子供が読むのに、なぜこんなデカい本にしたか。それは、小穴隆一の手になる跋文に書かれている。
あなたがたはあなたがたの 一番仲のいいひと、一番好きな方がたと、御一つしよに、この 三つの宝 を御覧になりませうが、この本は、芥川さんと私がいまから三年前に計画したものであります。
私達は一つの卓子(テエブル)のうへにひろげて 縦からも 横からも みんなが首をつつこんで読める本がこしらへてみたかつたのです。この本の差画のもでるになつて下さつたかたがたばかりではありません。私共の空想 われわれがこの程度の本をこしらへるにもなかなかの努力がいりました。みなさんにこれ以上の贅沢の本は今日の日本ではこしらへてあげることが出来ません。私達の計画を聞いた方がたは みんながよろこんでこの本の出来あがる日をたのしんで下すたものです
著者の、芥川龍之介は、この本が出来あがらないうちに病気のために死にました。これは私にとりましては大変に淋しいことであります。
けれども この本をお読みになる方がたは、はじめ私達が考へてゐましたように、みんな仲よく首をつつこんで御覧になつて下さい。
 私は、みなさんが私共の歳になつてから、この本をお読みになつたあなたがたの時代は、余計にたのしかつたと思はれやあしないか、さう思ふから、三つの宝の出来あがったことは愉快です。
 どうか あなたがたは、三つの宝のなかの王子のやうに お姫様のやうに この世のなかに、信じ合ひ助けあつて行つて下さい。
昭和二年十月廿四日朝
小穴隆一
奥付によると、この本は当時5円。公務員の初任給をもとに現在の価値を計算すると、12000円ぐらいである。誰もが買える値段ではない。おそらく、学校の図書室なんかで読むことを想定しているのだろう。豪華な一冊の本を仲良く数人で読むというアイディアがすばらしい。

なお、序文は佐藤春夫によるもの。これも、追悼文としてちょっと面白いので、転載する。
他界へのハガキ
 芥川君
 君の立派な書物が出来上る。君はこの本の出るのを楽しみにしてゐたといふではないか。君はなぜ、せめては、この本の出るまで待つてはゐなかつたのだ。さうして又なぜ、ここへ君自身のペンで序文を書かなかつたのだ。君が自分で書かないばかりに、僕にこんな気の利かないことを書かれて了ふじやないか。だが、僕だつて困るのだよ。君の遺族や小穴君などがそれを求めるけれど、君の本を飾れるやうなことが僕に書けるものか。でも僕はこの本のためにたつた一つだけは手柄をしたよ。それはね、これの校了の校正刷を読んでゐて誤植を一つ発見して直して置いた事だ。尤もその手柄と、こんなことを巻頭に書いて君の美しい本をきたなくする罪とでは、差引にならないかも知れない。口惜しかつたら出て来て不足を云ひたまへ。それともこの文章を僕は今夜枕もとへ置いて置くから、これで悪かつたら、どう書いたがいいか、来て一つそれを僕に教へてくれたまへ。ヰ゛リヤム・ブレイクの兄弟がヰ゛りやむに対してしたやうに。君はもう我々には用はないかも知れないけれど、僕は一ぺん君に逢ひたいと思つてゐる。逢つて話したい。でも、僕の方からはさう手軽には—君がやつたやうに思ひ切つては君のところへ出かけられない。だから君から一度切てもらい度いと思ふ—夢にでも現にでも。君の嫌だった犬は寝室には入れないで置くから。犬と言へば君は、犬好きの坊ちゃんの名前に僕の名を使つたね。それを君が書きながら一瞬間、君が僕のことを思つてくれた記録があるやうで、僕にはそれがへんにうれしい。ハガキだからけふはこれだけ。そのうち君に宛ててもつと長く書かうよ。
下界では昭和二年十月十日の夜
佐藤春夫
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前にも書いたように(本を整理すること:2016年08月13日参照)、現在、祖母の家にある蔵書を整理している。ほとんどは僕の本だが、中には母の本や叔父の本もある。その中に、僕が子供の頃、読んだ本があった。講談社の『少年少女日本文学全集』 全24巻である。

おそらく、祖父が叔父のために買ったものだろう。当時、文学全集は百科事典と並んで、本棚のこやしとして流行ったが、「少年少女」とあるように、子供向けに読みやすく作られている。
講談社少年少女日本文学全集

僕が日本の近代文学に触れたのは、これが最初だった。実家にも日本文学全集のたぐいはあったが、大人向けで読みにくい。これは、字は小さいものの、難しい漢字にはルビが振ってあり、収録作品も、大人向けのものは排除されていたから読みやすかった。祖父母の家に行って、商店街のおもちゃ屋へ行くのと、これを読むのが楽しみだった。

近代文学の全集というのは、個人全集でなければ、ほとんど価値がないものが多い。僕が引き取るには場所を取り過ぎる。懐かしいものではあるが、全部捨てるしかないかと思い、最後のお別れに何冊かページを繰ってみると、これが出来がいいのでびっくりした。

一口でいうなら、手抜きがない。お飾りの大人向けの全集と違って、あくまで読まれることを想定して作られていて、手が込んでいる。人選はこんな感じ。これに漏れている人(子供向きの作品が少ない人)も、21巻以降に入っていることがある。
少年少女日本文学全集24巻内容
一冊一冊はこんな感じである。
少年少女日本文学全集5巻

これは5巻。内容は「芥川龍之介・菊池寛・宇野浩二・豊島与志雄」となっている。同じ時代の人ではあるが、中の良い友達を集めたかのような人選だ。

実際、普通だったら、まとめられちゃいそうな、夏目漱石・森鴎外も別の巻にされていて、2巻は漱石にかかわりのある作家でまとめられている。

1巻 森鴎外・島崎藤村・国木田独歩・二葉亭四迷
2巻 夏目漱石・中勘助・高浜虚子・野上弥生子

装丁がまたすばらしい。当時の文学全集(当時に限らないが)は、本棚の飾りなので、むやみに厚く、読みにくい物が多いが、子供の手で楽に持てるように薄く作ってある。函も無機質なものではなく、それでいて子供っぽすぎないのがいい。安野光雅の装丁らしい。

表紙は布装だが、わざわざ絵が貼り付けてあって手がこんでいる。芥川編では、「蜘蛛の糸」と思しき絵が付いているが、各巻によって異なっていて、描いている画家も違っている。

こちらは1巻。森鴎外の「山椒大夫」だろう。
山椒大夫
2巻。漱石の「坊っちゃん」だと思われる。
坊っちゃん
3巻。小川未明集だけど、読んでいないので分からない。
小川未明集
装丁だけでこれだけの手間がかけられている。

もちろん、中身もよい。今の本と比べると、活字が小さいものの、ルビや注釈だけではなく、作家の写真や、解説も充実している。解説は近代文学研究の一流どころの執筆で、例えば森鴎外編の解説は吉田精一である。
作者の写真
解説

これを読んだ〈子供たち〉は、いわゆる団塊の世代にあたる。当時は子供が多いから、これで十分商売になったのだが、それだけでは、ここまでのものは作れなかっただろう。この全集からは、子供向きだからこそいい加減なものは作れないという意気込みを感じるのである。

なお、この全集(23巻「ノンフィクション名作集」のみ欠本)はヤフオクに出しているので、ほしい方は入札をおねがいします。

講談社『少年少女日本文学全集』 全24巻(23巻欠本):ヤフオク!

最後は宣伝で締める・・・と。
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10月20日のエントリの続きのようなもの。

最近、河出書房新社から日本文学全集が出ている。

日本古典文学全集 全30巻:河出書房新社

日本文学全集というと、近代文学と古典文学で分かれているのが普通だが、この全集は半分近くを古典が占めている。ただし、古典は現代語訳で、訳者の多くは古典文学の専門家ではなく、小説家が〈訳して〉いる。

現在、サンプルとして、町田康氏の「奇怪な鬼に瘤を除去される」(『宇治拾遺物語』より)が全文読めるようになっている。なお、この原典は、『宇治拾遺物語』の第三話「鬼に瘤取らるる事」である。

町田康訳「奇怪な鬼に瘤を除去される」(『宇治拾遺物語』より):河出書房新社

さて、これを古典の現代語訳と言っていいのか、はなはだ疑問ではあるが、翻案としてはアリだと思う。これを読んで、忠実な現代語訳だと思う人はいないだろうから、原文を尊重せよなどと野暮なことを言うつもりはない。だが・・・残念ながら、ちっとも面白くない。

やたらとこねくり回しているが、原典の面白さを超えていないのである。あまりこねまわすものだから、まるで中学生が昼休みに書いたオモシロ小説みたいになっていて、これなら元のものをそのまま現代語訳した方がよほど面白い。

例えば、鬼の描写を見てみよう。

その姿形たるやはっきり言ってムチャクチャであった。まず、皮膚の色がカラフルで、真っ赤な奴がいるかと思ったら、真っ青な奴もおり、どすピンクの奴も全身ゴールドというど派手な奴もいた。赤い奴はブルーを着て、黒い奴はゴールドの褌を締めるなどしていた。顔の造作も普通ではなく、角は大体の奴にあったが、口がない奴や、目がひとつしかない奴がいた。かと思うと目が二十四もあって、おまえは二十四の瞳か、みたいな奴もおり、また、目も口もないのに鼻ばかり三十もついている奴もいて、その異様さ加減は人間の想像を遥かに超えていた。

原典ではこうなっている。
おほかた、やうやう、さまざまなる物ども、赤き色には青き物を着、黒き色には赤き物をたうさぎにかき、おほかた、目一つある物あり、口なき物など、おほかた、いかにもいふべきにもあらぬ物ども、百人斗おしめきあつまりて、火をてんのめのごとくにともして、我が居たるうつほ木の前に居まはりぬ。おほかた、いとど物おぼえず。

一見して、町田氏の方が具体的に描写されているのが分かる。鬼がやたらとカラフルになってるし、「二十四の瞳」だの「目も口もないのに鼻ばかり三十もついている奴」だのは原典には出てこない。描写を盛ることによって、鬼の異様さを描いているのだろう。

原典のはずっとシンプルだが、「おほかた」という単語が四回も出てくるのが目に付く。この「おほかた」は「大体」みたいな意味だが、こんなに連発されるような言葉ではない。わざわざ対句風に作られ、リズミカルなはずなのに、「おほかた」を挟むことによって、なんとも不自然な、たどたどしい文章になっている。しかし、これによって、名状しがたい鬼の奇怪さと、翁の恐怖が伝わってくるのである。

このあと、鬼の宴会が人間のそれと何ら変わりがなかった・・・という描写に続いていくのだが、原典では先に鬼の恐ろしさをしっかりと描いているから、鬼の宴会の楽しさが生きてくる。町田氏の翻案のように、鬼の描写で笑いを取ってしまえば、宴会の面白さとのコントラストが甘くなる。

このように、町田氏訳はあまり印象のいいものではないのだが、ひとつだけ関心した部分がある。瘤を取られた翁が、妻にこの顛末を喋った場面である。
お爺さんの顔を見て驚愕した妻は、いったいなにがあったのです? と問い糾した。お爺さんは自分が体験した不思議な出来事の一部始終を話した。妻はこれを聞いて、「驚くべきことですね」とだけ言った。私はあなたの瘤をこそ愛していました。と言いたい気持ちを押しとどめて。

原文ではこうなっている。
妻のうば、「こは、いかなりつる事ぞ」と問えば、「しかじか」と語る。「あさましき事かな」と言ふ。

町田氏訳の、妻は瘤のある翁を愛していたというのは付け足しである。だが、原文での妻の反応は、驚くほどそっけなくて、妻になんらかの理由があることを伺わせる。ここに気づいたのは、さすが芥川賞作家というべきだろう。

「瘤取り」といえば、太宰治『御伽草子』である。こちらは、完全な翻案だが、やはり妻の反応の薄さに注目しているようだ。
家に帰るとお婆さんは、
「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。
「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議な出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。
「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。
「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。
「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。
「うむ。」
「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」
「さうだらう。」
 結局、このお爺さんの一家に於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。

こちらは妻(お婆さん)の無関心としている。ずいぶん引き伸ばしたものだが、最初から翁を社会からも家族から疎外されている人として設定しているので、「あさましき事かな」というただ一言を作品全体のテーマにしているとも考えられる。これにより、太宰の「瘤取り」は原典の面白さとは違う面白さを書くことに成功している。

古典を改変して壮大に失敗するのを何度も見てきたが、結局原典をどれだけ尊重しているかがポイントなのだと思う。慢☆画太郎の『罪と罰』ぐらい豪快に改変している人のほうが、案外原典を尊重しているのである。

古典というものは、何百年、何千年という長い時間を生き抜いた作品である。小手先の改変で面白くなるようなものではない。
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8.6秒バズーカーのギャグ「ラッスンゴレライ」が「落寸号令来」で、原爆投下を揶揄しているとかいう、ふざけ切った読み方をして、何が何やら、ただ意地悪く反日扱いにしている人たちがいるのを知って、太宰治『十五年間』の以下の文章を思い出した。

太宰治『十五年間』(「文化展望」1946(昭和21)年4月号)
昭和十七年、昭和十八年、昭和十九年、昭和二十年、いやもう私たちにとっては、ひどい時代であった。私は三度も点呼を受けさせられ、そのたんびに竹槍突撃の猛訓練などがあり、暁天動員だの何だの、そのひまひまに小説を書いて発表すると、それが情報局に、にらまれているとかいうデマが飛んで、昭和十八年に「右大臣実朝」という三百枚の小説を発表したら、「右大臣(ユダヤジン)実朝」というふざけ切った読み方をして、太宰は実朝をユダヤ人として取り扱っている、などと何が何やら、ただ意地悪く私を非国民あつかいにして弾劾しようとしている愚劣な「忠臣」もあった。私の或る四十枚の小説は発表直後、はじめから終りまで全文削除を命じられた。また或る二百枚以上の新作の小説は出版不許可になった事もあった。しかし、私は小説を書く事は、やめなかった。もうこうなったら、最後までねばって小説を書いて行かなければ、ウソだと思った。それはもう理窟はなかった。百姓の糞意地である。

意味を解説しなけりゃ分からないのでは、反日だろうが非国民だろうが意味がない。ようは言いがかりを付けて、誰かをいじめたいだけである。

こんな説をまともに信じるのは、太宰の言う通り、「愚劣な「忠臣」」というより外はない。2015年にも、そういう忠臣がいたということを忘れないように、ここに記す。

#当初間違えて「雷寸号令来」と書いていたので訂正。あまりにバカバカしいから間違えちゃったよ。
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『二十四の瞳』の岬の分教場に行った:2015年04月21日のつづき。

二十四の瞳映画村は岬の分教場だけでなく、集落そのものがセットとして残されている。
二十四の瞳映画村

集落はこんな感じ。一つ一つの建物は、セットそのままのもののほか、お土産物屋やレストランなどになっているものもある。
集落

菜の花畑。遠くに大石先生と子どもたちの銅像が見える。
大石先生と子供たち

これが銅像。
ジャンケンする子供たち

で、銅像の題名は、「せんせ あそぼ」らしいが、このプレート、よく見ると書いた人は、流行語大賞を取ったあの人だった。ブッチ、ブッチ、あんたの時代は良かった。冷めたピザとか言ってすみません。あのころは、総理大臣の悪口言ったぐらいで反日とか言う奴はいなかったよ。
小渕さん・・・

前回の分教場の近くに教員住宅がある。といっても、ほかの民家と変わらないのだが、部屋の中まで見られるのがみそ。
教員住宅

実は、ここに行くまで、『二十四の瞳』の映画はおろか原作も読んだことがなかった。なので、ここが大石先生の家だと思っていて、「若い女性の家にしてはなんだかじじむさいなぁ」と思っていたのだが、御存知の通り、大石先生は自転車で遠くから通っているのであって、こちらは引退間際の男先生の家である。

校舎と教員住宅の前は瀬戸内海。
教員住宅の前の海

小物として、いたるところにレトログッズが置いてある。写真の物は、唐箕・バカボン・大村崑。
唐箕・バカボン・大村崑

小豆島は醤油の醸造で有名で、最近「ひしお丼」なるものを名物として押しているらしい。ひしおは醤油のことだから、醤油が主役で、何を乗せるかは店によって違うらしい。映画村のひしお丼は「カリカリ豚ともろみのひしお丼」。雄々しくそそり立つキュウリがキュート。
ひしお丼

映画村の近くは、醤油の醸造所の密集地帯で、自動車で走っていて映画村が近づいてくると、次第に醤油の匂いがしてくる。醤油蔵は、なかなかフォトジェニックな建物が多かったのだが、雨が降ってきたのと、レンタカーを返却する時間が迫っていたので、写真を取ることができなかった。残念。
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