カテゴリ: 美術と書道

野村證券の営業がまるで果たし状:市況かぶ全力2階建

野村證券では、取引額の大きい顧客には営業担当者が毛筆で手紙を書くというのは有名な話で(と言っても僕がもらったことがあるわけではない)、なにを今更と思って見たら、なるほどこれは果し状だ。


まず、字がでかすぎる。そのため、行間も詰まりすぎに見える。字を一回り小さくして、行間はこのままにすれば、かなり果し状感が減るだろう。

もう一つ気になるのが、段落最初の一字下げである。これはしない方がいいと思う。

ちょっと検索してみたら、手紙文でも一字下げすべきだと書いているページが多かった。本来一字下げは活字のルールである。原稿用紙は、印刷するための用紙なので、一字下げする。ワープロで手紙を作成する場合は、一種の印刷だから一字下げしてもいいが、手書きの場合は字下げしない方がいいだろう。特にこのような巻手紙だと、違和感バリバリである。

次に折り方。


これは完全に間違えている。これでは経本だ。

巻手紙なのだから、後ろから巻いていくように折るのが正しい。この際、気をつけることは、相手の名前に折り目が来ないようにすること。これは失礼にあたる。

手紙の最後は、日付、自分の名前、相手の名前の順になるが、相手の名前の後には、すこし白紙を残しておくようにする。ここは、形式的に相手が返事を書くための紙である。便箋で書く場合に、白紙を一枚付けることがあるが、あれと同じ。「ご返事の紙はこちらで用意しました」という心遣いである。

ちょっと面倒なことを書いたが、実の所そんなに難しく考える必要はない。相手を敬う気持があれば、自然と妙な手紙にはならないものである。敬っていないから、聡を恥と間違えるのだ。恥を知れ!大幅減点だ。

さて、この野村證券の巻手紙、聞くところによるとそうとうノルマがきついらしい。さすがはヘトヘト証券と言われるだけのことはある。それでは相手を敬うことなんか難しいだろう。そんな手紙に効果があるのかと思ってちょっとググってみたら・・・

野村證券のすごい新人
一見、普通のお礼状なのですが、なんとこの長さ。私に筆文字で書かれているのだ。とある会社にお邪魔していたときに、お会いしただけなのだが、それだけでこの長さ。
 野村證券の入社一年目の新人。大学では野球一筋できたそうだ。ボールとバットを金融商品にかえて、日々、重たいかばんを持って歩いている。会った時も汗だくであった。
 社長相手に一生懸命に売り込んでいる姿に「いまどき、こんな好青年もいるのだなぁ」と感動。しかもかなり勉強しているようだ。

こうかはばつぐんだ!
このエントリーをはてなブックマークに追加

僕は現在のところ書道を教えてメシを食っている。かつては国語がメインだったがいつの間にかそうなってしまった。

国語を教えていたときはあまり考えなかったが、書道だけを教えるようになって、常にある疑問を感じるようになった。

「僕は何のために書道を教えているのだろう」

「何のため」とは自分のことではなく、生徒のことである。僕の生徒は何のために書道を学んでいるのだろうかということだ。

書道の授業というと、字が上手くなることを期待する人も多い。

字の上手下手はテクニックの問題である。最初からうまかった人はともかく、週1回、たった二時間の授業を一年間受けたところで、字が上手くなるなんてことはまずない。

そもそも高校の書道の授業はそういうふうにできていない。例えば、一般の書道教室なんかでは漢字だったら漢字、それも楷書だけとか行書だけとか、仮名だけとか、ジャンルを絞って長期間に渡って書を学ぶ。これなら何年かやれば技術も上がるだろう。ところが、高校の書道の授業では、漢字・仮名・篆刻・漢字仮名交じりなど各ジャンルをひと通り学ぶ。これでテクニックが上がるわけがない。

そもそも、ほとんどの生徒は、書道の授業が終わるとともに、筆を持たなくなる。場合によっては一生持たないかもしれない。そういう彼らに書道を教えるのはどんな意味があるのだろうか。

僕の出した答えは〈教養〉である。

例えば、大学の授業では一・二年時を教養課程といい様々な学問を学ぶ。そこには専門と直接通じるものもあれば、あまり関係なさそうなものもある。続けて、三・四年次に専門課程へ進む。教養課程で学んだことをベースにして、専門に移るということになる。

つまり、教養とは専門の基本になるもののことである。ただし、それは専門のレベルの低いものという意味ではない。専門とは全く別の分野の学問でも、それが専門に関係してくることは多々ある。そういう意味で教養が必要になってくる。

書道のような、一見何かの役に立ちそうな教科は特に誤解されやすい。どうしても、テクニックが上がるのが書道の授業だと思われがちだし、それを目標にする先生も多い。だが、教養である以上、書体や書風の変遷や書道史、作品のまとめ方の概念、鑑賞の仕方などを頭で理解する方が大事なのである。センセーとしてはそれが上手く伝えられないのが何ともナサケないのだが。

同様によく誤解されるのが英語だろう。中学・高校と6年も習うのに英語が聞き取れない、しゃべれない、だから学校の英語は役に立たないという声はよく聞く。

しかし、英語が完璧につかえるようになるというのは教養ではない。学校で習ったことをベースに、自分で勉強するなり、語学学校に行くなりして専門として学べばいいのである。

学校の英語は教養のための英語である。面倒くさい英文法を学ぶのも、それが教養だと思えば納得できる。日本語の文法と、英語の文法は全く別のものだということが分かるだけでも、教養としては十分意味があるのだ。

人間は自分の知識の範囲でしか物事を理解することができない。その知識を広げるのが教養である。それに比べれば、直接何かの役に立つなんてことは、実に薄っぺらいことだと思う。
このエントリーをはてなブックマークに追加

だいたいこの時期になると、授業で使う書道用具を大量に買い込むのだが、今年はあまりに値段が高騰しているのでびっくりした。

特にひどいのは中国製の紙。白連という半紙(唐紙という)は、去年一〆(1000枚)2,310円だったのが、3,570円になっている。作品用に使う本画仙(宣紙)にいたっては、半切一反(100枚)が去年3685円だったものが、6,562円である。

輸入品以外には存在しない印材も高くなっているし、原料のほとんどが輸入品である筆も高くなっているような気がする。これは、アベノミクスによる円安と、中国での人件費の高騰のダブルパンチが原因だろう。

書道用品は経済の影響を受けやすい。僕が大学に入ったときは、本画仙は今よりももっと高くて買えなかったから、台湾製の紙を使っていた。いい紙を使いたいが、墨、筆、硯と違い、一回書いたらそれで終わりなのが辛いところだ。

その後、本画仙は円高で安くなり、値段を気にせず使えるようになったが、二十数年前は高校生に使わせるなんてとんでもない紙だったのだ。それをあいつらは・・・まあ、よそう。生徒に罪はない。

これらの紙は現在でも人の手で漉かれている。日本の手漉き和紙が高いのはご存知の通り。それを考えれば、今の値段でも高くはないのかもしれない・・・けど困ったなぁ。
このエントリーをはてなブックマークに追加

吉祥寺を歩いていたら、たまたま佐々木マキの展覧会をやっているのに遭遇。入場料は100円。安い。

佐々木マキ 見本帖:武蔵野市立吉祥寺美術館
佐々木マキ 見本帖  2013年4月6日(土)−6月23日(日)
前期:4月6日(土)−5月15日(水)
後期:5月18日(土)−6月23日(日)
※前後期で展示作品が異なります。
主催 武蔵野市立吉祥寺美術館
企画協力 メディアリンクス・ジャパン
会期中の休館日:4月24日(水)、5月16日(木)、5月17日(金)、5月29日(水)

佐々木マキは佐々木マキ『うみべのまち』を読んだ?:2011年09月19日で紹介した。もともとガロ系の漫画家だが、漫画家というより絵本作家やイラストレーターとして知られている。

展覧会は絵本や漫画の原画を中心として、写真や版画、掲載された雑誌なども展示してある。それほど大規模な展覧会ではないが、今まで印刷物でしか見たことがなかったので、原画を見るのは新鮮だ。

写真は初めて見た。佐々木マキの絵は、異国情緒あふれるシュールな作風が特徴だが、異国でもない、日本のごく普通の街角を写した写真にもそれが現れているのが面白い。以前ホシナさんが紹介していて『まちにはいろんなかおがいて』も佐々木マキの写真作品である(絶版らしい)。

『まちにはいろんなかおがいて』:HOSHINA HOUSE

ついでに二冊、絵本を買ってきた。

一冊は『ムッシュムニエルをご紹介します』(絵本館)。これは僕が10歳のときに佐々木マキを知った作品である。

魔術師(だけどヤギ)のムッシュムニエルが弟子にするために、男の子をさらおうとするが・・・。シンプルに書かれる不思議な世界観と、ちょっと怖いけど、ヘンに真面目なムッシュムニエルが可笑しい。


もう一冊は、『やっぱりおおかみ』(福音館)。こちらは、『ムッシュムニエル』とは対照的に、緻密に描きこまれている。

孤独なおおかみの子供が、仲間を探して街をうろつく。そこには楽しそうに群れる草食動物たちがいて、最初は羨ましく思うが、自分に似た子は見つからず、自分はおおかみとして孤独に生きるしかないと悟る。

こう書くと、なにやら寂しげな感じがするが、この本は「そうおもうと なんだかふしぎに ゆかいな きもちに なってきました」で終わる。ここで僕は絆という言葉(なぜか「絆」がいけすかない:2011年11月18日参照)を思い出した。



子供むけの絵本を解説するとどうもヤボになっていけない。まあ、読んでくれ。
このエントリーをはてなブックマークに追加

書道の授業が終わって道具を片付けたあと、床に点々と墨がこぼれていることがある。もちろん生徒には、墨をこぼしたら自分で拭くように言っているが、あまり効果があるように思えない。

床にこぼした墨はすぐに書き損じの半紙でゴリゴリ擦れば数十秒できれいになる。それほど大変なことではない。それなのに彼らはなぜやらないか。これがゆとり世代のモラルの低下というやつだろうか。

僕は「モラルの低下」を嘆いて済ませることは、たいていの場合思考停止の思い込みか、何か作為があるのだと思っている。この場合もなにか理由があるんじゃないだろうか。そう思って生徒の行動をよく観察してみた。すると意外なことが分かった。

生徒は、墨をこぼしたのに拭かなかったのではなく、墨をこぼしたこと自体に気付いていなかったのだ。

ほとんどの場合、墨をこぼすのは自分の席から流しまで歩いていく途中である。前を見て歩かないと人にぶつかるから、硯は見ていない。墨汁の残量が多いとここでこぼれる。

硯から落ちる墨汁の量はごくわずかで、音がするわけでも、硯が軽くなるわけでもない。これが透明な水だったら問題ない。水とは違い白い床に落ちた墨汁は一滴でもかなり目立つが、歩いているときに落とすと、墨が着地したときには落とした人はすでに墨痕の前にいる。仮に下を向いても、落とした本人はなかなか気付かないのである。

気が付かない以上、どんなに「こぼしたら拭け」といったところで拭くことはできない。こぼした本人は単に粗忽者だっただけで、この人のモラルを問うことはできないのである。

そのあとはどうなるか。床に落ちた墨汁は少量でもかなり目立つから、落とした人(一人目)の後の二人目、三人目はおそらく墨が落ちていることに気づいているはずだ。だが、これを拭く者は誰もいない。しょうがないから、教室に最後までいる僕が拭くことになる。

こちらの理由は容易に想像できる。その墨は自分がこぼしたものではないからだ。しかし、このままでは最後までだれも拭かない。授業終了後拭く僕自身、なぜ自分が拭かなきゃいけないのか疑問に思いながら拭いている。

こぼした墨を拭かないことにモラルを問うとすると、問われるべきは墨を落とした人(一人目)ではなく、それを発見した人(二人目)ということになる。しかし、二人目・三人目は何もしていない。第一、僕はこぼした人が拭けと言っている。他人のモラルを問うのは容易なことではない。

モラルの低下を嘆く人は、たいてい一人目のモラルを嘆くだけで、二人目・三人目には考えが及んでいない。さらにその二人目・三人目に自分が含まれる可能性も考えない。もし、考えたら人のことはとても言えなくなるはずだ。

たぶん、モラルとか道徳というのものは、自分が実践するものであって、他人にどうこう言うもんじゃないんだろう。それだけに政治家がモラルだの道徳だのと言いだすと、胡散臭く感じられるのである。
このエントリーをはてなブックマークに追加

東京国立博物館で開催されている特別展「書聖 王羲之」に行ってきた。

日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年 特別展「書聖 王羲之」:東京国立博物館

「日中国交正常化40周年」と銘打ってあるにもかかわらず、なぜか中国からの出品が一つもない。きっと大人の事情があるのだろう。まあ、なんとなく察しは付くが・・・。

さて、王羲之は書道史上最も重要な人物だが、真蹟は存在しない。真蹟が存在するとき(唐代)に作られた臨模本や、手本にするため拓本にした法帖があるだけである。なにしろ、書をやるものは誰でも書くものだから法帖の数は星の数ほどある。

したがって、この展覧会のメインは臨模本と法帖ということになる。三井文庫や台東区書道博物館、五島美術館(宇野雪村コレクション)など、日本にはこの手の佳品がたくさんある。

『蘭亭序』諸本をはじめとする数多の法帖のほか、この展覧会に合わせたかのように発見された『大報帖』、2006年に上海博物館でおこなわれた「中日書法珍品展」のときには人だかりができた『喪乱帖』など、目玉はたくさんある。

それらに混じって、なぜか『秋萩帖』があった。『秋萩帖』は草仮名の古筆として有名だが、実は王羲之尺牘の臨書が11通も入っていて、その半数以上が『秋萩帖』にしかないものなのである。『秋萩帖』そのものは他の展覧会で見たことがあるが、王羲之尺牘のところが開かれているのは初めて見た。

これだけでもかなりの量なのだが、東京国立博物館でやるには足りない。第一、マニアックすぎる。というわけで、息子の王献之や、七世の子孫智永にはじまり、歴代の書家たち、清朝の帖学派(法帖を書の規範とする)の書まで、王羲之の影響下にあった人の作品や臨書も展示されている。

こうなってくると〈王羲之の書から離れようとした人〉も広い意味で王羲之の影響下にあることになる。というわけで、石如、趙之謙など碑学派(河東碧梧桐をDisる内藤湖南:2012年09月05日参照)の書もたくさん展示されていた。

王羲之を知るには王羲之以前の書も必須だ。書聖といえど人の子、誰の影響も受けずいきなり書けたわけではない。そういう流れを知るうえで貴重な、漢の張芝や魏の鍾繇の法帖、羲之と同時代の筆法を知るうえで欠かせない肉筆資料の、『李柏尺牘稿』もあった。

余談だが、図録の『李柏尺牘稿』の解説に「今世紀初頭」大谷探検隊によって発見されたって書いてあるけど、これは前世紀(20世紀)初頭の誤り。21世紀になってもうずいぶん経ちましたぜ。

話をもどす。そうなってくると、漢字そのものがなければ、王羲之も何もあったもんじゃないというわけで、甲骨文、金文の現物や、石鼓文、漢碑などの拓本もたくさん展示されている・・・って、要するに漢字ならなんでもアリじゃないか。

というわけで、最初からそうだったのか、大人の事情のためなのかは定かではないが、「王羲之展」は「王羲之を中心とした中国書道史の名品展」という感じだった。これだけのものをまとめて見る機会はなかなかないだろう。これはむしろオトクかもしれない。
このエントリーをはてなブックマークに追加

今年の教員展に出した作品はこれ。ショボイのはいつものことなのでご勘弁を。

白居易 対酒僕は和歌や漢詩のような韻文を読むのが苦手だ。韻文は書かれていない部分を考えなければならないから、散文よりも読むのに時間がかかる。そのうち面倒くさくなって読み飛ばしているうちに、わけがわからなくなってやめてしまうのである。

そこで、画期的な方法を思いついた。臨書しながら読むのである。書きながらだと、どっちにしても時間がかかるから読み飛ばすことはない。書いた成果が残るので、どこまで読んだという達成感がある。さらに書の練習にもなる。難点は注釈がないので、自分の解釈が正しいかどうか、即座には分からないことだろうか。

何にしようか考えて、粘葉本『和漢朗詠集』を臨書することにした。粘葉本『和漢朗詠集』なら書道史的な価値が高く、首尾そろっているからである。実は書として評価の高い写本で、すべてそろっているものというのは意外に少ないので、これぐらいしか思い浮かばなかったのだが。

『和漢朗詠集』は分量が手頃なのもいい。どうも僕は物事長く続けるのが苦手なようで、あまり長いと途中で挫折する可能性が高い。もちろん『和漢朗詠集』もそれなりに分量があるのだが、とりあえず和の方(和歌)だけ書いて、漢(漢詩文)の方は読むだけにした。

そうやって臨書しているうちに目に留まったのがこのフレーズ(『和漢朗詠集』巻下 無常)。白居易の七言絶句「対酒」の最初の二句である。仮名の練習をしていたのに、なぜか漢字になってしまったのが自分らしいといえば自分らしい。

蝸牛角上争何事(蝸牛角上、何事か争ふ)
石火光中寄此身(石火光中、この身を寄す)

このころ、野田前首相による衆議院の解散があった。「デンデン虫の角の上みたいな小さいところで何争っての?」みたいな感じが、自民党と民主党の争いを想起させたのである。そこで、これを今年度の教員展作品にしようと思いついた。ただし、これは粘葉本『和漢朗詠集』の臨書ではない。

書作品にすることを考えると、この文句はあまりよくないようだ。まず、最初の字を小さくするのが条幅作品のセオリーだが、「蝸」は画数が多すぎてどう崩しても小さくならない。それに「牛」「上」「争」「事」「中」「身」のように縦画の目立つ字が多く、変化をつけるのが至難の業である。

なんとかまとめようと努力したが、僕の力ではこれが限界だった。写真で見るとイマイチまとまっていないのがよく分かる。40過ぎてこの程度しか書けないと思うとナサケなくなってくる。

しかし、多少作品になりにくかったとしても、書きたいという意欲が湧いた〈言葉〉を書きたい思っている。『墨場必携』あたりから作品にしやすい〈文字〉を選ぶのは、公募展作家にでもまかせておけばいい。この句の解釈については近いうちに改めて書きたいと思う。

今回の教員展の作品はこちらをどうぞ。

第19回教員展
このエントリーをはてなブックマークに追加

自分の子供はおろか、近くに甥も姪もいないので、今まで一度もお年玉というものをあげたことがない。今年、親戚のショータくんが5歳になる(満4歳)ので、あげてみた。人生初のお年玉である。

ところがポチ袋がない。去年まで売るほどあったのだが、全部フリーマーケットで売ってしまった(フリマで文房具を売った:2011年11月13日参照)のだ。

仕方がないので、開いていた近所の100円ショップを捜したが、どうもいいのが見つからない。なんだか無駄に絵が多いか、逆に何も書いていないのしかない。とりあえず白紙のものを一束買ってきた。

しかし、このまま筆で「お年玉」とか書いても面白くない。なにしろ相手は子供である。ここで僕の創作意欲が火を吹いた。

ポチ袋(表)ポチ袋(裏)


で、ヨメの実家に来ていたショータ君にあげてみた。お年玉ですよ、ハイどうぞ。

・・・・

反応が薄い・・・。

ショータ君もこれが人生最初のお年玉で、その上少々寝ぼけていた。ヘンな紙袋をもらっても、何が何だかさっぱりわからなかったらしい。

何事も初めて同士というのはうまくいかないものである。
このエントリーをはてなブックマークに追加

毎年恒例の「東京都の高等学校書道科教員による書展」をやります。
その名の通り、都内で勤務する高校の先生の展覧会です。

日時:平成25年1月11日(金)〜13日(日)
   午前11時〜午後6時
場所:新宿文化センター 地下1階展示室

教員展葉書(平成24年度)
このエントリーをはてなブックマークに追加

順番は前後するが、昨日のエントリ(真福寺本『日本霊異記』の巻頭発見される:2012年12月01日)の勢いを借りて、「最古の平仮名発見」のニュースにも言及しよう。といっても、『日本霊異記』とは違い、付け足すことは特にない。

平仮名:9世紀後半の土器から発見 最古のものか:毎日.JP
右大臣も務めた平安時代前期の有力貴族、藤原良相(よしみ)(813〜67)の邸宅跡(京都市中京区)から、最古級の平仮名が大量に書かれた9世紀後半の土器が見つかった。京都市埋蔵文化財研究所が28日発表した。平仮名はこれまで、9世紀中ごろから古今和歌集が編さんされた頃(905年)に完成したとされてきたが、わずかな資料しかなく、今回の発見は成立過程の空白を埋める画期的なものという。
(中略)
 今回発見された文字は草仮名よりはるかに洗練され、4文字程度を流れるように続けて書く「連綿体(れんめんたい)」を取り入れるなど、後世の書法に匹敵する完成度という。

平仮名は漢字の草書体をさらに崩してできた文字である。書道史的には、奈良時代、日本語を表記するため、漢字の読みを利用して「万葉仮名」が生まれ、そこから草書体とほぼ同じ「草仮名」が発生し、さらに崩れて平安時代に「平仮名」が生まれたと考えられている。

簡単に言うと、万葉仮名→草仮名→平仮名という順番に成立したというわけだが、問題はそれぞれの変化がいつ起こったかである。ところが、8〜9世紀ごろの仮名がほとんど残っていないのでよく分かっていない。数少ない例の一つが毎日.JPの記事でも紹介されている「藤原有年申文」(867年)で、これは草仮名で書かれている。

藤原有年申文

つまり、従来は「藤原有年申文」の時代までは草仮名だったと考えられていたのである。そこで、今回の発見となる。

今回発見された土器は「藤原有年申文」とほぼ同じ年代と考えられるが、その書き方(連綿・崩し方)からすでに10世紀の仮名に近い書き方をしていたことが伺われるのである。この時点でこれほど完成していたということは、仮名の成立がもっと古いのは間違いないだろう。

こうなると、同時代の「藤原有年申文」が草仮名であることと矛盾をきたすようだが、草仮名は平仮名が完成されて以降も使われつづけた。例えば『粘葉本和漢朗詠集』では、草仮名で書かれた和歌と、平仮名で書かれた和歌が混在しているし、色紙や懐紙では一首の中に草仮名を入れる場合もある。現在でも仮名書道の作品には変化をつけるため草仮名を入れることはめずらしくない。

僕は万葉仮名(楷書)→草仮名→平仮名というプロセス自体が疑わしいと思っている。

『古事記』や『万葉集』の時代、楷書だけでなく行書も草書も日本に伝来していた。中国語に比べて煩雑な日本語を表記するのに、書くのに面倒くさい楷書を使うなんてことがあるだろうか。

もちろん、現在残っているそれらの伝本は、楷書で書かれている。しかし、楷書はハレ(非日常)の書体である。後世に残す文書や正確さが必要な文書に使う書体にのみ楷書を使い、それが書き写されて残ったのではないだろうか。

今回の発見がこの考え方を補強するわけではないが、仮名の成立はもっと古くても、それほど不思議ではないと思う。
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ