カテゴリ: びっくりしたなぁもう1

何にでも教訓を求めるのはおかしいのだが、毒餃子事件から中国製品は信用できないという教訓を得るのはどう考えてもおかしなことだ。

2008年4月のエントリでもこのことを話題にした。

ニュースの読めない人たち

この時点で、毒餃子の農薬は残留農薬ではなく、故意に入れられたものだと分かっていたのだが、それでも中国製品が危険だとか、中国政府を批判する人が多かったのにはあきれた。

そして、二年後の今日事件は解決した。
「正社員になれず」毒ギョーザ事件、動機供述:YOMIURI ONLINE
中国製冷凍ギョーザ中毒事件で、警察庁は27日、中国公安省からの情報として、逮捕された製造元「天洋食品」(中国・河北省)の臨時工・呂月庭容疑者(36)の周辺から2本の注射器が押収され、日本で中毒を起こした製品に混入していたのと同じ有機リン系殺虫剤「メタミドホス」が検出されたことを発表した。
 中国公安省は、天洋食品の食堂の管理人をしていた呂容疑者が容疑を認めているとした上で、動機について「長期間、臨時工として勤務しても正社員にしてもらえなかった」と供述したと説明しているという。

呂月庭容疑者が真犯人なのかとか、犯行の状況はどうだったかは別として、中国製品自体の問題ではないことは判明したわけだ。

ところがこれはどうしたことか。

「中国製」ぬぐえぬ不安、管理強化求める声も

こういう事件は一人いればおきてしまう。「管理強化」にこしたことはないが、どこの国かなんて関係ない。

犯行の動機が「長期間、臨時工として勤務しても正社員にしてもらえなかった」という理由ならば、むしろ日本製品の方が心配になってくる。

まさか、日本人は絶対にそんなことしないなんて思ってないだろうな。一人いればできちゃうんだよ。こんな犯罪は。
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これを読んで思ったこと。

日本に蔓延する「努力教」 無理な努力は人を苦しめるだけ:ニュース2ちゃんねる

努力ってのは「必ず結果が出る努力」と「結果が出るかどうか分からない努力」の二種類あって、これを混同すると「努力しているのに努力が足りないと言われる」なんてことになるんだと思う。

例えば、試験勉強なんてのは「必ず結果が出る努力」で、何もしないよりはした方が点数は上がる。同じ人間で、努力しないのとしたのを同時に比較することができないから、「努力したのにイマイチだった」ってことにもなるが、それでもしなければもっと点数は低いだろう。

逆に就職活動なんかは「結果が出るかどうか分からない努力」である。本来、就職活動なんて、結果が出る努力でなければならないはずだが、試験の成績よりも、いかに面接員(役人じゃないので官とは書かない)に好感を持ってもらえるかとか、コネとか、年齢とか、性別とか、努力ではどうにもならない部分―もっと分かりやすく言えば〈運〉―の占める割合が多い。これは多分日本の特殊事情だろう。

ことほどさように、「結果が出るかどうか分からない努力」では、努力だけではダメで〈運〉がないと結果がでないわけだが、どういうわけだか〈運〉の割合が高い奴ほど、自分の努力の結果だと思いたがる。本当に実力で結果を出した奴は〈運〉を強調するものだ。

だから、「努力が足りない」というのはたいてい「〈運〉の割合が高い奴」である。言葉を換えて言えば、「努力がかならず結果を生む」と思っているメデタイ奴なのである。そんな奴の言葉は無視してよい。

特に、僕たちよりも二世代ぐらい前の人たちは「必ず結果が出る努力」と「結果が出るかどうか分からない努力」の区別がついていない人が多い。日本の経済が右肩上がりだったから、努力すればそれなりに結果がでたのである。その時代に生まれたのも〈運〉なのだが、彼らはそれにも気づいていない。

とりあえず、僕たちができることといえば、この二種類の努力を区別して、「必ず結果が出る努力」を続けて〈運〉を待つしかない。〈運〉のないときに「結果が出るかどうか分からない努力」に力を注いでも無駄である。
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『八つ墓村』のDVDを見ていたら、葬式行列の係りを割り振るシーンがあった。葬儀委員長かなんかが「一、遺影 ○○(名前)」と行列のときに持つ係りの名前を呼ぶのである 

父方の祖母が亡くなったときに、こういう葬式行列に参加したことがある。『八つ墓村』みたいな墓地までの行列ではなく、家の門の前に止めてある霊柩車までの短い行列だった。

この時も、係りが割り振られた。『八つ墓村』と違い、読み上げられたのではなく、自分の持つものを覚えておくようにと紙に毛筆で書いてあるのを見せられた。もちろん僕も入っている。

一、遺影 中川○○
一、香炉 中川××
一、位牌 中川▲▲
一、供物 中川◆◆



一、靏(雨かんむりに鶴)  中川聡

僕の担当は靏だった。

ん?靏???


「靏」って何だ?そもそも何て読むんだ?

素直に聞けばいいのだが、なにしろ僕は国語の先生の上に、博士(文学)様である。オマケに師匠は僧侶。プライドが邪魔して「これ、何て読むんですか」なんてマヌケな質問はできない。

それにしても他の従兄弟なんかは「遺影」とか「香炉」とか、ひと目見ればすぐ分かるものなのに、なんでよりによってこんなわけのわからないのが来ちゃったんだろう。

どうせ分からないだろうと思ったが、藁をもつかむ思いで隣にいた妹に聞いてみた。

「これ、何だろうな。俺のだけ分かんないんだけど・・・」
「ヒエッヒエッヒエッ、兄ちゃん「ツル」だよ、「ツル」!」
「コラ!通夜で笑うな!だから「ツル」って何だよ」
「国語の先生だろー。鳥だよ。鳥!」
「何で葬式で鶴もって歩かなきゃいけないんだよ!だいたいこの字本当に「ツル」でいいのか」
「国語の先生が読めないもの、わたしに読めるわけないじゃん、ヒエッヒエッヒエッ」

ダメだ。藁をつかんだつもりだったが、石だったようだ。

しかし、持つものが分からないのではしょうがない。意を決して、割り振りをした伯父に聞いてみた。

「この「ツル」(小声で・・・みたいな字)何ですか?」
「ああ、それはあれ」

と言って指差したものは・・・

鶴亀燭台:よねはら

読み方は「ツル」で合っていた。燭台の足の部分が鶴になっているから「ツル」というそうだ。今知ったのだが、この形式は浄土真宗大谷派独特のものらしい。

「燭台」って書いてくれればいいのに・・・。
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タイガー・ジェット・ドルジなんてネタを書いたら本当に引退しちゃったんでびっくりした。覆面力士計画は着々と進行しているようだ。

で、たぶんタイガー・ジェット・ドルジ・・・もとい、朝青龍も嫌いだろうし、僕も大嫌いな言葉に「品格」という言葉がある。誰かがつまらない本を出したせいで、この不愉快な言葉がやたらと聞かれるようになった。

そもそも「品格」というのは努力して付けるものじゃなく、自然と出てくるものだ。「あの人には高僧としての品格が感じられる」とか。その高僧は品格をつけようとして僧になったわけじゃないだろう。第三者が「品格を付けろ」とか「保て」なんていうのはナンセンスである。

「品格」は「ルール」とは違う。「ルール」は最初から明文化されているから、仮にルールを知らなかったとしても違反すればそれは違反だ。知らなかったは言い訳にならない。

「品格」は明文化されていない。「品格が・・・」という人によって感じるか感じないかというだけだ。その基準も人それぞれである。ルールと違って確かめようがない。

声のでかい奴が勝手に品格の条件を考えて、「品格がない」とか言う。絶対に勝てる後だしじゃんけんである。

朝青龍は横綱としての品格に欠けるとよく言われたが、人によっては(特に直接会った人によっては)朝青龍に品格を感じる人もいたんじゃないだろうか。

これは伝染して、最後には「品格」なんか気にしてなかった人まで「品格が・・・」なんて言い出す。そういうあなたは自分の品格を考えて行動しているのか。自分の品格を棚に上げて、人を非難するとは気が強えぇな。

要するに「品格」なんて、価値観の問題なのである。みんなが同じ価値観なんてことはないし、そんなのを押し付けられるのはごめんだ。

もちろん、タイガー・ジェット・シンがマスクマンでないことは知っているよ。
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朝青龍やばいね。

しかし、どんなに憎まれようとも朝青龍がいなければ大相撲の人気低下は免れない。だから協会も弱腰なわけだ。

まず、朝青龍はとりあえず引退させて、モンゴルに帰ったことにする。

来場所の千秋楽、結びの一番で、一人の覆面力士が青龍刀を咥えつつ土俵に乱入。

「その取り組み、ちょっと待った〜!」

あっけにとられる観客の前で、二人の力士をあっさりと投げ飛ばす(もちろん八百長)覆面力士。

これが謎の覆面力士、モンゴルの怪人、タイガー・ジェット・ドルジ誕生の瞬間である。

朝青龍はモンゴルに帰ったのだから問題ない。もちろん、タイガー・ジェット・ドルジの正体を探るなんてヤボはなしの方向で。

このシナリオどうよ。内館センセ。

【追記】
本当に引退しちゃったよ・・・。
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被災したハイチに千羽鶴を送ろうという人たちがいるらしい。

ハイチ大地震の被災者に千羽鶴を ミクシィで広がる支援の輪 :MSN産経ニュース

ハイチ地震被災者に千羽鶴を送ろう!活動がmixiで広がる:痛いニュース

さすがにこれはどうなのかなと思った。

これを偽善だとは思わないし、ハイチの人のためを思ってやろうとしていることは分かる。しかし、すでに義捐金を寄付したとか、ハイチの情勢が落ち着いたころに届けたいとか、そういう部分を差っぴいても軽率な感じがする。

ハイチの情勢などはさておき、まず、千羽鶴を送ることが、ハイチ人に励ましと受け取ってもらえるのか、誰に送るのか、全く考えないままやっている感じがするのだ。

もし、本気でやるなら、NPOの力を借りずに代表が持っていくべきだろう。千羽鶴を送るという、日本の文化を説明するのもその人がやるべきだ。

また、ハイチだけに千羽鶴を送っても意味がない。これから災害があったら、そこが世界のどこであろうともやらなくてはならない。そうでなければ千羽鶴を送るという日本の文化は理解されないだろう。彼らにそれだけの覚悟があるのかどうか。そのへんが見えてこない。

ちょっと考えれば意味がない(どころか下手すると相手に迷惑になる)のに、こういうことをしたいと思うのは、お金を出すだけではなく、直接ハイチにコミットしたいという気持ちがあるからだと考えられる。元記事の中村さんの言葉にあるように「日本にいて、何も助けられない自分がもどかしかった」から、せめて自分の折った折鶴に行ってほしいということだと思う。

お金を寄付しても、そのお金が直接ハイチに送られるわけではなく、数字として送られるだけである。どのように使われるかもイマイチ分からない。

だから助けた感覚がない。しかし、お金というのはそういうもので、そのものは紙切れに過ぎず、数字が大事なのだ。その数字があればいろいろなものが買える。だから、義捐金を出すことは十分立派な行いだし、それで十分ハイチの人々を助けていることになる。

どうも日本人にはお金を数字としてではなく、物質として見る癖があるようだ。祝儀には新券でとか、現金は失礼だから商品券とかも同じ感覚だろう。

たしかに、それも日本の文化である。しかし、本当に困っている人には説明しても通用しない文化である。この人たちが考えるべきことは、千羽鶴をいかにして数字としてのお金に変えるかということである。

イギリスでは7歳の少年が自転車で募金を呼びかけ、1900万円の寄付を集めたという。

少年のハイチ支援呼びかけに1900万円!:日テレNEWS
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この少年はハイチを自転車で走ったわけではなく、家の近所(たぶん)を8キロ走っただけだ。それを1900万円に変えてハイチに送るのである。千羽鶴を直接ハイチに送るよりも、はるかに健全な発想だと思う。
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新成人が壇上で扇子かざし乱暴…市長が一喝:YOMIURI ONLINE
長崎県佐世保市で10日に開かれた成人式で、新成人の男性約20人が式典中に壇上で騒ぎ、朝長(ともなが)則男市長から一喝される場面があった。
 男性たちは、朝長市長のあいさつなどの際、壇上にあがって「おまえの話など誰も聞いていない」などと叫び、扇子で市長をたたこうとした。市職員らに制止され、壇上から引きずり下されたが、市長は「社会のルールを守ることを認識してほしい。社会は厳しいものですよ」と一喝。他の新成人から拍手がわき起こった。


社会のルール以前に、立派なテロ行為じゃないか。なぜ、その場で全員逮捕しないか。射殺されても不思議じゃないぞ。

壇上に上がるといえば、浅沼稲次郎暗殺事件が想起されるし、市長暗殺といえば、同じ長崎県では2007年に長崎市長が射殺された事件があったばかりではないか。このヌルさは何だ。
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「希望学」という学問があるらしい。

東京大学社会科学研究所 希望学プロジェクト

昔、ある人から、どんなことでも文系の学問の対象になったら、それはすでに終わっている分野だと聞いて、なるほどなと思った。

たしかに、人文科学にしろ、社会科学にしろ、過去の例を分析して評価するというのがその本質だから、対象は「終わっている」ことが前提となる。

文学の研究を例に挙げると、雑誌連載中の小説を研究することはできない。この先どうなるか全く分からないからである。

しかし、雑誌連載が終わったとしても、連載直後に研究することはできない。理由の一つは、続編や番外編が出る可能性があることと、単行本に収録される際に作者によって書き換えられる可能性があるからである。

もう一つは、それをどういう人が読み、どんな影響を与えたかも分からないからである。これでは享受史や文学史的位置づけはできない。

つまり、雑誌連載中の小説を研究対象にできるのは、書かれてからかなり後ということになる。

「希望学」なる学問が存在するということは、希望はすでに終わっているとみていいだろう。それも、二流、三流の大学が学生集めにでっち上げた学問ではない。天下の東京大学公認の学問だから事態は深刻である。

今僕たちが感じる希望のなさは、過去の事例をどうこうしたところでどうなるものとは思えない。今まで考えもしなかった、全く新しい発想が必要だろう。それを探すのは学者の仕事ではない。
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「夫婦別姓」慎重派が導入をためらうホントの理由:R25

これ、いくら聞いても理解できない。そりゃ夫婦別姓でなきゃいけないというなら分かるんだけど、今議論されているのは、別姓にしたい人はしてもいいってことでしょ。ホントの理由は何なんだ。さあ、慎重派の高崎経済大学の八木秀次教授」に聞いてみよう。

夫婦が別姓になれば、子どもの姓をどちらの姓にするかという問題も出てきますし、家族の一体感が薄れる可能性があります。現行の民法では、“夫婦同氏原則”がありますが、これは民法が核家族を基盤とした制度だからです。夫婦別姓は、民法を変えるという大きな話につながります

え?ホントの理由?これが?

だって、子供の姓をどちらにするかという問題は夫婦が話し合って決めることだろう。そんなこと、あんたが気にしてくれなくっても結構だ。

「家族の一体感が薄れる」ってのもよく分からない。中国や韓国はもとから別姓だが、日本以上に家族の一体感があるように思えるが・・・。

「現行の民法では」以下は意味不明。分かりやすく説明して欲しい。っていうか民法を変えるってそんなに大きな話だけ。憲法と間違えてない?

じつは、日本で議論されているような選択的夫婦別姓制度を取り入れたのは、スウェーデンくらいですね。ただ、スウェーデンは離婚率が極めて高い国になってしまった。結婚制度が意味をなさなくなり、非嫡出子も多く、社会問題になっています」

別姓制度を取り入れたから離婚率や非嫡出子が増えたといわんばかりだが、根拠あるのだろうか(無いからこんな書き方なんだろうな)。それに離婚率は関係あっても不思議はないが、非嫡出子が増えたことと夫婦別姓にどういう関連があるのかわからない。

それにしても、中国や韓国みたいに最初から別姓の国のことは隠して、スウェーデンのことしか語らないとは、八木センセー黒いですな。

そもそも名前のルールとか概念ってのは、国によって違うものだ。他国と比べても意味がない。じゃあ日本はどうなのかってえと、日本も明治までは別姓だった。文化的にも根拠がない。伝統とか文化の好きそうな八木センセーがそういわないのはそのためだろう。

僕は別に別姓にしろと言っているのではない。どちらでもいいと言っているのだから、反対する人は自分が夫婦同姓にすればいいだけの話だ。より自由になるというだけのことである。

これに反対している人は、自由が嫌いなんだろう。なんかよくわかんないけど、そんなに自由が怖いですか?
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僕は文房具屋育ちなので、文房具店が好きだ。特に万年筆なんかの高級文具店やオシャレな輸入文具店よりも、日常生活で使うような文具を扱っている店が好きだ。

だから、自分の家から歩いていける範囲にあるオフィス・デポ五反田店にはよく行った。ここは、ぶらぶらしているだけで楽しいのである。ここへ行くと、昔、父に連れて行ってもらった文具の見本市を思い出す。

もちろん、見ているだけではなくいろいろ買った。今座っているコクヨのイスもオフィス・デポで買ったものである。

ところが、今日行ってみたら12月26日で閉店するという。オフィス・デポが店舗販売をやめ、五反田店以外の店を閉店しているというのは知っていたが、五反田店は他の店舗が閉店しても残っていたし、本社がある場所でもあるので残すかもしれないと思っていた。

もともと、文房具店というものは、店舗販売では儲からないものらしい。文房具店を生業にしていた祖父(実家は副業)は、店舗販売もやっていたが、店舗で売れるのはたいがい子供が学校で使うもので、売り上げの多くは事務所や工場への御用聞きと配達によるものだった。

こういう、文房具を大量に使う場所では、毎回注文するものが決まっている。「○○社だけど、いつものボールペン1ダースといつもの納品書持ってきて」とかいう注文を聞いて、祖父は「いつもの」を配達するのである。

オフィス・デポはSOHOが流行るとみて、日本に進出したらしい。なるほどSOHOに御用聞きは来ない。ネットで買うにしても中身や使い勝手まではわからないから実物を見たいと思うだろう。しかし、残念ながらそのSOHOが流行らなかった。

五反田店が無くなって、店舗はすべて無くなるが、ネット通販は存続するらしい。ようするに祖父が御用聞きしていた時代と何も変わっていないのである。「いつもの」で通じないぶん不便になった。

僕も文房具の購入はネット販売に変えることになるだろう。でも、やはり店舗で実際の商品が見たい。巨大文房具店の閉店は、自分の家がなくなっちゃうような寂しさを感じる。なお、オフィス・デポ五反田店は11月16日から12月26日まで閉店セールとなる。

それにしても、アメリカの小売業って、どうしてこう日本ではうまくいかないんだろうね。
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