カテゴリ: 狛犬・亀趺

というわけで(アルマイトのヤカンを買った(付、壁紙):2019年07月25日)、かっぱ橋道具街へ行ったのだが、ここまで来て浅草寺に行かないわけにはいくまいということで行ってきた。夏休みも序盤だからか、思ったより人は多くなかったが、それでも外国人観光客でごった返していた。

そんな中、ちょっといい狛犬を見付けた。浅草寺には何度行ったか分からないぐらい行っているが、この狛犬にはついぞ気が付かなかった。何しろ境内は広いし、人が多すぎる。

狛犬がいたのは、浅草寺の末社(と言っていいのだろうか?)恵日須大黒天堂。本堂の右隣(向かって左)に金龍権現・九頭龍権現の小さな祠があるが、その近くにある。ゆっくり見ている時間がなかったので(暑かったし・・・)、銘などは見付けられなかったが、たぶん江戸時代中期ごろじゃないだろうか。
浅草寺恵日須大黒天堂の狛犬
向かって右側。
浅草寺恵日須大黒天堂の狛犬(右)
左側。
浅草寺恵日須大黒天堂の狛犬(左)
このお堂自体もなかなか面白い。扁額には「恵日須/弘法大師作/大黒天」と書いてある。なんと、空海が作った(とされる)石像である。
浅草寺恵日須大黒天堂扁額
石碑にも弘法大師作とある。この石碑は天保15年(1844年)に建てられたものらしい。
石碑
で、中に入っている恵比寿・大黒天像は・・・
浅草寺恵日須大黒天像
金網のせいでうっすらとしか見えない。立て札の説明書きによると、延宝3年(1675年)に浅草寺に奉納されたものだという。空海作ってのは、マアあれだ。

しばらく散歩して浅草神社の方へ行ったら、猿回しやってた。犬と猿に同時に出会えるとは縁起がいい。投げ銭奮発しておいた。
猿回し
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仁右衛門島へ行った(その1)の続き。

さて、それでは仁右衛門島の中をご紹介しよう。
島内案内図
この地図の真ん中に書いてあるのが島主住居。この島は個人所有で、代々平野仁右衛門を名乗り、現在は38代目だそうだ。現在の平野仁右衛門さんのお姿は、Wikipediaに載っているが、どうみても観光客にしか見えない。

着船場から受付を通って、山の上の方へ登って行くと、仁右衛門さんの家の門、すなわち仁右衛門門が現れる。ちゃんと表札も付いている。
仁右衛門門
こちらが島主住居。千葉県最大の島の島主にしては、意外とこじんまりしている。宝永元年(1404年)に建てられたものだそうだ。現在はここには住んでおらず、中には入れないものの、縁側から室内を見ることができる。
仁右衛門さんの家
そこから島の端っこ(岸に近い方)にある展望台へ歩く。途中、句碑がたくさんあった。これは芭蕉の句碑。
芭蕉句碑
展望台の少し手前に弁天様の祠がある。
弁天様
かわいい狛犬がいた。
狛犬A
狛犬B
どのくらいちっこいかというと、このくらい。いつのものかわからないが、おそらく江戸後期初期だと思う。
狛犬と煙草
ご尊顔。やっぱりかわいい。
狛犬正面
苔むした石仏や・・・。
仁右衛門島の石仏
錆びた錨も置いてあった。
錨
こちらの展望台(と言ってもベンチが二つあるだけ)からは太海漁港がよく見える。それほど標高が高くないが、なかなかいい景色だ。電線がちょっとじゃまくさい。
太海漁港
花が咲いていた。何の花か分からないけど。
花
もう1回、続きます。
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先日、久遠の絆ファンサイトIN台湾でおなじみ浦木さんが東京に来て、一緒に上神明天祖神社に行ってきた。

東京の白蛇さま 上神明天祖神社

上神明天祖神社は僕の家の近くである。2013年の正月に行った。そのときのことを、すでにこのブログに書いたつもりでいたのだが、今調べてみたら、どこにも書いていない。大方、Facebookあたりに書いたのを勘違いしたのだろう。

その時は正月だったので、参拝客が多くてあまり写真が撮れなかった。だから、わざわざブログに書くこともないと思ったのかもしれない。いずれちゃんと写真を撮りに行こうと思っていたが、あまりに近所なので、結局行かずじまいである。

天祖神社本殿の方は、近代的な建物で、ごく普通なのだが・・・
上神明天祖神社
天祖神社にもかかわらず、公式サイトのドメインがhebikubo.jpになっているように、この神社には蛇窪明神というインパクトのある末社がある。実は正月の初詣客もここが目当て。
蛇窪明神
いきなりド派手なリーゼント頭のヤンキー竜がお出迎え。オラオラ!
蛇窪明神竜2
この奥には祠(ほこら)があるのだが、この祠が白蛇に囲まれている。なにやら、巻子本を咥えているのとか・・・。
蛇窪明神蛇1
キシャー!と牙をむいてお怒りのご様子のとか。
キシャー

賽銭箱を守ってるのとか。
蛇窪明神蛇2
蛇窪明神蛇3
カエルを睨んでるのとか。蛙はなぜか既成品なので、ぜんぜんビビってる感がない。
蛇窪明神蛇と蛙

よく見ると、壁に出来ばえの微妙な(どれもビミョーだが)、鏝絵のような絵の痕跡がある。出来た時はもっとハデだったらしい。
鏝絵?
さて、このヘビは一体だれが作ったのか?境内に説明書きがあった。
白蛇縁起
蛇窪明神は昭和29年に鳶頭の櫻井昌利氏を筆頭とする有志の人々によってここに移され、その際に、櫻井氏の腹心の部下だった真鍋勝氏がこれらのヘビを作ったとある。つまり、とび職の方の作品だったわけだ。

この祠には正月だけ蛇石が入る。普段も入っているのかと思って、浦木さんに「この中に蛇石があるよ」とドヤ顔で言ったら無かった。
へび石
さて、それでは帰りましょうとなったとき、浦木のトランクのキャスターが一個ないことに気づいた。トランクの周りを見ても落ちていない。どうやら、成田空港から天祖神社までのどこかで無くなったらしい・・・。

で、とりあえず駅まで来た道を戻って探してみることにした。さすがに見つからないだろうと思ったが、なんと5分ほど歩いた道の真ん中に落ちてた。これも、蛇窪明神のご利益かもしれない。
駐車場でキャスターを付ける浦木氏
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もともと狛犬が好きで、神社や寺に行ったら、必ず狛犬を探していたのだが、贔屓(ひいき)の引き倒し:2016年01月10日を書いて以来、石碑の下のカメさん、亀趺にも興味がでてきた。

先日行った、山形県鶴岡市の荘内神社のカメさんが面白かった。荘内神社は、創建が明治10年と新しく、それほど見るものはない。とりあえず、お参りをして、いつものように狛犬を探したが、どこにも見当たらなかった。

帰ろうとして、もう一度振り返ったら、境内のすみの方に、それほど大きくない石碑が立っている。篆額には「贈従三位酒井忠徳公頌徳碑」とある。酒井忠徳は庄内藩の第7代藩主で、藩校の致道館を作った人である。

この碑の下にはカメさんがいる。ところがこのカメさん、遠目で見ても、なんとなく様子がおかしい。石碑とカメの大きさが合っていないし、カメがすっきりしすぎている。
アール・デコ亀(全体)
近づいてみると、無機質な直線で構成されている。メカガメラというのがいたら、たぶんこんな形をしているだろう。
アール・デコ亀(前)
後ろから見たら、だれもこれがカメの尻尾だとは思うまい。
アール・デコ亀(後)
カメの台座も、幾何学的なデザインである。これはアール・デコ様式に違いない。

そう思うと、つるつるに磨き上げられた石碑そのものも、アール・デコっぽく見えてくる。日本でアール・デコが流行ったのは、昭和の初期と聞くが・・・
昭和3年4月建之
予想通り、昭和3年4月。

江戸時代の藩主の頌徳碑に、当時最先端のデザイン。今見てもモダンである。このあと、昭和5年の昭和恐慌を経て、日本はファシズムの時代へと突入してゆき、こんな斬新なデザインは全く作られなくなる。

さて、最後になったが、荘内神社そのものの写真をば。
荘内神社

こちらは本殿側から参道を見たところ。どこまでもまっすぐ。
荘内神社参道
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去年の暮れに「贔屓(ひいき)」という言葉が、もとは石碑の下にいるガメラみたいな怪獣の名前だと知って、おおいに驚いた。いままで、幾度となく石碑を背負うガメラを見てきたのに、なんで名前を気にしなかったのだろう。

後で調べてみたら、Wikipediaにもちゃんと書いてあった。

贔屓:Wikipedia
贔屓(ひいき・びし、拼音:Bixi、正字体:贔屭)は、中国における伝説上の生物。石碑の台になっているのは亀趺(きふ)と言う。

なぜ、これが「ひいき」の意味になったかまで書いてある。
日本の諺「贔屓の引き倒し」とは、「ある者を贔屓しすぎると、かえってその者を不利にする、その者のためにはならない」という意味の諺だが、その由来は、柱の土台である贔屓を引っぱると柱が倒れるからに他ならない。

この贔屓、中国の巨大な石碑の下には必ずといっていいほどいるが、日本の石碑ではあまり見ない・・・と、思ってたら、先日散歩で東海寺大山墓地(東京都品川区)に行ったら、沢庵和尚の墓の近くにいた。「開山沢庵和尚塔銘」という、普通の墓石ほどのこじんまりとした石碑である。
贔屓1

贔屓2

小さいけど、なかなか立派な贔屓である。

そこから、品川神社まで歩いて行った。鳥居の前に立って、ふと門柱を見たら、門柱の下の石が不自然な配置になっていることに気づいた。
品川神社門柱1

品川神社門柱2

明らかに、頭、手足と甲羅を、色の違う石を使って表現している。かなり抽象的な贔屓である。

品川神社の門柱は、これまで何度も見てきて、ただ「デカいなぁ」とは思っていたが、門柱の下のカメさんには気づかなかった。気にすると、今まで見えなかったものが見えてくるものである。
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今月の池上線(番外編・御嶽神社 その1)はこちら。

さて、末社の大鳥神社の狛犬を撮影して、本殿の裏手に回った。

裏手には、石碑がずらっと並んでいる。もともと境内のあちこちにあったものを、最近になってここに集めてきたらしい。この石碑の数を見ると、御嶽信仰がいかに盛んだったかが分かる。

石碑群

ん?何かヘンなものが・・・。人だ!人が埋まっている!一瞬、ビビってしょんべんちびりそうになった。

BlogPaint

が、よく見たら単なる胸像だった。たぶんもともと台座があったんだろうが、胸像を直接地面に置くだけで、こんなに怖くなるとは思わなかった。それにしても、あなた一体誰ですか?ハナ肇さん?

誰?

ここにはもう一人、人がいた。こちらはコワモテの全身像。たしかに顔は怖いが、行者の格好をしているし全身像なので、さっきの胸像の怖さはない。渡辺菊太郎さんらしいんだが・・・。

誰?2

本殿には彫刻が施されている。天保二年(1832)に藤原篤意という人が彫った(建築も同じ)ということで、大田区の文化財に指定されている。

社殿彫刻

本殿の向かって左側には、古い井戸がある。「杜の霊神水」といい、「一山行者」なる行者が水行をしていたところだという。

杜の霊神水

井戸

その隣に一山行者を祀る一山神社がある。

一山霊神社


一山行者とは、この神社の中興の祖らしい。一山行者についてはこちらに詳しく書かれている。

一山行者について:大田区御嶽神社

その他、御嶽神社の写真はこちら。

東京都大田区 御嶽神社
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池上線の御嶽山駅という印象的な駅名のもとになったのが、御嶽神社である。駅名になっているだけあって非常に近く、駅から歩いて数分で着く。

「御嶽神社」と書かれた石碑と、鳥居の比率がどう考えてもおかしい。書かれている字も、石に対してデカすぎるので、ものすごい迫力だ。

御嶽神社鳥居

この「御嶽神社」、僕は「みたけじんじゃ」と読むものだとばかり思っていた。ところが、御嶽山駅のエントリで「おんたけじんじゃ」ではないかと言われて調べてみたら、たしかに公式サイトに「ootaku ONTAKE shrine」と書いてあった。

大田区御嶽神社

中世文学が専門なので、御嶽といえば吉野の御嶽神社(金峰山)を想起してしまうのと、この神社の隣に「みたけ幼稚園」があるので、「みたけ」だと思い込んでいたのである。実際は、金峰山にルーツを持つ神社は「みたけ」で、木曽御嶽山にルーツをもつものは「おんたけ」と読むらしい。

木曽御嶽山の御嶽信仰は金峰山に影響を受けたもので、江戸時代以降、庶民の信仰を集めたという。山岳信仰なので、ここには狼型の狛犬がいることが予想できる。

さて、鳥居をくぐると、まず大きな狛犬が目に入る。丁寧に柵に入っている。

御嶽神社(参道狛犬右)

御嶽神社(参道狛犬左)

とてもいい細工だと思うが、足をみると石材が剥がれ落ちているのが分かる。砂岩のような柔らかい素材でできているらしい。台座には慶応三年(1867)とあるように見えるのだが、狛犬と材質が違うので、もともとのものかどうかは分からない。

本殿の手前にもう一対の狛犬がいる。これが狼型狛犬である。

御嶽神社(本殿)

古そうに見えるが、いつのものかは分からない。壊れていてよくわからないが、チョコレートみたいな謎の物体を咥えているのと、狼なのに右には角があった形跡があるのが珍しい。
御嶽神社(本殿狛犬右)

御嶽神社(本殿狛犬左)

狼型と言っても、狛犬に興味のない人からすると、犬にしか見えないかもしれない。おそらくこれを作った人も犬を参考にしたはずなのでそう見えるのは仕方がない。だが、ちゃんとオオカミである工夫をしている。

その一つは肋骨だ。上の写真をよく見ると、脇腹にスジが入っているのが見える。犬型の狛犬にはこれがない。もう一つは牙で、これも犬の場合は表現しない。

狼型は山岳信仰の神社でよく見られる。「浅間神社」や「御嶽神社」なら狼型である可能性が高いので、要チェックである。

この本殿を右に回ると、もう一つ小さな神社(末社という)があった。大鳥神社となっている。ここにもなかなかいい狛犬がいた。

御嶽神社(末社大鳥神社)

御嶽神社(大鳥神社狛犬右)

御嶽神社(大鳥神社狛犬左)

なぜか上目遣い。ただ、この置き方はちょっとおかしい。本来向かい合っていたのではないだろうか。

後ろ姿もキュート。

御嶽神社(大鳥神社狛犬背中)

この狛犬にも台座に銘があるが、崩れていて「天」ぐらいしか見えない。

<つづく>
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さて、昨日のエントリ(岩木山神社:2013年08月07日)の続き、岩木山神社の狛犬である。

岩木山神社(楼門)

岩木山神社の狛犬は、この楼門の手前に写っている一対と、玉垣の裏に一対、そして楼門をくぐったところに一対いる。順番に紹介しよう。

まず楼門の前の狛犬。台座に「紀元二千六百年」とあるので、昭和15年(1940年)に作られたものと分かる。

岩木山神社の狛犬(昭和15年製左)岩木山神社の狛犬(昭和15年製右)

この時代のものらしく、なかなか立派な狛犬だが、これはあくまで前座。

主役はこちら。楼門の階段を上がったところの玉垣の裏にいる。

岩木山神社の狛犬(玉垣左)岩木山神社の狛犬(玉垣右側)

玉垣にへばりついている、名状しがたい狛犬のようなもの。ちゃんと阿吽になっていて、左は逆立ちである。こんなのは他に例を見ない。
別の角度から見ると、長い尻尾が生えているのが分かる。

別の角度から見た岩木山神社玉垣の狛犬


とりあえず真似してみた。本当は左の真似もしたかったのだが、一歩間違えると大けがしかねないのでやめた。

真似してみた


銘がないので、いつ、だれが作ったものか定かではないが、売店にあった説明書によると、貞享3年(1687)から元禄7年(1694)の大造営の際に作られたものと考えられているらしい。

さて、楼門をくぐったところにも一対の狛犬がいる。こちらは台座に銘があり、明治21年(1888年)に作られたことが分かる。
なかなかユニークな顔をしている(特に笑っているようにしか見えない阿形)が、さっきのインパクトが強すぎてあまり写真を撮らなかった。ごめんなさい。

岩木山神社の狛犬(明治21年製左)

(明治21年製右)


お参りも終わったし、それじゃあ駐車場に戻りましょうと参道を歩いていたら、途中にあった末社(出雲神社)で妙なものを発見した。

岩木山神社末社の名状しがたい狛犬のようなもの

なんと、狛犬がいるはずのところに恵比寿・大黒である。左側の恵比寿さんが持っている釣竿は、本物の竹になっているのが面白い。

恵比寿大黒

出雲大社の祭神は大国主なので大黒様(ダイコクが音通するため。本来大黒天はインドの神様)は分かるが、恵比寿はなぜだろう。単純にコンビとみなされているのか、あるいは「えびす」が「蝦夷」を意味しているからかもしれない。いずれにしても、こんなふうに狛犬然として置かれているのを見たことがない。

さて、狛犬ではないが、一の鳥居の左右にアイスを売っているおばさんがいた。「ちりんちりんアイス」というそうだ。

ちりんちりんアイス売り

秋田のババヘラ同様、おばちゃんがヘラで盛り付けてくれる。ここでは二種類(リンゴとパイナップル)のシャーベットを大盛りにして100円だった。

この日はやたらと暑くてうまかったが、まだ梅雨が明けていなかったので、前の日までは全然売れなかったそうだ。
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7月29日から8月1日にかけて、ヨメと津軽地方を旅行してきた。

津軽はかなり昔、自動車(自転車ではない)で一人旅したことがある。東京から関越自動車道で日本海側に出て、そこからは一般道で、新潟、山形、秋田、岩手、青森と旅した。どのくらい行っていたのか、よく覚えていないが少なくとも一週間は行っていたはずだ。

その時、津軽半島では金木の斜陽館(太宰治生家)に行ったのだが、ちょうど旅館から資料館に変わる工事中で入れなかった。平成8年に斜陽館を金木町が買い取り、復元して資料館としてオープンしたのが平成10年4月なので、行ったのは平成9年(1997年)の夏である。

その時立ち寄った、三厩というところにある義経寺の狛犬を撮ったのが、初めて撮った狛犬である。三厩の義経寺についてはあらためて書こうと思っているが、とりあえず僕にとっての思い出の狛犬を紹介したい。
義経寺の狛犬(左)義経寺の狛犬(右)

そのころは、よく分からないまま撮影したが、今見るとこの狛犬、いろいろ個性的だ。

まず、目玉が完全に穴として表現されている。こういうのは他にないではないが、ここまで彫らず掘らずともいいのにと思えるほど、深い穴が空いているのはちょっと見たことがない。

義経寺の狛犬(右アップ)

全体に彫りが浅く、全体の造形にもとの石の四角さが残っているのも面白い。尻尾のところなどは、四角いアクリルケースにでも突っ込まれたように見える。

義経寺の狛犬(右後姿)


台座に銘が彫られていた。作った人の名前はないが、明治35年の作。予想していたよりも古かった。
IMGP2439


この狛犬に会ったとき、僕は20代の終わりだった。大学院の博士課程を満期退学し、これからどうしようか悩んでいた時である。

僕は、たぶん何かを変えようと思って旅に出たのだろう。「たぶん」というのは自分でもよく分からないからである。

あれから15年が経つ。この後も何度か何かを変えようと思って旅に出たが、結局何も変わらなかった。まあ、旅に出たぐらいで何かが変わるぐらいなら苦労はしない。

ただ、それでも少しずつ楽にはなったと思う。
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井の頭恩賜公園(通称井の頭公園)の弁天堂には、なかなかすごいご面相の狛犬がいる。

この狛犬、いるのは知っていた。いつか撮りたいと思っていたのだが、天気が悪かったり、暗かったり、柵が閉まっていたりと、なかなか撮る機会がなかった。

一月一日、ようやく撮ることができたので、狛犬マニアの諸兄にお目にかけることとしよう。

この狛犬、台座の銘によると明和8年(1772年)5月に造られた。ちなみに目黒の行人坂大円寺を火元とする明和の大火は明和9年2月なので、その約半年前に造られたことになる。

まずは右。

井の頭狛犬右


井の頭狛犬右アップ


口を開けているためか、顔面を思いっきりパンチされてびっくりしているような顔である。

続いて左。

井の頭狛犬左

井の頭狛犬左アップ


こちらもパンチめり込み顔には違いないが、歯をぐっと食いしばっているので、なかなか立派な顔になっている。

時代がくだるにつれて、狛犬の意匠は派手になっていくが、この時代はシンプルなものが多い。下の写真は右の後姿。このように尻尾が立っているのも、この時代の特徴である。

しっぽ


弁天堂からもっとも近い公園の出口を出たところに、ちょっと珍しい石像がある。

宇賀神


宇賀神(うがじん)という神様で、人面蛇身の異様な姿をしている。弁天様の頭の上に乗っていたりして、弁財天と習合しているが今一つ由来の分からない神様である。

ちなみに、こちらは狛犬より古い明和4年の作。
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