カテゴリ: 今月の総括(08年4月〜16年4月)

先月の終わりから今月にかけて北京に行ったので、今月は北京の記事ばかりになった。

北京は三度目である。初めて行ったのは2000年で、諸般の事情により一週間もいるハメにあった。これが初めての海外だったから、僕にとっては印象的な街である。

初めての北京は、すごいインパクトだった。まず、異常に埃っぽい。道路は自転車が多いのは言うまでもないが、赤くて小さくてこ汚い(ダイハツ・シャレード)タクシーがたくさん走っていた。タクシーにはエアコンがないので、暑くて狭くて埃っぽかった。自転車タクシーも健在だった。

道路はあちこち陥没していて、信号機は壊れている。路上にはゴミが散乱していた。公衆電話もあるにはあるが、たいがい壊れていて使えない。電話をかける時は、商店の店頭にあるのを使って後で金を払っていた。

街灯もまだ少なくて、夜になるとけっこうな繁華街でもうす暗い。いたるところに物乞いがいる。地下鉄の中にまで、台車に乗った障害者の物乞いが来て、金を渡すまで目の前からどかないのには閉口した。

なんかすげぇ所に来ちゃったという感じだ。

二度目はそれから二年後の2004年。北京に泊まったのは二泊程度で、すぐに邯鄲で一炊の夢を見るという自転車ツアーに出たので(帰りは上海から帰った)、北京の街を見る機会はあまりなかったのだが、二年前に比べて、ずいぶんきれいになったと感じた。

さて、そして今年。最後にいってから、12年経っている。

着いた時は、ドヨンと霞んでいて、これが噂のPM2.5かとちょっと憂鬱になったが、二日目以降はすっきりした青空が続いた。毎日大気汚染というわけではないらしい。霞んでいても、16年前のような埃っぽさはないから、昔の方が空気が汚く感じる。ただし、これは季節要因もあるのかもしれない。

何といっても、町がきれいだ。ゴミもあまり落ちていない。北京市は清掃員を大量に雇っているらしく、ゴミが落ちていると、ディズニーランドさながら、すぐに掃除していく。地域住民しかいなかった胡同も、昔の面影を保ったままきれいになっている。前門や西単なんか、街並みそのものが変わってしまった。

しかし、やっぱり北京は北京である。どこか垢抜けない、首都なのに田舎っぽい北京らしさは健在だ。だから、こんな人もいる。
眠る人

町を歩く若い人も、精一杯のオシャレをしているが、上海なんかに比べると、なんとなく野暮ったい。庶民的な食堂に入ると、相変わらず大声でくだらない議論(たぶんヨメの悪口など)をしている、酔っ払ったオッサン連中がいる。たしかに町はきれいになったが、よく見ると、微妙にツメの甘いところがある。

歴史のある大都会なのに、イキじゃない。これが北京の魅力である。

普段、相撲は見ないのだが、最近は祖母が入院している病院で一緒に見る。今場所も病院で見た。

僕には、先場所よりも、今場所の方がずっと面白かった。今場所は、しばらく豪栄道・稀勢の里・白鵬の三人が一敗で並んだ。いわゆる日本人力士も頑張ったが、ここからの白鵬の迫力はすごかった。もう、絶対に敗けないという気迫を感じた。結果、白鵬は豪栄道にも稀勢の里にも勝って一敗のまま優勝したのである。

優勝は千秋楽に持ちこされ、優勝を決定する白鵬と日馬富士の一戦が、見ていてイマイチな一戦になってしまったのはご存知の通り。

たしかに、お金を払って見に行った人にとっては、優勝決定の横綱同士の千秋楽としては、あまりにあっけなく、面白くなかったかもしれない。しかし、僕はあれが本当の相撲だと思った。

たぶん、白鵬は立会で変化するつもりはなかったのだろう。それは、それまでの取り組みを見ていれば分かるし、優勝決定後の白鵬の発言でも分かる。優勝したにも関わらず、白鵬の表情は嬉しそうには見えなかった。お詫びの言葉も言った。

立会の一瞬で、白鵬が自分に有利な体勢に持って行こうとしたら、思った方に日馬富士が動かず、勝手にすっ飛んで行ったのが真相だろう。日馬富士は今場所あまり調子が良くなく、結果は9勝6敗である。あのあっけない取り組みは、日馬富士の方に問題があったと考えるべきである。

それでも「横綱たるもの、見せる相撲を取るべきだ」と好角家が言うなら、それは八百長に限りなく近いものだと言おう。横綱は鍛えぬかれたアスリートである。見せる相撲を取りたくても、チャンスがあれば勝手に体が動くのがアスリートというものだ。

僕は相撲ファンではないから、相撲が八百長だろうとなんだろうと、どちらでもいい。盛り上がればいいという考え方もあるだろうし、ガチじゃなきゃ盛り上がらないという考え方もあるだろう。

そもそも、僕は、相撲に限らず、日本人の好む競技はすべて八百長だとさえ思っている。問題は、白鵬を批判する好角家が、自らの八百長好きを理解できているかどうかである。

最近、どうにもブログを書こうという気がおきなくて、つい見ぬ世の人を友としてしまう。おかげで、『十訓抄』も『今昔物語集』もずいぶん進んだ。その代わり、ブログの方は今日を入れて5回しか書いていない。

太平洋戦争時の、戦況を伝える公式発表のことを大本営発表というが、あまりにデタラメだったから、「信用できない公式発表」を意味する言葉として使われている。

それでも、戦争は海彼で行われているし、正確な戦況が分かっているのはごく一部だから、内地にデタラメを伝えてもバレないだろうというのはわからんでもない。しかし、驚くべきは、21世紀情報化社会の今、数字がはっきり出る経済で大本営発表が行われることだ。

今月はGDP速報値がマイナスになった。いたずらに発射したマイナス金利黒田バズーカも、あっという間に効き目が失せて、円高株安になっている。日経平均株価は16000円代で、チャートを見れば、どうみても下げトレンドだ。

それにしても、国債までマイナス金利になったのには驚いた。銀行が国債を買ったため、国債価格が上がり、金利が低下したためだという。

国債は金利を定めて国から発行される。したがって、国債を持っている人がもらう金利は一定である。しかし、その国債を別の人に売ると、当然、売る人は買った値段よりも高く売る。国から払われる金利は一定だが、最終的に償還される額は、最初の人が買った額と同じなので、合計して実質的に金利が減ったことになる。

国債の価格が上がっていくと、償還される額と受け取る金利を足しても、購入額に足りなくなる。これが国債のマイナス金利である。常識的に考えれば、最終的に損すると分かっている国債を買うバカはいないのだが、銀行がこれを買うのは、いずれ日銀が国債を買ってくれるだろうという思惑があるからである。ふざけた話だ。

どこからどうみても、アベノミクスは終わっているとしか思えないのだが、ご本尊はいまだに訳のわからないことを言って、アベノミクスの成果は上がっているという。まあ、ご本尊はしょうがないにしても、こうなってくると、普通自民党内からも野党からも、もっとプレッシャーがかかりそうなものだが、それもない。たぶん、汚すぎて誰もアベノミクスの尻拭いをしたくないのだろう。

しかし、尻拭いを先に延ばせば延ばすほど、尻は汚れてくる。正直、もう見たくないぐらいクソだらけの汚い尻になっている。汚いものからは目を背けて、見ぬ世の人を友とするにしくはない。

年の初めだというのに、今月はいろいろありすぎた。申年バンザイ!とても一つに絞れないので、時系列的に並べて、ちょろっとだけ書くことにする。

1/4〜株価ダダ下がり
上がるとも思ってなかったけど、年明け早々こんなに下がるとは思ってもみなかった。

1/6北朝鮮核実験
核兵器を持っていなかったイラクが潰されたんだから、北朝鮮が持っているとアピールするのは当たり前。

1/12イスタンブールテロ
一昨年、僕が泊まったホテル近くのテロでびっくりした。

1/15スキーバス事故
事故との関連はともかく、1規制緩和によるバス会社の乱立・2それによるバス料金と運転手給与の低下・3運転手不足と高齢化、4中国人爆買い需要によるバス不足が原因として疑われてたけど、これらはどう考えても噛み合わない。いくらバス会社が多くても、運転手が足りなくて、需要が増えているなら、料金も賃金も上げられるはずじゃないか。

1/18雪で交通マヒ
普段40分で行ける学校を2時間かかった。普段でさえ満員なのに、間引いたら混乱するのは分かりきったこと。間引き運転が決まったら、鉄道会社が連絡して、各学校、企業が始業時間を遅らせればいいだけの話。
特に学校はそんなこと簡単にできるはず。生徒の安全を考えるなら、早急にルールを作るべきだ。

1/18SMAP解散騒動
正直どうでもいいが、さらにどうでもいい結果に。

1/24 日本出身力士琴奨菊優勝
誰が優勝たってかまわないが、「日本人力士優勝」から「日本出身力士優勝」に変わったのがポイント。日本人力士だと、帰化した旭天鵬の優勝がカウントされるからだ。
帰化した旭天鵬をカウントしないのはどうにも差別くさいが、僕は「日本出身力士」を日本のメディアが応援するのは差別ではないと思う。同じ出身地の力士を応援するのはあたりまえだからである。
将来的に外国出身の日本人力士が優勝したときに、カウントしなければいい。できるかな?

1/28甘利大臣辞任
収賄で辞任したのに、なんかカッコつけたこと言ってたり、花束もらったりしてるのはどうなんだ。異常だよ。

1/28小保方晴子手記出版
僕は小保方さんの一連の件は、すべてコネクションと出来レース:2015年12月26日で書いたことが原因だと考えている。しょうもない手記が出ることで、早稲田大学や理研の責任が目立たなくなるのを懸念する。

1/29マイナス金利
これは、甘利大臣辞任ショックを回避するためのものだろう。おかげで29日の日経平均株価は、とんでもないチャートを形成した。記念に貼っておく。
Nikkei225

マイナス金利はいつかやるだろうと思っていたが、ここで出すのが効果的とは思えない。政権の維持には効果的だったかもしれないけどね。

ベッキー不倫
ベッキーはものすごく真面目な人らしい。真面目な人ほど、こういう問題をこじらせるものだ。

こちらからは以上です。

5月の始めに、すぐ近くに住んでいる祖母が脳梗塞で倒れた。なにしろ97歳だから、客観的にみていつ倒れても不思議ではなかったが、普段あまりに元気だったから、突然倒れるとは思わなかった。

全然前兆がなかったわけではない。去年あたりから、生活の不安を訴えていたし、僕も2日に1回ほど訪問していたが、漠然と「こうして来れるのはいつまでだろう」とか考えていた。これは、去年までは考えなかったことだ。

幸い、祖母は寝たきりにはなったものの、車いすに乗った写真を見たら、足以外のどこが悪いのかと思うほどに回復した。

社会的には、夏のデモを忘れることはできない。あれで、僕は政治にコミットした世代と、そうでない世代の違いが如実に分かった。

言うまでもなく、僕らの世代前後(40歳〜60歳ぐらい)は政治にコミットしなかった世代である。この世代のデモに対する反応が、とにかく酷かった。民主主義のルールも、民主主義を守ることの重要性も、何も分かっていない。だから、デモの内容そのものではなく、デモに参加すると就職ができないとか、裏で共産党が糸を引いているとか、金をもらっているとか、醜悪なケチの付け方ばかりする。

世代という区切りは好きではないが、正直、ここまでダメだとは思わなかった。現在、日本を動かしているのは、実質的にこの世代なので、ここが一線を退かない限り、日本は沈む一方だろう。その反面、今年のデモで象徴的な役割を果たした、若い世代の人たちには期待をしている。

最後に、やたがらすナビについて。

今年は、なるべくやたナビTEXTの電子テキスト作成に時間を当てるようにした。結果、『今物語』・『閑居友』を公開し、『今昔物語集 本朝仏法部』と『十訓抄』が作成中である。この2つは来年の夏までには完成するだろう。

この電子テキストには、手応えを感じている。僕のサイトは日本語でしか書かれていないが、海外からのアクセスも少しずつ増えてきた。古典文学テキストの需要は、関係者が想像しているよりもずっと沢山あると考えている。

というわけで、よいお年を。

先日書いたコネクションと出来レースは、僕自身が何らかのレースに負けた恨み節みたいに読めるかもしれないが、そんなつもりで書いたのではない。僕はもうそんなレースに参加するつもりはないし、あらゆるレースに10年以上参加していない。興味がなくなったのである。

このエントリを書こうと思ったのは、例のオリンピックエンブレムが出来レースだったという記事を読んだからである。真偽は不明だが、僕は経験上、日本で行われる人材の公募は90%以上が出来レースだと思っているので、何の驚きもない。

これもパイがあるうちは余り問題にならない。たとえ90%が出来レースでも、10%のまともなレースで才能のある人が吸収できる。ところが、パイが少なくなってくると、同じまともなレース10%でも数そのものが減ってしまい、本来才能のある人が採用されず、コネだけの人が目立ってくる。

諸悪の根源は、出来レースを支える精神性である。先日のエントリで、それを「心優しい日本人」と表現したが、これは本当の優しさではない。人材を公平に求めるという原則を軽視した単なる身びいきである。原則を軽視すれば、そのうちレースが成立しなくなるだろう。

これから、劇的に経済が回復し、人口が増加に転じるのでもなければ、人材募集のパイはどんどん減っていく。だからこそ、よりレースの秩序が求められるようになる。秩序を守るには、たとえ身内であっても切る冷徹さが必要だが、優しい日本人にはこれができない。

自分に関係ない分野だと出来レースを糾弾するくせに、自分の分野だと、優しい日本人になってしまうのだ。これでは出来レースを無くすことなど、到底不可能である。できないなら、最初からコネに戻した方がまだましだ。

さて、どうにも出来レースに勝てそうもない若い人(つまり、コネクションのない人)は、さっさと海外に行ってしまうのがいい。まともな先進国なら、こんな非合理的なことはしないし、途上国なら、たとえ日本のようなことをやっていても、まだ伸びしろがある。もちろん、フェアなレースで勝つのは難しいが、負けたとしても、実力で負けた方が、精神衛生上はるかによろしい。

そうでないなら、レースに参加せず、自分の道を走ることだ。相手がいなければ、負けようがない。

さて、今月からTwitterを始めたわけだが、諸般の事情により、LINEも始めた。あまり気が進まなかったのだが、どうしても使う必要が出てきたのだ。まあ、おかげで、例のハワイ旅行(親戚の結婚式)で連絡を取るのに役に立ったのだが。

僕のように、古くからインターネットを使っていると、やたらとアカウントが増えてくる。全然別のサービスなら仕方がないが、同じようなサービスだと、なるべく新しいサービスは使いたくないものだ。インスタントメッセージ系では、かつてはICQ、Yahooメッセンジャーを使っていたし、今は、Skypeを中心に、Googleハングアウト、Facebookを使っている。正直、これ以上インスタントメッセージを増やしたくなかった。

それでも、やらざるをえなくなったのは、若い人と連絡が取りたかったからではない。むしろ、僕らよりも上の世代と連絡を取る必要が出てきたからである。

僕らの世代は、インスタントメッセージといえば、初期はICQやYahooメッセンジャーで、後にSkypeが主流になった。ところが、スマホの普及により、若い人の間でLINEが急速に広まった。

その時は、「僕には関係ないな。まあ、後はお若い方で・・・」という感じだったのだが、この連中が、自分の親世代にLINEを布教し始めたのである。スマホでない携帯端末を買う方が難しくなってきたのも布教に貢献しているらしい。

だから、僕らより少し上の世代の人に、LINEを使う人が多くなった。僕がSkypeを使い出したころ、その世代の人にSkypeを使うように言ったことがあるが、誰もそれに従う人はいなかった。これが、自分の子供になると話が違ってくるのである。これが親子の絆というものだろう。

まあ、それはいい。許しがたいのは、そんな昨日今日LINEを使い始めたオッサン・オバサンが、僕がLINEアカウントを持っていないと知ると、「今どきLINEも使えないの?この情弱め!」的な目で見ることである。

使えないんじゃない、使わないのだ。こちとら、10年前からSkypeを使っている。ICQ時代から数えたら、20年近くになる。いまさら同じようなものを増やしたくないだけだ。

・・・と言いたいところだが、そういう人はたいがい「Skype?何それ美味しいの?」状態なので、そんなこと言ってもしょうがない。なにしろ、インスタントメッセージはLINEしかないと思っている連中である。とりあえず、ニヘラニヘラと笑って、「LINEって便利ですか?」とか聞いてみる。説明を受けるが、本人もよく分かっていないのが伝わってくる。

そんなことを言って、いつまでも反抗していてもしょうがないので、仕方なくLINEのアカウントを取ったという次第。

10月は、5月に脳梗塞で倒れた祖母を、二回散歩に連れて行った。散歩と言っても、もう自分では歩けない。車いすで押していったのである。

正直、倒れた時はもうだめだと思った。なにしろ96歳である。なにがどうなっても不思議ではない。今はかなり回復した。寝たきりで、言語不明瞭だが、車いすに乗れるほど回復しただけでも大したものだ。これはみな胃ろうのおかげである。

胃ろうとは、腹に穴を開けて、そこから流動食を流し込むという方法である。入れているのは口から入れる流動食と全く同じものだ。右半身が麻痺しているので、口からの食事は不可能だろうという判断でこうなった。

胃ろうをしてまで生きたくないという人がいる。どう考えようとそれは自由だし、その気持ちも分らなくもない。なるほどそういう考え方もあるかと思っていたが、祖母の胃ろうを見ていて、僕はだいぶ考えが変わった。

「胃ろうをしてまで生きたくない」というのは、食べる楽しみが無いぐらいなら死んだほうがマシだという考えに立っている。しかし、生きる楽しみはそれだけではない。むしろ、食うことなんか、生きる楽しみとしては大したものではないのではないか。

例えば、僕は喫煙者だが、タバコの旨さが分からない人は、気の毒だと思う。もし、今タバコを取りあえげられたら、死んだほうがマシ・・・とまでは言わないが、ちょっときつい。

だが、最初から吸わない人にとっては、タバコの旨さなんかどうでもいいことである。かつてタバコを吸っていて、すでに長らく止めた人も、そんなのはどうでもいいことだろう。

同様に、今、突然口から食事できなくなったら、その時はそりゃ辛いだろうが、そのうち自分が口から食事をしていたことさえ忘れてしまうのではないか。その人に、「食べる楽しみがないなんて気の毒だ」と言っても、それは「タバコの旨さが分からない人は、気の毒だ」というぐらい意味がない。

大事なことは、その他の生きる楽しみをどう作ってあげられるかだろう。寝たきりにはなってしまったが、祖母は明らかに元気になっている。顔色もいい。自分で食事をしていたときよりも、栄養バランスが良くなっているのだ。

人は生きるためだけに食事をするのではないが、生きるためには食事をしなければならない。それが舌の上を通るか、直接胃に入るかだけの違いだ。胃ろうだけを切り離して、人間の尊厳を考えることはナンセンスだと僕は思う。

8月から9月にかけて、デモ関連のエントリばかりになってしまった。

政治というのは、無理にでも理屈を通すものだと思っていたが、そうじゃないということを痛感させられたのが、今月だった。今の日本の政治は気分だけで行われ、気分だけで支持されている。

中国が攻めてくる気がする(何しに攻めてくるの?)。だから今すぐ集団的自衛権が必要な気がする(攻めてきても、個別的自衛権で対応できる)から、憲法9条なんかどうでもいい(よくない)。

安保反対デモは、敵のような気がする(デモ妨害する方が民主主義の敵)。デモ参加者は自衛隊を廃止したいと思っているような気がする(いろいろな人がいる)。参加者は金をもらっている(そんな金どこにある?)。

アベノミクスは成功しそうな気がする(だいぶヤバくなってきた)。安倍首相の言っていることは正しそうな気がする(具体性と一貫性がない)。山本太郎は政治家失格のような気がする(山本太郎の質問は首相の答弁よりもずっと良かった)。

シリアからの難民を受け入れたら、沢山シリアから人が来るような気がする(そんなに来ない)。難民が来たら国内が混乱するような気がする(対策すれば問題ないし、混乱するほど来ない)。

SEALDsのコールで「屁理屈言うな!」というのがあって、僕はあれが嫌いだった。察するに、彼らは学生だから、そう言われることが多いのだろう。僕も20代の頃は、ちゃんと理屈をこねているつもりでも「屁理屈」として処理されてしまうことが多くて憤ったものだ。

しかし、屁理屈は「屁」が付いても一応「理屈」である。安倍首相は、せめて屁理屈ぐらい言ってくれよと思うのである。

昨日のエントリ(8月30日の国会議事堂前デモに行ってきた(その1))の続編を書いていたら、大変なことに気づいた。今日31日じゃないか。このブログは、月の最後の日は「今月の総括」と決まっている。

というわけで、先に8月の総括。

今年の夏休みは、諸般の事情により海外旅行に行かなかった。海外どころか、一泊で草津に行った以外、ほとんど家を離れることさえなかった。おかげで予定していた「夏休みの宿題」をかなり消化することができた。

その夏休みの宿題の一つが、デジカメで撮った写真をクラウドにコピーするというものだった。僕はデジカメで撮った写真をNASに保存しているのだが、これをすべてGooglePhotosにアップロードした。

GooglePhotosは一定の圧縮をかけると(これはGoogleが勝手にやってくれる)、どれだけ保存しても無料である。実際にやってみると、元の写真と大して違いがないので、これにした。

とんでもない枚数なので、なかなか手間のいる仕事だったが、なにしろ10年前からの写真である。記憶の中で最近だと思っていたのが以外に前だったり、その逆だったり、何で撮ったのかよく分からないものが含まれていてなかなか楽しい。

紙にプリントされた写真を整理する時と違って、思い出に浸って一つの写真を延々眺めてしまうこともない。これは不思議な現象である。タイムスタンプで最初から整理されているので、記憶を蘇らせるのが楽なのかもしれない。

10年前といえば、僕はまだ銀塩カメラ(フィルムを入れるやつ)を中心に使っていて、デジタル写真は少ない。そんな中から、「何でこんなのを撮ったんだろう?」というのを一枚だけ紹介する。場所は中国、浙江省の杭州市なんだけど、どこの寺だかよく覚えていない。
鐘男

ゴーン。

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