カテゴリ: 注釈講座

しばらくのご無沙汰でした(エントリは書いていたけど)。注釈講座って何だ?って方は、カテゴリ注釈講座をどうぞ。忘れられていそうなので。

いよいよ語釈に入ります。語釈とは、本文の言葉に注釈をつけることです。それではどの言葉につければいいのでしょうか。

これには、特に決まりがあるわけではありません、原則的に本文の読みに影響を与えるものには付けなければなりません。

その点で付けるべき語は、次の四つになるでしょう。

1.固有名詞(人名・地名など)
2.解釈・説の分かれる語
3.難解な語
4.校訂の際に底本に問題のあった語

語釈は先行の注釈書があれば、それを参照して、どこにどんな注がつけられているか見ておくと、問題点が明らかになります。

注釈をする場合に使用するものは、

1.他の注釈書
2.工具書(辞書など)
3.一次資料

です。調べる順番も1から順に調べます。もし、その語について書かれた論文があれば、それも参照する必要があります。

ここで大事なことは、先行の注釈書にしても、辞書・辞典などにしても、一つの文献で意味だけを調べて、そのままうのみにしないということです。

たとえば、大学の授業などでは、まず『日本国語大辞典(小学館)』に当たれなどと教わります。『日本国語大辞典』は現代語・古語のみならず方言まで収録した、現在最大の収録語彙をほこる国語辞典ですから、これにあたるのは基本中の基本です。

しかし『日本国語大辞典』が権威ある辞書で、そこに書いてある意味が絶対的に正しいという意味ではありません。単に最も沢山の語彙を載せている辞書だから、とりあえず最初にそれを引けという意味です。

古語の意味は、何らかの本文に現れる言葉から帰納的に意味が解釈されたものです。逆に言うと、古典の作者が辞典を読んで書いたのではありません。ですから、どの辞典だから絶対的に正しいというものは存在ないのです(これは現代語でも同じですが)。

辞書によって書かれている言葉の意味が違うこともしばしばあります。たとえば『日本国語大辞典』に書かれている意味と『旺文社古語辞典』に書かれている言葉の意味がちがったとしても、『日本国語大辞典』の方が正しいということにはなりません。

辞書で重要なのは、意味よりも用例です。辞書を使うのがうまい人ほど、そういうレファレンス的な使い方をします。

解釈のために辞書を引くときには、そこに書いてある意味だけではなく、用例も読んで、なぜそういう意味になるか理解しなければなりません。できるならば複数の辞書を引いて、解釈の違いを調べるべきでしょう。もちろん、どの辞書を引いても同じ解釈・用例しかない場合もあります。

逆に言えば、探している語彙が載っていて、しっかりした用例があれば、辞書に関しては、どんな辞書でもかまわないということになります。
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どんな本文でも、私たちが活字として目にするものは、かならず校訂の手が入っています。それは近代文学でも例外ではありません。

しかし、古典文学と近代文学では方法が違います。古典とは本文の流布の仕方が違うからです。

ほとんどの近代文学作品は、作者によって原稿用紙などに書かれ雑誌などに活字として発表されます。その後、単行本にまとめられます。さらに、別の単行本に入ったり、文庫本化されることもあります。つまり、特殊な場合をのぞいて、原稿は印刷されるのを前提で書かれるわけです。

そこで、何を底本にするかが問題になります。作者が生きている以上、原稿、雑誌、単行本それぞれの時点で作者の手が入る可能性があります。もちろん古典でもそういうことがないとはいえませんが(余談ですが、これが異本ができる理由の一つとなっています)、近代文学の方がはるかにそうなる可能性が高いでしょう。校訂よりも、底本の選定が重要になってくるわけです。

原稿は当然、作者が書いたものです。遺稿でもない限り、それが雑誌に載る前に作者自身の手が入ります。その後、さらに手が入るかどうかは作者によって違います。例えば、芥川龍之介などは、版を重ねるたびに細かく手直ししていたことが知られています。つまり、作者が生きているうちは、作品に作者自身の手が加えられる可能性があるのです。

逆に編集者の手が入る可能性もあります。編集者が勝手に手をいれたり、書き直してしまうこともないとはいえません。

岩波書店から1993年から刊行された『漱石全集』は、できるかぎり夏目漱石の自筆原稿を底本にしていることがウリです。

自筆原稿を底本にした背景には、自筆原稿だけが作者自身によるもっともピュアな本文だという思想があるからだと思います。これは間違っていません。自筆原稿なら、筆跡の違いで第三者の書き込みがあればすぐに分かります。

しかし、これでは刊行後の作者自身による手直しを無視しています。それに編集者による改変があったとしても、作者自身がそちらのほうがいいと思っていたとしたら、それは作者の本文といってもいいのではないでしょうか。仮に漱石が生きていたとしたら、自筆本を底本にすることをどう思うでしょうか。

自筆原稿は研究者にとって、非常に魅力的な資料です。しかし、それをそのまま写真版にして印刷するならともかく、それを底本に校訂本文をつくるのは疑問が残ります。

もうひとつ、近代文学の校訂の問題に、漢字・仮名遣いの変更があります。

近代文学作品を読む場合、全集や初版本で読むという人もいると思いますが、一般的には文庫本で読むことが多いと思います。ほとんどの場合、これらは新漢字、現代仮名遣いに直してあります。

ところが、近代文学作品でも、戦前の作品は、すべて旧漢字、歴史的仮名遣いで書かれていました。

これは機械的に漢字・仮名遣いを置き変えているだけですから、厳密には校訂とはいえないかもしれません。しかし、表記がかわるだけでずいぶん雰囲気がかわります。

新漢字、現代仮名遣いの文庫本で読んでいたときは現代的な印象をもっていた昭和初期の小説が、旧漢字、歴史的仮名遣いの初版本で読んだら、急におじいさんの文章に見えてきたなんてこともあります。

印象だけでなく、新漢字によって解釈が変わってしまう例もないわけではありません。例えば、「芸」は現在「藝」の新字体として採用されていますが、本来は意味の違う全く別の字です。こういう例はそれほど多くはありませんが、漢字の持つイメージは読者に強く作用します。

まあ、こんなことを考えていたら、読めるものも読めなくなってしまうのですが、古典文学であれ、近代文学であれ、本文は決して作者が書いたもの、そのものではないということは、理解いただけると思います。
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翻刻した本文は、現代人にとって読みやすいといえるものではありません。また、誤字や脱字、虫食いなどがあって本文が完全でない場合もあります。これらを、他の伝本と対照するなどして、補完、補正して本文を作ることを本文校訂といいます。

ちなみに、「本文」という言葉は一般的に「ホンブン」と読まれることが多いですが、テキストを指す場合は「ホンモン」と読みます。ですから、本文校訂は「ホンモンコウテイ」です。

まず、校訂の方針を決める必要があります。例えば、学術的な用途ならば、なるべく底本に忠実な校訂にします。読みやすさを追求するなら、漢字や仮名遣いの訂正もする必要があるでしょう。

ここでは、できるかぎり読みやすい本文、つまり高校の古文の教科書のような本文にするという方針で校訂してみます。

最初に、虫食いなどで読めない部分を他の本で補います。今回の例では若干虫損が見られますが、読めないほどのものはないので、この作業は不要です。

また、写し間違いなどで、意味のわかりにくい言葉を、別の本から入れかえる場合もあります。しかし、これは安易にすべきではありません。別の本を書き写した人が勝手に訂正した可能性もあるからです。

1 これも今は昔、伴大納言善男は佐渡国郡司が従者也。彼
2 国にて善男夢にみるやう、西大寺と東大寺とをまたげて
3 立たりとみて、妻の女にこのよしをかたる。めのいはく「そこのまたこそ、さかれん
4 ずらめ」とあはするに、善男、おどろきて「よしなき事を語てける
5 かな」とおそれ思て、しうの郡司が家へ行むかふ所に、郡司、きはめ
6 たる相人也けるが、日来はさもせぬに、事の外に饗応して、わら
7 うだとりいで、むかひてめしのぼせければ、善男、あやしみをなして、
8 我をすかしのぼせて、妻のいひつるやうにまたなどさかんずるやらんと
9 恐思程に、郡司がいはく「汝、やむごとなき高相の夢みてけり。それに、
10 よしなき人にかたりてけり。かならず大位にはいたるとも、事
11 いできて罪をかぶらんぞ」といふ。然あひだ、善男、縁につきて京上して
12 大納言にいたる。されども、猶罪をかぶる。郡司がことばにたがはず。

そのように校訂した本文に(この場合何もしてないけど)、句読点と鉤括弧、濁点を補いました。これでかなり読みやすくなったと思います。なお、ここでは左側に便宜的に行番号を付しました。

ここで気をつけなければならないことは、句読点や濁点のつけ方いかんによっては、解釈が変わってしまうということです。

たとえば、5行目「しうの郡司が家へ行むかふ所に」は「しうの郡司が家へ行(く)。むかふ所に・・・」と分けて読むこともできなくはありません(ちょっと無理があるけど)。ここに句点を置くか置かないかで後の解釈が変わってきます。

濁点によって解釈が変わるのは「はは」も「ばば」も「はば」もすべて「はは」という表記になることから理解できるしょう。これらは文脈などによって判断します。

底本に忠実な本文が要求される、学術的な校訂ならばこれで終了でもいいでしょう。しかし、ここでは、「高校の教科書みたいな本文」を目指しています。

この場合、まず気になるのが、表記の不統一です。例えば、3行目は「妻の女」とあったあと、「めのいはく」となっています。「妻=め」ですので、「妻のいはく」と統一した方が読みやくすなります。また、1行目「従者也」の「也」は読めなくはないですが、付属語なので「なり」に直した方がよいでしょう。それ以外にも、「また(股)」や「みる(見る)」など、現代では当然漢字で書かれているところも、仮名になっていますので、そこも直してみます。他に漢字表記では6行目「日来」も気になります。これは「ひごろ」と読みますが、現在では「日頃」か「日ごろ」でしょう。

もう一つ気になるのが、送り仮名です。3行目「立たり」は現行の送り仮名だと「立ちたり」です。9行目「恐思程に」にいたっては、ちょっと心得がなければ読めません。「恐れ思ふほどに」に直します。ついでに、段落も設けてみます。

今回は出てきませんでしたが、『宇治拾遺物語』のような中世の作品になると、いわゆる歴史的仮名遣いと違った仮名遣いも増えてきます。読み易い本文を目指すならば、それらも訂正しなければなりません。

これも今は昔、伴大納言善男は佐渡国郡司が従者なり。
彼の国にて善男夢に見るやう、西大寺と東大寺とをまたげて立ちたりとみて、妻の女にこのよしを語る。妻のいはく「そこの股こそ、裂かれんずらめ」と合はするに、善男、驚きて「よしなき事を語りてけるかな」と恐れ思ひて、主の郡司が家へ行きむかふ所に、郡司、きはめたる相人なりけるが、日ごろはさもせぬに、ことの外に饗応して、わらうだとりいで、向かひて召しのぼせければ、善男、怪しみをなして、我をすかしのぼせて、妻の言ひつるやうに股などさかんずるやらんと恐れ思ふほどに、郡司がいはく「汝、やむごとなき高相の夢みてけり。それに、よしなき人に語りてけり。必ず大位には至るとも、事出できて罪をかぶらんぞ」といふ。
しかるあひだ、善男、縁につきて京上りして大納言に至る。されども、なほ罪をかぶる。郡司が言葉にたがはず。

これで私たちが一般的に見るような、古典の本文になりました。

さて、これで本文づくりはとりあえず終ったわけですが、写本の状態から見ると、ずいぶん趣が変っていることが分かると思います。

校訂には校訂者の思想があり、解釈があります。古典の本文は、それらによって、多かれ少なかれ変ってきます。いずれにしても、古典の本文に校訂者の意志が大きくかかわっているということは言えると思います。
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まず、底本に決定した、陽明文庫本『宇治拾遺物語』の影印をご覧ください。第4話「伴大納言事」の部分です。なお、画像をクリックすると大きな画像が見られます。
伴大納言事
このように、筆で書き写された本のことを写本といいます。

一見すると、ところどころ読める字があるものの、何が書いてあるか分からないと思います。これは変体仮名という仮名が使われているからです。

平仮名は、漢字の草書体をさらに崩して出来ました。たとえば、「あ」は「安」から出来ました。現在は「あ」は「安」の崩しから出来たものだけが使われていますが、昔は「阿」「亜」などを崩した「あ」があったのです。

この影印の一行目は次のように書かれています。

これも今は昔伴大納言善男は佐渡国軍司か従者也彼


「これも」の「こ」は「古」を崩した変体仮名です。「れも」は現在使われている仮名と同じ。「今」は漢字の行書、「は」は「盤」を崩した変体仮名です。

このように、写本は現在使われている仮名と変体仮名、漢字がごちゃまぜに使われています。どこにどの字を使うというルールはなく、恣意的に使われていますので、とにかく覚えるしかありません。

そこで、これを漢字は楷書に直し、仮名は現行の仮名に直してみます。これを翻刻(ほんこく)といいます。なお、改行は陽明文庫本のとおりにしました。

これも今は昔伴大納言善男は佐渡国郡司か従者也彼
国にて善男夢にみるやう西大寺と東大寺とをまたけて
立たりとみて妻の女にこのよしをかたるめのいはくそこのまたこそさかれん
すらめとあはするに善男おとろきてよしなき事を語てける
かなとおそれ思てしうの郡司か家へ行むかふ所に郡司きはめ
たる相人也けるか日来はさもせぬに事の外に饗応してわら
うたとりいてむかひてめしのほせけれは善男あやしみをなして
我をすかしのほせて妻のいひつるやうにまたなとさかんするやらんと
恐思程に郡司かいはく汝やむことなき高相の夢みてけりそれに
よしなき人にかたりてけりかならす大位にはいたるとも事
いてきて罪をかふらんそといふ然あひた善男縁につきて京上して
大納言にいたるされとも猶罪をかふる郡司かことはにたかはす


いかがでしょうか。だいぶ読みやすくなりましたが、これではとても読みやすい文章とはいえないでしょう。どこで文が切れるのかすら分かりません。

写本には句読点も濁点も半濁点もないのです。段落や鍵括弧もありません。昔の読者は、それらがなくても読めたのです。

誤解のないように書いておきますと、昔は文の切れ目がなかったとか、濁音がなかったというのではありません。そういう概念がなかったのです。

句読点や濁点、鍵括弧を補って読むことは、解釈をすることです。翻刻は解釈以前の機械的にできる唯一の作業となります(厳密には紛らわしい字などを解釈して翻刻しています)。
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注釈をするために最初に必要になるのが本文(テキスト)です。あたりまえですが、本文を後回しにすることはできません。大学の授業などでは、決まった教科書があって、それに基づいて注釈を付けていくことがありますが、今回は本文作りからやってみます。

まず、底本(ていほん)を決めなければなりません。底本とは、注釈の本文のもとになる本のことです。

古典文学は書き写しなどによって伝えられてきました。この中で現代まで伝わった本のことを伝本といいます。

現在のコピーとは違い、書き写しというのは不正確なものです。必ず、写し間違いや、脱字がおこります。また、写した人によって、意図的に書き換えられてしまう場合もあります。虫に食べられてしまったり、本が汚れたり破れたりしたものを書き写している場合もあります。その結果、たいていの古典文学作品では、同じ作品でも異同のあるいくつもの伝本があります。

これらを諸本(しょほん)といい、なかでも内容の違いが著しいものを異本(いほん)と言います。

本文を作る場合、諸本の中から最も良い物を選ぶ必要があります。良い本とは、簡単にいうと、原作者が書いた内容に最も近い本です。さらに、誤字・脱字・欠損の少ない本であればなおよいでしょう。

ですから、原作者が書いた本が現存している場合は無条件にそれが底本になります。また、伝本が一つしかない場合(孤本といいます)もそれを底本にするしかありません。

しかし、そういうことは滅多にありません。『宇治拾遺物語』の場合もいくつもの諸本があります。

これらの諸本を比較、検討して最も良いものを選べばいいのですが、なにしろ日本全国、いや下手をすると世界中にちらばっている諸本を比較検討しなければならないのですから、大変なスキルと時間がかかります。『宇治拾遺物語』の場合、先行研究があるので、それを参考にします。

先行研究によると、『宇治拾遺物語』の場合、諸本は大きく分けて、流布本系と古本系に分けられ、古本系の方が流布本系よりも古い本文を持っているとされます。その古本系の中でも特に古い形態を持っているとされるものは、

陽明文庫本
伊達本
宮内庁書陵部本
龍門文庫本

の4つです。この中から底本を探せばよいということになります。

また、この4つの諸本には、それぞれにどの本がどの本を書き写したという親子関係は認められず、どれもそれほど違いはないようです。

ちなみに、新日本古典文学大系(岩波書店)は陽明文庫本、新編日本古典文学全集(小学館)・新潮日本古典集成(新潮社)は宮内庁書陵部本を底本にしています。

幸い、これらはすべて写真版で刊行(これを影印本という)されていて、入手はそれほど難しくありません。ここはとりあえず、新日本古典文学大系の底本にも採用されている陽明文庫本を底本にすることにします。
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古典文学の研究は、注釈に始まり、注釈に終わるといっても過言ではありません。大学の国文学科(日本文学科)では、これでもかというくらい注釈をやります。

ここでは、実際に注釈を作ることにより、注釈がどのように作られるか解説します。

注釈は次の三つのパートからなります。

1.本文
 言うまでもなく、古典の本文そのもの。テキストともいいます。

2.通釈
 いわゆる現代語訳。市販の注釈書には、これがない場合もあります。

3.語釈
 本文にでてくる言葉の解釈。

一般に売られている注釈書には、これ以外にも、鑑賞や補注などの項目があることがあります。いずれにしても、注釈とは本文の読解を助けるものです。

そして、注釈は次のような工程で作られます。

1.底本の選定
2.底本の翻刻
3.本文校訂
4.語釈
5.通釈

1から3までが本文作り、あとは語釈と通釈です。なお、4と5は逆にする人もいるかもしれません。

ここでは、上の1〜5の工程に従って『宇治拾遺物語』の第4話「伴大納言事」の注釈を作ってみます。
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