カテゴリ: 映画・DVD

先日、あまりに暑いので、久しぶりに映画館でも行こうと思った。こういう時は、とりあえず一番近い名画座目黒シネマをチェックする。大友克洋特集で『AKIRA』と『老人Z』の二本立てだった。

AKIRAは何回か観ているからまあいい。『老人Z』って何だ。観たことないのは言うまでもないが、そんなアニメは知らなかった。

Wikipediaで調べてみると、
『老人Z』(ろうじんゼット)は、日本のアニメ映画。高齢化社会などの老人問題をテーマに作成したSFアニメーション。1991年9月14日公開。
大友克洋と江口寿史がコンビを組み、メカニックデザインとキャラクターデザインを担当した。(老人Z:Wikipedia)
なんと、大友克洋と江口寿史!あまり食い合わせがよさそうな感じがしないけど、もうこれだけで見る価値はあるでしょ。というわけで目シネへGO!

高齢化社会を迎えた日本。介護士不足を解決するため、厚生省は商社と共同で全自動介護マシーン(Z-001号機)を開発する。最初のモニターとして主人公の晴子が介護する高沢老人が選ばれた。その後、晴子の学校のコンピューターへ、高沢老人の助けを求めるメッセージが来る。高沢老人を助けるため厚生省の施設へ侵入する晴子と友達。ところが、高沢老人の入っているZ-001号機は、実は軍事用ロボットの試作品で・・・。とまあ、ざっくり要約するとこんな感じ。

Z-001号機はいうまでもなく大友克洋のデザイン。そこにギャグ漫画っぽくデフォルメされた寝たきり老人がハマっている。もちろん、大友克洋なので、暴走したり、グニャグニャとした何かが飛び出したり、いろいろ爆発したりする。そこに絡む江口寿史的女子がいかにもバブル期っぽくって懐かしい。会話も行動も、男子の情けなさも、何もかもがあの時代だ。

介護問題は重いテーマだが、バブル期独特の軽妙洒脱な描き方である。今ならちょっと不謹慎に思われるかもしれないが、へんにお涙頂戴(ちょっとやってるけど)じゃないところがいい。大友克洋っぽいのか江口寿史っぽいのかよく分からない、意外なオチもついている。シリアスな内容を斜に構えるのがあの時代である。

いろいろ雑な部分もあるんだけど、なんだか観てて涙が出てきたよ。
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最近、『水滸伝』にはまっている。

実は、登場人物がやたらと多い長編ドラマが苦手だ。読んでいるうちに誰がだれやら分からなくなってしまう。だから、中世文学が専門なのに、『平家物語』も『太平記』も苦手。『水滸伝』は108人の好漢が梁山泊に集結する物語というではないか。108人!聞いただけで興味が失せる。

というわけで、今まで、まったく興味がなかったのだが、妻が2011年に中国で制作されたテレビドラマ『水滸伝』を何話か見て面白いというから見てみた。たしかに面白い。テレビドラマだと顔が見えるので、文章を読むよりも登場人物が覚えやすくていい。それでも108人+諸々の人々は多すぎるけど。
水滸伝公式サイト

この機会に原作(の翻訳)も並行して読んでいる。

原作と比べてみると、後半になると冗長な合戦が省略されるようだが、話の流れはだいたい原作と同じ。

改変部分の傾向としては、

・残酷すぎる描写はカットかマイルドになっている(けど、血はドバドバ出る)。
・妖術などの神秘的な描写がない(ので、道士の公孫勝先生の存在感が薄い)。
・原作でキャラが崩れたとき、修正しようとする(特に宋江がらみ)。

バトルシーンはワイヤーアクションを多用して、最近のカンフーアクションっぽくなっている。特に前半は一対一のバトルが多いので、カンフー映画にしか見えない。舞台となる市街地や山寨がやたらとリアルだが、山東省に壮大な宋代のセットを組んで撮ったそうだ。そして、なんといっても俳優が個性的でいい。

はまったのにはもう一つ理由がある。さすがにこれだけ中国に行っているので、かなり土地勘があったことだ。よく出てくる、山東省・河北省は自転車旅行で二回縦断し、ツアーで一回行っているので、たいがいの場所は分かる。

中国自転車旅行記(北京〜上海):やたがらすナビ

梁山泊のある梁山県は18年前、初めての自転車旅行で行った。梁山県はカッサカサに埃っぽく乾いていたので、梁山泊はもっと外れにあるのだろうと思っていたのだが、実際には黄河の流れが変わったので、沼沢がなくなったらしい。街のど真ん中に小さな山があって、小汚い子供が登って遊んでいたのをよく覚えている。これが梁山泊の山寨だったらしい。

もちろん、内容が面白いのが一番の理由だったりするのだが、それはいずれ気が向いたときにでも。なにしろ、やたらと長い作品なので。
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今月末、6年ぶりに中国へ行く。地震の直後に行った台湾も入れれば、5年ぶり。

それはともかく、中国の発展に反比例して、僕のポンコツ中国語はさらにポンコツになっている。発音の方はキアイで何とかするとして、問題は聞き取りである。旅行だから、そんなに難しい言葉が聞き取れる必要はないのだが、あらかじめ耳を慣らしておくとだいぶ違うのだ。

というわけで、耳慣らしのため、久しぶりにアニメ『喜羊羊与灰太狼』を見た。今はYoutubeにかなりアップされていて手軽に見られるのだが・・・。

僕が喜羊羊を知ったのは、2009年である。ホテルのベッドで横になりながら「なんじゃこのゆるいアニメは」と思って見ていたら、すでに流行っていた。

喜羊羊与灰太狼:2009年09月02日

昔は、ドラえもんだのポケモンだの、日本のアニメばっかりだったのだが、次第に喜羊羊の占める割合が増えていった。中国だけではない。ベトナムでは喜羊羊とドラえもんが勝手にコラボさせられて、ドラえ羊羊になってた。
どらえ羊羊

Wikipediaによると、喜羊羊シリーズは2005年から始まり、2009年までが第一部。このころの『喜羊羊与灰太狼』はこんな感じだった。

もう、なにもかもぬるい。キャラクターの造形も、ヌケた声のオープニングも、素人の作ったFLASHアニメみたいなアニメーションも、なにからなにまでぬるい。しかし、これが中国のチビッコにはウケた。中国産アニメは中国人も見ないという常識を、このアニメが破ったのである。

これが今やこうだ。

出てくるキャラクターは全然変わらないのに、音楽もCGも演出も、同じ作品とは思えない変貌ぶり。

前のオープニングはちょっと練習すれば歌えたが、これはもう僕のポンコツ中国語では無理。それどころか、日本語の歌詞が付いていてもちょっと歌えそうにない。かつて変な葉っぱに乗って仲良く丘を滑り降りていた羊羊たちは、わけの分からん汽車みたいなマシンに乗っている。たぶん村長(慢羊羊)の発明品だろうが、昔はしょうもないものばかり発明してたくせに、ちょっと見ない間にずいぶん進歩したものだ。

これが経済成長なのか?爆なのか?

さて、この最新シリーズ、「喜羊羊与灰太狼之嘻哈闖世界」というのだが、「嘻哈闖」が分からない。グーグル翻訳にかけてみたら、こんなの出ました。
ヒップホップブレイク

ごめん、ますます分かんない。
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ツタヤの更新のついでに、『ゴルゴ13』(佐藤純弥監督・1973年)のDVDを借りてきた。

この映画、原作者のさいとうたかをが乗り気でなく、「主役は高倉健で、全編海外ロケ、主役以外は全部外国人なら作ってもいい」とムチャを言えば諦めると思ったら、東映があっさり飲んでしまったのでできたというすごいシロモノである。なお、高倉健はゴルゴのモデルである。

とはいえ、ただでさえいろいろムチャなことをするので有名な劇画の実写化である。だいたいこういうのは失敗するのがお約束で、高倉健をモデルにしたキャラクターを高倉健にやらせるのも、筋が通っているといえば通っているが、ゴルゴと高倉健はどちらも別のキャラクターとして個性がありすぎるから逆効果なのではないか。どうせ、ヘンなものだろうとおもったのだが・・・これが思った以上に面白かった。

舞台はイランである。それも、テヘラン・イスファハン・ペルセポリスの三個所。砂漠の中を健さんは縦目のベンツで突っ走る。ペルセポリス遺跡での銃撃戦もかっこいい。役者は健さん以外全部イラン人。かなり実力のある人ばかりらしい。セリフはペルシャ語でしゃべっていて、それを日本の声優があてている。

イランで撮影など、今ではとても考えられないが、当時はパーレビ国王の時代で、今テレビで見るような宗教国家イランの風景とは全然違う。このころは世俗国家なので、昨年行ったトルコに似た、西欧的な雰囲気だ。この映像だけでも、かなり貴重なものではないだろうか。

この映画は基本的に健さんのアクションを見る映画である。だから、原作の『ゴルゴ13』よりもアクションシーンが多い。素手の格闘・銃撃戦はもちろんのこと、自動車はハデに炎上するし、地雷は爆発するし、ヘリコプターも墜落する。どこからどう見ても重そうな縦目ベンツのカーアクションはなかなか見ものである。どんだけ金かけてるんだか。

その分、ストーリーはちょっと薄味。某国の組織から、イランに潜伏する人身売買組織の頭目を暗殺せよという依頼が来て、ゴルゴがそれを遂行するだけ。頭目は例によって正体不明で、影武者が何人もいるのだが、それもわりと簡単に見破られてしまう。さいとうたかをはこの映画をあまり気に入らなかったらしいが、そのあたりが原因かもしれない。

ゴルゴ要素が無駄に多すぎるのも気になった。ゴルゴ要素とは、『ゴルゴ13』ファンならいくつも出てくるアレである。美女と意味なくアレするとか、後ろに立った人をいきなりアレするとか、天井から吊るされてアレとか・・・そこまでするなら健さんの白いアレ一丁も見たかった。

というわけで、ゴールデンウィークにいかがでしょう。


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『二十四の瞳』の岬の分教場に行った:2015年04月21日のつづき。

二十四の瞳映画村は岬の分教場だけでなく、集落そのものがセットとして残されている。
二十四の瞳映画村

集落はこんな感じ。一つ一つの建物は、セットそのままのもののほか、お土産物屋やレストランなどになっているものもある。
集落

菜の花畑。遠くに大石先生と子どもたちの銅像が見える。
大石先生と子供たち

これが銅像。
ジャンケンする子供たち

で、銅像の題名は、「せんせ あそぼ」らしいが、このプレート、よく見ると書いた人は、流行語大賞を取ったあの人だった。ブッチ、ブッチ、あんたの時代は良かった。冷めたピザとか言ってすみません。あのころは、総理大臣の悪口言ったぐらいで反日とか言う奴はいなかったよ。
小渕さん・・・

前回の分教場の近くに教員住宅がある。といっても、ほかの民家と変わらないのだが、部屋の中まで見られるのがみそ。
教員住宅

実は、ここに行くまで、『二十四の瞳』の映画はおろか原作も読んだことがなかった。なので、ここが大石先生の家だと思っていて、「若い女性の家にしてはなんだかじじむさいなぁ」と思っていたのだが、御存知の通り、大石先生は自転車で遠くから通っているのであって、こちらは引退間際の男先生の家である。

校舎と教員住宅の前は瀬戸内海。
教員住宅の前の海

小物として、いたるところにレトログッズが置いてある。写真の物は、唐箕・バカボン・大村崑。
唐箕・バカボン・大村崑

小豆島は醤油の醸造で有名で、最近「ひしお丼」なるものを名物として押しているらしい。ひしおは醤油のことだから、醤油が主役で、何を乗せるかは店によって違うらしい。映画村のひしお丼は「カリカリ豚ともろみのひしお丼」。雄々しくそそり立つキュウリがキュート。
ひしお丼

映画村の近くは、醤油の醸造所の密集地帯で、自動車で走っていて映画村が近づいてくると、次第に醤油の匂いがしてくる。醤油蔵は、なかなかフォトジェニックな建物が多かったのだが、雨が降ってきたのと、レンタカーを返却する時間が迫っていたので、写真を取ることができなかった。残念。
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春休みに、小豆島と金刀比羅宮、その他もろもろ香川県に行ってきた。で、今日は小豆島。

小豆島といえば、壺井栄『二十四の瞳』である。といっても、『二十四の瞳』に小豆島が舞台であるという記述はなく、壺井栄が小豆島出身であることと、「瀬戸内海べりの一寒村」が舞台となっていることから、映像化される際には、小豆島が舞台となっている。

『二十四の瞳』は二回映画化された。最初は1954年公開の木下惠介監督・脚本、高峰秀子主演のもの、二度目は1987年公開の朝間義隆監督・田中裕子主演の木下版のリメイクである。白状すると、僕はどちらも見ていない。

さて、木下惠介版の「岬の分教場」は、苗羽小学校田浦分校という実際の小学校で撮影された。これは現在でも残っていて公開されている。明治35年の木造建築で、昭和46年まで実際に小学校として使われていたそうだ。
岬の分教場(全体)


こちらが教室。木造校舎で学んだ経験がない上に、なにしろこういう仕事をしているので、あまり懐かしさは感じない。
教室1


1・2年生教室の机。びっくりするぐらい低い。そして綺麗。ここ重要。
一年生の机


こちらは56年生教室の机。
5・6年生の机

なぜ人は小学校高学年になると、机に穴を開けたりのこぎりで切ったりしたくなるのか。この机も、何度もゴルフ場になり、テストの解答用紙に穴を開けたことだろう。

もっとも、この机は一枚板だから、工作しやすかったはずだ。僕らの時代はすでに硬いメラミン樹脂化粧板の貼ってある合板だったから、かなり傷つけるのが難しかった。それでも、机をゴルフ場にしていたのだから、人間のカルマとは恐ろしいものだ。

柱に身長を計る目盛りが付いてた。
身長を計る柱

廊下に立たされてみた。こんなでかい小学生はイヤだ。
立たされてみた

こちらは本物の小学校だったのだが、後に作られたリメイク版では、セットとしてこれとそっくりの校舎が作られた。これは1キロ程度離れた、「二十四の瞳映画村」というところにある。

最初の写真と比べてもらえばわかると思うが、ほとんどレプリカである。違いは少し新しい(といっても30年経っているのだが)臭いがするのと、ガラスが波打っていないことぐらいだろうか。とはいえ、知らなければセットだとは思われないだろう。

一番の違いは立地で、ホンモノは集落の中にあるが、こちらは目の前(写真の右側)が海になっている。撮影用だけあって、フォトジェニックだ。採光もホンモノより良い。
岬の分教場セット(全体)

教室。ほとんど同じだが、ホンモノは3教室であるのに対し、こちらは2教室+職員室。
岬の分教場セット教室

廊下もほとんど同じ。
岬の分教場セット(廊下)

こちらがホンモノの廊下。同じ所で撮ったつもりが全然違った。
岬の分教場(廊下)

大石先生といえば自転車。ロッドブレーキが懐かしい。三角フレームではないのもポイント。大石先生がわざわざ通勤用に買ったから、女性用なのである。
自転車

二十四の瞳映画村は学校以外にも、教員住宅だの生徒の家だのがあって、なかなか面白い。次はそれをご紹介。
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アニメ『妖怪ウォッチ』に出てくる妖怪の多くは、子供に取り憑く妖怪ではなく、大人に取り憑く妖怪である。作中では主に子供が取り憑かれていて、子供に分かりやすいような行動をするが、この奇態な行動は、実は子供から見た大人のヘンな行動である。だから、大人が見ていても面白い。

例えば、「妖怪ムダヅカイ」という貝のごとき姿をした妖怪がいる。
ムダヅカイ

ケータ(主人公)、クマ、カンチの三人が、当日発売の雑誌を買いに、ショッピングセンターに行く。ところが、クマはなぜだかマグロ一匹を買ってしまい、雑誌が買えなくなる(雑誌代でマグロが買えるかというツッコミは無しの方向で)。続けて、カンチが数人同時に飲めるストロー(一抱えほど)とバカでかいトーテムポールを、ケータが3角に折る機械付きトイレットペーパー(しかも機械は買ってすぐに壊れる)を買い、三人ともお金が無くなってしまって、誰もお目当てのゴロゴロコミックが買えなくなる。

「これは妖怪の仕業に違いない」と、ケータ君が妖怪ウォッチで探したら出てきたのが、「妖怪ムダツカイ」である。バブル時代の人々の欲望が凝り固まってできた妖怪だそうだ。

僕はムダヅカイに取り憑かれた三人と全く同じ行動をする人を知っている。このブログでは僕とヨメに次いで登場回数の多い、葛的先生である。彼は、「何で今それを買うの?」というようなものを突然買う。

買った時、本人、満面の笑みなのだが、すぐに持て余すのがお約束で、ひどい時は買ってすぐに人にあげようとする。これが、物価の安い中国に行ったりすると、妖怪ムダヅカイの活動が活発になる。

2010年の自転車旅行で最初に買ったのがこれ。田舎の雑貨屋で買った竹製ヘルメット。モデルは僕だが、買ったのは葛的先生である。
ヘルメット

これはまあいい。自転車旅行だから、安全のためにも実用的でもある。しかし、次に買ったのが、よく分からない。ナゾの中国楽器。

田舎町を走っていて、いきなり自転車を止めたと思ったら、矢庭に開いているのかいないのかさえ怪しい、お祭り用楽器屋に入っていった。たぶん、あの瞬間に取り憑かれたのだろう。
お祭り用楽器屋

楽器を買ってご満悦の葛的先生。なお、葛的先生の許可を得ていないので、目伏せさせていただく。
ナゾの楽器1

2つ目はどう演奏したらいいかもよく分からない。
ナゾの楽器2

形でだいたい想像がつくと思うが、大変ショボイ音しかでない。「前からこれが欲しかったんだよー」とか言っていたが、本当だろうか?でも、まあでかい太鼓とかじゃなくってよかった。

この旅の最後に買ったのがこれ。
数珠を買ってポーズ

阿弥陀佛・・・

長いにも程がある数珠。数珠として使えないこともないが、一体いつ使うつもりだろうか。

買い方もひどい。店員さんが新品を出そうとすると、見本にぶら下がっている物の方が煤けていていいとか、糸が太いとか言って、見本を買おうとする。店員さんがしぶしぶ見本に架かっている数珠を外して渡すと、今度は、こちらは古いから安くしろと値切る。やっていることが無茶苦茶である。

数珠を買って、店員さんと撮った記念写真がこれ。
数珠を買ってご満悦


妖怪に取り憑かれてご満悦のオッサンと、ヘンな日本人に困惑する店員さんの表情が、目伏せをしていてもなんとなく分かる。

何でこんなものを買うのか理解できなかったが、妖怪のせいなのね、そうなのね。
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親戚のショータ君を鉄道マニアにしようという悪辣な計画が進んでいるが、仮面ライダーに続いて、またも強敵があらわれた。ちびっ子事情に詳しい人ならもうお分かりだろう。『妖怪ウォッチ』である。なにやらメダルを集めてじゃらじゃらさせている。入手難と言われるウォッチ本体も、どこからか手を回して入手したらしい。まだ見てないけど。

敵を倒すためには、敵の研究をするのが一番大事なことだ。というわけで、例のChromecastでアニメ『妖怪ウォッチ』を見てみた。

そもそも、僕はこの手のゲームと連動したアニメが好きではない。特にポケモンは大嫌いだ。

だいたい、モンスターに戦わせて、偉そうにカッコつけているのが気に食わない。カッコつけたきゃ自分で戦え。誰かに戦わせているということは、ポジション的には丹下段平である。丹下段平はブサイクだからいいのであって、カッコつけた丹下段平なんて見たくない。

人間も人間ならモンスターもモンスターだ。モンスターのくせに、人間の言うことを聞くんじゃない。サトシなんか頭からバリバリ食っちまえ。ついでにいうと、主人公の名前が僕と同じというのもイヤだ。

『妖怪ウォッチ』も、妖怪と友好関係を結び、別の妖怪を倒すために友好関係を結んだ妖怪を使うという流れ。どうせポケモンみたようなもんだろと思いながら、妖怪ウォッチを見た。まず、無料で見られるエピソード 1と2を見てみる・・・アレ?面白いじゃない。気がついたら、1本108円のを10本ほど見てた(もちろん一度に10回見たわけではない)。今では毎週金曜日6時半から欠かさず見ている。妖怪取りが妖怪になってしまった。

僕がポケモンを嫌う理由は『妖怪ウォッチ』ではことごとく避けられている。ポケモンのピカチューに当たるのはジバニャンだが、こいつはピカチューの尻尾ほどにも役に立たない。弱いのではない。ケータ君に呼び出されても「面倒くさいニャー」とか言って働かないのである。妖怪とケータ君の関係はあくまで友達だから、戦いたくない時もあるのだ。ジバニャンはそれが多すぎる気もするが、ネコだからしょうがない。猫の手を借りるのは最後の手段である。

そうこうしているうちに、ジバニャンは相手の妖怪に取り憑かれて、戦力外の役立たずになってしまうのがお約束で、別の妖怪が呼び出されて問題解決。ジバニャン、何のために出てきた。

妖怪たちとケータ君の関係もいい。『妖怪ウォッチ』の世界観では、世の中に起る事象はすべて妖怪のせいである。僕が、明日の一時間目から授業があるのに夜更ししているのも、仕事があるのにブログの記事を書いているのも、すべて妖怪のせいなのだ。

その妖怪を追い出すのは、説得か力ずくである。説得という選択肢があるのがいいし、力ずくといっても大した暴力はないので(基本的に暴力は出てこない)、非常に平和的だ。説得に成功し妖怪と友好関係を結ぶと、妖怪メダルがもらえ、妖怪をいつでも呼び出せるようになる。

『妖怪ウォッチ』には、オッサン・オバサンの心を刺激する、オッサンホイホイがたくさん仕掛けられている。昔のアニメや漫画、ドラマのパロディがそこかしこに出てくるのである。

例えば、ジバニャンはトラックに轢かれて死んだネコの地縛霊なのだが、それ故にリベンジするためにトラックに立ち向かう。その時、「僕は死にましぇーん」と叫び(寸止め事故業界の合言葉だそうだ)、必殺技「ひゃくれつ肉球」を繰り出すものの、必ずトラックに弾き飛ばされる。それぞれの出典はオッサンには言うまでもないだろう。

最初、このオッサンホイホイは、子供の親を釣るマーケティングのなせる技だと思っていたが、そうでもないようだ。先週放映された『給食のグルメ』では、ケータ君が井之頭五郎の顔になって、延々『孤独のグルメ』をやっていた。なんかオチがあるのかと思ったら、最後は『明日のジョー』よろしくケータ君が白く燃え尽きて終了。なんと『妖怪ウォッチ』なのに妖怪は一匹も出ない。こんなのちびっ子が喜ぶはずがないし、大人でも分からない人には分からないだろう。

『妖怪ウォッチ』は、景気のいい時代に見られた軽妙洒脱さがある。少し時代が変わってきたのかもしれない。
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天から声が聞こえてきた。

よっしゃ、分かった、難癖つけちゃろう・・・と思ったのだが、まず「ばらかもん」が何だか分からない。検索してみた。漫画らしい。『ドラえもん』とか『もやしもん』の親戚筋だろうか。
ばらかもん:Wikipedia
作者の出身・居住地である長崎県・五島列島を舞台に、都会育ちの書道家と島民の交流を描く。
表題の「ばらかもん」は、五島列島方言で「元気者」の意。
ヨシノサツキの漫画短編集『みしかか! ヨシノサツキ短編集』収録の読切作品にて、高校生となった美和とタマが登場している。
2013年9月にアニメ化が発表された[2]。2014年7月より放送中。

なるほど、「書道」のところをくさせばいいのだな。把握した。

というわけで、GooglePlayでアニメの第一話だけ無料で見られるので、例のChromecastで見た。公式サイトはこちら。
ばらかもん

最初に言っておくと、第一話を見た限り、難癖を付ける要素がほとんどない。

第一話は、主人公の若い書家半田清舟が、公募展のパーティーと思しき場で、いきなり御大を殴りつけるシーンから始まる。御大は美術館の館長で、書道界の重鎮という設定らしい。

実際の書道界の重鎮は、文鎮にもならんような退屈な奴が多いのだが、この重鎮、なかなかいいことを言う。いわく「君の作品は基本に忠実なだけでちっとも面白くない」と(セリフうろおぼえ)。本当にこんな重鎮がいれば、書道界ももう少しまともになったことだろう。
重鎮と半田先生の作品

重鎮の後ろには半田先生の作品らしきものがある。なるほど公募展に入賞しそうな作品である。こりゃ毎日系ですな。たぶん。

重鎮に批判され、プライドが傷ついた半田先生、ついカッとなって「基本に忠実で何が悪い!」と重鎮をグーでパンチ。重鎮、重鎮のくせに軽く吹っ飛ぶ。現実では、公募展に出すような人は、御大をグーでパンチできるような人はいない。グーどころか、重鎮には批判一つ言えないのが普通だ。そんな奴がいれば、書道界ももう少しまともになったことだろう。それ以前にパンチしたら傷害罪だけど。

それが元で、半田先生は父親(これも書家)の手により、五島列島のある島に島流しになる。そこで、現地の人々との交流の中、少しずつ重鎮の言葉の意味が分かるようになっていく・・・。というような流れ。

ついでに昨日、第5話も見た。東京では土曜日深夜AM2:20から。むちゃくちゃな時間である。

こちらは、書道的には展覧会の結果に異常にこだわる半田先生がポイント。学校で出された課題のアドバイスを求める女子中学生相手に、「絶対に大賞を取らせる!(セリフうろおぼえ)」と息巻いてしごく先生と、そんなのどうでもいい中学生の温度差がいい。なんかこう、「あるある感」がありますな。

書壇に染まりきった若い書道家が、島の人々と環境の中から何を見出すか、ってところがこの作品のテーマだろう。なかなかいいところに目をつけたと思う。さりげなく公募展批判になっているのもいい。

アニメとしては、もう一人の主人公、島の小学生、琴石なるがすごくかわいい。これだけで見る価値はある。声優は本物の小学生だそうだ。すげえな子役。
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『ビン・ラディンを探せ! スパーロックがテロ最前線に突撃!』を見た。

監督のモーガン・スパーロックは、『スーパーサイズ・ミー』で30日間、マクドナルドの食品だけを食べ続けてどうなるかを試すという、文字通り体を張ったドキュメンタリーで知られている。『ビン・ラディンを探せ!』では、ビン・ラディンを探しに(この映画は2008年公開)、世界中の「ヤバイ地域」を旅する。

彼がビン・ラディンを探すのは、まだ生まれていない、自分の子供の未来を脅かす存在を排除するためである。そのために、父スパーロックは、体を鍛え、護身術を学び、語学を学んで、宿敵ビン・ラディンを探しに世界を旅する。

ビン・ラディンが「子供の将来を脅かす存在」だというのは、当時のアメリカ人にとっては共通の感覚だったのだろう。それを排除するために戦争するのは、アメリカの大義名分だった。「子供の未来のためにビン・ラディンを探す」というのは、一見ジョークに見えるが、それを確認する意味がある。

そして、スパーロックは、妊娠中の妻を置いて、ビン・ラディンを探す旅に出かける。行き先はエジプト・モロッコ・イスラエル・サウジアラビア・アフガニスタン・パキスタンである。これらの地で、ビン・ラディンはどこにいるか、アメリカをどう思うかを現地の人々にインタビューして回る。そこに住んでいるのはいうまでもなくイスラム圏の人々であり、アメリカ人の目からみて「危険な国」の人々である。

そこに住んでいる人たちがどういう状況に置かれているか、何を考えているかは、僕には上手くまとめられないので、是非この映画を見てほしい。

最後、スパーロックはパキスタンに行き着くが、ビン・ラディン探しをやめる。この三年後、ビン・ラディンはパキスタンで殺害されるので、もう少しのところまで追い詰めていたのだ。

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