カテゴリ: 映画・DVD

夏休みに入り、ヒマなので実写版『はたらく細胞』をNetflix観ました。

原作漫画は読んでいませんが、アニメの方は1期・2期・BLACKと全部観ていたので、だいたいの流れは知っています。しかし、どう考えても実写で面白くなりそうな作品とは思えません。どんなコケ方をするか楽しみにした観ました。先に言っておきますが、ぜんぜんコケてませんでした。

『はたらく細胞』は、病気や怪我など人体で起こるトラブルを、細胞たちの働きにより解決するというのが基本的な展開になります。登場人物は擬人化された細胞たちで、主人公は赤血球と白血球(好中球)です。もし治らなかったら人間も細胞もまとめてみんな死んじゃうんですから、ハッピーエンドは約束されています。

この実写版には擬人化された細胞の他、アニメ版には出てこない「人間」そのものが登場します。それぞれ、父親(アベサダヲ)の体内がアニメのBLACK(不摂生な人)、娘(芦田愛菜)が本編(健康な人)になります。父親はトラックドライバーで娘は医学部を目指す高校生、母親はすでに病気で亡くなっています。

体内の描写はアニメとは全く違います。アニメでは宇宙船エンタープライズ号の中みたいな描写でしたが、実写版では、父親は昭和の汚い路地裏風、娘はディズニーランド風です。アニメの印象とは違いますが、年齢と環境の良し悪しが描けていて、これはこれで面白いと思います。

アニメ版の本編とBLACKはテーマが同じだけで全く別の作品ですから、本体の人間がお互いに関わることはありません。しかし、実写版は親子ですからちゃんと関わります。この関わらせ方が秀逸で、これによってオムニバスだったアニメ版を一編の映画にまとめています。監督は誰かと思ったら『翔んで埼玉』の人でした。この人、マンガの実写化むちゃくちゃうまいですね。

これ以上書くとネタバレになってしまいますので、ここからはよくわからんように書きます。それも見たくない人のために、「続きを見る」にしておきましょう。
続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加

アニメ『葬送のフリーレン』を観た。ついでに原作漫画もちょっと(あくまでちょっと)読んでみた。

葬送のフリーレン

舞台はどこの国でも時代でもない、ちょっと雑な設定のファンタジー世界。登場人物は全員低血圧で、よく分からない旅やバトルをする。だから、これがつまらないと感じるのは理解できる。

では雰囲気だけの作品かというとそうではない。これは解釈を必要とする作品である。低血圧な登場人物のセリフと行動からその意味を読み取ることができれば感動できる。『葬送のフリーレン』みたいな作品の評価が高いのは、まだまだ捨てたもんじゃないなと思った。

この作品は人間関係、とりわけ師弟関係の描写がいい。ファンタジー世界の旅をするのは、エルフのフリーレン、人間のフェルンとシュタルクの三人(一時的にザインが加わり四人になる)。このうちフリーレンとフェルンは魔法使いとしての師弟関係で、シュタルクはかつてフリーレンの仲間だったアイゼンの戦士としての弟子である。

設定上重要なのはエルフの寿命は千年以上あるということだ。つまり、フリーレンの10年20年は人間の1・2年にしか当たらない短い時間ということになる。ある課題にたいし半年以上かけるフリーレンにたいして、フェルンが不満を述べるシーンがある。そこからフリーレンはエルフと人間の時間の違いに気づくようになる。

しかし、これは何も10倍以上の寿命差があるエルフと人間に限ったことではなく、実際の人間同士の師弟関係でもよくあることである。一日でも早く一人前になりたい弟子にとって、師匠は千年以上生きるフリーレンも同然なのだ。逆に師匠は一人前になるには時間がかかることが分かっている。なるべく時間をかけて自分の知識や技術を伝授したいと思うものだ。

これに気づかず、弟子を飼い殺しにしてしまう人がいる。もちろん、どうしても時間をかけて修行しなきゃいけないこともある。しかし、弟子の時間は師匠の時間とは違うということを、師匠になる人は理解しなければならない。

これは師弟の年齢が近い時に起こりがちだ。この作品でもフリーレンとフェルンは年齢的には千歳ほど離れているが、見た目や言動はフリーレンの方が若く見えるのは、それを描いているのだろう。

アイゼンとシュタルクの師弟では、アイゼンはドワーフで人間ほど短命ではないがエルフほど長命ではない。シュタルクを弟子にしたときに、アイゼンはすでに一戦を退いている。見た目もそうだが、師弟に年齢差がある場合に似ている。

アイゼンは成長したシュタルクを追い出してしまうが、シュタルクは追い出されたのではなく自分が師匠のもとから逃げたと思っている。アイゼンからすればシュタルクはもう一人で成長できる実力があると思っているから追い出したのだが、シュタルクからすれば未熟なまま師匠のもとを逃げたことになる。だからシュタルクには自信がない。しかし、シュタルクは師匠のアイゼンが死ぬ前に、自分が一人前になったところを見せたいと思っている。

『葬送のフリーレン』では、ほかにもフランメ(人間・魔法使い)とフリーレン(エルフ・魔法使い)、ハイター(人間・僧侶)とフェルン(人間・魔法使い)など、いろいろな形の師弟関係が出てくる。これがいちいち既視感があるのだ。

師匠になったことがないので師匠の心理は分からないが、弟子の心理は分かる。僕の場合はアイゼンとシュタルクの関係に近かった。残念ながら僕は師匠が死ぬ前に一人前になれなかったけど。
このエントリーをはてなブックマークに追加

というわけで(西遊記ブームの時代)Amazon Prime Videoで『飛べ孫悟空』を見た。ドリフターズのメンバーが人形劇で出てくるアレである。

『飛べ孫悟空』:Amazon Prime Video

これはすごい!もしかしたら今の若い人が見たら面白くないかもしれない。でもすごさは伝わるんじゃないだろうか。

『飛べ孫悟空』は『西遊記』を元ネタにした人形劇である。当然、三蔵法師御一行が主役なのだが、問題はドリフのメンバーが5人だというこだ。まず、玄奘がいかりや長介なのはいうまでもない。猪八戒が高木ブーなのも決まり。沙悟浄が仲本工事も順当だろう。ここまでは自動的に決まる。

問題は孫悟空。人気だった加藤茶・志村けんのいずれかということになるが、どちらかが悟空だともう一人は馬の玉竜ということになる。加藤茶や志村けんが馬なんて「役不足」の用例に使えるぐらい役不足だ。しかも当時のドリフには、奇声を上げさせたら日本一、6人目のメンバーともいわれたすわしんじがいる。役不足以前に玉竜(『飛べ孫悟空』での役名は「うま」)も埋まってしまった。

そこで、『飛べ孫悟空』ではオリジナルキャラ「カト」を作った。加藤茶演じるハゲズラで酔っ払ったオッサンのアレである。紹興酒の瓶を持っていることだけが唯一中国っぽい。

キャラクターがこうだから、ストーリーはもっとめちゃくちゃである。一応金角・銀角とか火焔山とか『西遊記』を翻案した話もあるのだが、ほとんどは全くのオリジナルで、いつの間にか天竺通り越して古代ギリシアに行っていたり(しかもなぜかピンクレディーがギリシアロケしている)、絶海の孤島に漂着したり、クリスマスにサンタクロースとコラボしたり、ここまでくれば清々しいほどのデタラメぶりだ。

しかし、キャラクターやストーリーはデタラメでも、通して見ると大真面目に作っているのが分かる。まず、これはよくできた人形劇であるだけでなく、本格的なミュージカルである。あらゆるジャンルの曲を替え歌にして、それが見事に場面にマッチしている。作り手に相当な音楽的教養とセンスがなければあれはできないだろう。

映像も同様で、人形がよくできているだけではなく、実写をまぜたり、凝ったセットを使ったり、特殊効果を使ったりして非常に手がこんでいる。

ゲストもやたらと豪華で当時活躍していた芸能人のほとんどが出ている。もちろん声優としての登場だが、なぜかアイドルだけは意味もなく実写で顔を出すのがお約束だ。なお、どんな人が出ているかは、Wikipediaの記事を見てほしい。
ヤンマーファミリーアワー 飛べ!孫悟空#ゲストの役名

他にも、「小島一慶このころからこういう芸風か」とか、「ピンクレディーいくらなんでも出過ぎだろ」とか、「トライアングル(最初はキャンディーズJrとクレジットされているが、途中キャンディーズファンの猛烈な反対にあい改名)意外とかわいいじゃないか」とか、「あのねのね(今回の都知事選に出た清水国明と原田伸郎のユニット)歌がくだらなさすぎて途中でリストラされてやんの」とか、「ニンニキニキニキってエンディングテーマじゃなかったんだ」とか、限りなく見どころがあるので、ぜひ74回通してご覧になることをオススメする。
このエントリーをはてなブックマークに追加

書道Iの授業で、比較的最初の方で扱う作品に褚遂良の『雁塔聖教序』がある。『雁塔聖教序』は唐の二代皇帝、太宗が玄奘の功績をたたえて書いた文を石碑にしたものである。玄奘とは『西遊記』でおなじみ三蔵法師のことだから、内容も説明しやすい・・・と思っていたのだが・・・。

いつのころからか、様子が変わってきた。聞いてみると『西遊記』を全く知らないらしい。そういう生徒はだんだん増えてきて、今ではほとんどの生徒が知らない。登場人物の名前だけ借りたドラゴンボールですら通じなくなっている。

日本で『西遊記』がドラマ化されたのは、2006年の香取慎吾さんが孫悟空をやったフジテレビ版が最後らしい。なんともう18年も前の話だ。もちろん、チャウ・シンチーの映画や諸星大二郎の漫画など、マニアックなものはなくはないが、誰でも見ている・読んでいるというものではない。そりゃ知らないのも道理である。

ここでちょっと話は変わるが、先日amazonプライムでドリフの『飛べ孫悟空』を見ていたら、堺正章が孫悟空を演じた日本テレビ版『西遊記』を指して「類似品にご注意ください」と言っているのを聞いてびっくりした。てっきり『飛べ孫悟空』よりずっと後だと思っていたのである。何と言っていたか忘れてしまったが『SF西遊記スタージンガー』までセリフに出てきた。記憶では『飛べ孫悟空』と日本テレビ版『西遊記』の間ぐらいだと思っていた。

そこで、これらの作品がいつ放映されたのかWikipediaで調べてみた。

  • 『飛べ孫悟空』  1977年10月11日〜1979年3月27日
  • 『スタージンガー』 1978年4月2日〜1979年6月24日
  • 日本テレビ『西遊記』 1978年10月1日〜1979年4月8日
  • 西遊記II(堺正章) 1979年11月11日 〜1980年5月4日
『飛べ孫悟空』が最初なのは合っていたが、これほど時期が重なっていたとは思わなかった。また、『飛べ孫悟空』がこんなに長くやっていたのも意外だった。たぶん、『飛べ孫悟空』に飽きたころ日本テレビ版が始まったので、見なくなってしまったのだろう。

どうやら1977年から80年までは西遊記ブームだったらしい。『西遊記』と称するものに触れまくっていた僕たちの世代が特殊だったのだ。これでは『西遊記』を知らない今の高校生をどうこういうことはできない。

でも、大まかな内容ぐらいは知っていてほしいよな〜。
このエントリーをはてなブックマークに追加

先日、あまりに暑いので、久しぶりに映画館でも行こうと思った。こういう時は、とりあえず一番近い名画座目黒シネマをチェックする。大友克洋特集で『AKIRA』と『老人Z』の二本立てだった。

AKIRAは何回か観ているからまあいい。『老人Z』って何だ。観たことないのは言うまでもないが、そんなアニメは知らなかった。

Wikipediaで調べてみると、
『老人Z』(ろうじんゼット)は、日本のアニメ映画。高齢化社会などの老人問題をテーマに作成したSFアニメーション。1991年9月14日公開。
大友克洋と江口寿史がコンビを組み、メカニックデザインとキャラクターデザインを担当した。(老人Z:Wikipedia)
なんと、大友克洋と江口寿史!あまり食い合わせがよさそうな感じがしないけど、もうこれだけで見る価値はあるでしょ。というわけで目シネへGO!

高齢化社会を迎えた日本。介護士不足を解決するため、厚生省は商社と共同で全自動介護マシーン(Z-001号機)を開発する。最初のモニターとして主人公の晴子が介護する高沢老人が選ばれた。その後、晴子の学校のコンピューターへ、高沢老人の助けを求めるメッセージが来る。高沢老人を助けるため厚生省の施設へ侵入する晴子と友達。ところが、高沢老人の入っているZ-001号機は、実は軍事用ロボットの試作品で・・・。とまあ、ざっくり要約するとこんな感じ。

Z-001号機はいうまでもなく大友克洋のデザイン。そこにギャグ漫画っぽくデフォルメされた寝たきり老人がハマっている。もちろん、大友克洋なので、暴走したり、グニャグニャとした何かが飛び出したり、いろいろ爆発したりする。そこに絡む江口寿史的女子がいかにもバブル期っぽくって懐かしい。会話も行動も、男子の情けなさも、何もかもがあの時代だ。

介護問題は重いテーマだが、バブル期独特の軽妙洒脱な描き方である。今ならちょっと不謹慎に思われるかもしれないが、へんにお涙頂戴(ちょっとやってるけど)じゃないところがいい。大友克洋っぽいのか江口寿史っぽいのかよく分からない、意外なオチもついている。シリアスな内容を斜に構えるのがあの時代である。

いろいろ雑な部分もあるんだけど、なんだか観てて涙が出てきたよ。
このエントリーをはてなブックマークに追加

最近、『水滸伝』にはまっている。

実は、登場人物がやたらと多い長編ドラマが苦手だ。読んでいるうちに誰がだれやら分からなくなってしまう。だから、中世文学が専門なのに、『平家物語』も『太平記』も苦手。『水滸伝』は108人の好漢が梁山泊に集結する物語というではないか。108人!聞いただけで興味が失せる。

というわけで、今まで、まったく興味がなかったのだが、妻が2011年に中国で制作されたテレビドラマ『水滸伝』を何話か見て面白いというから見てみた。たしかに面白い。テレビドラマだと顔が見えるので、文章を読むよりも登場人物が覚えやすくていい。それでも108人+諸々の人々は多すぎるけど。
水滸伝公式サイト

この機会に原作(の翻訳)も並行して読んでいる。

原作と比べてみると、後半になると冗長な合戦が省略されるようだが、話の流れはだいたい原作と同じ。

改変部分の傾向としては、

・残酷すぎる描写はカットかマイルドになっている(けど、血はドバドバ出る)。
・妖術などの神秘的な描写がない(ので、道士の公孫勝先生の存在感が薄い)。
・原作でキャラが崩れたとき、修正しようとする(特に宋江がらみ)。

バトルシーンはワイヤーアクションを多用して、最近のカンフーアクションっぽくなっている。特に前半は一対一のバトルが多いので、カンフー映画にしか見えない。舞台となる市街地や山寨がやたらとリアルだが、山東省に壮大な宋代のセットを組んで撮ったそうだ。そして、なんといっても俳優が個性的でいい。

はまったのにはもう一つ理由がある。さすがにこれだけ中国に行っているので、かなり土地勘があったことだ。よく出てくる、山東省・河北省は自転車旅行で二回縦断し、ツアーで一回行っているので、たいがいの場所は分かる。

中国自転車旅行記(北京〜上海):やたがらすナビ

梁山泊のある梁山県は18年前、初めての自転車旅行で行った。梁山県はカッサカサに埃っぽく乾いていたので、梁山泊はもっと外れにあるのだろうと思っていたのだが、実際には黄河の流れが変わったので、沼沢がなくなったらしい。街のど真ん中に小さな山があって、小汚い子供が登って遊んでいたのをよく覚えている。これが梁山泊の山寨だったらしい。

もちろん、内容が面白いのが一番の理由だったりするのだが、それはいずれ気が向いたときにでも。なにしろ、やたらと長い作品なので。
このエントリーをはてなブックマークに追加

今月末、6年ぶりに中国へ行く。地震の直後に行った台湾も入れれば、5年ぶり。

それはともかく、中国の発展に反比例して、僕のポンコツ中国語はさらにポンコツになっている。発音の方はキアイで何とかするとして、問題は聞き取りである。旅行だから、そんなに難しい言葉が聞き取れる必要はないのだが、あらかじめ耳を慣らしておくとだいぶ違うのだ。

というわけで、耳慣らしのため、久しぶりにアニメ『喜羊羊与灰太狼』を見た。今はYoutubeにかなりアップされていて手軽に見られるのだが・・・。

僕が喜羊羊を知ったのは、2009年である。ホテルのベッドで横になりながら「なんじゃこのゆるいアニメは」と思って見ていたら、すでに流行っていた。

喜羊羊与灰太狼:2009年09月02日

昔は、ドラえもんだのポケモンだの、日本のアニメばっかりだったのだが、次第に喜羊羊の占める割合が増えていった。中国だけではない。ベトナムでは喜羊羊とドラえもんが勝手にコラボさせられて、ドラえ羊羊になってた。
どらえ羊羊

Wikipediaによると、喜羊羊シリーズは2005年から始まり、2009年までが第一部。このころの『喜羊羊与灰太狼』はこんな感じだった。

もう、なにもかもぬるい。キャラクターの造形も、ヌケた声のオープニングも、素人の作ったFLASHアニメみたいなアニメーションも、なにからなにまでぬるい。しかし、これが中国のチビッコにはウケた。中国産アニメは中国人も見ないという常識を、このアニメが破ったのである。

これが今やこうだ。

出てくるキャラクターは全然変わらないのに、音楽もCGも演出も、同じ作品とは思えない変貌ぶり。

前のオープニングはちょっと練習すれば歌えたが、これはもう僕のポンコツ中国語では無理。それどころか、日本語の歌詞が付いていてもちょっと歌えそうにない。かつて変な葉っぱに乗って仲良く丘を滑り降りていた羊羊たちは、わけの分からん汽車みたいなマシンに乗っている。たぶん村長(慢羊羊)の発明品だろうが、昔はしょうもないものばかり発明してたくせに、ちょっと見ない間にずいぶん進歩したものだ。

これが経済成長なのか?爆なのか?

さて、この最新シリーズ、「喜羊羊与灰太狼之嘻哈闖世界」というのだが、「嘻哈闖」が分からない。グーグル翻訳にかけてみたら、こんなの出ました。
ヒップホップブレイク

ごめん、ますます分かんない。
このエントリーをはてなブックマークに追加

ツタヤの更新のついでに、『ゴルゴ13』(佐藤純弥監督・1973年)のDVDを借りてきた。

この映画、原作者のさいとうたかをが乗り気でなく、「主役は高倉健で、全編海外ロケ、主役以外は全部外国人なら作ってもいい」とムチャを言えば諦めると思ったら、東映があっさり飲んでしまったのでできたというすごいシロモノである。なお、高倉健はゴルゴのモデルである。

とはいえ、ただでさえいろいろムチャなことをするので有名な劇画の実写化である。だいたいこういうのは失敗するのがお約束で、高倉健をモデルにしたキャラクターを高倉健にやらせるのも、筋が通っているといえば通っているが、ゴルゴと高倉健はどちらも別のキャラクターとして個性がありすぎるから逆効果なのではないか。どうせ、ヘンなものだろうとおもったのだが・・・これが思った以上に面白かった。

舞台はイランである。それも、テヘラン・イスファハン・ペルセポリスの三個所。砂漠の中を健さんは縦目のベンツで突っ走る。ペルセポリス遺跡での銃撃戦もかっこいい。役者は健さん以外全部イラン人。かなり実力のある人ばかりらしい。セリフはペルシャ語でしゃべっていて、それを日本の声優があてている。

イランで撮影など、今ではとても考えられないが、当時はパーレビ国王の時代で、今テレビで見るような宗教国家イランの風景とは全然違う。このころは世俗国家なので、昨年行ったトルコに似た、西欧的な雰囲気だ。この映像だけでも、かなり貴重なものではないだろうか。

この映画は基本的に健さんのアクションを見る映画である。だから、原作の『ゴルゴ13』よりもアクションシーンが多い。素手の格闘・銃撃戦はもちろんのこと、自動車はハデに炎上するし、地雷は爆発するし、ヘリコプターも墜落する。どこからどう見ても重そうな縦目ベンツのカーアクションはなかなか見ものである。どんだけ金かけてるんだか。

その分、ストーリーはちょっと薄味。某国の組織から、イランに潜伏する人身売買組織の頭目を暗殺せよという依頼が来て、ゴルゴがそれを遂行するだけ。頭目は例によって正体不明で、影武者が何人もいるのだが、それもわりと簡単に見破られてしまう。さいとうたかをはこの映画をあまり気に入らなかったらしいが、そのあたりが原因かもしれない。

ゴルゴ要素が無駄に多すぎるのも気になった。ゴルゴ要素とは、『ゴルゴ13』ファンならいくつも出てくるアレである。美女と意味なくアレするとか、後ろに立った人をいきなりアレするとか、天井から吊るされてアレとか・・・そこまでするなら健さんの白いアレ一丁も見たかった。

というわけで、ゴールデンウィークにいかがでしょう。


このエントリーをはてなブックマークに追加

『二十四の瞳』の岬の分教場に行った:2015年04月21日のつづき。

二十四の瞳映画村は岬の分教場だけでなく、集落そのものがセットとして残されている。
二十四の瞳映画村

集落はこんな感じ。一つ一つの建物は、セットそのままのもののほか、お土産物屋やレストランなどになっているものもある。
集落

菜の花畑。遠くに大石先生と子どもたちの銅像が見える。
大石先生と子供たち

これが銅像。
ジャンケンする子供たち

で、銅像の題名は、「せんせ あそぼ」らしいが、このプレート、よく見ると書いた人は、流行語大賞を取ったあの人だった。ブッチ、ブッチ、あんたの時代は良かった。冷めたピザとか言ってすみません。あのころは、総理大臣の悪口言ったぐらいで反日とか言う奴はいなかったよ。
小渕さん・・・

前回の分教場の近くに教員住宅がある。といっても、ほかの民家と変わらないのだが、部屋の中まで見られるのがみそ。
教員住宅

実は、ここに行くまで、『二十四の瞳』の映画はおろか原作も読んだことがなかった。なので、ここが大石先生の家だと思っていて、「若い女性の家にしてはなんだかじじむさいなぁ」と思っていたのだが、御存知の通り、大石先生は自転車で遠くから通っているのであって、こちらは引退間際の男先生の家である。

校舎と教員住宅の前は瀬戸内海。
教員住宅の前の海

小物として、いたるところにレトログッズが置いてある。写真の物は、唐箕・バカボン・大村崑。
唐箕・バカボン・大村崑

小豆島は醤油の醸造で有名で、最近「ひしお丼」なるものを名物として押しているらしい。ひしおは醤油のことだから、醤油が主役で、何を乗せるかは店によって違うらしい。映画村のひしお丼は「カリカリ豚ともろみのひしお丼」。雄々しくそそり立つキュウリがキュート。
ひしお丼

映画村の近くは、醤油の醸造所の密集地帯で、自動車で走っていて映画村が近づいてくると、次第に醤油の匂いがしてくる。醤油蔵は、なかなかフォトジェニックな建物が多かったのだが、雨が降ってきたのと、レンタカーを返却する時間が迫っていたので、写真を取ることができなかった。残念。
このエントリーをはてなブックマークに追加

春休みに、小豆島と金刀比羅宮、その他もろもろ香川県に行ってきた。で、今日は小豆島。

小豆島といえば、壺井栄『二十四の瞳』である。といっても、『二十四の瞳』に小豆島が舞台であるという記述はなく、壺井栄が小豆島出身であることと、「瀬戸内海べりの一寒村」が舞台となっていることから、映像化される際には、小豆島が舞台となっている。

『二十四の瞳』は二回映画化された。最初は1954年公開の木下惠介監督・脚本、高峰秀子主演のもの、二度目は1987年公開の朝間義隆監督・田中裕子主演の木下版のリメイクである。白状すると、僕はどちらも見ていない。

さて、木下惠介版の「岬の分教場」は、苗羽小学校田浦分校という実際の小学校で撮影された。これは現在でも残っていて公開されている。明治35年の木造建築で、昭和46年まで実際に小学校として使われていたそうだ。
岬の分教場(全体)


こちらが教室。木造校舎で学んだ経験がない上に、なにしろこういう仕事をしているので、あまり懐かしさは感じない。
教室1


1・2年生教室の机。びっくりするぐらい低い。そして綺麗。ここ重要。
一年生の机


こちらは56年生教室の机。
5・6年生の机

なぜ人は小学校高学年になると、机に穴を開けたりのこぎりで切ったりしたくなるのか。この机も、何度もゴルフ場になり、テストの解答用紙に穴を開けたことだろう。

もっとも、この机は一枚板だから、工作しやすかったはずだ。僕らの時代はすでに硬いメラミン樹脂化粧板の貼ってある合板だったから、かなり傷つけるのが難しかった。それでも、机をゴルフ場にしていたのだから、人間のカルマとは恐ろしいものだ。

柱に身長を計る目盛りが付いてた。
身長を計る柱

廊下に立たされてみた。こんなでかい小学生はイヤだ。
立たされてみた

こちらは本物の小学校だったのだが、後に作られたリメイク版では、セットとしてこれとそっくりの校舎が作られた。これは1キロ程度離れた、「二十四の瞳映画村」というところにある。

最初の写真と比べてもらえばわかると思うが、ほとんどレプリカである。違いは少し新しい(といっても30年経っているのだが)臭いがするのと、ガラスが波打っていないことぐらいだろうか。とはいえ、知らなければセットだとは思われないだろう。

一番の違いは立地で、ホンモノは集落の中にあるが、こちらは目の前(写真の右側)が海になっている。撮影用だけあって、フォトジェニックだ。採光もホンモノより良い。
岬の分教場セット(全体)

教室。ほとんど同じだが、ホンモノは3教室であるのに対し、こちらは2教室+職員室。
岬の分教場セット教室

廊下もほとんど同じ。
岬の分教場セット(廊下)

こちらがホンモノの廊下。同じ所で撮ったつもりが全然違った。
岬の分教場(廊下)

大石先生といえば自転車。ロッドブレーキが懐かしい。三角フレームではないのもポイント。大石先生がわざわざ通勤用に買ったから、女性用なのである。
自転車

二十四の瞳映画村は学校以外にも、教員住宅だの生徒の家だのがあって、なかなか面白い。次はそれをご紹介。
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ