カテゴリ: 話しかけた/かけられた

城前寺(宗我神社と城前寺参照)を出ると、妻が「こっちの方に・・・」といって、来た方と逆の方角へ行こうとする。ついていってみると、なにやら殺風景な空き地があった。
大雄山荘跡
大雄山荘跡の前の道
「何ここ?」
「太田静子さんが住んでた所だよ」

太田静子は太宰治の愛人で、作家太田治子の母親である。このあたり、昔は別荘地で、大雄山荘という印刷会社社長の別荘があり、そこに太田静子と母親が疎開してきた。『斜陽』のかず子と母親の住んでいたのは、ここがモデルになっている。

『斜陽』では次のように書かれている。
私たちが、東京の西片町のお家を捨て、伊豆のこの、ちょっと支那ふうの山荘に引越して来たのは、日本が無条件降伏をしたとしの、十二月のはじめであった。

設定は伊豆に変えられているが、実際「支那ふうの山荘」だったらしい。ここには2009年3月まで空き家として存在したが、放火とみられる火事で焼失してしまった。

太宰は、斜陽の元ネタになった静子の日記(いわゆる斜陽日記)を借りるため、1947年2月21日から24日まで来訪したという。僕が行ったのが22日だから、やはり梅の盛りだったはずだ。あらためて『斜陽』を読んでみると、たしかに梅がよく出てくる。
二月には梅が咲き、この部落全体が梅の花で埋まった。そうして三月になっても、風のないおだやかな日が多かったので、満開の梅は少しも衰えず、三月の末まで美しく咲きつづけた。朝も昼も、夕方も、夜も、梅の花は、溜息ためいきの出るほど美しかった。そうしてお縁側の硝子戸をあけると、いつでも花の匂においがお部屋にすっと流れて来た。三月の終りには、夕方になると、きっと風が出て、私が夕暮の食堂でお茶碗を並べていると、窓から梅の花びらが吹き込んで来て、お茶碗の中にはいって濡ぬれた。

そんな話をしていたら、地域住民のおばちゃん登場。

「ここ、知ってる?昔、太宰治の愛人が・・・」

知らなきゃ写真なんか撮っていないが、分かっていて話しかけてきたのだろう。いろいろ話を聞いて、おばちゃんは去っていったが、その直後、今度は地域住民のオッサン登場。

「ここ、知ってる?昔、太宰治のいい人が・・・」

「愛人」が「いい人」に変わっただけで、登場のしかたが全く同じである。

オッサンの話によると、ここが焼けたのはクリスマスの夜だったそうだ。何しろ、道が狭いので大騒ぎになったらしい。2009年は旧吉田茂邸(大磯)・旧住友家別邸(横浜市戸塚区)など歴史的建造物が焼失したので、これも同じ放火犯ではないかと噂されたそうだ。あとは、子供の頃、勝手に忍び込んで池の金魚を釣ったとか、どうでもいい話を聞いた。

下曽我には太宰と交流のあった尾崎一雄が住んでいた。尾崎家は宗我神社の神官の家柄だったので、大鳥居のわきに文学碑が建っている。
尾崎一雄碑

最後は何の意味もなく僕が流鏑馬場でたそがれている写真でおしまい。
流鏑馬場

先日、祖母(100歳)に面会するために、老人ホームへ行ってきた。

祖母のいる部屋の階に着いて、廊下を歩いていたら、向こうから車椅子に乗ったジジイ(尊敬の意を込めて、あえてジジイと呼ばせていただく)がやってきた。すれ違いざまに、「こんにちは」と挨拶すると、「おめえ誰だ。おめえなんか知らねぇよ」と思いっきり悪態をつかれた。

よもや挨拶して怒られるとは思ってもみなかったので、「オッサン、知らなくったって挨拶ぐらいしたっていいじゃねぇか」と言ったら、「オッサン」が気に入らなかったのか、まだ何やらブツブツと悪態をついている。

ちょっとムカっとこないでもなかったが、よく考えると、いつお迎えが来るか分からんようなジジイになって、悪態をついているのは、悪いことじゃないなと思った。

あんまりいい爺さんだと、ちょっと会っただけなのに、「あの爺さんどうしたかな」なんて気になってしまう。悪態つくジジイに対しては、全くそんなことは思わない。たとえ、亡くなったと聞いても、「ああ、あの爺さん死んだのか」ぐらいで、たいして悲しくもない。死ぬ方からしても、あんまりまわりからよく思われたら、現世への執着になるだろう。ちょっと嫌われるぐらいの方がいい。

しかし、大事なのは「ちょっと嫌われる」の「ちょっと」である。あんまり悪く思われて、「クソジジイ殺してやる」などとなったら、それはそれで罪作りだ。第一、いくら年をとっても殺されるのは嫌だ。

僕は、ほどほどに悪態ついて、適当に嫌われるジジイになりたい。
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今年は3年生の授業がやたらと多かった。3年生の授業は1月いっぱいで終わってしまった。おかげで、例年にくらべてそれほど忙しくない。というか、結構なヒマがある。

長期休暇のように全然仕事が無いわけじゃないのだが、どういうわけか、こういう時の方がヒマ感が大きい。

僕は正直者なので、何かの予定を聞かれたりすると、つい「いつでもいいですよ。今ヒマだから」などと答えてしまう。別にヒマ自慢しているわけではない。本当にヒマなのだ。

ところが、こう言うと、たいがい「いやいや、そんなことないでしょ」的なことを言われてしまう。これは一体なんだろう。こう言われると、まるでヒマが悪いような気持ちになってくる。

普段、忙しそうにしているつもりはないのだが、あるいはそう見えてしまうのかもしれない。だが、それならそれで、自ら「ヒマだ」と言っているのだから、いいことではないか。

僕の仕事は、(たぶん)有史以来の裁量労働制である。裁量労働制であれば、ヒマがあるのは有能の証拠。「ヒマですか。私も見習いたいものですな」ぐらいのことは言ってほしいものだ。

先日、授業中に女子生徒からこんな質問をされた。なお、この生徒は高校一年生である。

生徒「先生、女子の何にきゅんときますか?」

「47歳のオッサンに何ということを聞くのだ」と思いつつ、これは大変なトラップであることに気づいた。

なにしろ相手は一年生だ。迂闊なことは言えない。僕が変態のレッテルを貼られることはまだしも、一歩間違えたらセクハラで明日からめでたく無職となる。ここは一旦相手のターンにもどして、様子をみるべきだろう。

ワシ「ん?例えばどんなだ?」

生徒「ほら、うなじを見たときにきゅんとするとか言うじゃない」

ワシ「ああ、なるほど。たしかに、普段見えないところが見えると、きゅんとするかもしれないな」

しまった、軽く墓穴を掘ったかもしれない。

生徒「うなじ以外では?」

ここで思わず「Tシャツに浮き出た○○○とか・・・」なんてことを言ったらとんでもないことになる。相手はついこの間まで中学生だった一年生だ。○○○は刺激が強すぎる。なんとか無難な部位はないか、いろいろ考えて、

ワシ「足の裏とかどうだ?」

と言った。これならセクハラにはなるまい。だが、無難さを求めるあまり、我ながら訳の分からん回答をしてしまった。足の裏マニアではないのだが、無難さで思いついたのが、足の裏だったのだ。

生徒「えーーーーー!先生、足の裏できゅんとくるのーーーー!」

いかん、このままではワシは足の裏フェチ教師としてリツイートされまくってしまう。嫌な世の中になったものだ。なんとか立て直さなければ。

わし「いや、同じ足の裏でも見え方次第だな。例えば、いきなり靴下脱いで、『足の裏だぞ、ドヤ!』って鼻先に出されても、特殊な性癖を持っていない限り、きゅんとはこない。でも、サンダルを脱いだ瞬間とか、和服で正座したときとか、自然にちらっと見えると、足の裏でもきゅんとくるんじゃないかな」

生徒「なるほど」

納得していただけたようだ。あと一息だ。

ワシ「あ、分かった。普段見えないところが、自然にチラッと見えるのがいいんだよ。うなじだって、髪を掻き上げられて『うなじ、ドヤ!』って見せつけられても、『早くしまえ』としか思わないだろ。〈自然にチラッと〉がポイントだ。」

生徒「おへそは?」

なぜ、そこでさらにトラップしかけようとするかな。しかし、もう方向性は決まっている。この勝負、ワシの勝ちだ。もう恐れるものは何もない。

ワシ「へそも同じだ。服をまくりあげて『ドヤ!』って見せられても、ムラっとくる奴はいるかもしれないが、きゅんとはこない。スポーツしていて、Tシャツがちょっとまくれた瞬間に見えれば、きゅんとするな」

かくして、様々なトラップを回避して、セクハラ→クビチョンパのピンチを見事に切り抜けたのである。
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思い出の高松市立中央公園(その1)のつづき。

後輩のご家族と別れた後、僕は幕営地を探した。が、なにしろ市民の憩いの場で、オマケに花見の季節である、なかなか身を隠せるところがない。公園内を何周かしたあと、やっと目立たなそうな場所を見つけた。
幕営地

上の写真の一番左のベンチの脇に、テントの内張りだけを張った。夜だから分らなかったが、今見るととんでもないところで野宿したものだ。どこからどうみてもホームレスである。

くたびれていたので、すぐに寝てしまいたいところだったが、花見客が多くて騒々しいし、先ほどもらった夏みかんと酒を消費しなければならない。ベンチに座って、夏みかんをつまみに、日本酒を飲んだ。

目の前には花見の若者たちが往来している。僕はそれを見ながら、少々いい気持で酒を飲んだ。僕のテントを見た一人が、「そこで何やってんのー」と聞いてきた。

「お遍路で野宿してるんだよ!」と僕が答えると、「どこから来たの?」と聞くので、「東京」と答えた。その時、ひらめいた。こいつらに夏みかんをあげちゃおう。

「夏みかん食べる?」
「もらっていいの?」
「さっきお接待でもらったんだけど、多すぎて持って行けないんだよ。」
「じゃあ、もらうーーーー!」

花見だけあってノリがいい。僕は、夏みかんを2・3個投げた。

「お遍路頑張ってねー!」
「ありがとう!じゃあね!」

若者たちは夏みかんを食いながら、どこかへ行ってしまった。

次に話しかけてきたのは、この公園の住人である。数年前からここに住み着いているそうだが、こぎれいにしていて一見してホームレスには見えない。年も若い。彼が言うには、ホームレスでもちゃんと風呂に入るべきだそうだ。彼は自分のことを「フーテン」と言っていた。

ベンチに座って、一緒に夏みかんを食いながら、小一時間しゃべった。酒も勧めたのだが、飲めないらしく断ってきた。僕はだんだん酔っ払ってきた。

彼は、もともと81番札所白峰寺・82番札所根香寺のある五色台の近くの出身で、何らかの事情で中央公園に来たらしい。仕事は徳島市からこの公園の掃除を任されている他、自動販売機の下の小銭集め、それと当時はコンビニの廃棄物の管理が甘かったので、これをもらって食べているという。

何時にどこのコンビニへ行くともらえるなどと、ありがたい助言をいただいたが、僕はフーテンになる気はないので、いらない情報である。

古い記憶だし、酔っ払っていたので、何の話をしたか覚えていないが、しばらく話した後、「この頃はいきなり殴ってくる奴とかいるから気をつけろよ」と言って、自分のねぐらへ帰って行った。彼自身、最近被害にあったのだという。ひどいやつもいるものだ。酒は1/3ほど残ったが、さすがにそれ以上飲むとヤバイので、これまた花見客にあげてしまった。

翌朝、目を覚ますと、竹箒で掃除をする音が聞こえた。テントを出てみると、昨夜のフーテンさんが掃除をしている。僕は、テントを畳み出発の準備をした後、声をかけた。

「おはようございます。昨夜はどうも。これから出発します!」
「おう、気をつけて!高松はいいところだから、またこいよ。オレこのへんにいるから」
「はい、また来ますよ。それじゃまた!」

かくして、僕は13年後のほぼ同じ季節に来たわけである。中央公園にフーテンさんは見当たらなかった。その代わり、あのときには気づかなかった菊池寛がいた。菊池寛の生家はこの公園の近くだったという。

菊池寛銅像

菊池寛通り

僕は旅行に行った時、「そのうちまた来るだろう」と思うことにしている。「もう二度と来られない」と思うと、余裕がなくなるからである。どこかのバスツアーみたいに「せっかく来たのだから、あれも見ないと、これも見ないと」で追い詰められるのはイヤなのだ。また来ると思えば、何か見逃してもさほど苦にならない。

実際に同じ所に二度いくことは、ほとんどないのだが、期限を決めていないから、死ぬまでには行くだろうと思っている。また、どんなつまらない所でも、二回目に行くと変化や新しい発見があったりするので、これがまた楽しい。今年の春の旅行では、高松中央公園と善通寺がそんな場所だった。

高松市立中央公園は、なんということのない、単なる市民公園である。有名な栗林公園や玉藻公園(高松城)とは違い、観光客がわざわざ行くようなところではない。
高松市立中央公園案内図

2001年の3月、僕は自転車お遍路の途中、この公園で野宿をした。

ここに至る直前、コインランドリーで洗濯をしていると、愛媛県在住の後輩のお母様から携帯電話(PHS)に電話があった。後輩から僕がお遍路していると聞いて、僕に会おうとして自動車で札所を巡ったという。

何度か電話したけど通じないし(当時は着信履歴がなかった)、納経所に聞いても分からないので(僕の顔を知らないので分かるはずがない)、一旦家に帰ったが、今どこにいるのかという。今は高松市内にいて、今日は中央公園あたりで泊まろうと思うと伝えると、なんともう一度出直してくるという。

この人の家は、現在の四国中央市で、高松までは車で一時間以上かかる。すでに午後六時を回っていたので、「遅くなるからいいですよ」というと、お接待を渡したいからどうしても来たいと言う。なにしろ、お接待は断ってはいけないのが原則なので、時間を決めて中央公園の入り口で会う約束をした。それがこれ。
高松市立中央公園入口

記憶が定かではないが、一番奥の植木か二番目の植木の根本に腰掛けて待っていた。道路の向こう側(ガソリンスタンドではなく、写真の左側)を見ていると、明らかに挙動のおかしい車が来て、なんと歩道に自動車をとめてしまった。

車から二人出てきて、僕を見つけると、こちらに歩いてきた。聞くと、後輩のお母さんと妹だという。車の中におばあちゃんも乗っていると言っていたが、何故か降りて来なかった。

「あんなところに車を停めて大丈夫ですか?」と聞くと、「このへんじゃお遍路さんのためだといえば何とでもなるから」と言う。その直後、道路の向こうで警官が車に歩みよるのが見えた。「あ、来たみたいですけど」と言うと、お母さん、あわてて道路を渡る。警察と何やら談判したと思ったら、車は停めたままにしてすぐ戻ってきた。本当に何とかなっちゃったらしい。

なにしろ、わざわざ一時間かけて来ただけあって、お接待は大量だった。夏みかん数個、酒一升、米5kg、コーヒー、おにぎり、お菓子・・・。コーヒーとおにぎりとお菓子はその場で消費したのでいいが、問題は夏みかんと酒、米である。なにしろ、高松ですでに83番札所まで打っている。あと5つ、ゴールは近い。それも市街地が多いから、米5kgどころか1kgでさえ消費できないだろう。もらったら大変な苦行になることが予想されたので、お米だけ丁重にお断りして、あとはいただいた。と言っても、夏みかん5個と一升瓶はなかなかの重さである。これも今晩中に減らさなければ、面倒なことになる。

小一時間しゃべって、三人は自動車で自宅に帰り、僕は公園の中で幕営できるところを探した。ところが、桜が満開の季節である、花見客がたくさんいて、どうにも野宿に向いていない。公園内を何周かして、やっとうす暗い目立たない所を見つけた。(つづく

どこの国でも、都会の人間というのは不親切に感じられるものだ。

都会人が根っから不親切なわけではない。困っている人を見ても人が沢山いるから自分がやらなくても誰かが助けてくれるだろうとか、時間に追われて助けている時間がないとか、そんな理由で都会人は不親切になる。だから、聞く側がよほど横柄な態度でもないかぎり、こちらから道を聞いたりしても答えてくれないような不親切な都会はまずない。

その点、田舎はまわりに助けてくれる人もいないし、時間に余裕があったりするので、こっちが困った様子を見せただけで助けてくれる。場合によっては困っていなくても助けてくれる。どこの国でも田舎の人は親切だと感じるのはこういう理由からである。

3月に行ったニューヨーク旅行の帰り、空港へ行くバス乗り場を捜していたときのことである。地下鉄の125th Street駅を降りた僕とヨメは、停留所を捜して歩いていた。

来る前にGoogleMapのストリートビューで確認していたのだが、なにしろ適当な出口から出てしまったので、いざ路上に出てみるとどっちへ行ったらいいかよく分からない。ここは交差点で、まわりに停留所らしき物はたくさんある。近づいてみないと、どこに行くバス停なのかよくわからない。

ふと車道を見たら、信号待ちで停まっているタクシー運転手のオッサンが、こちらを睨み付けてしきりに後を指差している。ボビー・オロゴンみたいなやたらと強そうなオッサンだ。最初は後の車に何か合図を出しているのかと思ったが、タクシーの後に車はない。今度は僕を指差して、また後を指差したた。ん?オレ、なんかしたか?

しかし、僕とタクシーの間は10メートル近くある。何かしようにもできる距離ではない。そこでやっと気が付いた。これは僕にバス停の位置を教えてくれているのではないか。僕が指示された方を指差すと、ボビーはうなづいて行ってしまった。

先を歩いていたヨメに「反対みたいだよ」と教えて、踵を返してしばらく行くと、果たして空港行きのバス停があった。やはり、僕に道を教えてくれていたのだ。

どうやら、大きなトランクを転がしてうろうろしているので、僕たちが空港行きのバス停を捜していると分かったらしい。

信号待ちで停まっているとはいえ、10メートル以上離れた車の中から、歩道を歩く人に道を教えるなんて日本ではちょっと考えられない。たぶん、これがニューヨーク式の親切なのだろう。

本当の親切というのは、相手に求められなくてもすることだと思った。

授業で小さなヒートンが必要になって―そもそも授業でヒートンが必要になること自体奇妙なのだが―看板に「ネジなら何でもそろっている店」と書いてある店に入った。

さすが何でもそろっている店だけあって、店中ネジの箱だらけで、どこにヒートンがあるんだかさっぱりわからない。店の主人に聞くと「ヒートンは大きいのしかないね〜。駅前の100均に行ってよ」という。ネジなら何でもそろっている筈なのに。この辺から何かがおかしくなったらしい。

自分の家の近所になる、100円ショップには無かったのを確認していたので、望み薄だったがとりあえず駅へ向かった。

途中、住宅街の路地を歩いていると、前方から朗々と歌う声が聞こえた。

「私のお墓の〜前で〜 泣かないでください〜」

むちゃくちゃ上手い。まるでプロの声楽家のようだ。

一体、どんな人が歌っているのだろうとおもっていると、どう見てもホームレスみたいなオッサンが(たぶん本当にホームレス)こちらへ来るではないか。無表情で歌いながら、結構な速足で微妙にジグザグに歩いている。酔っぱらっている風ではなく、いかにもヤバい雰囲気を醸し出している。

路地は幅員2メートルほどしかない。ぶつかるかも!

一瞬恐怖を感じたが、オッサンは僕なんか目に入らない様子で、通り過ぎて行った。もちろん、「千の風になって」を歌いながら。

しばらく歩いて今度は国道の広い交差点にでた。すると今度は大音量の音楽が聞こえてきた。聞き覚えのある演歌だが、カラオケなので歌詞がない。サビの部分になってやっと思い出した。

「決めた〜。決めた〜。おまえとみちづれに〜」

牧村美枝子の「みちづれ」である。そして、「みちづれに〜」と同時に音源が姿を現した。

右翼の街宣車!

RVを改造した、小型の街宣車。運転しているのは軍服を着たいかついオッサンで、あきらかに「みちづれ」をくちずさんでいる。

街宣車と「みちづれ」のミスマッチが妙に怖い。一体誰をみちづれにするつもりなんだろう。

そんなこんなで、駅前の100円ショップに到着。探していたヒートンがあった。さすが「ネジなら何でもそろっている店」の店長である。

昨日散髪屋に行った。床屋清談とか書いておいて、散髪屋もないもんだが、普段そう言っているので、勘弁してください。

で、散髪屋に行った。この散髪屋、僕が20年来ずっと通っている散髪屋である。今は少し遠くなってしまったが(といっても徒歩10分)、前はすぐ近所に住んでいて、祖父母が経営する文房具屋の近くなので、子供のころにも何度か行ったことがある。

そんなわけだから、僕は散髪屋の家族構成や、息子さんの職業、家族構成までまでことごとく知っている。つもりだった。

僕が散髪屋に入ると、一人のオッサンがソファに腰かけてテレビを見ていた。お客かと思ったらそうではない。親しげに散髪屋の主人に話しかけている。少なくとも借金取りではないようだ。ちょうどニュース番組をやっていたので、まさに床屋政談である。

店の中にいるのは、僕と散髪屋の主人(以下、主人)、主人の奥さん(以下、奥さん)、謎のオッサン(以下、謎)の四人。他に客はいなかったので、すぐに散髪が始まった。

しばらくして、謎がこんなことをいう。

「そういえば、今日、大森さん(仮名)どうした?」

この散髪屋はバーバー大森(仮名)という。どうしたここうしたも、目の前にいるじゃねえか、妙なことを言うな、と思いながら聞いていると、主人が

「○○へ行ったみたいだよ。いつも黙って行っちゃうから分かんねえけど」

当たり前だが、大森さんはここにいる人間の誰でもないようだ。ならば息子か。しかし、謎とはいえ主人の息子を苗字でさらにさん付けで呼ぶのはヘンだ。

謎「じゃあ、何時に帰ってくるのか分かんねえのか」
主人「いつ帰ってくるどころか、いつ行ったのかも分かんねえよ」
謎「どこ行くって言って行かねえのか?」
主人「言うも何も、オレ一度も口きいたことねえよ」
謎「それじゃ、晩飯はどうするんだ」
主人「知らねえよ、勝手に食ってくるだろ」
謎「そんな奴にメシ食わせることないよ。コロッケでも買ってくればいいんだよ」

僕は分からなくなった。晩飯はどうするというからには、出かけなければ一緒に食べているということだ。

奥さん「そうよ、大森さんとはしゃべったことないね。息子たちは子供の頃かわいがってもらったから、よく話すけど」
主人「なにしろ朝会ったって、向こうから挨拶したことねえんだから。主人から挨拶することはないよねえ」

僕に話を振るなよ。「はあ、そうですね」と一応答えたが、あいかわらず渦中の人物「大森さん」が分からない。「息子たち」と言っているが、もう50代である。

しばらく、御主人・奥さん・謎の会話が続いたのだが、聞いているうちに何となくわかってきた。

大森さんはバーバー大森の居候である。苗字は同じだが、親戚の友人とかで、主人との血縁はまったくない。御主人、これが大変迷惑だという。

驚くことに、大森さんが居候になったのは40年前。ということは、僕がここに行くようになったときにはいたということになる。すぐ近くに20年住んで、同じ散髪屋に祖父と二人で通ったが、そんな隠れキャラがいるとは知らなかった。

大森さん少なくとも今は60歳以上だろう。家賃はおろか光熱費も食費も一度も払ったことがないそうだ。まさに筋金入りの居候である。主人も奥さんも、大森さんがどんな仕事をしているのか、全くわからないらしい。40年も住まわすなんて、いくらなんでも人が良すぎるぞ大森さん(散髪屋の方)。

それにしても、ソファに座っていた謎オヤジ、大森さんについて妙に詳しいですが、あなたは一体何者ですか?

ちょっと前まで、海外では眼鏡・出っ歯・カメラが日本人の特徴だった。カメラは首からさげるのだから、一眼レフである。僕は三拍子そろっているので、昔の基準ではどこからどう見ても日本人である。

ところが、最近では出っ歯はともかくとして、メガネと一眼レフは日本人以外でも珍しくない。中国人もインド人も欧米人でも、観光地ではかなりの確率でカメラを首から下げている。

一眼(レフ)に限って言うと、どういうわけかニコンが多い。次はキヤノンだが、ニコンとキャノンの割合は、圧倒的にニコンの勝ちである。ヨーロッパの観光地でニコンを持っている人を探すのは1分もかからないが、キヤノンを持っている人を探すのは5分はかかるだろう。ソニーは30分ぐらいか。オリンパスとペンタックスは下手すると一日かかるかもしれない。

持っているカメラは、新しいものが多い。僕のようにススけた一眼レフをぶら下げている人はほとんどいない。たぶん、ハレの旅行に新調してきたのだろう。持ち方がぎこちない人が多い。そんなわけだから、使い方をよく知らずに持ってきている人もいるようだ。

エッフェル塔の下で写真を撮っていたら、若い男性が話しかけてきた。エッフェル塔をバックにシャッターを押してくれという。

もちろん、快く了解し撮ってあげたのだが、なにしろエッフェル塔のバックは明るい空なので、かなりアンダー(エッフェル塔、人物が真っ黒)になっている。これでもいいかと見せたらOKだったので、今度は僕のカメラで僕たちの写真を撮ってもらった。さっきはアンダーだったので、露出は+2補正した。

きれいに撮れた写真をみて、青年、「なんで僕のは真っ暗なのに、君のはちゃんと撮れているんだい?」というから、露出補正を教えてあげた。この時、ロシア語が表示されていた。

メーカーは違うが、やり方は同じで、露出補正ボタンを押しながらダイヤルを回せばいい。ところが試し撮りしてみたら、かえって真っ暗になってしまった。ダイヤルの回し方が、PENTAXとNikonでは逆だったのである。

空をバックにすると人物が暗くなる現象だが、銀塩カメラ(フイルムカメラ)だとフィルムの特性上そこまで暗くならなかったのが、デジカメだと明暗の差がはっきり出て、真っ暗になってしまうことがよくある。

ストロボを焚くという手もあるが、さっきの例でいうと、近くの人物は明るくなっても、エッフェル塔は明るくならない。そういうときのために、デジカメを買ったら、最初に露出補正の仕方を覚えておくとよいだろう。

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