カテゴリ: びっくりしたなあもう2

そろそろ年賀状の季節になったが、昨今はノルマを課された郵便局員が、年賀状を売りさばくために自腹を切って買い取るという、「自爆営業」なるものがあるらしい。

これはもちろん郵政民営化に伴うものである。民間になったのだからノルマは当然という人もいるが、果たしてそうだろうか。

年賀状などというものは虚礼の最たるもので、メールが普及した上にこれだけ不景気が長引けば、出さなくなるのが当然である。以前より売れなくなるのは当たり前で、それでも売ろうと思うなら、何らかの根本的な対策を建てなければならない。そしてそれは、責任ある上層部の人が考えるべきことだ。

すでに商品として終わっているものを、末端で売る人がいくら努力したところで売れるはずはない。だから、彼らが自分で買い取るなどという、アホなことが起こるのである。つきつめて言うと、「自爆営業」の一番の問題は、売上を上げるための努力と責任を、末端の販売に関わる人に押し付けていることである。

売るための戦略を考えるのは、今までと違うことをやる以上、当然リスクがつきまとう。失敗すれば何もしないよりも利益が得られないかもしれない。しかし、それを考える立場にある人はリスクを負う責任があり、それだけの地位と収入を得ているはずだ。

もともと公務員は、ルーチンワークの得意な人間が出世するようになっている。リスクを取って成功しても給料が上がるわけではないし、逆に失敗すれば税金を使っている責任が重くのしかかる。日々の決まった仕事を堅実にこなすのがよい公務員だから、逆に言えば斬新なアイディアを出してリスクを取るのは忌むべきことなのである。

そんな彼らが、いきなり民営化されても、長年そうして働いてきたノーミソの中身はかわらない。年賀状を売る方法なんて、いくらでも工夫できそうなものだが、ルーチンワークで出世した人には、せいぜい販売員にノルマを課すことぐらいしか思い浮かばないのである。

もっとも、その「民間」だって事情はたいして変わらないことだろう。ブラック企業と言われる会社の存在はそれを如実に示している。

「民間になったのだからノルマは当たり前だ」などと言っている人には、「じゃあ、そのノルマでおたくの会社はさぞかし業績が上がったんでしょうな」とイヤミの一つでも言いたくなる。
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リナックス型宗教を普及したい:優しい唄歌い

正直、上の文章には何一つ賛同できないのだけど、Linuxと宗教は似ていると思った。「宗教みたい」という言葉はしばしば侮蔑として使われることがあるが、ここではそういう意味ではない。

Linuxの元になったのはUnixというOS(厳密にいうと違うが)である。そのころ、Unixはワークステーションとかサーバーなどに使われていた。それらのコンピュータは個人で買える代物ではく、限られた人だけが使うOSだった。宗教で言うと、ユダヤ教やバラモン教である。これらの宗教は、それぞれユダヤ人・アーリア人のための宗教で、三大宗教のベースとなった。

パソコンの性能が上がるにつれ、自分のPCでUnixを動かしたいという人がでてきた。しかし、Unixのライセンス料は高い。そこでヘルシンキの大学生リーナス・トーバルズ君はUnixと同じ動きをするOSをUnixのコードを見ないで作った。これがLinuxである。リーナス君はこれを誰でもライセンス料を払わずに自由に使えるようにした。

これはキリスト・マホメットがユダヤ教から、釈迦がバラモン教から出てきたことに喩えられよう。本来限られた民族の宗教だったユダヤ教・バラモン教が、彼らの登場によって世界的に広まる契機になったのである。リナス君の登場でUnixが広まったように。

ただし、これはあくまで契機にすぎない。登場したときのLinuxもそうだった。最初は Solarisなどの商用OSこそが本物のUnixで、Linuxはまがいものという感じだったのである。将来、LinuxがこれらのOSを駆逐し、スパコンのOSにまで使われるとは、教祖のリーナス君自身思わなかっただろう。

先ほど「Unix同じ動きをするOS」と書いたが、リーナス君が作ったのはカーネルと呼ばれるOSの心臓部だけである。宗教でいえばキリストの新約聖書、マホメットのコーラン、ブッダの仏典(仏教はちょっとややこしいが、ここではとりあえず仏典としておく)である。

このリナース君の作ったカーネルをもとに、様々な人たちによって様々なOSが作られた。それらはLinuxカーネルという「経典」は共通しているが、考え方や用途が違う。Linuxというのはそれらを総称した名前である。ちょうど、宗教が経典の解釈や時代、社会情勢によって分派したように。

仏教で喩えるなら、真言宗がFedora、天台宗がDebian、使いやすさをモットーにDebianから分かれたUbuntuは鎌倉新仏教である。FedoraもDebianもUbuntuも、考え方は違うがすべてLinuxである。真言宗も天台宗も鎌倉新仏教も仏教であるのと同じように。

修行を要するSlackwareはチベット仏教で、Linuxを使っていると感じさせないandroidは正月の初詣みたいなものだ。お寺で柏手を打つ女子高生を見たことがあるが、あれはたぶんiOSと区別がついていないのだろう。「それ、iPhoneじゃなくてGARAXYだよ」と教えてあげたくなるが、イヤなオッサンになりたくないので我慢している。

宗教の話にもどすと、長い伝統を持つ宗教は、歴史の波にもまれてあらかたバグ取りが終っている。問題を起こすのは、たいがい伝統的な宗教からフォークされ、宗教本来の姿に立ち返るのを口実に、バグまで戻しちゃった宗教である。これを原理主義という。

広い意味でクリエイティブな仕事ールーティンワーク以外の仕事―を頼まれる時に、頼む人には、絵を描いてから頼む人と、そうでない人がいることに気づいた。ここでいう「絵を描く」とは、実際に紙に絵を描くことではなく、頭の中で具体的にイメージしているということである。

たとえば、上司があなたに忘年会の幹事を依頼したとしよう。その上司は「毎年同じような忘年会で飽きたな」と思っており、あなた「例年とは違う忘年会」を依頼してきたとする。

絵を描くタイプの上司は、「例年とは違う忘年会」を依頼をしている時点で、どんな場所で、どんな人が来て、どんな食事が出て、どんな進行で・・・ということを大雑把にイメージする。こういう人は依頼を具体的に例示してくるのですぐ分かる。「毎年居酒屋でやってるけど、たまにはイタリアンとかどうかな?」とか言われたら、それは絵を描いている人である。

絵を描かないタイプの上司は、「いつもよりも賑やかになるように」とか「誰でも気軽に参加できるように」などと、立派なスローガンだけをいう。仮に「会場はどこにしましょうか」などというと「それは君の仕事だから、君が考えてくれ」とかいう。

こういうふうに並べてみると、絵を描く依頼者の方が、具体的なイメージがあるぶん、そのイメージに沿ったものでなければならないので、面倒くさそうな気がする。ところが、僕の経験ではそうではない。

絵を描く人は、さまざまな理由からその絵どおりにならない場合でも、正当な理由であれば納得する。創意工夫して、その人の描いた絵と全く違うものになったとしても、それがその人の描いた絵よりも良ければ文句をいうことはない。

むしろ、絵を描かない人の方がはるかに厄介だ。

絵を描かない人は、スローガンだけあって、具体的なイメージがない。イメージがないから、どうやっても満足することはない。ゴールがないのである。

忘年会の例でいえば、こういう人はあなたの企画した忘年会がどんなに盛り上がっても「俺がイメージしたのとは違う」などという。「イメージ」というからには何かイメージがあるように聞こえるが、実はそんなものはない。ただ感覚的に違うだけだ。すべてが終わった後から文句を言うのもこの人たちの特徴である。

こういう人は嫌がらせで言っているのではない。スローガンさえ言えば、それに合ったものを担当者がやってくれると本気で思っているのである。しかし、そのスローガンどおりにやっても、解釈がちょっとでも違えば満足しない。

こういう依頼主(上司、客、親兄弟、etc・・・)にあたると災難だが、依頼を受ける時点で、依頼主にある程度絵を描かせることで回避することができる。とはいえ、そもそも彼らには絵を描くという発想がないのだから、いくら描かせようとしても「それは君が考えてくれ」になるので難しい。
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ヴァセリンの正式名称をご存知だろうか。これはラベルにちゃんと書いてある。

ヴァセリン表ラベル

この写真を見ると「Vaseline」という商品名に続いて「pure petroleum jelly」と書いてあるのが分かる。「 petroleum 」は「石油」という意味だから「純粋な石油ゼリー」というわけだ。

その名の通り、ヴァセリン(白色ワセリン)の原料は石油である。ヴァセリンは長い歴史を持ち、単独で保湿剤などとして使われる他、塗り薬や化粧品などのベースとしても使われ、安全性の高い物質として知られる。いわば「pure petroleum jelly」は安心の証というわけだ。

表のラベルはおそらく世界共通だが、日本で売られているヴァセリンの裏には日本語のラベルが貼ってある。
ヴァセリン裏面

こちらには「ペトロリウム」という言葉は一切見つからない。「ピュアスキンジェリー」なのか「スキンオイル」なのかはっきりしてほしいところだが、いずれにしても石油由来であることは一言も書かれていないのである。

僕の記憶では、ここにはかつて「ペトロリュームジェリー」と書いてあった。「ペトロリュームジェリー」で検索するとかなりの通販サイトがヒットするので、ヴァセリンが「ペトロリュームゼリー」でなくなったのは割と最近のことらしい。

察するにユニリーバ社(ヴァセリンの製造元)は、ヴァセリンが石油からできていることを日本人からは隠したいらしい。たぶん「ペトロリュームジェリー」では英語の知識がある人にはバレてしまうので、「ピュアスキンジェリー」などというワケのわからない名前に改名したのだろう。

日本では植物など自然由来のものが体に良い物で、石油からできたものは体に悪いという観念がある。それがこの改名に繋がっているようだ。が、しかし自然由来のものにも毒が含まれていることは珍しくない。自然由来だからといって安心だといえるのだろうか。

逆に、世界共通の表のラベルに、石油由来であることが堂々と書かれているのは面白い。ここにわざわざ「pure」などと書いているところを見ると、むしろ石油由来であることが信頼の証になっているように見える。

つまり、日本以外では石油由来のものが体に悪いという観念がないばかりか、下手をすると石油由来だからこそ安心という考え方もあるようだ。たしかに、これだけの歴史を持っていて広く使われているものに害があるなら、とっくに問題になっている筈だ。

ということで、ヴァセリンはまぎれもなく石油からできたものだが、特に問題もないようなので、安心して使ってくれ。

言うまでもなく、掛け算は前後を逆にしても(2✕3でも3✕2でも)答えは同じである。ところが小学校では「りんご3個入りの袋を2袋買ったら、りんごは全部で何個になるか」というような問題で、3✕2=6個なら○で、2✕3=6個だと×というような教え方をしている場合があるという。

「学習指導要領に書いてある」の回答:石田のヲモツタコト

上の記事の場合、担当教師の「学習指導要領に書いてある」というのは、いかにもまずい言い訳である。学習指導要領にはそんな具体的なことは書いていないし、そもそも、書いてあろうがなかろうが、なぜそうなるのか説明できなければならない。

それではなぜそうなるのか。ここからは僕の推測である。

学校で授業をやっていると、どうしてもある部分を省略したり、ときにはあえて間違っていることを教えなければならないことがある。

僕の担当教科(書道・国語)の筆順を例に取る。筆順については前にも書いたが(筆順の話:2013年07月11日)、実は習慣的なもので、これだけが正しいというものはない。だが、それを説明して理解できる生徒は高校生にすら多くはない。下手をすると、じゃあどんな筆順でもいいんだということになる。

まして相手が小学生なら、これはこういう筆順で書きなさいと教えるしかない。漢字の筆順や字形から、文法、漢文の訓読、文学史、語彙の解釈にいたるまで、そういうものはいくらでもある。言葉は悪いが、僕はこれを〈子供だまし〉と呼んでいる。

もちろん正確に教えたいのはやまやまだが、正確に言ってしまうと大事なところがボケる。重要なこととそうでないことをちゃんと切り分けられる生徒なら問題ないが、生徒というものはかなり優秀でも、余計なことは覚えていて重要なことは忘れるという特質があるものだ。小学校低学年ならなおさらそうだろう。

問題になっている、掛け算の順番の場合はどうだろうか。

掛け算の基本である九九を覚えるのは小2である。最近では、幼稚園から覚えさせるところもあるようだし、親が夏休みあたりに覚えさせることもあるだろうから、仮に、授業で九九を教えていなかったとしても、生徒の半数ぐらいが覚えている可能性もある。

となると、教師として一番恐れるのが、何も考えずに九九を使われることである。「りんご3個入りの袋を2袋買ったら、りんごは全部で何個になるか」という問題を読んで、出てくる「3」と「2」という数字だけを拾って「今、授業で掛け算をやっているのだから、これは掛け算だ。3と2という数字がある。三二が六だから正解は六個だ」となるのは問題の解答としては正しいが、教育的にはよろしくない。

特に最近では考えさせる教育がトレンドになっている。何も考えずに、文章(上のエントリの場合は絵だが)に現れた数字だけを拾って計算するのでは、考えていることにならないのである。ちゃんと考えているか、理解しているか分かる方法はないか。

おそらく、ここで〈子供だまし〉を使っているのだろう。数式的には存在しない、掛ける順番のルールを最初に設定することにより、生徒になぜそういう式になるのか考えさせるのである。これが本当に効果があるのかどうか、小学校の先生でも数学の先生でもない僕には分からない。

個人的には〈子供だまし〉は教育には必要だが、最小限に留めるべきだと思っている。少なくともそれが本当に効果があるのか、十分に検討した上で使わなければならない。また、先生の中でも、子供だましを多用する先生と、そうでない先生がいるように思う。
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7月に行った入谷の朝顔市(入谷朝顔市に行ってきた:2013年07月06日)で買った朝顔が、今頃咲いた。7月に植えてから蔓ばかり伸びて、今まで一つも花をつけなかったのに。

宿根朝顔(昼)


肌寒くなってきた今ごろになって花を付けているのも掟破りだが、なんと朝顔という名前のくせに夜(撮影時刻は午前2時)になってもまだ咲いている。
宿根朝顔(夜)


実は今日もまだ咲き続けている。

もちろん、普通の朝顔ではない。「宿根朝顔」と言われる品種で、このあと蔓が枯れても根は生きていて、来年の夏になったらまた伸びてくるそうだ。こんなに寒くなってから咲くのに南方の品種で、沖縄では朝顔というとこれを指すらしい。

朝顔というのは夏の朝だけ咲いて、秋が来れば枯れるものだと思っていたが、こんなことごとく常識に反する奴もいるとは知らなかった。まさに朝顔界の反逆児である。

ノアサガオ(宿根アサガオ)の育て方:e-グリーンコミュニケーション

ちょっと、聞いてくださいよ。

オレ、ヤフオク出してるんですけど、出品料ってのがかかるんですよ。月10回の出品までは無料で、11回以降10.5円かかる。たかが10.5円だけど、これは落札されてもされなくってもかかるんで、なるべく払いたくない。

「出品無料キャンペーン」ってのがほぼ毎週あって、この日に出すと無料になるんだけど、それは月曜日・火曜日が多い。オレの場合、この日に手間のかかる新規出品をするのは難しいんで、新規は無料枠で出品して、落札されなかった売れ残りをキャンペーンの時に繰り返し再出品しています。

そんなわけで、実質一度も出品料を払ったことがないんだけど、無料出品10回までの枠はけっこうプレッシャーです。月・火のキャンペーンも、ちょうどいい時間に家にいなかったり、出品し忘れて火曜日の夜に頭を抱えることもあります。

もうひとつ、出品を無料にする方法があります。それが「出品マスター」です。三ヶ月間の落札金額に応じてブロンズ、シルバー、ゴールド、ダイヤモンドとランク分けされていて、ブロンズは30回、シルバーは50回、ゴールドは500回、ダイヤモンドは1000回まで、出品料が無料になります。

でも、出品マスターの敷居は高くって、一番下のブロンズランクでも、三ヶ月で10万円落札されないといけません。ちなみにシルバーは30万円、ゴールドは100万円、ダイヤは1000万円以上。

オレの主力商品は100円200円の文房具なので、ブロンズでも絶対ムリだと思っていました。ところが、今年の8月・9月で、秘蔵のカメラ用レンズを売りまくったら、10万円をオーバーして10月にブロンズランクになりました。

で、「やったー!今月は30品まで出品料無料だー。」とか思ってたんですよ。ええ、ちょっとした優越感というやつですか?出品無料以外にも特典はありますが、例によってYahoo!なんでロクなのがありません。

そしたら今日、ヤフオクのtopにこんなバナーが載ってるじゃないですか?ナニコレ?
0円宣言

ヤフオク0円宣言:ヤフオク
クリックすると、なんとこれから出品料が無料になるっていうじゃないですか。そういえば、今日は出品無料キャンペーンのはずなのに、アナウンスがないからおかしいと思ってたんですよ。

ためしに出品してみたらこの通り。本当に0円だ。
出品してみた


いや、これから出品マスターとか関係なく無料出品枠を気にしなくっていいってのは朗報ですよ。オレ自身「実質誰も払っていないんだから、出品料なんか廃止にしちゃえばいいのに。ケチくさいなぁ」と思ってましたよ。だから何の問題もない。何の問題もないんだけど・・・。

でもね、何でオレが出品マスターになったとたんにこうなるのか。せめて今月だけでも優越感を味合わせてくださいよ。

思えばオレの人生、こんなのばっかりでした・・・。ええ、何があったかは聞かないでください。

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参院選の結果、どう思いましたか? に参加中!
安倍晋三床屋政談は床屋政談。

今度の参院選挙で自民党は衆参両院で過半数を取り、安倍政権が長期政権になるのは確定的になった。

自民党の勝利はアベノミクスが今のところうまく行っており、今後が期待されるからに他ならない。それでは、自民党に投票した人が期待する通り景気はよくなるのだろうか。

前にも書いたように、安倍首相ができることはバブルの泡を膨らませることだけだ。これはアベノミクスが悪いというのではなく、経済というものはそういうもので、先に泡が膨らんで中身が入る。必要以上に泡が膨らんだり、中身が入らなかったら破裂するのである。

今、泡が膨らみつつあるのは間違いない。それが自民党の得票につながったわけだが、中身が入るかどうかは安倍首相と自民党だけではどうにもならない。

しかし、今回の選挙結果から中身が入るか入らないかにかかわらず、安倍政権は続いていくことが確定した。これは安倍首相の野望「美しい国」が実現しやすくなったということである。

安倍首相の野望はどれも喫緊の課題ではない。憲法改正なんか、大方の人にはどうでもいいことである。賛成している人の大半も、尖閣諸島問題で中国が攻めてくるとか脅されて不安になっているだけで、それがなければ話題にもならないレベルのことだろう。

喫緊の課題でないどころか、どれも手間ばかりかかって経済にはプラスにならないことばかりである。だから、僕は安倍首相はしばらくはこれらのことは手を付けないだろうと思っていた。ところが選挙前から憲法改正草案なんかを出してきたところを見ると、そうではないらしい。

これは国民の支持をとりつけて我慢ができなくなったか、アベノミクスの限界が見えてきたかのどちらかである。いずれにしても、経済対策はおざなりになり、自らの考える「美しい国」づくりに邁進することだろう。

残念ながら、このまま日本の景気がよくなる可能性は低いと思う。あくまで床屋政談だけどね。

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参院選の結果、どう思いましたか? に参加中!
選挙の直後なので、政治の話。まあ、僕の話なんて床屋政談以上のものではない。

今回の参院選では予想外のことが二つあった。

まず一つは、5議席ある東京選挙区で、山本太郎氏が4位に当選したことである。当選するかもしれないという雰囲気はあったが、せいぜい当落線上ぎりぎりだと思っていた。

山本氏は無所属で支持基盤がない。知名度はそれなりに高いが、知名度だけなら他にも候補はいる。かれらは当選には遠く及ばなかったのだから、結局、山本氏が主張してきた脱原発だけが票になったということになる。そして、伝統的に原発に反対してきた、共産党の吉良佳子氏も3位で当選している。

投票行動というのは、単に政策だけではなく、さまざまなしがらみに基づいて行われる。だから、そういうしがらみのない無所属の人が当選するのはかなり難しい。いかに都民が原発再稼働に関心を持っていたかがうかがえる。

自民党は他の問題はほっかむりをして、景気回復を争点にしてくるのは目に見えていた。景気回復は何よりも国民の生活に直結するし、すでにある程度の実績があるのだから、この点を争点にする限り他党に勝ち目はない。

しかし、自民党は原発再稼働に前向きだ。これはほとんどの国民が不安に思っている。どうせ勝てない試合なのだから、明確な原発再稼働反対を打ち出せば、他の政党(とりわけ民主党)ももっと支持を得られたはずだ。それをしなかったのはなぜだろう。単に各党がマヌケだからとは思えない。

それにしても海パンでヘンな踊りを踊っていたメロリンQが政治家になるなんて、あのころ誰が予想しただろうか。


もう一つは、自民党比例代表で出馬した、ワタミの創業者、渡辺美樹氏が苦戦したことだ。

ワタミはブラック企業との批判があり、渡辺氏自身がそれを証明するようなことを公言してはばからないが、何と言っても知名度があり、カリスマ経営者として信奉する人も多い。渡辺氏に投票しないことはできるが、引きずり落とすことはできないから、もっと上位で当選すると思っていた。

しかし、結果は18人中の16位だった。これはブラック企業批判のためだろうか。

僕はそうではないと思う。ネットを見ていると、ワタミの悪行がよく目に入る。教育業界にいればさらに目につく。だから否応なく渡辺氏の存在は目立つのだが、世間一般的にはそれほどではなかった、ということだろう。

考えてみると、今回投票した有権者の大半は、すでに就職しているか、定年退職して引退している人である。この人たちにとっては、一居酒屋チェーンがブラックだろうがホワイトだろうが、知ったこっちゃない。それ以前に「誰?こいつ」という感じだろう。

今回の選挙はネット選挙などと言われたが、まだまだネットの世界と現実の世界には乖離があると思っている。
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たった一行の書き込みなのに、はてブが281、ツィートが292、fbいいねが162(7/19 22:29現在)というすさまじい記事があった。
自転車が趣味の男って:2013-07-17はてな匿名ダイアリー
スポーツやってます風な顔して実のところオタクばっかりで気持ち悪い。

この自転車は主にロードレーサーだろう。たった一行にこれだけ反応があるのがすでに「オタクで」「気持ち悪い」のだが、「自転車が趣味の男」らしき人のコメントに、肯定的な意見が多いのは面白い。

実際にスポーツなので「スポーツやってます風な顔して」いるのは説明はいらないだろう。問題はなぜ「オタク」になって「気持ち悪い」かだ。

自転車だろうと自動車だろうとオートバイだろうと、それが趣味の人は「速く走る」ことが目標となる。しかし、速く走るための方法が、自転車と自動車では全然違う。

自動車やオートバイの場合、速い車とは、最高速度が何キロだとか、時速100kmまでの加速が何秒だとか、ハンドリングがどれだけ安定しているかがテーマになる。そのためには乗り心地が犠牲になることも多い。

しかし、自転車の場合、人間がドライバーとエンジンを兼ねる。エンジンである人間の乗り心地が悪いと肉体的に疲れてしまい「速く走る」ことができない。ものすごく簡単に言うと、自転車は乗り心地が最優先されるのだ。

人間の体力はいくら鍛えても、ガソリンエンジンに比べればずっと非力だ。だから、フレームやパーツの種類、タイヤの空気圧、サドルの形状、ポジション、そして服装や靴など身に付けるもの、すべてが快適さに関わってくる。

例えば、フレーム一つとっても、楽に走るためにはできる限り軽い必要がある。だが、軽ければいいというものではなく、剛性がなかったり、地面の衝撃をまともに伝えてしまうフレームだと返って体に負担がかかって速く走れなくなる。

だから「自転車が趣味の男」はやたらと細かいことにこだわる。これがオタクという印象をうけるゆえんだろう。

さて、最後は「気持ち悪い」だが、そのこだわりが理解できず「気持ち悪い」ということになる。特に自転車そのものは日常の乗り物としてそんなにこだわるものではないのに、そこにこだわる人間は理解できないといったところだろう。
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