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帰省ラッシュで混み合う新幹線の「空いてる指定席」 自由席の客が座ったらダメ?:LiveDoorNews

聞くまでもなくダメなものはダメなのだが、新幹線みたいに次の駅までの時間が長いと、「次の駅までぐらいいいんじゃないの?」という気になるのも分らなくもない。

グリーン車のように、サービスが違うならともかく、同じ車両を自由席車と指定席車に分けるからこういうことになる。自由車が満席で立っている人もいるのに、指定車に空席があれば、なおさら得心ゆかないものがある。

以前イギリスの電車に乗った時は、すべてが自由席で、座席指定したい人が自由席の中から指定できるようになっていた。これはなかなかいいやり方だと思った。

下の写真で、座席の背もたれにカードが差し込まれているのが、指定席である。これは始発駅で差し込まれるらしく、この写真のように、カードがあっても誰も座っていない席がいくつもあった。
指定席

このカードがない席はすべて自由に座れる。窓に「Quet Coach」というシールが貼ってあるが、この車両はおしゃべり厳禁。この席を予約した人は、静かな車両を所望したのである。間違ってここに座ってしまったせいで、我々夫婦は二時間無言で過ごすハメにあった。

カードには、どこからどこまでが指定されているかも書かれている。とうことは、それ以外の区間なら、ここに座っても問題がないということになる。これなら満席で立っている人がいるのに、空席があるという矛盾も解消できる。
指定席証

単純なやり方がだ、この方法なら効率よく座席を利用できるのではないか。いろいろ手間もかかるのかもしれないが、今の方法はもう少しなんとなかならないかなと思う。
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去年の夏に行ったトルコは、自然も文化も驚異的だったが、もっと驚いたのは、トルコ商人の商売の上手さである。遊牧民の末裔だからか、はたまた、アジアとヨーロッパの交差点だからか知らないが、商売とは何かということが分かったような気がする。商売人じゃないけど。

商売というものは、売り手と買い手が交渉して値段を決めることである。そこには、多分に心理が影響する。簡単に言ってしまえば、買い手が不快感を催せば財布の紐は締まるし、そうでなければ緩む。

トルコ商人はここが恐ろしくうまい。物を売るということは、買い手から金を取ることだから、どうしても買い手の心理は不快の方向、つまり財布を締める方向へ向いがちだ。ところが、トルコ商人は、絶対に不快感を味あわせない。よほど勉強しているのだろう。

だいたい、どこの店にいってもお茶(チャイという)が出てくる。お茶を飲んでいる最中は世間話しかしない。決して急かさないし、お茶を飲んでいる最中に、しつこく売り込んでくることもない。特に買うものがなくって、何も買わないで出てきても、決してイヤな顔をしない。ニコニコ笑いならが「またきてくださいねー」とか言っている。買わないで店を出た後のイヤな感じが全くない。

絨毯屋商品に、ダメそうなものがないのもすごい。「浅草に来ました」と書いてあるTシャツとか、金色のプラスチックでできた東京タワーとか、そういうアホグッズがない。あるのは手作りの工芸品ばかりである。中には、「実は中国製」というお約束もあるらしいが、一見して安っぽい、いかにもおみやげ用に作られたものがない。

個人的にはアホグッズが好きなので、それが買えないのは非常に残念なのだが、あれがあると店が安っぽく見える。本当に高いものまで安く見え、引いてはその店だけでなく、その土地で売っている物全体が安っぽく見えてしまう。

もちろん、しゃべりも上手い。最新の日本語のギャグやジョークなどもよく勉強している。どうも、店によって担当国が決まっているらしく、英語が得意な人は英語圏の人を、ロシア語が得意な人はロシア人を、日本語が得意な人は日本人を相手にするらしい。こちらからみれば、日本語ができる人ばかり相手になるので、ついトルコ人は日本語がうまいと思ってしまうが、そういうわけではない。

本当に売り方がうまいなと思ったのは、値切った時である。

「お客さん、日本人でしょ。」
「ああ、そうですよ。」
「日本人は値切らない。お客さんが中国人だったら、値切るから、最初から高い値段をいいました。私、日本人だと思ったから、一番安い値段を言ってます。これ以上まけられない。」

これには関心した。日本人のプライドをくすぐる上手いやり方だ。僕はそんなものないので、さらに値切ってやろうかと思ったが、店員さんに敬意を表してここでやめた。

別の店では、僕が値切ろうとすると、「ダンナさん、こっち来て」と僕だけを店の片隅に呼び、こっそりこれを手渡してきた。ちょうど握れる大きさのビンである。
怪しい薬

何の薬かは、ラベルを見れば一目瞭然。薄めて飲むらしいが、一年たった今も、試していない。
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今年の春、金比羅様にお参りに行ったとき、ことでん(高松琴平電気鉄道)に乗った。
ことでん1

ことでん2

都会人には郷愁を感じさせるローカル線・・・といいたいところだが、僕は池上線沿線に住んでいるので、それほど郷愁を感じない。

それよりもびっくりしたのは、ピンクのコイツ。一部のマニアと子供が大好きな一番前の席に陣取って、一人分以上座席を占領している。ゆるキャラブームとはいえ、ここまで図々しいのはなかなかいない。
ことみちゃん

よく見ると、網棚にもぶら下がっている。
ことみちゃん(小)

このイルカは「ことみちゃん」というらしい。

ことちゃん・ことみちゃんのプロフィール:ことでん

これによると、2002年に「ことちゃん」という青いイルカのキャラクターが作られ、2003年にその恋人として現れ、2011年に結婚。なんと人妻だった。

それはともかく、なぜキャラクターがイルカなのかが気になる。

最初、ことでんのICカード乗車券は「IruCa(イルカ)」なので、文語の「入るか?」をもじってイルカなのだろうと思ったら、IruCaの導入は2005年でことちゃんの方が先である。IruCaからイルカ=ことちゃんではなく、ことちゃん=イルカからIruCaらしい。

年表には「2002年ことでんの大人の事情により「ことちゃん」誕生」と書いてある。どんな大人の事情か調べてみたら、なんと2001年に高松琴平電気鉄道が民事再生法の適用を申請、2002年に民事再生法が適用されて・・・
高松琴平電気鉄道:Wikipedia
民事再生法適用前のサービスはことでんバスとともにお世辞にも良いとはいえず、バス運転手や車掌、駅員の乗客に対する横柄な態度も問題視されていた。そのため民事再生法適用時も「身から出た錆」「別に廃線になっても困らない」など住民は琴電擁護や支援に消極的だった(後述するマスコットキャラクター「ことちゃん」がイルカになった理由は、この時に「琴電はいるか、いらないか」と話し合ったことに由来する)。

大人の事情にも程がある。このゆるキャラ、ぜんぜんゆるくない。そりゃ先頭にいるわけだ。
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思い出の高松市立中央公園(その1)のつづき。

後輩のご家族と別れた後、僕は幕営地を探した。が、なにしろ市民の憩いの場で、オマケに花見の季節である、なかなか身を隠せるところがない。公園内を何周かしたあと、やっと目立たなそうな場所を見つけた。
幕営地

上の写真の一番左のベンチの脇に、テントの内張りだけを張った。夜だから分らなかったが、今見るととんでもないところで野宿したものだ。どこからどうみてもホームレスである。

くたびれていたので、すぐに寝てしまいたいところだったが、花見客が多くて騒々しいし、先ほどもらった夏みかんと酒を消費しなければならない。ベンチに座って、夏みかんをつまみに、日本酒を飲んだ。

目の前には花見の若者たちが往来している。僕はそれを見ながら、少々いい気持で酒を飲んだ。僕のテントを見た一人が、「そこで何やってんのー」と聞いてきた。

「お遍路で野宿してるんだよ!」と僕が答えると、「どこから来たの?」と聞くので、「東京」と答えた。その時、ひらめいた。こいつらに夏みかんをあげちゃおう。

「夏みかん食べる?」
「もらっていいの?」
「さっきお接待でもらったんだけど、多すぎて持って行けないんだよ。」
「じゃあ、もらうーーーー!」

花見だけあってノリがいい。僕は、夏みかんを2・3個投げた。

「お遍路頑張ってねー!」
「ありがとう!じゃあね!」

若者たちは夏みかんを食いながら、どこかへ行ってしまった。

次に話しかけてきたのは、この公園の住人である。数年前からここに住み着いているそうだが、こぎれいにしていて一見してホームレスには見えない。年も若い。彼が言うには、ホームレスでもちゃんと風呂に入るべきだそうだ。彼は自分のことを「フーテン」と言っていた。

ベンチに座って、一緒に夏みかんを食いながら、小一時間しゃべった。酒も勧めたのだが、飲めないらしく断ってきた。僕はだんだん酔っ払ってきた。

彼は、もともと81番札所白峰寺・82番札所根香寺のある五色台の近くの出身で、何らかの事情で中央公園に来たらしい。仕事は徳島市からこの公園の掃除を任されている他、自動販売機の下の小銭集め、それと当時はコンビニの廃棄物の管理が甘かったので、これをもらって食べているという。

何時にどこのコンビニへ行くともらえるなどと、ありがたい助言をいただいたが、僕はフーテンになる気はないので、いらない情報である。

古い記憶だし、酔っ払っていたので、何の話をしたか覚えていないが、しばらく話した後、「この頃はいきなり殴ってくる奴とかいるから気をつけろよ」と言って、自分のねぐらへ帰って行った。彼自身、最近被害にあったのだという。ひどいやつもいるものだ。酒は1/3ほど残ったが、さすがにそれ以上飲むとヤバイので、これまた花見客にあげてしまった。

翌朝、目を覚ますと、竹箒で掃除をする音が聞こえた。テントを出てみると、昨夜のフーテンさんが掃除をしている。僕は、テントを畳み出発の準備をした後、声をかけた。

「おはようございます。昨夜はどうも。これから出発します!」
「おう、気をつけて!高松はいいところだから、またこいよ。オレこのへんにいるから」
「はい、また来ますよ。それじゃまた!」

かくして、僕は13年後のほぼ同じ季節に来たわけである。中央公園にフーテンさんは見当たらなかった。その代わり、あのときには気づかなかった菊池寛がいた。菊池寛の生家はこの公園の近くだったという。

菊池寛銅像

菊池寛通り
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僕は旅行に行った時、「そのうちまた来るだろう」と思うことにしている。「もう二度と来られない」と思うと、余裕がなくなるからである。どこかのバスツアーみたいに「せっかく来たのだから、あれも見ないと、これも見ないと」で追い詰められるのはイヤなのだ。また来ると思えば、何か見逃してもさほど苦にならない。

実際に同じ所に二度いくことは、ほとんどないのだが、期限を決めていないから、死ぬまでには行くだろうと思っている。また、どんなつまらない所でも、二回目に行くと変化や新しい発見があったりするので、これがまた楽しい。今年の春の旅行では、高松中央公園と善通寺がそんな場所だった。

高松市立中央公園は、なんということのない、単なる市民公園である。有名な栗林公園や玉藻公園(高松城)とは違い、観光客がわざわざ行くようなところではない。
高松市立中央公園案内図

2001年の3月、僕は自転車お遍路の途中、この公園で野宿をした。

ここに至る直前、コインランドリーで洗濯をしていると、愛媛県在住の後輩のお母様から携帯電話(PHS)に電話があった。後輩から僕がお遍路していると聞いて、僕に会おうとして自動車で札所を巡ったという。

何度か電話したけど通じないし(当時は着信履歴がなかった)、納経所に聞いても分からないので(僕の顔を知らないので分かるはずがない)、一旦家に帰ったが、今どこにいるのかという。今は高松市内にいて、今日は中央公園あたりで泊まろうと思うと伝えると、なんともう一度出直してくるという。

この人の家は、現在の四国中央市で、高松までは車で一時間以上かかる。すでに午後六時を回っていたので、「遅くなるからいいですよ」というと、お接待を渡したいからどうしても来たいと言う。なにしろ、お接待は断ってはいけないのが原則なので、時間を決めて中央公園の入り口で会う約束をした。それがこれ。
高松市立中央公園入口

記憶が定かではないが、一番奥の植木か二番目の植木の根本に腰掛けて待っていた。道路の向こう側(ガソリンスタンドではなく、写真の左側)を見ていると、明らかに挙動のおかしい車が来て、なんと歩道に自動車をとめてしまった。

車から二人出てきて、僕を見つけると、こちらに歩いてきた。聞くと、後輩のお母さんと妹だという。車の中におばあちゃんも乗っていると言っていたが、何故か降りて来なかった。

「あんなところに車を停めて大丈夫ですか?」と聞くと、「このへんじゃお遍路さんのためだといえば何とでもなるから」と言う。その直後、道路の向こうで警官が車に歩みよるのが見えた。「あ、来たみたいですけど」と言うと、お母さん、あわてて道路を渡る。警察と何やら談判したと思ったら、車は停めたままにしてすぐ戻ってきた。本当に何とかなっちゃったらしい。

なにしろ、わざわざ一時間かけて来ただけあって、お接待は大量だった。夏みかん数個、酒一升、米5kg、コーヒー、おにぎり、お菓子・・・。コーヒーとおにぎりとお菓子はその場で消費したのでいいが、問題は夏みかんと酒、米である。なにしろ、高松ですでに83番札所まで打っている。あと5つ、ゴールは近い。それも市街地が多いから、米5kgどころか1kgでさえ消費できないだろう。もらったら大変な苦行になることが予想されたので、お米だけ丁重にお断りして、あとはいただいた。と言っても、夏みかん5個と一升瓶はなかなかの重さである。これも今晩中に減らさなければ、面倒なことになる。

小一時間しゃべって、三人は自動車で自宅に帰り、僕は公園の中で幕営できるところを探した。ところが、桜が満開の季節である、花見客がたくさんいて、どうにも野宿に向いていない。公園内を何周かして、やっとうす暗い目立たない所を見つけた。(つづく
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RPGといえばダンジョンである。

RPG、実はあまりやったことがないのだが、一時期Nethackというのにハマったことがある。これも典型的なダンジョンで、モンスターと闘いつつ地下深くに潜って、「イェンダーの魔除け」を取ってきて、地上に戻るというゲームだった。

それはいいとして、ダンジョンである。場所はトルコ共和国のカッパドキア。ここにはホンモノのダンジョンがある。
カッパドキア

カッパドキアは、地上の石窟にキリスト教徒が隠れ住んだことで知られているが、彼らは地下にもっとすごい都市を築いていた。その一部が公開されており、カイマクルという地下都市跡に入った。

カイマクル:Wikipedia

公開されている場所はごく一部だそうだが、それでもかなり長く複雑で、ガイドさんがいなければ、すぐには出られなかったかもしれない。何度も上がったり下りたりしたので、何階層あったかさっぱりわからないが、Wikipediaの記述によると、地下8層だそうだ。

廊下はこんな感じ。狭いところも比較的広い所もある。
通路1

通路2

この原始人のお金みたいなのは、石の扉。敵が襲ってきた時に、これをごろごろと転がして通路を塞ぐんだそうだ。
石の扉1

上の写真では大きさがわからないので、別のやつを。壁と同じ石質なので、削りだして作ったものと分かる。
石の扉2

ナゾの石。これは石の質が違う。どこからか持ってきたものと考えられるが、このダンジョンの構造からすると、これをここに入れるのは不可能であるとのこと。
ナゾの石

部屋はこんな感じ。リビングルームって書いてあるけど・・・根拠はあるのだろうか。
部屋

こちらは教会。
教会

ワイン製造所。ここでブドウを踏んでブドウ汁を取ったという。隅っこに穴が開いていて、そこからブドウ汁が流れ出る仕掛け。
ワイン製造所

さて、このダンジョン、RPGのダンジョン同様、下に通じる穴があちこちに開いている。危ないので今は鉄格子が嵌められているが、スカートをはいた女性がこの上に立つと、下からパンツが見えてしまうということになる。そこで、このタイトルになったというわけ。もちろんそんな写真は撮っていない。
下に通じる穴

カッパドキアにはこんなダンジョンがいくつもあるという。中には存在は知られているが、発掘されていないのや、そもそも存在自体知られていないのもあるらしい。人知れずモンスターがうごめいているのがあっても不思議ではない。
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今年から始まった、目黒川の木に今話題の青色LEDを付けてきれいに光らせましょうという、「Nakameguro青の洞窟」なるイベントに行ってきた。

Nakameguro青の洞窟

あまりに人が来すぎて危険なため、土日祝日の点灯は中止したという。25日は最終日だった。

青の洞窟を見る人

この写真でも、かなり人が多いのが分かるが、これはまだ早い時間だったので少ないほうである。

目黒川は桜の木が川に張り出しており、春はこれが見ものになっているが、ここに青色LEDを付けて、「青の洞窟」を模してみましたというわけ。
中目黒青の洞窟1

中目黒青の洞窟2


宇宙人も見に来てた。
宇宙人
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以前、環境保護か何かの講演を聞いた時に、水辺で遊ぶ子供のことを「水ガキ」といい、これが水質汚染の指標になると聞いた。水ガキが多ければ多いほど、水質がきれいだというのだ。言われてみれば、多摩川も、以前は誰も水遊びしていなかったが、最近ちらほら水ガキを見るようになった。

水ガキはそのまま成長すると水オヤジになるらしい。

水オヤジは水ガキとは違い、どんなに水が汚くても泳ぐ。だから、水質の指標には全くならない。遊泳禁止という文字も目に入らない。なにしろガキのころから泳いでいるのだから、水の汚れだの遊泳禁止だのは何の効力もない。これは世界共通で、日本でも「ふるさとの浜辺公園」という、どう考えても泳ぎたくならない(もちろん遊泳禁止)海で泳いでいる、水オヤジを見たことがある。

水着美女ならともかく、海パンオヤジなど興味がないので、見つけてもあまり写真を撮ったことがないのだが、中国広東省、広州の珠江でちょっとした気の迷いから撮ってしまった、水オヤジをお見せしよう。
珠江の水オヤジ

橋の上から川を眺めていたら、突然、この水オヤジが這い上がってきたのである。一瞬、河童かと思ったが、「いやいや、ここは中国。河童なんかいるわけがない」と思い直し、慌ててシャッターを切った。

なにしろ人口密集地域で知られる珠江デルタの一角である。ふるさとの浜辺公園以上に、泳ぎたくなる水ではない。こんなところを一人黙々と泳いでいるのは、河童でなければ、修行僧か何かのように見える。

そういえば、アジアの水オヤジは、大抵一人で泳いでいるような気がする。水ガキだった時代にはたくさん仲間がいたのが、だんだん減っていって、ついに一人になったのかもしれない。

イスタンブールのボスポラス海峡にも水オヤジがいた。それも大量に。
ボスポラス海峡の水オヤジたち1

ボスポラス海峡の水オヤジたち2

泳ぐ水オヤジ

ボスポラス海峡はヨーロッパとアジアを隔てる海峡で、撮影した所はアジア側である。同じアジアでも、東アジアとオリエントでは水オヤジの様子もずいぶん違う。東アジアが修行僧なら、こちらは古代ギリシアの哲学者みたいだ。

水もきれいそうだし、友達がいてなんだか楽しそうだ。たぶん水ガキ時代から、ほとんどメンバーが欠けず、そのまま成長したのだろう。それにしても、しょっちゅう水泳をしている割には恰幅のいい方が多い。水には浮きそうだが、ダイエットには効果ないのかもしれない。
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Wikipediaに鶏肉みたいな味というヘンな項目がある。なにやらよく分からん説明が書いてあるが、ここに書いてある、鶏肉以外の「鶏肉みたいな味」とされるものをいくつか食べたことがある。

例えば、蛙は中国では田鶏などと言われ、まさに鶏に比べられるが、実際食べてみると、たいして鶏肉に似ているとは思えず、蛙はカエル味としかいいようがない。同様に蛇も、ヘビ味としかいいようがない。

何も情報を与えられず、これらを食べて、何に似ているかと問われれば、仕方なく似ていないとは思いつつ、「鶏肉に似ている」と答えるかもしれない。だが、最初から鶏肉に似ていると聞かされていると、どれほど似ているのかと思って食べるので、これがさっぱり似ていないように思えてしまうのである。

さて、鯖サンドである。これはイスタンブールの名物で、その名の通り、フランスパンの如きものに鯖が挟んであるものだ。これがたいそう美味いと聞いていたので、食べてみた。

鯖サンドはイスタンブールのガラタ橋の近くの川沿いに店を出している。橋の下は猥雑で混沌とした場所で、なかなか面白そうな所だが、惜しむらくはイスタンブールの滞在期間が短くて、ゆっくりしていられなかった。

橋をくぐると、釣りをしている人たちがいる。なにも、こんな混んだところでやらなくってもいいのに。サバが釣れるんだろうか。
釣り人

上の写真の右に見えるのが、鯖サンドを作る船。中では鉄板でたくさんの鯖を焼いている。当然サバ臭い。
鯖サンド船

食べるのはこちら。この屋根の向こうに鯖サンド船が係留されていて、そこから買う。こういうのがいくつも軒を並べている。
鯖サンド屋

鯖サンドを食う人々。世の中にここほど地域住民と観光客が入り交じっているところは無いのではないか。
鯖サンド屋の前のイスはテリトリーが決まっていて、別の店で買ったのを食べる(包装紙で分かるらしい)と追い出されるので注意。というか追い出された。
鯖サンドを食う人々

鯖サンド屋が用意したイスでは足りないので、こんなところでも食べている。
サバサンド屋の前1024x768

鯖サンド本体はこれ。
鯖サンド

肝心のお味だが・・・。

たしかに美味い。美味いのだが・・・。

当たり前なのだが、あまりにも鯖サンドなのである。小さめのフランスパンに塩コショウして焼いたサバの切り身と、玉ねぎ、レタスを挟んだものの味を想像してほしい。いや、たぶんそうやって作っているんだろうから、そういう味がするのは当たり前なのだが、想像した以上に何のひねりもないのだ。今はなき天河で売っていても何の不思議もない。いわゆる、妖怪不祥事案件「『こりゃレシピ見なくても家で作れるね』といいつつ、絶対に作らない」というやつである。

ついでにいうと、トルコのパンはうまかった。レストランに行くと、水は出ないが、バスケットに山盛りのパンは必ず出てくるのだが、これがまずかったことはなかった。注文するものによっては、ご飯も付いたりする(これもうまい)ので、炭水化物好きにはたまらない国である。
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この世のものとは思えないパムッカレ(その2):2014年10月21日のつづき。

昨日の記事だけでも、パムッカレの魅力は伝わったことと思うが、魅力はこれだけではない。真っ白な坂道を登って行くと・・・。
石灰棚

だんだん観光客が増えてくる。近づいてみると・・・
水着だらけ1

水着だらけ2

すごいことになってます!

実は昨日の写真は、人がいないところを選りすぐったのである。だから、一番美しい石灰棚の写真がない。人が多すぎて撮れないのだ。

仔細にご覧になると分かると思うが、大変スタイルのいい人と、かつてはそうであったであろう方が多い。トルコ人も美人が多いので有名だが、ロシアからの観光客も多いらしい。これがまた露出がすごい。どんだけすごいかというと、ISO100でf10まで絞って1/1000でシャッター切れるほどすごい。

昨日の記事で、登りきったところにローマ時代の遺跡があると書いたが、そこにはパムッカレ・テルマルなる、遺跡を利用した温泉プールがある。プールに入るのはお金がかかるが、中に入るだけなら無料なので、さっきの人たちはここで着替えて来たらしい。
パムッカレ・テルマル

パムッカレ・テルマル2

で、お金を払って入ってみた。風呂というにはぬるいが、暑いのでちょうどいい感じだ。
いい湯だな

底に沈んでいるのはローマ時代の遺跡で、大理石の柱やらナニヤラ、いろいろあって歩きにくいことおびただしい。
大理石の柱1

ローマ時代のガレキ

いささか煩悩が溜まってきたので、水中クンバカしてみた。
水中クンバカ
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