カテゴリ: 日本の古典文学2

国会図書館本『蒙求和歌』第10第3話「屈原沢畔 漁父江浜」は、『楚辞』や「汨羅の淵」でおなじみ屈原の説話である。

『蒙求和歌』第10第3話 屈原沢畔 漁父江浜:やたナビTEXT

ここで、屈原が止めるのを聞かず、懐王が秦に行き、殺されるくだりがある。ここがちょっとおかしい。

懐王、秦に至らむとするを、「秦は虎・狼のごとし。君、行きて、帰ることを得じ」と、屈原、諫(いさ)むれども聞かずして、秦に向ひて、項羽がために亡ぼされぬ。
項羽がためにほろぼされぬ
これは妙だ。屈原や懐王は戦国時代の人である。項羽とは全く時代があわない。

面白いことに、宮内庁書陵部本では「秦に向て死す」となっていて、項羽の項の字も出てこない。
秦に向て死す
わざわざ間違ったことを書き加えるとも思えないので、やはり書陵部本の方が後なのだろう。

それにしても、なぜここで項羽が登場したのか。もちろん、『蒙求和歌』が参照したであろう『古注蒙求』にはそんなことは書いていないのだが、国会図書館本『附音増廣古注蒙求』にちょっと面白い記述を見つけた。
附音増廣古注蒙求
これは『附音増廣古注蒙求』の頭注にあたる部分だが、ちょうど屈原が懐王を諌めても聞かず、子蘭の勧めで秦に入り、そこで死んだことが書いてある。ここに、「其後懐王死於秦長子頃襄王立」とある。

これは、「其の後、懐王、秦に死す。長子頃襄王、立つ」と読むべきもので、頃襄王はまさしく懐王の長子である。しかし、『古注蒙求』本文の方では「襄王」となっているので、「其後懐王死於秦長子頃。襄王立」と区切ってしまい、さらに頃と項を読み違えて、項といえば項羽だと、ムリクリ項羽に殺されたことにしてしまったのではないだろうか。

ちょっとオソマツな誤読に思えなくもないが、これが『蒙求和歌』もともとの本文だったかは分からない。というのは、書陵部本だとこの部分は二字下げになっていて、注の形式を取っているからである(国会図書館本はそうなっていない)。『蒙求和歌』は注の混入が多く、これも後人が入れたものである可能性がある。
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現代では、漢字とひらがな、カタカナを交ぜて書くのは当たり前のことだが、江戸時代以前はそうではなかった。漢字と平仮名(もしくは平仮名のみ)か、片仮名と漢字のどちらかである。これは、平仮名を使う層と、片仮名を使う層が別であったことを意味している。

物語や和歌・日記文学などは、ほとんどの作品が漢字平仮名交じり(というか平仮名漢字交じり)である。しかし、説話集の場合、キングオブ説話集であるところの『今昔物語集』をはじめとして、漢字片仮名交じりの作品も多い。今、本文を作成している、国会図書館本『蒙求和歌』もその一つである。なお、影印はこちら。

国会図書館本『蒙求和歌』:国立国会図書館デジタルコレクション

『蒙求和歌』は、タイトル通り「和歌」が含まれるが、やはり漢字片仮名交じりで書かれている。ところが、冬部第15話「虞延剋期」は、なぜか和歌だけ平仮名で書かれている。写真右をめくると、和歌と次の恋部の目録が現れる。
『蒙求和歌』虞延剋期
国会図書館本の和歌は本文と同じ書き方で、二字程度下げ、一行で書かれるのが通例なのに、ここは平仮名二行で書かれている。

それにしても上手い。見事な連綿である。まわりの片仮名や漢字と比べると、水を得た魚のような書きぶりだ。

ここだけいきなり平仮名になったのはなぜだろう。ちょっと理由が思いつかないが、冬部の最後の歌であることと、ちょうど改丁してすぐだから、ここだけ見ると、それほど違和感はない。むしろ、こちらの書き方の方が自然な感じがする。

ところが、恋部(冬部の次)を翻刻していて驚愕した。恋部第10話「飛燕体軽」である。
飛燕体軽
ここは通例通り、二字下げの一行(一番左の行)で書かれているのだが、よく見ると「クモヒは(者)るか(可)に」と、なぜか「はるかに」だけが平仮名で書かれている。漢字片仮名平仮名交じりである。こんなヘンな書き方は見たことがない。
クモヒはるかに
まだ半分弱しか翻刻していないので、他にもこのような例があるのかもしれないが、どうにも意味が分からない。

しかし、ここまで翻刻して、「どうもこの書写者は片仮名が苦手そうだな」という感じがしている。「ワ」と「ハ」の区別がついていないようだし、似た字や漢字との誤写も多い。もとが漢籍なので、めったに使わないような漢字も多くて、これが見たこともない形を取っていることもある。

だから、たぶん珍しい漢字や書き慣れない片仮名ばっかり書いていて、ストレスが溜まっちゃったんじゃないだろうか。ストレスが溜まったあげく、いきなり得意な平仮名で歌を書いて発散したり、無意識のうちに平仮名が混じっちゃったりしたんだろう。少々安直だけど、今のところはそんなふうにしか思えない。

いや、ストレスが溜まっているのは、翻刻している僕なんですけどね。
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もしかしたら先行研究があるかもしれないが、ちょっと面白いことに気づいたので、メモ程度に書いておく。

『蒙求和歌』の第2第5話「漂母進食 郭公」は、貧しい時代の韓信が漂母というオバチャンに助けられ、後に楚王となった時に、恩を返したという話である。典拠は『蒙求』の他、『史記』淮陰侯列伝である。

韓信が漂母に出会う場面、国会図書館本『蒙求和歌』では次のようになっている。
下邳ト云所ニ行テイヲヲツクリケルニ漂母来テ・・・
国会図書館本蒙求和歌
「イヲヲツクリケルニ」は「庵を作りけるに」と解釈できる。「庵」は本来の表記では「いほ」が正しいが、この程度の表記ブレは珍しくない。

これでいいだろうと思ったのだが、ちょっと気になって、『蒙求』を見てみた。すると、韓信は魚を釣っている。次の写真は国会図書館本『付音増広古注蒙求』によるもの。「下邳ニ至リテ釣リス」と書いてある。
古注蒙求
念のため『史記』にもあたってみたが、やはり韓信は釣りをしている。

だとすれば、「イヲヲツクリケルニ」は「ク」を削除して、「イヲヲツリケルニ(魚を釣りけるに)」となる。「魚」は「いを」なので何の問題もない。「ク」と「リ」は字形もにているから、たぶん間違えて余分に書いちゃったんだろう。めでたしめでたし・・・。

だが、やはり気になるので、書陵部本の二本を見てみた。

桂宮本『蒙求和歌』:書陵部所蔵目録・画像公開システム
『蒙求和歌』:書陵部所蔵目録・画像公開システム

下の写真の左が桂宮本である。すると・・・。
書陵部本の二本
なんと、どちらも「家を作りけるに」となっているではないか。

おそらく、魚(イヲ)→庵(イヲ)→家(イヘ)になったものだろう。しかし、他の説話を見ると、国会図書館本が欠いている和歌が書陵部本にはあったりするので、直接の親子関係にはないように思える。

校訂本文をどうするか悩んだが、典拠に従って「魚(いを)を釣りけるに」にしておいた。書陵部本と違い、「魚を釣りけるに」という本文の痕跡が見えたからである。
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立憲民主党だの希望の党だの、政治の世界がえらいことになっているが、そんなこととは全く無関係に、『宇治拾遺物語』をバージョンアップした。

陽明文庫本『宇治拾遺物語』:やたナビTEXT

バージョンアップといっても、ブラウザで直接見られるテキストは少しずつ修正してきた。それをまとめたzipファイルを作ったというだけである。したがってVer1.1となっている。しかし、これはVer2.0の布石である。

『宇治拾遺物語』はやたナビTEXTの中では、もっとも古くからある。入力したのはさらに古く、今から20年近く前だ。当時は公開するつもりは全くなく、自分で検索し論文などに引用するために翻刻した。引用するときはその都度確認するので、それほど正確である必要もなく、きわめてテキトーに作った。

現在のやたナビTEXTの電子テキストは、行数まで同じくした翻刻と、それを読みやすくした校訂本文からなっている。現在の『宇治拾遺物語』は、最初の時点で句読点を付し、段落、濁点、カギカッコなどを付けてしまったので、この形式になっていない。

また、あるときから、人名に注釈をつけるようにした。これは、注釈というより、同じ名前で検索できるようにである。例えば、平中・平の貞文・平定文・兵衛佐貞文などの表記ゆれに対し、すべてに「平貞文」と注釈をつければ、「平貞文」で検索がヒットする。この方法は途中で思いついたので、『宇治拾遺物語』と『今昔物語集』の最初のころ入力したものには付いていない。

そこで、これから一話ずつ、現在の形式に書き換えていこうと思う。すでに下ごしらえは終了して、その過程で発見した誤りを修正したのがVer1.1である。

なにしろ197話もあるし、『蒙求和歌』と同時進行だから、かなり時間がかかるだろう。途中、旧形式と新形式が混在することになるけど、そのへんはご寛恕ください。
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ノーベル文学賞をカズオ・イシグロさんが取ったそうだが、そんなこととは全く無関係に、やたナビTEXTの次の作品は、源光行『蒙求和歌』にした。底本は国立国会図書館本。

国立国会図書館本『蒙求和歌』:やたナビTEXT

『蒙求和歌(もうぎゅうわか)』は、鎌倉時代初期に源光行によって作られた、『蒙求』翻案作品である。『蒙求』は唐代の李瀚によって作られた、四字一句の韻文596句からなる、子供向けの教科書的な作品。四文字の韻文だけでは何が何だか分からないので、後に注という形でその句が意味するエピソードが記された。

千字文』や『三字経』の類だと思ってもらえばいいが、本家中国ではそれらに押されて早くに廃れてしまった。日本では、平安時代以降根強い人気があり、近世まで初学者の教科書として使われ、多くの日本文学作品に影響を与えた。

『蒙求和歌』は、一つの説話が『蒙求』の四字句と和文による説話、そしてタイトル通り和歌からなっている。翻訳説話と和歌というと、『唐物語』を想起するが、『唐物語』があくまで歌物語として書かれているのに対し、『蒙求和歌』はあくまで四字句を題材に作者源光行が詠んだもので、各説話の終わりに付けられている。

この手の翻訳作品は、なぜか冷遇されていて、『蒙求和歌』も活字になったものがはなはだ少ない。近年、『『蒙求和歌』校注』(章剣・溪水社)というのが出たようだが、恥ずかしながらまだ未見である。


底本の国会図書館本は、字が細かいこと以外、それほど読みにくくないし、他にも簡単に参照できる本もあるのだが、なにしろ参考とすべき前例がないので、いろいろと判断の難しいところがある。

例えばすでに第1第5話まで作ったのだが、ここでふと第5でいいのかと疑問がわいた。なにしろ『蒙求和歌』である。しかも部立てまである。これは和歌が主体ではないか・・・と。とはいえ、第x首というのも何かヘンな気がする。

まあ、とりあえずこのまま続けていって、問題があれば修正していくことになるだろう。
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『大和物語』の電子テキストを公開しました。例によって、翻刻部分はパブリックドメイン(CC0)で、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

三条西家旧蔵伝為氏筆本『大和物語』:やたナビTEXT

底本は伝為氏筆本。影印は国立国会図書館デジタルコレクションで見られる、古文学秘籍叢刊による複製です。伝為氏筆本は講談社学術文庫『大和物語』などの底本となっていますが、いずれもこの複製によっています。

比較的読みやすい写本でしたが、勘物が多く含まれていて、これがなかなか苦労しました。

勘物の内容は登場人物に関する考証なので、判読が難しいときは、久しぶりに公卿補任だの尊卑分脈だのを引いて調べましたが、明らかに間違っていることも多く、「なんじゃこれは」というものも結構ありました。

実はこれまで『大和物語』を通読したことがありません。何度かトライしましたが、あまりに興味がもてないので、前半で挫折してしまうのです。

僕にとって『大和物語』は相性の悪い作品でしたが、今回むりやり読んでみて、いろいろと勉強になりました。苦手だった和歌の解釈にも自信がつきました。何よりも、ところどころ見られる中世文学の萌芽に気づけたのが収穫でした。

まあ、あまり細かいことを語るとボロがでそうなので、今日はこんなところで。とりあえずご報告まで。
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鴨長明『発心集』の電子テキストを公開しました。例によって、翻刻部分はパブリックドメイン(CC0)で、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

慶安四年版本『発心集』:やたナビTEXT

底本は慶安四年版本で、影印は名大システム 古典籍内容記述的データベースと、早稲田大学図書館古典籍総合データベースを利用しました。慶安四年版本は、いわゆる流布本で、角川文庫や新潮日本古典集成などの底本になっているものです。

漢字カタカナ交じりで、非常に読みやすいのですが、漢字表記が多く、不統一で、さらに濁点、句点がすでに付されているので、これをどう校訂本文に生かしていくか悩みました。

例えば、「発す」は「おこす」と読めばいいのですが、現代ではあまりしない表記です。とはいえ、作品名が「発心集」なので「おこす」と平仮名にしてしまうのも、「起こす」と別の漢字を当てるのも気が引けます。やむなく「発(おこ)す」としましたが、これだと「発す」で検索できません。

読み仮名や送り仮名をどう処理するかも悩みました。翻刻ですべてカッコに入れてしまうと、やたらと読みにくいものになります。やむなく、翻刻では読み仮名・送り仮名は省略し、校訂本文の方に必要に応じて組み入れましたが、これもいろいろ疑問があります。

例えば、「本意」。底本の読み仮名に従うと、「ほい」「ほんい」両方あります。他にもあやしい読み仮名や不統一の読み仮名はたくさんあり、たぶん版本を作った人が勝手に入れた読み仮名だと思いますが、そのまま校訂本文に組み入れました。

最後に『発心集』について。

『発心集』は『方丈記』でおなじみ鴨長明による仏教説話集です。長明が語りモードに入って、少々難しくなることもありますが、仏教説話として読みやすい部類に入ります。

『発心集』とはいうものの、発心譚(仏道に目覚める話)だけではなく、霊験説話・往生説話・遁世説話など、あらゆる仏教説話のタイプが揃っています。無いのは仏伝と縁起ぐらいでしょう(あったっけ?もう忘れた)。そのため、仏教説話集入門としては最適だと思います。

さて、やたナビTEXTに収録した長明の作品は、『方丈記』と『無名抄』があります。これで長明の散文作品はすべて揃ったことになります。

鴨長明ブーム、来ないかなぁ。
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古典文学テキストのレベル:2017年07月18日で、やたナビTEXTでは、『今昔物語集』と『宇治拾遺物語』以外は、レベル1(翻刻)とレベル4(校訂本文)の二つのテキストを掲載していると書いた。

『宇治拾遺物語』の方は、かなり昔に入力したため、これだけ形式が違う。いずれ同じ形式にするつもりだが、『今昔物語集』は最初から現在の形式でいくつもりだった。

やたナビTEXTの『今昔物語集』の底本は、『攷証今昔物語集』(芳賀矢一・冨山房・大正2年〜大正10年)である。これを底本にしたのには理由がある。

『今昔物語集』の注釈書の底本は、多くが鈴鹿本を底本としている。これは、『今昔物語集』の諸本はすべて鈴鹿本をもとにしているという研究結果からである。この鈴鹿本、大変ありがたいことに、京都大学がネット上で公開している。

京都大学附属図書館所蔵 国宝今昔物語集(鈴鹿家旧蔵)

ならばこれを使えばいいかというと、話はそう簡単ではない。鈴鹿本はすべての『今昔物語集』の親本とはいうものの、わずかしか残っていない。そこで、現在のテキストの多くは、不足を他の伝本で補っている。ほとんどは容易に見ることができず、この方法は取れない。

そこで、僕は『攷証今昔物語集』を使用することにした。これなら最初から活字だから、膨大な量の『今昔物語集』でも比較的早く終えることができる。それでも全部打ち終えるまで丸三年かかったのだが。ちなみに『攷証今昔物語集』は朝日古典全書『今昔物語集』の底本になっている。

今から100年も前に刊行された本だが、いまだに大きな価値がある。底本の東京帝国大学所蔵田中頼庸旧蔵本(田中本)が関東大震災によって焼失してしまったので、そのテキストを知るよすがとなるのは『攷証今昔物語集』しかないからだ。この本には一枚だけ田中本の写真版がある。
田中本今昔物語集影印
本文は底本どおり、漢字片仮名交じりの宣命書きで組まれている。頭注は異本注記や本文のおかしなところの指摘である。
攷証今昔物語集の本文
本文の次に「攷証」がある。これがすごい。
攷証今昔物語集の攷証
なんと、すべての説話に、出典と思われる説話や類話のテキストをそのまま挙げている。だから、本文よりも攷証の方が長いものもある。

作品名の上にある○や◎は『今昔物語集』本文との関係を表していて、この場合だと、『日本往生極楽記』を直接の出典と見ており、『経律異相』を類話、『元亨釈書』・『宝物集』を「同一説話で他書に散見したもの(凡例より)」とする。どこからどうみてもとんでもない労作である。

僕が持っているのは昭和43年に復刊されたもの。函に入れて並べるとこんな感じ。大きさの比較のため、タバコを置いてみた。
攷証今昔物語集(函)
背。この、モダンなんだか古臭いのかよくわからないデザインが冨山房風味。
攷証今昔物語集(背)
表紙にはアールデコっぽい模様がエンボス加工されている。ただし、アールデコの流行は昭和に入ってからだから、ちょっとしたオーパーツ。このヘンな模様と右下の赤い「冨山房」ロゴが全く合っていない気がするが、そこがいかにも昔の冨山房っぽくっていい。
攷証今昔物語集(表紙)

この本、いつ買ったかよく覚えていないが、少なくとも20年以上前であることは間違いない。今昔物語集研究の記念碑的な本として買ったのだが、その後、ずっと本棚の肥やしだった。よもや20年を経て〈役に立つ〉日が来るとは思わなかった。本はとりあえず買っておくものである。

なお、中身は国会図書館デジタルコレクション「攷証今昔物語集」で見ることができる。本当に便利な時代になった。
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一般的に活字で出てている古典文学のテキストは、校訂者によって作られたものである。どう作ればいいという決まりがあるわけではなく、校訂者の方針や、版元の方針によって変わってくる。同じ作品でも、読むテキストによって読みやすかったり読みにくかったりするのはそのためだ。

これを仮にテキストのレベルという。すると、だいたい次の五段階ぐらいにわけられるだろう。

レベル0…原典の影印
レベル1…影印の忠実な翻刻。
レベル2…忠実な翻刻に句読点・濁点等を付し、段落分けしたもの。
レベル3…レベル3を歴史的仮名遣いに直し、送り仮名を修正したもの。
レベル4…漢字表記の統一。

レベルが上がるに従って、現代人にとって読みやすくなるが、それは原典に手が加えられているということでもある。実際にはこんなにきれいに分けられるものではないし、レベル4でも、ルビや注釈によってレベル1に戻せるように工夫したものもある。

やたナビTEXTの場合、『今昔物語集』と『宇治拾遺物語』以外は、レベル1とレベル4をテキストとして提供している。

レベル4のテキストは読みやすく、検索もしやすいが、一方でもともとのテキストの味が消えてしまうおそれがある。また、校訂した人の解釈が加わってしまうため純粋なテキストではない。逆にレベル1のテキストは読みにくい。ヘタをするとレベル0よりも読みにくくなるが、そのぶん解釈は入らず、原典の味に近くなる。

これは紙の本では難しい。なにしろ、同じ文章を二つ並べなければならないので、本の厚さが倍になってしまう。しかし、まったくないわけではなく、たとえば岩波文庫『新訂 方丈記』(市古貞次・1989年5月)は、校訂本文に翻刻、影印までついている。これは『方丈記』が短いからできることだろう。

研究者はできるかぎりレベルの低いテキストを欲しがる。だから日本のネット上のテキストは影印ばかりになるのだが、それでは検索ができないし、初心者には敷居が高い。そもそも、研究者だって自分の専門以外は、レベル4のテキストで読む方が多いはずだ。

研究者はその手のテキストはすでに持っているか、容易に読める立場にいるから、ネット上のレベル4テキストには関心がない。しかし、それでは古典文学の読者を広げることはできないだろう。

読みたければ注釈書を買えばいいと言われるかもしれないが、昨今、文庫本でも1000円オーバーは当たり前、あらゆる物が安くなったのに本は高すぎる。読めるかどうか分からない本を1000円以上も出して買う奴はいない。
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『今昔物語集』の電子テキスト化が一通り終わったので、次は『大和物語』にした。

三条西家旧蔵伝為氏筆本『大和物語』

伝為氏筆本『大和物語』は、講談社学術文庫や日本古典全書などの底本になっている本である。これらの注釈書は古文学秘籍叢刊の複製を使っているが、同じものを国会図書館デジタルコレクションで見ることができる。

古文学秘籍叢刊 大和物語上
古文学秘籍叢刊 大和物語下
古文学秘籍叢刊 大和物語解説

実は、『大和物語』を通読したことがない。何度か読もうと思ったのだが、気がつくと飽きてしまうのだ。

『大和物語』というと、『伊勢物語』・『平中物語』と並んで、歌物語の代表として知られるが、それらと違い、一貫した物語性がなく、正直言うとあまり面白くない。和歌がわかれば楽しめるのかもしれないが、どうにも和歌は苦手で、そこまでに至っていない。

テキストを作るとなると、どうしても深く読まなければならないから、また別の発見があるものだ。それを期待して読んでいるが、早速琴線に触れる章段を見つけた。

第10段 監の命婦堤にありける家を人に売りて後・・・

監の命婦が、鴨川近辺にあった家を売って、粟田に引っ越したのち、売った家の前を通った時に歌を詠んだ、というだけの短い章段である。歌は、次のようなもの。
ふるさとをかはと見つつも渡るかな淵瀬ありとはむべも言ひけり

「ふるさと」が旧宅を指し、「かは」は「彼は」で、「これは(昔の家だ)」と「川」を懸けている。「淵瀬ありとはむべも言ひけり」とは、「人生に浮き沈みがあるとはよくいったものだ」と言う感じでわりとありきたりの表現だろう。技巧は凝らしてあるが、たいした歌でもない。しかし、これが他人事ではない。

現在、祖父母が住んでいた家を貸しに出している。まだ借り手はついていない。この家は、僕が生まれて最初に連れてこられた家でもある。東京の病院で生まれた僕は、病院から近い祖父母の家に最初に連れてこられたのである。

もちろん、そんな時代のことは覚えていないが、大学を卒業して数年間、諸事情によりここに居候した。その後、近所に仕事場を借り、だんだんとそこで生活するようになったが、結婚後も徒歩15分程度の近所に住んで、一昨年祖母が倒れるまで週に何度も通った。居候して25年以上である。

まだ借り手はつかないが、中身はすっかり空になっているので、入っても自分の知っている家ではない。長くいる気にもならず、さっさと出てしまう。玄関に鍵をかけて振り返ると、寂しいのとも違う、悲しいのとも違う不思議な感覚におそわれる。

近所だからしょっちゅう前を通っていて、たいして懐かしくもない。毎日会ってた友人が、突如見知らぬ人になったような、なんとも表現できない奇妙な感覚である。監の命婦も「淵瀬ありとはむべも言ひけり」程度の言葉しかでてこないのも理解できる。

今でなければ、この章段も「つまんねぇ話だな」としか思わなかっただろう。今はつまらない歌しか出てこないのも含めて、いや、それだからこそ「こんな感じだよなー」としみじみと思うのである。
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