先日から最初の中国旅行で行った写真をちょこちょこと上げているが、これはコロナ自粛の最中にスキャンしたもので、もともと銀塩カメラ(フィルムカメラ)で撮ったものだ。当時デジカメはあったが、300万画素程度の解像度しかなく、精密機器に過酷な自転車旅に持っていくようなものではなかった。
たくさんシャッターを切ったと思っていたが、241枚しかない。35枚撮りフィルムで7本程度、ひと月近く行っていたにしてはずいぶん少ない。
あまり撮っていない理由はいくつか思い当たる。まず、過酷な旅だったので、写真を撮る余裕がなかった。初めての中国だったので、どこで撮っていいのか悪いのか分からず、カメラを取り出すのにも勇気がいった。そもそも、撮れる枚数がデジカメと比べるとはるかに少ないから、フィルムをケチっているというのもある。
枚数以上に驚いたのは、記憶にある景色がことごとく写っていないことである。例えば、『水滸伝』でおなじみ梁山県の風景は鮮明に記憶している。やたらと埃っぽい街で、子供がきなこ餅みたいになって遊んでいる。町の真ん中に低い山があって、子供が二人登っているのが夕日に照らされてシルエットになって見えた。町では露天の料理屋が、ゴーゴーと音を立てて炒め物を作っているが、なんと閉店したガソリンスタンドの前だった。
この子供が登っていた山が梁山泊だと分かったのは、つい最近のことである。水がないから別のところにあるのだろうと思っていたが、かつて沼だったのが干上がって町になっていたのだ。なるほど埃っぽいわけだ。
これほど印象的な町なのに、梁山県の写真はこんなどうでもいい写真しかない。

橋に「梁山劇院」とか書いてあるからかろうじて梁山県の近くだと分かるが、こんなアホな写真は撮った記憶すらない。梁山県のどのへんなのかすらよく分からない。どうでもいい写真はあるのに、鮮明に記憶に残っている風景の写真がない。ちょっと不思議な感じがする。
そんなわけで、思った以上にたいした写真がないのだが、今月はボチボチ蔵出ししていくつもりである。
たくさんシャッターを切ったと思っていたが、241枚しかない。35枚撮りフィルムで7本程度、ひと月近く行っていたにしてはずいぶん少ない。
あまり撮っていない理由はいくつか思い当たる。まず、過酷な旅だったので、写真を撮る余裕がなかった。初めての中国だったので、どこで撮っていいのか悪いのか分からず、カメラを取り出すのにも勇気がいった。そもそも、撮れる枚数がデジカメと比べるとはるかに少ないから、フィルムをケチっているというのもある。
枚数以上に驚いたのは、記憶にある景色がことごとく写っていないことである。例えば、『水滸伝』でおなじみ梁山県の風景は鮮明に記憶している。やたらと埃っぽい街で、子供がきなこ餅みたいになって遊んでいる。町の真ん中に低い山があって、子供が二人登っているのが夕日に照らされてシルエットになって見えた。町では露天の料理屋が、ゴーゴーと音を立てて炒め物を作っているが、なんと閉店したガソリンスタンドの前だった。
この子供が登っていた山が梁山泊だと分かったのは、つい最近のことである。水がないから別のところにあるのだろうと思っていたが、かつて沼だったのが干上がって町になっていたのだ。なるほど埃っぽいわけだ。
これほど印象的な町なのに、梁山県の写真はこんなどうでもいい写真しかない。

橋に「梁山劇院」とか書いてあるからかろうじて梁山県の近くだと分かるが、こんなアホな写真は撮った記憶すらない。梁山県のどのへんなのかすらよく分からない。どうでもいい写真はあるのに、鮮明に記憶に残っている風景の写真がない。ちょっと不思議な感じがする。
そんなわけで、思った以上にたいした写真がないのだが、今月はボチボチ蔵出ししていくつもりである。