カテゴリ: 美術と書道2

今、書道を初めるなら、最初に手に入れるべき本は、高校書道Iの教科書一択である。どこの本屋にでもあるというものではないのが欠点だが、現在日本で売られている書道関連の本の中で、これ以上に買う価値のある本はないと断言できる。

学校の教科書は学習指導要領と同時に四年に一度改訂がある。書道の教科書はここ20年余りで、おどろくほど進化した。

かつて書道の教科書はすべてモノクロだった。墨の黒と紙の白だからこれでいいということだったのだろう。僕の記憶が正しければ、当時は8社ほど(たぶん)が書道の教科書を出していた。

そんな書道の教科書も、次第にカラーページが増えてきた。まず仮名のページがカラーになり美しい料紙が再現されるようになり、神龍半印本『蘭亭序』や『風信帖』がカラー・原寸大で全文が載るようになった。そして全ページがカラーになった。

初めて本物の神龍半印本『蘭亭序』を見たとき、もちろん本物であることには感動したが、それ以上に教科書グラビアの再現性の高さにびっくりした。今、このころの教科書を見るとそれでもイマイチに感じられる。今はさらに美しくなっているのだ。

このあたりで、印刷会社と強いつながりを持たない出版社の撤退があいついだ。カラーにしなければ採用されない、かといってカラーはコストが高くつくから採用数が少ないと大損するということだろう。

全てのページがカラーになると、今度は判型競争が始まりどんどん大きくなった。今の教科書は各社A4版である。これによりほとんどの法帖が原寸になり、拡大手本も大きくなった。

判型が大きくなると、今度は厚くなっていった。今度は内容で競争!というわけだが、厚くなると開きにくくなる。書道室の机はそれなりに大きいが、それでもでかいうえに厚いと使いにくい。最悪、書いている最中に教科書が自動的に閉じてしまう。

そんな中、光村図書が製本方法を変えて中綴じにしてきた。これは開きやすい。真ん中をホチキスみたいな金具で留めてあるだけなのでコストも安くすむのだろうと思ったら、こっちの方がコストがかかるそうだ。

さて、ここまでが前回の改訂。今回の改訂(来年度1年生が使う)では、光村図書に追随して開きやすい方向にいくのだろうと予想した。この予想自体はあっていたが方法が違った。

まず、光村図書は前回と同じ中綴じで勝負。
光村

教育図書(上)と教育出版(下)は2分冊に。どちらも拡大手本は分冊の方にまわして開きやすいように薄くしてある。どちらの分冊もカラーだが、教育図書は分冊で本体との独立性が高く、教育出版は本体の付録という感じ。
教育図書と教育出版
東京書籍は従来どおり(もちろん中身は変わっている)。すみません、見本が学校にあるんで、写真が撮れません。

印刷技術やインターネットとの連携、コラムの充実など、当然中身も進化している。今後はどう進化していくのか、ちょっと想像もつかない。

もちろん内容にもふれたいのだが、そんなことをすると恐ろしく長くなってしまので、このへんでやめておく。ともかく、今書道の勉強をするなら、どこの出版社であろうと書道Iの教科書が最高であることはもう一度言っておく。
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『今昔物語集』に、曹娥という女の子が父親に殉じて川に投身したという説話がある。

『今昔物語集』巻9第7話 会稽州曹娥恋父入江死自亦身投江語 第七:やたナビTEXT

この説話は、『後漢書』列女伝が元ネタで、それによると次のような話になっている。
昔、会稽州に曹娥という十四歳の少女がいた。曹娥の父、盱(く)は歌や舞いを川の神様に献ずる人だったが、漢安二年(一四三)五月五日、神様に召されて川に落ちた。神様に召されたため遺体は上がらなかった。曹娥は父との別れを悲しみ、川ばたで七日七晩、昼夜を問わず声を上げて泣き、ついにみずから川に身を投げてしまった。地域の人たちは曹娥を孝女として讃え、県の長官は石碑を建てた。
現在この川は曹娥江という名前になっていて、紹興酒でおなじみ浙江省紹興市の北東にある。一度行きたいとは思っているのだが、紹興には三回も行っているものの、ちょっと離れている上にただの川なので、まだ行っていない。それはともかく、この説話、いろいろヘンな方向に広がりがあって面白い。

県の長官が建てたという石碑は現存しないが、碑文はかの書聖王羲之が書いたとされる『孝女曹娥碑』で伝わっている。ただし王羲之の時代には見られない筆法があるので、もっと後の時代のものとみられている。

これよると、曹娥ちゃんは身を投げて五日後、父親の屍を抱いて川から出てきたとある。本来、溺死した父に殉死したというだけの話が、すでに尾ひれが付いている。

そして『孝女曹娥碑』には、碑文の後にちょっと面白い文が書き加えられている。
孝女曹娥碑
漢の議郎の蔡邕(さいよう・碑文では蔡雍)は曹娥碑の話を聞いてこれを見に来たが、闇夜で見えなかったので、手さぐりでその文を読んだ。そして碑に「黄絹幼婦外孫韲臼」と書き込んだ。

蔡邕は『熹平石経』を書いたことで知られる後漢の学者である。見に来るんなら昼間に来いよとか、なに落書きしてるんだよとかツッコミどころはあるが、それにしても「黄絹幼婦外孫韲臼」の意味がまったく分からない。

ところが、これを読み解いた人がいる。三国志でおなじみ曹操と臣下の楊修である。
曹操が江南に行った時に『孝女曹娥碑』を見た。曹操は碑文の最後にある「黄絹幼婦…」の文言を見付けたが、いくら考えても意味をとることができない。同行の楊修に「お前、この意味分かるか?」と聞くと、楊修は「分かります」と言う。曹操は「ちょっと待て、ワシが解くまで答えを言うな」と言って、帰りの道中、必死に答えを考えた。三十里ほど行ったところでピンと来た曹操が楊修に答えを求めると、楊修は次のように答えた。

「黄絹は糸の色だから糸+色で【絶】、幼婦は少女だから女+少で【妙】、外孫は女(むすめ)の子どもだから女+子で【好】、韲臼(スリバチみたいなものか?)は受辛(辛いものを受ける)だから受+辛で【辤】(辞の異体字)。通して読むと『絶妙好辞(絶妙に良い言葉)』という意味です」

これを聞いた曹操は「私の考えた通りだ。しかし私の才は楊修には遠く及ばない。その差は距離にして三十里もあることを悟った」と言った。(『世説新語』捷悟)
楊修は曹操に仕えた優秀な役人である。この説話は、楊修の優秀さと、自分の能力の限界を理解しそれを補う優秀な人を積極的に登用した曹操の性格をよく表している。ナゾナゾを解読して優秀さを表現するという点では、『宇治拾遺物語』に出てくる小野篁の説話(第49話小野篁広才の事)を思い出す。

ついでにいうと、曹操は建安十年(二〇五年)、豪華な葬礼を戒めるため石碑の建立を禁止(禁碑令)している。もし曹娥の殉死が禁碑令の後だったら、これらの話は一つも生まれていなかったことになるのも面白い。

それにしても、王羲之が碑文を書いたとか、蔡邕がナゾナゾみたいな文句を書いたとか、それを楊修が読めたとか、よく出来た話ばかりで胡散臭い。なお、中国では現在も「黄絹幼婦」は「絶妙」を意味する故事成語として使われているらしい。

黄绢幼妇:百度百科
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生徒に作品を書かせたら、落款(署名)に「〇〇虫」と書いていた。〇〇は自分の名前で、本来は〇〇書と書く。虫になっちゃったのは、「書」の草書体が「虫」という字に見えたからだ。草書を「◯◯みたいな字」だと思って書くと不思議とそうなってしまうものだ。虫になったのは初めて見たが、「出」になってしまうのは今まで何度も見た。

「書」の草書体は次の写真(『新書道字典』二玄社による)を見てほしい。筆順は縦が先。簡体字の「书」はこれをもとにしたものである。
書
筆順は縦が先だという意識がないと、「虫」に見えてしまうかもしれない。こういうことは草書という書体には常につきまとう問題で、現代人だけの話ではない。

『古今著聞集』114話に、大江以言の作った秀句に感動した源為憲が、感動のあまり「土嚢」に頭を突っ込んで涙を流したという話がある。

・・・と作りて、以言すなはち講師にて読み上げたるを、為憲朝臣その座に侍るが、聞きて土嚢に頭を入れて涙を流しけり、見る人、あるいは感じ、あるいは笑ひけり。
「見る人、あるいは感じ、あるいは笑ひけり」とあるが、笑うのはともかく、こんな奇行に感動するやつはいない。そもそも貴族の邸宅に土嚢はないだろう。あったとしても、土が入っているから土嚢であって、入っていなければただの袋。土の入った土嚢に頭(しかも烏帽子をかぶっている)を突っ込むのは奇行を通り越して不可能である。

底本(書陵部本)では、土嚢の部分はこう書かれている。
土嚢
点が付いているが、土に点を付けるのは普通である。筆順は横→縦→横→点に見えるので土の筆順。日本古典文学大系では「土嚢」として頭注に「江談抄は「書(詩イ)嚢」。」とあり、新潮日本古典集成では本文を「書嚢」としている。「書」ならば縦→横→横→点でなければならないので、文字としては「土」である。

しかし、この説話は最後に「かの為憲は、文場ごとに嚢に抄物を入れて随身しけるを、土嚢とは名付けたりけり。」とわざわざ書いてある。「抄物」を入れるのだから「書嚢」で間違いないだろう。ここの「土嚢」も前と同じ字形なので「書」が「土」になるのは筆写者の癖と考えられる。

これで一見落着と思いきや、読み進めてみると、今度は「出」の字がほぼ同じ字形になっているのを見付けた。
古今著聞集122罷出古今著聞集131申出
左は「罷出けるに(122話)」で右は「申出たりけれとも(131話)」である。文脈的には「出」としか思えないが、字形は前出の「書嚢(土嚢)」と全く同じである。ちなみに「出」は一画目を横からかくことも多いので、「書」とは違い「出」と読めないことはない。

おそらく、この筆写者は「書」「出」「土」を同じ字形と認識していたのだろう。現代人は楷書を中心に考えるから、字形のちょっとした違いで文字の違いがでると考えてしまう。しかし、草書や仮名は文脈で読むものだ。この筆写者は、「土嚢」とか「出嚢」とか読まれることなど考えもしなかったのだろう。
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現代人は平仮名の下手な人が多い。原因は横書きが多いことと、手書きの文字を見慣れていないことだろうと思っている。

僕がつねづね気になっているのが「ら」である。「ら」は本来、
本来のら
のように一画目の点が一番上にくる。「ら」の字母は「良」で、一画目が最初の点なのだから、そうでないとおかしい。ところが最近は、
最近のら
のように右に寄っている人が多い。これはおそらく活字(フォント)の字形によるものだろう。活字では四角形に納めるために点が右に置かれている。

さらに、
書き順の間違ったら
ここまで点が下がっている人もいる。こういう人はだいたい筆順が間違っていて、あとから点を打っている。

こんな書き方をするのは現代人ならではだろうと思っていたが、内閣文庫本『醒睡笑』の翻刻をしていたら、この書き方が出てきた。それも一つや二つではない。
人の見るらんそこからは
左は「人の見るん」で右は「そこかは」である。いずれの「ら」にも点があるが、次の字につながっているため、「らん」・「らは」と書いてから最後に点を付けていることが分かる。この形だと「し」や「く」「え」「ゝ」などと間違いやすいので付けたのだろうが、すべてがこうなっているわけではない。
むくふらん(点なし)
これは「むくふらん」で、先ほどと同じく判読しにくい字形だが、点は付いていない。点を付けるか付けないか、明確な基準はないようだ。

「らん」「らは」と書いてから点を付けているのだから、これは文字の一部というよりは記号的なものだろう。いままでいろいろな写本を見てきたが、こういう「ら」の書き方をしたのを見たのは初めてだ。内閣文庫本『醒睡笑』は江戸時代後期の写本らしい。僕はこの時期の写本を多く見ていないので、こういう書き方が普通なのかどうか分からないが、このころすでにこんな書き方があったとは知らなかった。

とはいえ、「ら」は点から書きましょう。
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書道の授業をやっていて、筆順を説明するのは難しい。一つの筆順が正しいと言ってしまえればいいのだが、実は正しい唯一の筆順というものはない。だからといって、どう書いてもいいというわけでもない。このへんの説明が難しいのだが、ふと筆順は料理に喩えると説明しやすいんじゃないかと思った。

例えば炒飯を作るとしよう。たいていの人は炒飯を食べたことがあるから、味や材料は知っているはずだ。つまり、漢字の形は知っている。

では料理の手順はどうか。僕の場合、最初に肉・ネギなどを炒めてから一旦ボウルに上げ、次に玉子をちょっと焼いてから、ご飯を入れて味付けして混ぜながら炒め、最後に肉・ネギを入れて炒める。だが、人によっては玉子も別に取ったり、ご飯と玉子を混ぜて味付けした後で一緒に炒めたりする。どの方法でも炒飯はできる。

筆順は料理の過程と同じだ。筆順は一つとは限らない。料理にいくつもの手順があるように、筆順もいくつもある。その意味では、正しい筆順などないというのは間違いではない。

しかし、もし料理そのものを知らないとどうだろうか。全部一緒に炒めてしまったり、へんなタイミングで味付けしたりする。炒飯らしきものはできるが、不味い炒飯になるだろう。それならまだいい。料理を全く知らない人なら、最悪「炒める」こと自体を知らず、英語でFried riceだからと揚げてしまったりするかもしれない。その場合、炒飯ではない謎の何かができてしまうことになる。

筆順も同じで、ある程度漢字の書き方が分かっている人には「正しい筆順などない」でもよい。しかし、それを知らない人、例えば初めて漢字を習う子供や、漢字を使わない国から来た外国人にそう言ってしまうと、とんでもないことが起こる。筆順の概念すらない外国人などは、横画を右から書いたり、下から上に書いたりすることさえある。

料理を人に教える場合、基本的に一つの行程で教えるのが普通だろう。こうやってもいい、ああやってもいいなどとは教えない。同じように、子供や外国人に教えるのなら、一つの筆順で教えるほかない。いくら正しい筆順はないといっても、そう教えるほかないのである。

もう一つ重要なことは、正しい筆順は応用が効くということだ。これも料理と同じである。
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あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
年賀状
写真のネズミさんは、パリの下水道博物館で買ったシャルルドブール君です。だからバックが凱旋門。
ball
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今年もあとわずか。去年に引き続き(年賀状の素材あげます:2018年12月26日参照)、例によって妻にボツにされたネズミのイラストを公開する。年賀状の素材としてぜひ使ってほしい。

著作権は主張しないので、無断で自由に使ってもらってかまわない。別の方面からクレームがくるかもしれないが、これはあくまでオリジナルである。
み1
み2
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書道をやる人間にとって表装(表具)は大問題だ。できることなら、展覧会のぎりぎりまで書きたい。しかし、表装には時間がかかる。だから、できるだけ早く、美しく、できれば安く表装してもらえる業者はありがたい。等々力のSMスチール工業(友禅)は、そんな都内の書道関係者のニーズに答えてくれる店だったから、使っていた人も多いはずだ。

昨日、文化祭に展示する生徒作品の裏打ちを頼むために、そのSMスチールに行った。裏打ちぐらいなら数十分でやってくれるので、毎年ここにお願いしていたのだ。行く前に、営業時間を確認するためホームページを見ようとしたら、「Service Temporarily Unavailable」というエラーが出た。なんだかイヤな予感がする。GoogleMAPで検索すると、「閉業」と書いてある。ますますイヤな予感。

しかし、Google検索やTwitter検索をしても閉業の確証は得られないので、とりあえず行ってみた。店が近付いてくると、看板が見えた。
SMスチール(看板)
なんだ、まだやってるじゃないかと、一安心したのだが・・・。

入り口のシャッターが閉まっている。窓から中を覗いてみると・・・。
SMスチール(中)
何一つない、もぬけの殻。

移転したなら張り紙でもありそうなものだが、そんなものはどこにもない。「閉業」は本当だったようだ。今時検索しても情報が出てこないというのも、いかにも書道業界らしいのだが、このままでは同じ轍を踏む人もいるだろうから、ここに書いた次第。

それにしても困ったな。
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今の子どもたちはデジタルネイティブというそうだ。生まれたときからパソコン・スマホなどのデジタル機器に囲まれていて、それらに何の抵抗もない世代という意味である。

同じような世代間ギャップとして、僕は手書きネイティブと活字ネイティブがあると考えている。

ここ10年ぐらいで、書道の授業をやっていて、行書を「雑な字」とか「下手な字」という生徒がだんだん増えてきた。彼らは活字ネイティブだから、一点一画はっきりと書かれた文字以外は雑に見えるらしい。楷書は文句なく美しい字に見えるが、行書もなぐり書きも同じように汚く見えてしまうのだ。

手書きネイティブから活字ネイティブへの移行は、ワープロの普及と深い関係がある思っている。ワープロの普及は、手書きの文字を劇的に減らした。ワープロが普及しだすのは、ちょうど昭和から平成に変わる時ぐらいが境目だろう。それ以来、手書きの文字を読む機会はどんどん減り、スマホが普及した今では、私的なメモぐらいでしか手書きの字を見ない。

それでも、高校生ぐらいなら黒板に書かれた手書きの字を読んでいるはずだが、書いている教員の多くが活字ネイティブになってしまっているから、板書を行書で書く人が少なくなっている。これでは行書が汚く見えても仕方がない。活字ネイティブに行書を教えるのは至難の業だ。

Twitterを見ていると、漢字のやたらと小さな違いにこだわる人がいるが、あれも活字ネイティブだからだろう。行書は点画がくっついたり、向きが変わったり、省略されたりするから、手書きネイティブではそんな細かいところはさほど気にならないのだ。

しかし、よくよく考えてみると、手書きネイティブも、決して奈良時代あたりからずっと同じように続いてきたものではない。同じ手書きネイティブでも、僕らの使う筆記用具は万年筆・ボールペン・シャープペンで、明治ぐらいまでは毛筆である。つまり手書きネイティブの中にも、硬筆ネイティブと毛筆ネイティブがあるのだ。

活字ネイティブにとって行書がすべてヘタクソに見えるのと同じように、硬筆ネイティブと毛筆ネイティブでは文字の見え方が違う。僕はもちろん硬筆ネイティブだが、長年書道の先生をやっているので、その見え方の違いは分かる。言葉で説明するのは難しいが、硬筆ネイティブは文字を形で見るが、毛筆ネイティブは文字を筆脈や線質で見る。

これはただ文字の美醜だけではなく、読むことにも関わってくる。筆で書かれた文字を読むことは、活字を読むのとは違うのはもちろんのこと、ペンで書かれた文字を読むのともまた違うのである。
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あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
今年は、こんな感じで走っていければいいなあと思っています。
亥
なお、ボツにしたイノシシは、年賀状の素材あげます:2018年12月26日にあります。
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