カテゴリ: 美術と書道2

書道をやる人間にとって表装(表具)は大問題だ。できることなら、展覧会のぎりぎりまで書きたい。しかし、表装には時間がかかる。だから、できるだけ早く、美しく、できれば安く表装してもらえる業者はありがたい。等々力のSMスチール工業(友禅)は、そんな都内の書道関係者のニーズに答えてくれる店だったから、使っていた人も多いはずだ。

昨日、文化祭に展示する生徒作品の裏打ちを頼むために、そのSMスチールに行った。裏打ちぐらいなら数十分でやってくれるので、毎年ここにお願いしていたのだ。行く前に、営業時間を確認するためホームページを見ようとしたら、「Service Temporarily Unavailable」というエラーが出た。なんだかイヤな予感がする。GoogleMAPで検索すると、「閉業」と書いてある。ますますイヤな予感。

しかし、Google検索やTwitter検索をしても閉業の確証は得られないので、とりあえず行ってみた。店が近付いてくると、看板が見えた。
SMスチール(看板)
なんだ、まだやってるじゃないかと、一安心したのだが・・・。

入り口のシャッターが閉まっている。窓から中を覗いてみると・・・。
SMスチール(中)
何一つない、もぬけの殻。

移転したなら張り紙でもありそうなものだが、そんなものはどこにもない。「閉業」は本当だったようだ。今時検索しても情報が出てこないというのも、いかにも書道業界らしいのだが、このままでは同じ轍を踏む人もいるだろうから、ここに書いた次第。

それにしても困ったな。
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今の子どもたちはデジタルネイティブというそうだ。生まれたときからパソコン・スマホなどのデジタル機器に囲まれていて、それらに何の抵抗もない世代という意味である。

同じような世代間ギャップとして、僕は手書きネイティブと活字ネイティブがあると考えている。

ここ10年ぐらいで、書道の授業をやっていて、行書を「雑な字」とか「下手な字」という生徒がだんだん増えてきた。彼らは活字ネイティブだから、一点一画はっきりと書かれた文字以外は雑に見えるらしい。楷書は文句なく美しい字に見えるが、行書もなぐり書きも同じように汚く見えてしまうのだ。

手書きネイティブから活字ネイティブへの移行は、ワープロの普及と深い関係がある思っている。ワープロの普及は、手書きの文字を劇的に減らした。ワープロが普及しだすのは、ちょうど昭和から平成に変わる時ぐらいが境目だろう。それ以来、手書きの文字を読む機会はどんどん減り、スマホが普及した今では、私的なメモぐらいでしか手書きの字を見ない。

それでも、高校生ぐらいなら黒板に書かれた手書きの字を読んでいるはずだが、書いている教員の多くが活字ネイティブになってしまっているから、板書を行書で書く人が少なくなっている。これでは行書が汚く見えても仕方がない。活字ネイティブに行書を教えるのは至難の業だ。

Twitterを見ていると、漢字のやたらと小さな違いにこだわる人がいるが、あれも活字ネイティブだからだろう。行書は点画がくっついたり、向きが変わったり、省略されたりするから、手書きネイティブではそんな細かいところはさほど気にならないのだ。

しかし、よくよく考えてみると、手書きネイティブも、決して奈良時代あたりからずっと同じように続いてきたものではない。同じ手書きネイティブでも、僕らの使う筆記用具は万年筆・ボールペン・シャープペンで、明治ぐらいまでは毛筆である。つまり手書きネイティブの中にも、硬筆ネイティブと毛筆ネイティブがあるのだ。

活字ネイティブにとって行書がすべてヘタクソに見えるのと同じように、硬筆ネイティブと毛筆ネイティブでは文字の見え方が違う。僕はもちろん硬筆ネイティブだが、長年書道の先生をやっているので、その見え方の違いは分かる。言葉で説明するのは難しいが、硬筆ネイティブは文字を形で見るが、毛筆ネイティブは文字を筆脈や線質で見る。

これはただ文字の美醜だけではなく、読むことにも関わってくる。筆で書かれた文字を読むことは、活字を読むのとは違うのはもちろんのこと、ペンで書かれた文字を読むのともまた違うのである。
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あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
今年は、こんな感じで走っていければいいなあと思っています。
亥
なお、ボツにしたイノシシは、年賀状の素材あげます:2018年12月26日にあります。
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廃れてきたとはいえ、出さないわけにはいかない年賀状。「郵便局から25日までに出せと言われているけど、もう過ぎてしまった。さてどうしよう」というあなたのために、今年はイノシシのイラストをご用意しました。

年賀状のイラストとして授業中に描いたんだけど、「どう見ても里芋にしか見えない」と言われ、妻にボツにされた絵です。

著作権は主張しません。里芋だけに、煮るなり焼くなり、ご自由にお使いください(画像をクリックすると大きくなります)。
いのしし1
いのしし2
いのしし3
いのしし4
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男臭いバイオレンスでおなじみの『水滸伝』だが、意外にも書道も関係がある。

梁山泊一味の宿敵、奸臣の一人が蔡京である。梁山泊の宿敵になるぐらいだから、史実の蔡京もあまり評判がよろしくなく、『宋書』では列伝231奸臣2に入っている。正史で奸臣に入るのだから、相当なものだ。

その蔡京は、宋の四大家(蘇軾・黄庭堅・米芾・蔡襄)の一人、蔡襄(洛陽橋(万安橋)に行ってきた続 洛陽橋(万安橋)に行ってきた参照)の甥で、自身も能書家として知られている。

『水滸伝』には、蔡京が能書家であることをうまく利用したエピソードがある。

『水滸伝』第三十九回で、潯陽樓の壁に反乱の詩を書いた罪で囚われた宋江を梁山泊一味が救助するため、蔡京からの手紙を偽造する場面がある。作戦の発案者呉用の言葉に宋の四大家が出てくる。
如今天下盛行四家字体、是蘇東坡・黄魯直・米元章・蔡太師四家字体。蘇・黄・米・蔡宋朝四絶。

講談社文庫『水滸伝』(駒田信二訳)による和訳は次の通り。
いま天下にもてはやされているのは四家の書体、すなはち蘇東坡・黄魯直・米元章・蔡京の四家の書体で、蘇・黄・米・蔡といって宋朝の四絶と称されております。

呉用は書の達人蕭譲と彫刻の達人金大堅をむりくり仲間に引き入れて、蔡京の書と印を偽造させる。蔡京の書と印は、当時流行の書として、法帖(お手本)が出回っていたので、上手い人なら簡単に偽造することができたというわけだ。古い印をお手本にしたため、文書偽造がバレるという落ちがつくのだが、108人の好漢の中に書家と篆刻家(のようなもの)が入っているというのが面白い。

それにしても、呉用の言う宋朝四絶は現行の宋の四大家と違う。蘇東坡・黄魯直・米元章は、それぞれ蘇軾・黄庭堅・米芾だから問題ないが、蔡襄であるべきところが蔡京になっている。

『水滸伝』が書かれた明代では蔡京だったのか、あるいは、作品中で辻褄を合わせるために蔡京にしたのか。蔡京が奸臣だから蔡襄にしたというのは一応説得力はあるが、『水滸伝』の書かれた明代よりあとに、奸臣だからといって蔡襄にするのはちょっと遅すぎる気もする。
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京浜急行青物横丁駅からJR・東急大井町駅方面へ行く坂の途中に品川エトワール女子高等学校という高校がある。

僕は以前、定時制高校への通勤にこの学校の前を通っていたのだが、ある日の帰り道、目立たないところに「町田学園」と書いた看板があるのが目に止まった。町田学園は品川エトワールの旧称で、現在も法人名になっている。大きなものではないので、それまで気付かなかったようだ。

夜だったので暗くてよく見えなかったが、妙にクセのある字だ。よく見ると、「溥傑」と書かれた落款がある。ラストエンペラー愛新覚羅溥儀の実弟、溥傑である。溥傑は独特の書風で知られる書家でもあるので、その時は、何かの機会に書いてもらったんだろうぐらいに思っていた。

ところが、前回の記事(偽満皇宮博物院へ行った(その1)参照)を書くためWikipediaを調べていたら、溥傑の妻、嵯峨浩の項に意外なことが書いてあった。
日本に引揚げた後、父・実勝が経営する町田学園の書道教師として生計を立てながら、日吉(神奈川県横浜市港北区)に移転した嵯峨家の実家で、2人の娘たちと生活した。一方、溥傑は、溥儀とともに撫順の労働改造所に収容され、長らく連絡をとることすらできなかった。(Wikipedia:嵯峨浩)
なんと、溥傑の奥さんが品川エトワール(町田学園)の書道教師だったらしい。そりゃ溥傑に看板を頼むなんて容易いことだ。

しかも、Wikipediaの記事によると、父親が経営者だったとある。品川エトワールのサイトを見てみると、現在の理事長は嵯峨実允氏という人で、嵯峨実勝の孫にあたるらしい。

理事長挨拶:品川エトワール女子高等学校

それでは、なぜ嵯峨学園ではなく町田学園なのかという疑問もわいてくるが、これもちゃんとWikipediaに書いてあった。

妹の幾久子が町田学園(現・品川エトワール女子高等学校)の創始者・町田徳之助に嫁いだ縁で、昭和24年(1949年)6月15日、町田学園エトワール幼稚園を開園し初代園長を務めた。(嵯峨実勝:Wikipedia)

ちなみに嵯峨家は、かつての正親町三条家で、藤原北家の流れをくんでいる。由緒正しいなんてもんじゃない。

もうちょっと調べればいろいろ出てきそうだが、とりあえず覚えに書いた次第。
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よく、「祈ったって平和にならない」とかいう人いるじゃないですか。本人現実主義だと思っているのかもしれないけど、全然現実主義じゃないと思います。

たしかに祈ったって必ずしも平和にはなりません。でも、逆に考えたらどうでしょう。もし、誰も平和を祈らなくなったら。たぶん、平和なんて来ないんじゃないでしょうか。

平和を祈るというのは、平和のための十分条件ではなく、必要条件です。平和を祈ったからって平和になるとは限らないけど、平和を祈らなければ、平和にはなりません。

祈るというと、何だか非科学的なことだと思われるかもしれません。でも、祈ることは個人の意見の表明でもあります。だから、できるだけ沢山の人が平和を祈れば祈るほど、平和に近づくはずです。

戦争で得をする人はごく一部です。ほとんどの人は損をします。ごく一部の人が得をしたいために、ヤレどこの国が攻めてくるとか、ヤレどこの国が悪いとか言ってけしかけて、人々に平和を祈ることを忘れさせるのです。

だから僕たちは、誰が何と言おうと、平和を祈り続けなくてはいけません。

というわけで、僕も平和を祈ってみました。まだまだ祈ろうと思っています。
世界平和の写経
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あるブログを読んでいたら、「「くずし字」とは、楷書体を崩した文字のことをいいます。」と書いてあった。これは完全な間違いである。

書体の変遷はだいたい次の通り。

篆書→隷書→草書(一部篆書由来)→ひらがな(草書をさらに崩して成立)

篆書→隷書→行書

篆書→隷書→楷書→カタカナ(楷書の一部分から成立)

楷書・行書・草書は、それぞれ隷書から発生したのだが、この3つの書体の中では、草書が一番古く、楷書が最も新しい。楷書と草書で似ても似つかないものがあるのはそのためである。

別のブログには「最近の説では隷書から生まれたと考えられている」とか書いてあったが、最近の説ではなく、昔からそう言われているし、書かれたものからたどれるので、説というほどのものでもない。

これは書道では常識で、高校の書道I、つまり最初に習う教科書の最初の方に書いてある。いわば常識中の常識なのだが、意外にも国文学の先生の中にはご存じない人も多いようだ。

そもそも僕は「くずし字」という言葉が嫌いなのだが、それは最初に書いたような誤解が生じるからである。
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今日、書道の授業で簡単な創作として、「好きな四字熟語を作品にしてみよう」というのをやった。ヒマなので、僕も作品を作ってみることにした。

まずは、言葉を選ばなくてはならないのだが、生徒とかぶるのはよくない。さて、どうしましょうと考えていると、「南船北馬」という言葉思い浮かんだので、それを書くことにした。今日の段階では草稿だけだが、生徒が帰った後、来週の授業用に書いてみたのがコレ。

まず篆書バージョン。「北」がイマイチ。あと落款が下手。まだ一週間あるので書き直しましょう。
南船北馬(篆書バージョン)
行書バージョン。なんかだらしない字だな。あと落款が下手。まだ一週間あるので書き直しましょう。
南船北馬(行書バージョン)
まあ、それはともかく、なぜ「南船北馬」かというと、あまりの暑さで、18年前の中国自転車旅行を思い出したからである。僕にとって、暑さと「南船北馬」はセットなのだ。

当時、僕たち(三人)は、北京の前門で自転車を購入しスタート、大運河沿いに走行して上海を目指した。結局、上海にはたどり着かなかったが、なんとか長江を越え、鎮江まで行った。

僕にとっては始めての中国・・・どころか海外である。驚きの連続だったが、一番思い出深いのが、南北の違いである。

7月下旬の出発だったから、とにかく暑かった。北京の前門で自転車を買って、天津を通り、河北省、山東省を抜けた。このへんはやたらと乾燥していて、暑いことは暑いが汗は出ない。汗が出ないせいか日焼けが早く、日焼け止めを塗り忘れると、そこが数分で火脹れになる。

とんでもない田舎を走っているので、景色は畑ばかりだ。当時は家畜を連れている人も多く、牛・馬・ロバ・羊に出くわした。

僕たちを追い抜いていく自動車のナンバーが、河北省の「冀」から山東省の「魯」に変わり、江蘇省の「蘇」が多くなってくるころ、地名でいうと徐州市に入ったあたりから、急に沼や川が多くなり、景色も田んぼが多くなった。気候も蒸し暑く、だらだらと汗がたれてくる。

大運河の川幅もずっと広くなり、荷物を満載した船の行き来が見られるようになった。これを見て、「ああこれが南船北馬というものか」と合点したのだ。僕たちは南輪北輪だったけど。

往来の家畜も変わってくる。馬やロバは少なくなり、牛に代わって巨大な黒い水牛になる。

沼みたいなところに向かって立ち小便をしたら、水面が小刻みに動いた。よく見たら、水牛が目鼻と角と耳だけ出してこっちを見ている。対不起!なぜか覚えたての中国語で、チ○コを出したまま水牛に謝った。

そのときのことは、当時運営していたサイト(まだブログは無かった)に書いたが、サイトそのものが消えてしまったので、解像度の低い写真を削除して、やたがらすナビの目立たないところに置いてある。

読み返してみると、なんだかバカっぽい文章で読んでいると恥ずかしくなるが、もう18年も経ってしまったのかと、懐かしくもある。
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河野太郎外務大臣の名状しがたい篆書のようなものが話題になっている。
河野太郎外相「一度見たら忘れない」書体 G20事務局発足で看板披露:産経ニュース
河野太郎の書

篆書の筆遣いをしておらず、字形も篆書らしさがない。一度もまともに篆書を書いたことのない人の字なのは間違いないのだが、それ以外にもいくつか気になる点がある。

1.片仮名
「サミット」は片仮名で書かれている。平仮名や片仮名は、漢字とは別の文字である。したがって平仮名や片仮名の篆書というのは存在しない。通常篆書と仮名を組み合わせることはないが、どうしても組み合わせなければならない場合、漢字と違和感がないように組み合わせなければならない。

河野大臣の片仮名を見ると、「サ」や「ツ」「ト」の最終画に、篆書に寄せようとする工夫が見られる。それが成功しているとは思えない(これならそのまま書いた方がいい)のは、河野氏が篆書を理解していないからだが、それならば、この工夫はどこから来るのか。

2.「事」の筆順
篆書にきまった筆順はない。だが、人間どうしても書き慣れた楷書の筆順に近いものなる。特に、「事」のような、楷書とほとんど同じ字形であれば、なおさらだ。

ところが、どうも縦画の直前のヨの筆順がおかしい(下図参照)。
比較
指導する人がいたり、手書きの文字をお手本にしたりしたのなら、こういうことは起きないだろう。

3.「務」の「力」
筆遣いはともかく、字形的にはほとんど合っている。しかし、「務」の力がなぜか楷書の字形になっている。本来の字形(『説文解字』の小篆)はこうなる。
務
4.「局」の「口」
篆書を勉強した人なら、いちばん違和感を持つのが、「局」の口だろう。篆書で口を書く場合、上に二本ツノが出るのが普通である。
局

河野大臣の書き方では、口がひっくり返っているように見える。書道の先生がお手本を書いた場合、このように書くことはまずありえない。

このような書き方は印相体という、開運印鑑屋がでっち上げた書体に見られるらしい。


以上をまとめると、この文字は書家が指導したものではなく、おそらくフォント等を参考にして書いたものだろう。フォントなら平仮名・片仮名も篆書的にデザインされているはずだ。片仮名最終画の妙なくねりはそれを感じさせる。

それでは、なぜ普段使っている楷書や行書で書かなかったのだろうか。インパクト重視なら、インパクトのある楷書なり行書なりを書けばよいだけだ。おそらく、楷書や行書によほど自信がないから、上手いのか下手なのか分からない(一般的には)奇妙な書体で書いたのだろう。ようするにハッタリである。

ハッタリ書道というと、小泉元総理を思い出す。小泉元総理は書くスピードが異常に早く、自分の字で書いていた。全く上手いとは思えないが、文句を言わせないハッタリ感があって、それがいかにも小泉氏らしさをだしていた。

河野氏の書は、向いている方向は小泉元首相と同じだが、結局何らかのお手本、それもフォントのような安直なものを見ていて、まともに勉強していない。まあ、そういう人間なのだろう。

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