カテゴリ: 宗教

しばらく『沙石集』を更新できなかったが、やっと更新できた。長いし難しいので読まなくていいから、見るだけ見てほしい。

『沙石集』巻4第1話無言上人の事:やたナビTEXT

ご覧の通り、ものすごく長い。そして言葉がやたらと難しい。底本の古活字本は各巻が上下に分かれているのだが、ここでは巻4の上がまるまる一つの話になっている。最初、この巻だけ目録がないのでヘンだなと思ったのだが、一つしかないから目録が必要なかったのだ。

難解な仏教語が多いので、僕も正直言って3分の1ぐらいしか理解できないのだが、無住の言いたいことはとてもシンプルだ。「仏教にはいくつもの宗派があるが、互いに自分意外の宗派を誹謗してはいけない」ということである。これほど長くなってしまった理由は、作者である無住に熱い思いがあったからだろう。

キリスト教やイスラム教の宗派は、経典の解釈だったり、歴史的な経緯によって宗派が別れることが多い。それに対し、仏教では、最終的に解脱して仏となるための方法論が宗派の違いになる。特に、無住の時代は鎌倉新仏教が続々と登場し、方法論が細分化され、広い階層へ浸透していく時期だったから、宗派間の宗旨争いが激しかったのだろう。

方法論とは、登山に喩えると、どの道を通れば頂上に確実行けるかということだ。ある道は急坂が多いが距離は近い、ある道は遠いけど坂は緩やか、ある道は近くても岐路が多く間違えやすい。道はいろいろある。しかし、どっちにしても頂上に行くのだから、「こっちの道が頂上に近い、だから他の道はダメだ」というのは意味がないことだと、無住は言っているのである。

考えてみると、自分の採用した方法論以外を誹謗するというのは、いろいろな分野でよくある話だ。学習法・教育法・健康法・蓄財法から学問の方法にいたるまで、およそ方法と名づくものにはすべて見られる。そして、若い人ほど他の方法を誹謗しやすい。

若い時は少しでも早く目標に着きたくなるものだ。だから、自分の方法論こそが正しいと思いたがる。これの裏返しが他の方法への誹謗につながる。貶したって何も変わることはないはずだが、そうやって自分の方法論だけが正しいと信ようとするのだ。

無住が『沙石集』を書いたのは54歳から80歳までの間である。しかも、八宗兼学で仏教のあらゆる思想に通じている。そんな無住にとって、若い人が他の宗派を誹謗することが我慢ならなかったのはよく理解できる。
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なんとなく、昨日の記事の続きみたいな感じになるが、『沙石集』は説話は分かりやすいのに、無住が述べる教理(と言っていいのか分からないけど)がやたらと難しい。頑張って読んでみると、ものすごく理路整然と書かれているのだが、それがなかなか面倒くさい。学術論文に近い書き方である。

これは現在同時進行で読んでいる『徒然草』とは対照的だ。同じ仏教的な内容でも、『徒然草』の方は簡潔にかかれており、はるかに読みやすい。ただし、あまり理詰めではないので、文字どおり随筆といった体である。

無住と兼好はほぼ同時代の人だが、同じボーサンでどうしてこうも違うのだろうか。

二人の一番大きな違いは、出家した年齢である。無住が出家したのは18歳、兼好は詳しくは分からないが、30歳ごろと考えられている。片や、若い時から仏法を学び八宗兼学と言われたエリート、片や酸いも甘いも噛み分けた中年に差し掛かって出家した隠遁者。違うのは当然である。

昔、師匠から、「君たちは坊さんというと同じだと思っているけど、坊さんにもプロの坊さん(以下プロ坊主)とアマチュアの坊さん(アマ坊主)がいて、これらは分けて考えなければならない」と言われた。その時はイマイチ分からなかったが、これほど対照的だとよく分かる。

閑居友』の作者とされる慶政は、幼少期に出家し20歳で隠遁したプロ坊主だった。『閑居友』は鴨長明の『発心集』の影響を受けているが、長明の出家は50歳でまったくのアマ坊主である。

たしかに、『発心集』と『閑居友』はよく似ているが、『閑居友』にはプロ坊主の限界があるように思う。具体的には言えないけど、一生懸命面白くしようとして、すべっている感じがするのだ。

しかし、ガチガチのプロ坊主である慶政が、アマ坊主長明の影響を受けたというのは、なかなか興味深い。年齢的には長明の方が34歳も年上だが、遁世キャリアは同じぐらいから始まっている。

慶政は長明をライバルと見ていたか、年長者として尊敬していたか、その両方か。たぶん、複雑な心境で『閑居友』は書かれたのだろう。
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現在、『沙石集』の電子テキストを作っている。漢字片仮名交じりの古活字本だから、文字を読むのはたやすい。字がでかいぶん、今の本よりもよほど読みやすい。

しかし、説話以外の部分の文章が難しい。特に巻一は本地垂迹がテーマだから、難解な言葉がたくさん出てくる。無住も最初の方だから気合が入っているのか、一話がやたらと長い。そんなわけで、一ヶ月かけて巻一がやっと終わった。

沙石集:やたナビTEXT

巻一の最後は、これがまた長いのだが、後半で鎌倉時代後期の浄土信仰の様子を描いていて面白い。

『沙石集』巻1第10話 浄土門の人、神明を軽んじて罰を蒙る事:やたナビTEXT

タイトルの話は最初だけで、後半はほとんど、当時の浄土教(阿弥陀信仰)がいかに隆盛し、狂信的な信者によって猛威を振るったかが描かれている。

浄土教とは、阿弥陀如来の名前を唱えれば(念仏という)、どんな人でも極楽往生できるという教えである。無住の時代には現在でいう浄土宗や浄土真宗・時宗が勢力を伸ばした。

仏教は理屈の宗教である。理屈は面倒くさいものだから、容易に理解できない。だから、鎌倉時代以降、念仏を唱えれば救われるというような、シンプルな浄土信仰はまたたく間に広まったらしい。

しかし、阿弥陀如来だけを頼りにするということから、他は全部ダメというような、一神教的な勘違いが生まれる。当時は法華経信仰や地蔵信仰も流行っていたから、それがターゲットとなる。
中ごろ、念仏門の弘通(ぐづう)さかりなりける時は、「余仏余経、みないたづらものなり」とて、あるいは法華経を河に流し、あるいは地蔵の頭にて蓼(たで)すりなんどしけり。ある里には、隣家のことを下女の中に語りて、「隣の家の地蔵は、すでに目のもとまですり潰したるぞや」と言ひけり。あさましかりけるしわざにこそ。
法華経を川に流したり、お地蔵さんの頭をおろし金代わりにつかって、「隣のうちのお地蔵さんは、すでに目のところまですり潰したぞ」なんて競ったりしていたという。

法華経信仰から念仏へ宗旨替えする人も出てくるが、これもなんだかおかしな方向へ。
また、この国に二千部の法華経読みたる持経者ありけり。ある念仏者、勧めて念仏門に入れて、「法華経読むものは、必ず地獄に入るなり。あさましき罪障なり。雑行の者とて、つたなきことぞ」と言ひけるを信じて、さらば一向に念仏をも申さずして、「年ごろ経読みけんことの悔(くや)しさ、口惜しさ」とのみ、起居に言ふほどに、口のいとまもなく、心のひまもなし。かかる邪見の因縁にや、悪(わろ)き病つきて、物狂はしくして、「経読みたる、悔しや、悔しや」とのみ口ずさみて、果ては、わが舌も唇もみな食ひ切りて、血みどろになりて、狂ひ死ににけり。勧めたる僧の言ひけるは、「この人は、法華経読みたる罪は懺悔して、その報ひに舌・唇も食ひ切りて、罪消えて、決定往生しつらん」とぞ言ひける。
念仏僧に「法華経を読むのは罪を作る」と言われ、宗旨替えした法華経持経者が、まったく念仏はしないで、「今まで法華経なんか読んでた。悔しい悔しい」とばかり言って、舌を食い切って狂い死にしてしまった。勧めた念仏僧は、「これで罪は消えました。間違いなく極楽往生したでしょう」なんて涼しい顔をしている。

もうなんか新興宗教にありがちなアレというほかない。

浄土教といえば、親鸞の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや(歎異抄)」という悪人正機説だが、当然「そうか、悪人の方がいいのか」と思う連中も出てくる。
また、中ごろ、都に念仏門流布して、悪人の往生すべきよしを言ひ立てて、戒をも持(たも)ち、経をも読む人は、雑行にて、往生すまじきやうを曼荼羅に図して、尊げなる僧の、経読みて居たるには光明ささずして、殺生する者に摂取の光明さし給へる様を描きて、世間にもてあそびけるころ、南都より、公家へ奏状を奉ることありけり。その状の中にいはく、「かの地獄絵を見る者は、悪を作りしことを悔い、この曼荼羅を拝する者は、善を修せしことを悲しむ」と書けり。
経を読む高僧と殺生する者(猟師?)を描いて、高僧には光がささず、猟師には光がさしているという曼荼羅を作って、悪人正機を唱えるものもいた。見かねた南都から公家への奏状には「地獄絵を見る者は悪いことをしたことを悔やむが、この曼荼羅を見る者は良いことをしたことを悲しんでいる」と書いたという。

無住は八宗兼学の博覧強記なので、様々な経典や事例をあげて、このようなファナティックな信仰が間違っていることを説くが、いかんせん難しすぎる。これではアホの耳は届かないだろう。

いくら正しくても面倒くさい論理は耳に入らず、シンプルな話を曲解するというのは、いつの世も同じなのである。
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奇祭!水止舞に行ってきた(その1)のつづき。
ブシャー
この奇妙なお祭りは一体何を意味しているのだろうか。このときいただいた、パンフレットから引用する。
「暴れる龍を懲らしめるために水をかける」と伝えられることもあるが、この場合は龍神を元気づける水(雨)。水がかけられる度に、響き渡る法螺貝の音も、怒っているのではなく、高らかに雄叫びを上げているものです。
おおむねパンフレットに書いてある説で合っていると思う。そもそも、竜神に水をかけても喜ぶばかりで、懲らしめることにはならないだろう。ただし、元気づけるために水をかけるというのはどうだろうか。

これは、類感呪術だと思う。類感呪術とは「類似た行為は現実に影響する」という呪術で、この場合、水神である龍が雨を降らしている様子を再現している。法螺貝の音は龍の咆哮であり、また雷でもある。それに呼応して撒く水が雨というわけだ。

とはいえ、雨乞いとは雨が降らないからするもので、雨乞いのために盛大に水をかけるというのも、ずいぶん贅沢な話である。この地域は海が近いから、もともとは、海水をかけていたのではないだろうか。場所も、いまでこそ舗装されているからこんなことができるが、昔だったら泥だらけになってしまう。海岸の砂浜で行われていたのではないか。

さて、ショボい考察はこのぐらいにして、ここから昨日の続き。

厳正寺の境内に連れてこられた二人の簀巻男は、スロープを引きずられて、舞台に上げられる。
舞台に上げられる簀巻男1
この写真は舞台側から撮影したものだが、足が見えているのが分かるだろう。つまり、頭を下にして引きずられるのである。嫌がる竜をむりやり舞台にあげるという体らしい。だから、引きずられる時も暴れなければならない。

舞台に上げられた簀巻男。右にいるのは先に上げられた簀巻男。ここまでの行程を「道行(みちゆき)」という。
舞台に上げられる簀巻男2
このあと、藁縄は解体され、舞台をぐるっと取り囲むように置かれる。
解体される藁縄
縄の先にはかわいらしい竜の頭が取り付けられる。
縄に付けられた竜の頭
このあと、舞台上で水止舞という舞が始まる。舞台はこんな感じ。手前が簀巻男を引きずり上げたスロープである。登場するのは花籠二人・雌獅子・若獅子・雄獅子の三人。
水止舞の舞台
水止舞の様子。このあたりは水害の多い地域で、雨止めの祈りだそうだ。ちなみに「水止舞」は「みずどめのまい」と読むが、「水止」を「シシ」と読んで、獅子舞ともかけてあるらしい。
水止舞
花かごの二人が鳴らしているギロみたいな楽器はささらという田楽の定番楽器。踊りも田楽に似ているように思うが、僕はその道に詳しくないのでちょっと分からない。
ささら
舞の方も最後まで見たかったが、学校に戻って濡れた服を乾燥させたかったので、途中で切り上げて帰ってきた。帰りがけに手ぬぐいを買った。ウロコ模様がかっこいい。そういえば、お祭りの参加者もこの模様の浴衣を着てた。
手ぬぐい
手ぬぐいを買ったら、「龍神の藁」なるものをもらった。今日の藁はまだ舞台上にあるので、去年のだろうか。ただし、手ぬぐいを買った人がもらえるというわけではなく、誰でももらえるらしい。
竜神の藁
動画もいくらか撮ったのだが、Youtubeにいいのがあった。興味のある方はこちらをどうぞ。

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一週間ほど前、TwitterでこんなのがTimelineに流れてきた。

「へー、大森か。面白そうだけど、午後一時からじゃちょっときついな」と思ってリンク先を見ると、大森ではなく大森東ではないか。金曜日の勤務先から徒歩15分。当日は短縮授業で11:50終了。片付けしたり昼食を食べたりしても余裕で行ける。

それ以来、授業のたびに、この祭りを知っている生徒がいないか聞いてみたが、地元民も多いはずなのに、誰も知らない。そもそも、僕は10年近くこの学校にいるのだが、聞いたことがない。おそろしく局地的な祭りらしい。

というわけで、今日行ってきた。カメラ一台と手ぬぐい2本、スマホだけをかばんに入れて出発。

それにしても暑い。徒歩15分の距離とはいえ、途中心が折れそうになる。開始時間の13時から10分ほど遅れて、厳正寺に近づくと、We Will Rock Youに似たお囃子と、ブオーという法螺貝の音が聞こえてきた。前方に人だかり。ビシャーという水を撒く音も聞こえる。

人混みをかき分けると、そこには簀巻にされた男が一人法螺貝を吹いていた。すかさずシャッターを切る。

と、同時に背後から水がブシャーと簀巻男に・・・いや、これはどう考えても僕を狙っている。すぐさま、カメラを抱え込みレンズを守る。僕は到着してわずか数分でびしょ濡れになった。
簀巻男
簀巻男は二人いる。そこを撮ろうとカメラマンが追っかける。そしてブシャー。平日の午後一時なんか、普通の人は来られないから、カメラマンは年寄りが多い。まさに年寄りの冷水。だが、今日は暑いからかえって安心だ。
簀巻男とカメラマン
簀巻男を横から見たところ。どこからどうみても拷問にしか見えない。
簀巻男(横)
簀巻男はただ転がされて水をかけられるだけではなく、少しずつ寺に向かって移動させられる。
簀巻男移動中
少し進んだら下に降ろされ、ブシャー!進むにしたがい藁が水を吸うため、だんだん重くなるらしい。
ブシャー
水を用意する人たち。ここはどうやら魚屋さんらしい。そりゃ水はいくらでもありますな。
水を用意する人たち
そして、厳正寺の山門をくぐる簀巻男たち。
山門をくぐる簀巻男
さて、このあと、簀巻男たちは寺の境内に作られた舞台にひきずり上げられるのだが、それは次回の講釈で。

奇祭!水止舞に行ってきた(その2)に続く。
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現在、『発心集』の翻刻をしているのだが、ちょうど往生説話を翻刻していて、昨年行った九品仏浄真寺のことを思い出した。

九品仏浄真寺に行ってきた:2016年05月08日

この寺は関東ではめずらしく、三年に一度来迎会をやる。以前は8月にやっていたのを、あまりに暑いので次回から5月にすると聞いたが、ハテ、次回とはいつだったか。さっそく調べてみたら、今年の5月5日である。これも何かの縁だ。というわけで行ってみた。

来迎会とは、簡単に言うと人間が死んで極楽往生する時の様子を再現したものである。浄真寺は西を向いた本堂と、東を向いた阿弥陀堂が向かい合っている。西向きの本堂(本尊は釈迦如来)を現世、阿弥陀堂を来世の極楽浄土に見立てている。本堂を阿弥陀堂の間に橋をかけて、そこに仏菩薩の面をつけた人が練り歩き、極楽往生を再現するのである。

まず、阿弥陀堂から本堂に向けてお迎えが来る。このとき、二十五の菩薩と阿弥陀如来が行列をなして来る。

最初に妙なる音楽が聞こえてきて・・・
楽人
先頭は阿弥陀如来の脇侍である、観世音菩薩と勢至菩薩。
観音・勢至
続いて阿弥陀如来。如来(仏)なので、他の菩薩とは髪型が違う。なぜか他の菩薩と比べ小さいが、中の人が小柄なだけで、阿弥陀如来が小さいわけではない。
阿弥陀如来
その他、ぞろぞろ続いて、
ぞろぞろ1
しんがりは僧形の地蔵菩薩がつとめる。
地蔵菩薩
お面をアップにするとこんな感じ。どう見ても暑苦しそうだが、前回までは8月にやってたそうだ。あまりに暑いから5月に変更になったのだが、それでも結構暑い。こんなの真夏にやったら、本当に往生人が出そうである。
面の中
行列は本堂(現世)に入って、往生人を連れて再び極楽浄土を目指していく。当然、帰りの方が華々しい。まずは、なんと言うのか分からないが、花かざりの着いたカゴ。これを、トンと突くと、カゴの中から紙吹雪と小銭が撒かれる仕組み。僕は50円ゲット。
花かご
お迎えに来た菩薩様たちが、往生人を引き連れて戻って行く。往生人の写真は後ほど。
ぞろぞろ2
稚児さんもおるで。
稚児さん
往生を遂げた往生人は、ふたたび衆生を救うために現世(本堂)に返ってくる。今度は菩薩様はいないが、ボーサンたちが行列をなしてくる。

散華に群がる人たち。まるでゾンビのようだ・・・。
散華
往生人が輿に乗って担がれていく。
珂碩聖人
この往生人は、浄真寺を開山した珂碩聖人。つまり、珂碩聖人を菩薩たちが迎えに来て、菩薩たちと一緒に極楽に往生し、衆生を救うために再び現世に返ってくるというストーリーになっている。

最後に住職といっしょに念仏を唱えて終了。この写真ではよくわからないが、後ろで巨大うちわをあおいでいる小坊主君がかわいかった。
念仏

動画も撮ってきたので、ご覧いただきたいところだが、まだ編集が終わっていない。しばしお待ちを。
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『今昔物語集』巻2はいわゆる天竺部で、どうにもワンパターンで面白くないものが多い。大概、現世で何か事件が起こり、釈迦が「それは、前世でこういうことがあったからだ」という謎解き(と言っていいのかわからないが)するという流れである。

しかし、微妙比丘尼語 第(卅一)はちょっと変わっていて、前世も比丘尼本人から語られる。仏(釈迦)は出てこない。以下はすべて微妙比丘尼の語りである。

微妙比丘尼の前世は、ある長者の妻だった。二人の間には、子供がなかったので、長者は別の妻を娶り(一夫多妻制である)、その妻との間に男の子ができた。それを妬んだ第一夫人、男の子の頭に針を刺して殺してしまう。

新しい妻は、第一夫人が殺したことを疑うが、第一夫人は「私は殺していない。もし殺していたら、生まれ変わった先で、夫があれば毒蛇に噛まれて殺され、子供があれば、水死したり狼に食われたりするだろう・・・」と仏神に誓う。その後、第一夫人は死んでしまった。

第一夫人は、死後、地獄に堕ち、その罪が終わった時(地獄にも刑期があるらしい)、再び人間に生まれ変わった。これが微妙比丘尼なのだが、これが例の誓いのために、壮絶な人生を歩むことになる。

婆羅門の子として年頃になった微妙は、結婚し、一子をもうけた。その後、二人目の子供を懐妊した。妊娠中に夫とともに両親の家に行くが、その途中で産気づき出産したため、家にたどり着かず、仕方なく樹の下で野宿する。ところが、寝ている間に夫が毒蛇(コブラ?)に噛まれ死んでしまう。それを見た微妙、悶絶して失神する。

しかたなく、長男を肩にかけ、次男を抱いて、実家へ行く微妙。途中、二人を連れては渡れないほどの大きな川がある。そこで、長男を一旦岸辺に下し、次男を抱いて向こう岸に渡った。渡った先に次男を置いて、長男を迎えに行くと、お母さんが来たのがよほど嬉しかったのか、こちらに来ようとする。長男は、ついに水に入り、流されてしまった。

泣く泣く長男を諦め、次男を置いた岸へ戻ると、次男の姿が見えない。あるのは血だまり。そして、腹の膨れた狼一匹。微妙、再度失神。

夫と子供二人をいっぺんに失い、微妙は一人で実家へ向かう。父と親しい婆羅門に出会い、両親が元気か聞く。すると、実家は火事で焼失し、両親も使用人らも、皆焼け死んでしまったという。微妙、また失神。

しばらく、この僧のもとで暮らすが、微妙は別の男と再婚した。ところが、これがとんでもないDV夫、というかもう単なるキ○ガイだった。

夕暮れ時、酒に酔った夫が帰ると、家の門が閉まっている。門を叩いても、妻は出てこない。微妙は家の中で産気づいていたため、門を開けられなかったのである。子供が生まれると同時に、怒り狂ったDV夫、門をブチ破壊して乱入、微妙を殴りつける。理由を言っても、DV夫は聞く耳を持たない。果ては、生まれたばかりの子供を殺し、蘇(チーズ?)といっしょに煮て、妻に無理矢理食わせた。「こんなキ○ガイとは一緒にいられない」と思った微妙は、あてもなく逃げ出した。

波羅奈国に行き着いて、樹の下で休んでいると、長者の子が来た。この長者の子は、たまたま妻を失ったところで、事情を聞くと、微妙を妻にするという。

ところが、結婚してわずか数日後、長者の子はあっさり死んでしまう。波羅奈国には、夫が先に死んだら、妻を生きたまま埋めるという習慣があったため、盗賊団が微妙を埋めるためにやって来た。しかし、盗賊の頭目は、微妙があまりに美しかったので、埋めたとウソをついて、自分の妻にしてしまった。

この盗賊の頭目も、結婚してわずか数日後、盗みに入った家で殺されてしまう。例の習慣により、微妙はついに生き埋めにされた。

しかし、それから三日後、たまたま狐やら狼やらが墓を掘り起こしたおかげで命拾い。前世の因縁を感じ、出家して釈迦に弟子入りする。そして遂に微妙は羅漢果(阿羅漢果・修行者の最高位)を得た。しかし、いまだに前世で子供を殺したのと同じ部位が痛むという。
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『今昔物語集』に出てきた、源満仲に対する源信のオルグがあまりにあざやかだったので感動した。

『今昔物語集』巻19 摂津守源満仲出家語 第四:やたナビTEXT

源満仲(多田満仲)の息子に、源賢という比叡山で修行する僧侶がいた。いい年した満仲が殺生を好むことを心配し、出家させたいと思って、叡山横川の源信僧都に相談した。源信僧都は『往生要集』で知られる高僧である。

源信は、「あの満仲を出家させれば、満仲だけでなく、それに殺される命も救うことができる。こりゃすごい功徳だ」ってなもんで、源賢の申し出を快諾。同じ叡山の高僧、覚雲阿闍梨・院源君と三人で、満仲のオルグに出発。

1.権威付けする。
修行のついでに、満仲の屋敷に源信・覚雲阿闍梨・院源君の三人の高僧が来訪(という設定)。息子の源賢、「とんでもない高僧がいらっしゃった!」と大騒ぎする。オヤジの満仲も慌てたところで、「あの三人は、天皇が召しても山を下りない人たちですよ。この機会に、是非説法してもらいましょう」と提案する。

実は、偶然でも何でも無く、来訪も源賢のセリフも、すべて源信の仕込み。役者やのォー。
「・・・己(※源信)は、此の二人の人を倡(さそひ)て、修行する次に、和君(※源賢)の御するを尋ねて行たる様にて、其へ行かむ。其の時に、君、騒て、『然々の止事無き聖人達なむ、修行の次に、己れ問ひに坐したる』と守に宣へ。己等をば、聞て渡たらば、其れに驚き畏る気色有らば、君の宣はむ様は、『此の聖人達は、公けの召すだに、速に山を下ぬ人共也。其れに、修行の次に此に御したるは希有の事也。然れば、此る次に、聊の功徳造て、法を説かしめて、聞き給へ。此の人達の説き給はむを、聞き給てこそ、若干の罪をも滅し、命をも長く成し給はむ』と勧よ。然らば、其の説経の次に、出家すべき事を説き聞かしむ。只物語にも、守の身に染む許、云ひ聞かしめ進(たてまつ)らむや」

源信は説明不要の高僧なのだが、住む世界が違う満仲には権威付けが必要だ。それも息子が言うと説得力がある。俗の最高権威である天皇にも従わないとなると、満仲にとっては、源信らが天皇以上の権威者であると感じられたはずだ。

そんな、天皇にも勝る三人の高僧が、偶然自分の家に来る。そんな偶然に満仲は仏縁を感じるのである。聖人たちの説法は、より有り難く聞こえることだろう。偶然じゃないんだけどね。

2.考える隙を与えない。
さすがに叡山を代表する高僧の説法は効く。感動した満仲、一両日中に出家したいと申し出る。源信はこう答えた。

「出家するなら、明日が吉日だ。明日を逃したら、とうぶん吉日は来ない」

もちろん、デタラメ。こういうふうに熱中した者は、2日以上経つと、考え直すだろうという算段である。役者やのォー。
心は、「此る者は、説経を聞たる時なれば、道心を発して、此く云にこそ有れ。日来に成なば、定めて思ひ返なむ」と思て云なるべし。

満仲は「じゃあ、今すぐにでも」というが、源信はそれも日が悪いと断り、次の日を主張する。満仲、出家への期待でワクワクが止まらない。

翌朝、満仲は出家する。オルグは無事成功。だが、これでは終わらない。

3.後戻りできなくする。
鷹狩の鷹、魚取りの罠、武器甲冑など、殺生に関係するものはすべて破壊。おまけに、郎等50人余りも一緒に出家させる。
其の間、鷹屋に籠たる多くの鷹共、皆足の緒を切り放たる。烏の如く飛び行く。所々に有る簗に人遣て破つ。鷲屋に有る鷲共、皆放つ。長明(長明は意味不明)有る大網共、皆取りに遣て、前にして切つ。倉に有る甲冑・弓箭・兵仗、皆取り出して、前に積み焼つ。年来仕ける親き郎等五十余人、同時に出家しつ。

ここまでしたら、もう後には引けない。

4.奇跡を起こす
次の日、どこからともなく、なにやら妙なる音楽が聞こえてきた。満仲が源信らに、「あれは何の音楽でしょう」と聞くと、聖人たちは「さて、なんでしょうね。極楽の迎えが来るとこういう音楽が聞こえるそうですが・・・とりあえず念仏しましょう」ととぼけて、声を揃えていい声で念仏する。役者やのォー。

満仲が障子を開けると、なんということでしょう、そこには金色に輝く菩薩さまが、手に蓮華を持って行列しているではないか。満仲、感動で涙にむせびつつ拝み倒す。

たぶんこんな感じだったのだろう。


もちろん、すべて仕込み。金色に輝く菩薩様はすべて、源信が雇った役者。役者やのォー。
兼て、「若し信ずる事もや有」とて、菩薩の装束をなむ、十具許持たしめたりける。只、笛・笙など吹く人共を少々雇たりければ、隠の方に遣して、菩薩の装束を着せて、「新発の出来て、道心の事共云ふ程に、池の西に有る山の後より、笛・笙など吹て、面白く楽を調へて来れ」と云ひたれば、楽を調へて、漸く来たるを・・・

「若し信ずる事もや有」ってのは、「こんなのに騙されるやつおらんやろ」という気持ちが含まれているのだが、満仲はあっさり騙されてしまった。満仲はコワモテのイメージだが、案外いい人なのかもしれない。

出家してすぐの人を「新発意(しんぼち)」という。かくして、満仲は1000年後の今日まで新発意呼ばわりされるハメになったのである。

それにしても、源信の一連のスキーム(枠組みをもった計画)はよく出来ていて、現代の新興宗教やマルチ商法、詐欺の手口に通じるものがある。平安時代には、そんな方法がすでに確立されていたのだろう。
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昨日(10/12)、池上本門寺のお会式万灯練行列を見てきた。

お会式とは、日蓮上人の命日、10月13日を中心に行われる法要で、一般的には12日夜の万灯練行列が有名である。お会式そのものは、全国の日蓮宗のお寺で行われるが、池上本門寺は日蓮上人入滅の地なので、もっとも盛大なものとなる。

東京のお祭りというと、どうしても神田祭や三社祭のような、昼間神輿を担ぐお祭りが有名だが、お会式の盛り上がり方は、またちょっと違う。

このブログでは、すでに2008年10月15日2006年10月13日の二回記事にしているが、今回はデモでの経験を生かして、動画で撮影してみた。



動画を見ると、ずいぶん賑やかに見えるかもしれないが、これでもずいぶん地味になったように感じる。

現在は午後11時ぐらいまでだが、昔は2時3時までやっていた。夜が更けるにしたがって、みんなだんだんおかしくなって、そりゃもう・・・。
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今昔物語集』巻14の入力を完了、現在、巻15を進めている。

巻14はワンパターンのつまらない説話が多いが、先日紹介した空海の話(本当は怖い弘法大師)あたりから、面白い話が増えてくる。どうも、面白い話は最後に取っておく癖があるらしい。

その巻14の掉尾を飾るのが、利仁将軍(藤原利仁)の最期を語る説話、「依調伏法験利仁将軍死語 第四十五」である。

『今昔物語集』巻14 依調伏法験利仁将軍死語 第四十五:やたナビTEXT

利仁将軍と言ってもピンとこないかもしれないが、芥川龍之介の『芋粥』で、五位に芋粥をふるまった人物といえばご存知の方も多いだろう。なお『芋粥』の元ネタは、『今昔物語集』巻26「利仁将軍若時従京敦賀将行五位語 第十七」で、『宇治拾遺物語』第18話「利仁暑預粥の事」も同じ話である。

『芋粥』の説話は、どうしても「飽きるほど芋粥が食べたい」と言ったのに、希望が叶えられた途端に食べたくなくなるという、心理の変化に目が行きがちだが、本来は統率された武士の軍団や、狐をも使役してしまう、武士としてのナゾのパワーに主眼が置かれていると思われる。当時の貴族たちは、武士に神仏と同等の不思議な力を感じていたのである。

さて、巻14ー45では、武士のナゾパワーが、密教のナゾパワーに負けるという話である。

文徳天皇の時代、日本の朝廷に反逆した新羅を征伐するため、利仁将軍の軍が派遣されることになった。利仁将軍が軍備を整える一方、新羅では、なにやら様々な妙なことが起こる。何の予兆か占ってみると、異国が攻めてくる前兆であると出た。

そこで新羅は、唐(『今昔物語集』では宋だが、時代的には唐)の高僧、法全(はっせん)阿闍梨を呼んで、敵国調伏の法を行わせる。調伏の法を始めて7日目、壇の上に沢山の血がこぼれた。法全は調伏の法が効いたことを確信し、結願して唐へ帰って行った。

一方、出発の準備をしていた利仁将軍は、呪いが効いたのか、ウィスキーでおなじみ山崎で病の床に臥せていた。ところが、利仁将軍、突然立ち上がって、虚空に向けて刀を振り回す。何度も見えない敵と戦った後、利仁将軍はバッタリ死んでしまった。誰にも見えない敵が見えていたところが、利仁将軍のナゾパワーではあるが、密教のナゾパワーには勝てなかった。

・・・というあらすじなのだが、呪詛は海の彼方の新羅で行われた。そのままなら、利仁将軍頓死の真相は分からない。その経緯を日本に伝えた人物がいるのである。

敵国調伏を依頼された法全阿闍梨は、智証大師円珍の師匠で、留学中だった円珍自身、この法会に参加していた。円珍はこれが祖国を呪うものとは知らずに参加していたが、帰国後、利仁将軍の死を知って、事の次第を知ったという。

円珍は空海の血縁(甥とも姪の息子とも言われる)で、呪詛した法全は『今昔物語集』の本文によると「恵果和尚の御弟子として、真言の密法を受け伝へて」とある。つまり、法全は空海の兄弟弟子ということになる。

空海、またおまえか・・・。
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