カテゴリ: 旅3

春休みに沖縄に行ってきました。実は私、沖縄県は初めてです。57歳にしてようやく47都道府県すべて行ったことになります。行ったのは那覇と恩納村のリゾートホテル。三泊しかしていないので、花粉から逃れて骨休めといったところ。

そんなわけで、たいしたところには行っていませんが、そこは沖縄。空港を出て、まず目に入ったのがこれ。
不発弾持ち込み禁止
中学校の隣の田んぼで不発弾が見つかり、撤去作業で学校が休みになったのを思い出します。僕たちの常識では、不発弾というものはとても飛行機に持ち込めるものではなく、見つかったら大騒ぎになるものです。

しかし、沖縄では不発弾といえば手榴弾のことのようです。そんなものがそのへんに落ちているかもしれないというのは恐ろしいことです。日本で唯一戦場になったことは頭では分かっていましたが、こんなポスターを見せられると強く実感します。

さて、空港からゆいレールで那覇市内に向かったのですが、ところどころで車窓から「軍用地買います」という看板を見ました。不動産屋さんらしいのですが、「軍用地を買う」という意味が分かりません。

沖縄といえば米軍基地です。軍用地が米軍基地を指していることは間違いありません。米軍基地の売り手ならアメリカです。ちょっと飛行機が欲しくなったら、基地の一部の土地を売り払って資金調達・・・なわけありません。

調べてみると、沖縄の米軍基地の土地はアメリカの所有でも日本の所有でもなく、地権者が土地を貸しているそうです。当然権利者に地代を払っているのですが、払うのはアメリカ政府ではなく日本政府です。ちょっと解せないですが、米軍が日本を守るという建前があるので仕方がありません。

つまり、軍用地の売買というのは、米軍基地になった土地の所有権を売買することです。基地ですから、家を建てるとか賃貸マンション建てるとかはできません。あくまで地図上・書類上の取引です。利回りは1.5%〜2.5%と、通常の不動産投資と比べるとはるかに低いのですが、何しろ国が地代をくれるのでリスクは低いといえます。

このリスクの低さは投資としては需要があります。例えば、相続対策にはいいでしょう。軍用地の評価額は実勢よりもはるかに低いため、相続税を低く抑えられるからです。同様に評価額と実勢価格のギャップが大きいマンションなどで相続対策にする人が多いですが、もらったはいいけどあとの管理が大変だったりします。最悪、事故物件になるリスクもあります。軍用地なら何もする必要がない、いや何もできません。

では、軍用地が返還された場合はどうなるのでしょうか。軍用地が返還された例はあるそうで、たいがい開発されてショッピングモールになったりリゾート施設になったりして、資産価値は上がるそうです。

では、返還は万々歳かというとそう単純な話でもないようです。ずいぶん前から返還が決まっているはずの普天間飛行場などは、デカすぎて開発するにも街一つ作ることになります。普天間飛行場の写真を撮ってきましたので、下の写真をクリックしてそのデカさに呆れてください。
普天間飛行場
これだけでかいと、開発が完了するまでには数十年はかかります。軍用地としての地代は止まりますから、それまでは収入がなくなります。国道沿いなら話は別ですが、飛行場のど真ん中となるとどうにもなりません。

しかし、あの土地を国や沖縄県・宜野湾市が放って置くわけがないので、長期的にはそんなに心配がないという考え方もあります。返還が決まって30も経っているので、「どーせ返還されないだろ」という見方もあります。

ここでは不動産取引だけの話をしましたが、実際には先祖代々の土地を守って見ることすらできなくなった土地を所有し、返還を熱望している人もいます。奇妙な「軍用地買います」の看板は、様々な人の思いを反映した、奇妙な市場の象徴だったのです。
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電車マニアではないけど、外国の電車や地下鉄に乗るのが好きです。日本とは電車そのものや乗り方、駅のつくりや車内の様子など、外国に来た感が味わえるからです。

で、本題の吊り革。日本の電車にはたいていこれがぶら下がっています。形や長さは鉄道会社によってちがうけど、ビニール製のベルトにプラスチックの輪がついているのが普通です。
日本のつり革
でも、これ吊り革と言っていいのでしょうか?吊っている部分がビニールなのは百歩譲っても、どう見ても主役は輪っかの方です。この吊り革は「吊り輪」というべきです。

ちなみに吊り輪といえば体操のアレですが、英語では「rings」というそうです。一方で電車の「吊り革」は「strap」です。ちょっと前の携帯電話についていたストラップと同じですね。

では、他の国の吊り革を見てみましょう。まず、ボストンの地下鉄。
ボストン地下鉄の吊り革
さすがは全米最古の地下鉄、まごうことなきストラップです。革製ではありませんが、これは日本語で吊り革と言っても文句ないでしょう。

ちなみにニューヨークの地下鉄には吊り革はなく、手すりだけでした。手すりだけのタイプはけっこう多い気がします。
ニューヨーク地下鉄の手すり

ボストンのはストラップであり吊り革ではありますが、いかにも持ちにくそうです。その点、ニュージーランドはオークランドの吊り革はひと工夫されています。
オークランドのつり革
これは文句なく吊り革です。「吊り革は革であるべき」という、強い意志が感じられます。持ちやすいように輪っかになってはいますが、吊る部分と革が一体なので、ストラップ感もあります。

さて、最後は8月に行ったオーストラリアのシドニー。私はこれを見て驚愕しました。
シドニーのつり革
もはや革でもなければストラップでもありません。「吊り棒」とでもいうべきでしょうか。斬新なデザインですが、持ちやすそうには見えません。

それ以前に、白昼堂々こんなのぶら下げていいのかとちょっと心配になります。
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8月にオーストラリアのシドニーに行ってきました。オーストラリアといえば珍獣ですが、行ったのは大都会のシドニーです。さすがにそのへんの公園でカンガルーが寝ていたり、コアラが電信柱に抱きついたりはしていません。

とはいえどさすがはオーストラリア、街の中にもちゃんと珍獣はいます。全部鳥だけど。まず、到着した日に公園で見つけたのがこいつ。
オーストラリアクロトキ
誰がどう見てもトキです。色は違いますが、日本のトキは珍獣どころか滅亡しています。これがそのへんをひょこひょこ歩いています。

こいつは、オーストラリアクロトキといいます。オーストラリアではどこにでもいる鳥で、しょっちゅうゴミ箱を漁っていることから「bin chicken(ゴミ箱チキン)」と呼ばれているそうです。街中ではこんな落書きも見つけました。
落書き
本当にどこにでもいるので、飼われている動物にまざって動物園にもいます。次の写真はペンギンにまざっているところです。「は?ボク飼われているんですけど」とかとぼけて言ってそうです。
さりげなくペンギンに混ざるクロトキ
ビン・チキンはちょっとひどい名前ですが、こいつもオーストラリアの固有種で、へんな名前を付けられています。
ノイジーマイナー
和名は「ズグロミツスイ(頭黒蜜吸)」ですが、英名は「ノイジーマイナー(Noisy miner)」といいます。「うるさい炭鉱夫」といったところでしょうか。たぶん鳴き声が大きいことから「うるさい(Noisy)」顔が黒いところから「炭鉱夫(miner)」、ということなのでしょう。

ビンチキン以上に素行が悪かったのがこいつ。英語名はSilver Gullで、和名はそのままギンカモメ。
ギンカモメ
クチバシと足が赤いので一瞬ユリカモメかと思った(『伊勢物語』九段参照)のですが、ユリカモメよりははるかに目つきが悪い。この写真も僕たちの昼食を狙っている目です。
カキ
幸いこのときは一羽だけだったので、奇声を発したり変な踊りを踊ったりして撃退しましたが、街中のカフェではヒッチコックの『鳥』さながら、集団で襲いかかっているところも見られました。襲われたのは右のお姉さんです。
ヒッチコック風
そして、ここにもあいつが・・・。
ギンカモメにまざるビンチキン
お口直しにもう一羽ご紹介します。
キバタン
和名をキバタン(黄芭旦)といいます。英語名はSulphur-crested cockatoo。オウムの一種で、写真で見ると小さく見えますが、けっこうでかいです。街中では見かけなかったので、どこにでもいるというわけではないようですが、郊外には多いようです。
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ちょっと箱根へ行ってきて、箱根湿生花園で見えない何かと戦った。
見えない何かと戦ってみた2
仙石原すすき草原で見えない何かと戦った。
見えない何かと戦ってみた1
仙石原すすき草原で見えない何かをした。
見えない何かをしてみた
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八月の終わり、僕は北海道で見えない敵と戦っていた。

釧路湿原。岩保木水門(いわぼっきすいもん)のあたりで見えない敵と戦った。
釧路湿原1
同じく、岩保木水門の近く。
釧路湿原2
つかの間の休息。
休息1
阿寒湖
阿寒湖
敗北。
阿寒湖看板
つかの間の休息。
休息2
共闘。
ヒグマ
美瑛の青い池
青い池
和解。
松山千春
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そろそろ中国自転車旅行ネタも飽きてきたが、せっかく時間をかけて昔の写真をスキャンしたので、もう少し紹介する。

まずは江蘇省沛県で見付けた、漢邦肉犬養殖基地。その名のとおり犬の養殖をしていると思われる。壁がカタログになっているのが面白いが、どう見ても肉犬にするのはもったいない犬もいる。なぜか壁には「漢邦肉犬名犬繁育基地」と書いてあるので「肉犬」ではなく「名犬」の方なのだろう。
漢邦肉犬養殖基地
これ、江蘇省沛県というのがミソ。沛県といえば漢の初代皇帝劉邦の出身地だ。劉邦は田舎番長みたいなイメージがあるが、沛県はたしかに田舎だった。その劉邦の右腕になって働いたのが樊噲である。樊噲は沛県の犬の屠殺業だった。

沛県は今でも犬肉が名物らしい。食べてみたが、今となってはどんな味だったかよく覚えていない。ビーフジャーキーみたいなちょっと固い肉で、ビールのおつまみに最適だった記憶がある。

次は北京の「成人保健」。漢字が読めるのはありがたい。中国語ができなくても、何の店かだいたい分かる。当時はどこの町にも成人保健の看板を掲げている店があった。一人っ子政策の関係なのだろうか。
成人保険
もちろん中にも入ってみた。売っているのは御想像の通り。ある種の薬とか、電動のアレとか、まあ成人保健である。なぜか必ずナースのコスプレをしているお姉さんが店番をしている。かえって買いにくいんじゃないかと思うが、どの店にもいたので何か決まりがあるのかもしれない。

で、上の写真とは別の成人保健の店にあったポスター。漢字が読めるのはありがたい。中国語ができなくても何の薬かだいたい分かる。
勃力王
それにしても「勃力王」、名前もすごいが効能もすごい。単に勃力王なだけでなく、性病まで予防してくれて、副作用がない。しかも、効かなかったときは即座に返金してくれるらしい。名前的には下の「我是猛男」も捨てがたい。

そういえば、このころ中国のテレビCMは薬が多かった。それも勃力王なみに効能がすごいのばかり。旅の最中に腹をこわしていくつか中国製の薬を飲んだが、やたらと効くものと、さっぱり効かないのの差が激しかった。強烈に効いたのはいいが、真っ赤な小便がでてきたときには、さすがにビビった。

最後は北京動物園のトキ。
トキ
こんなところで絶滅したトキに会えるとは思ってもみなかた。御覧のとおり、いわゆる鴇色ではなく墨をかぶったように黒い。これは汚れているのではなく繁殖色らしい。なんと自分で色を付けるんだそうだ。
トキは繁殖期の前、1月下旬頃から粉末状の物質を分泌し、これを水浴びの後などに体に擦りつけ、自ら「繁殖羽」の黒色に着色する。着色は2月下旬から3月中旬頃に完了するが、こすり付ける行動は8月に入る頃まで続けられる。トキ:Wikipedia

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ここまで、20年前の中国自転車旅行の話を書いてきたが、中国人民とのからみは何も書かなかった。何しろ自転車旅行だしスマホなんかない時代だから、それなりにからみはあったのだが、いちいち書いていたらきりがない。だいたい田舎の人というのはどこへ行っても親切なもので、おおむね好意的にもてなしてもらえた。

そのころ、中国の田舎でちょっと目立つことをしていると、どこからともなくギャラリーが集まってきた。それほど人のいないところならせいぜい2・3人ですむが、集落が近いところだと数十人集まってくる。面白いことに、人が少ないとなにやら話しかけてくるのだが、多いと遠巻きにして黙って見ている。

「ちょっと目立つこと」といってもたいしたことではない。パンク修理とか、道端でアイスを食っているとか、地図を見ているとか、その程度のことである。困っているときは助けてくれるが、こういう時に道を聞くと大変なことになる。「こう行ったら近い」「いやこっちだ」「そっちは工事している」と議論になって、かえって面倒くさいことになってしまう。

道ばたで休んでいたら、自転車に乗ったオッサンが来て、自転車のハンドルあたりを指差して「これは何だ?(たぶん)」と聞いてきたときは面白かった。普通の自転車には付いていない変速レバーのことを言っているのだろうと思ったが、オッサンの指差しているところをよく見るとブレーキレバーである。

オッサンの自転車を見たら、なんとブレーキが付いていなかった。もちろんペダルを止めると止まるというようなものでもない。どうも足で止めるらしい。たしかにそのあたりは坂がないし、自動車もほとんど走っていなかったので、急に止まる必要はなさそうだが、まさかブレーキを知らない人がいるとは思わなかった。

僕みたいな中国語が不自由な人間には変速機の説明は難しいが、ブレーキの説明なら簡単だ。自転車を押して、ブレーキをかけるところを見せたら、オッサンなんだか感動してたが、たぶんそれ100年以上前からあると思うよ。
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中国は言うまでもなく共産主義を標榜しているが、行っただけではどこが共産主義だかよく分からない。それどころか日本よりも資本主義的なんじゃないかと思うことすらある。それは20年前でも同じだったが、有料トイレで「あっ?これ共産主義?」と気が付いた。

ところで、最近共産主義の意味が理解できていない人が多くなったように思う。僕には詳しく説明する余裕も知識もないが、簡単にいえば共産主義とは労働者が中心の社会をいう。全体主義や独裁主義と区別がついていない人が多いが、それは別の概念である。

話をもどす。前回、中国のトイレの話をしたが、有料トイレも結構ある。当時は5角〜1元ぐらいを入る時に払う。オマケで申し訳程度の紙をくれるところや、大と小で値段が違うところもあって、これまたバラエティに富んでいた。なお、有料だからといってものすごくきれいというわけではない。

有料トイレは銭湯の番台みたいに一つの入口に一箇所集金所があって、中で男女に分かれるというパターンが多いが、男子トイレと女子トイレに一人ずつ集金所がある所もある。そんな有料トイレでお金を払おうとしたら細かいのがない。お釣りをもらおうとして5元札を出したら、別の方向を指さして何か言っている。そこは両替所で、別のおばさんがいた。僕は両替所で5元札を1元札5枚にしてもらい、集金所のおばさんに1元支払った。

このトイレ、男子トイレと女子トイレにそれぞれ二人ずつ働いている。真ん中にはトイレットペーパーだのジュースだの煙草だのを売る店もあるので、一つのトイレに5人働いていることになる。たぶん、掃除の人も別にいるだろう。これが駅とかバスターミナルなど、頻繁に人が入る所ならまだ分かるがそれほどでもない。当時の人件費はかなり安かったが、それでも一人1元ではまかなえそうにない。

これは雇用を確保するために、働かせているのだろう。そういう目でみると、「その仕事いる?」みたいな仕事をしている人がけっこういる。そういう人はだいぶ少なくなったような気がするが、今でも見かける。労働者が主人公の共産主義が建前だから、むりくり雇用を作って失業者を減らしているのだろう。
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20年前、僕が中国を自転車で旅行すると言ったら、いろんな人からアドバイスをもらった。泥棒に気をつけろ、強盗に気をつけろ、ボッタクリに気をつけろ、馬賊が・・・ってそれいつの時代だよ。まあ、およそ役に立たなかった。

僕は四回中国自転車旅行をしているが、強盗の類いにはあったためしがない。泥棒もない。ボッタクリに近いものはないではないが、違法行為(察してくれ)でもなければ、このころの中国では精一杯ボッタクってもたいしたことはない。

そんなものよりも、当時の中国でいちばんビビったのはトイレである。扉がない、仕切りもない、汚いなど、聞いたことがあるかもしれないが、それ以上にあまりにバラエティに富みすぎていて、開けてみるまで分からない。

街の公衆トイレで一番多かったのが、ドブみたいな長い溝が切ってあるタイプだ。深さ50cm幅30cmぐらいの長い溝にいくつかの仕切りがある。この溝にまたがって用を足す。仕切りがあるから前の人は見えないものの、通路側はまる見え。同じ溝が通路の向かいにもあったりするので、最悪の場合、横を見ると他人の尻からブツが出てくる所が見られる。たまに尻隠し用の板が仕切りに付いていることもあるが、そんなの気休めにすぎない。

この方式、一応水洗なのだが、どこかレバーを押すと流れるのではなく、一定の時間ごとに流れる仕組みになっている。もしその時にまたがっていると、上流から下流に向って、股間の下を黄河の濁流のごとく流れることになので、できれば上流側でした方がいい。

田舎町になると、いわゆるニーハオトイレが増える。これはレンガでできた小屋の中に、長方形の穴が掘ってあるだけのもの。一つのトイレにいくつかの穴があいているから、隣に人が来たら、ニーハオというわけだ。

この形式のトイレも何度か入ったが、隣に人が来たことは一度しかない。しかも子供。このタイプ、ブツが一杯になったら誰かが掘り出すはずだが、不思議なことにブツが溜っていなかったためしがない。

で、だいたいここに蠅がたかっている。そこに自分のブツを落すと、ぶわっと蠅が逃げる。これがなかなか壮観だ。一度、その蠅のなかに妙にでかいやつがいた。よく見たらウシアブである。こんなやつに尻を刺されたら洒落にならんので、あわてて尻を拭いて逃げた。

もう一つ印象的だったのが、農家の庭先にあった、名付けて小鳥さんタイプである。庭にいたオッサンにトイレの場所を教えてもらい行ってみると、煉瓦でコの字形に囲った壁があるだけ。屋根は付いていない。「コ」の開いている方にコンクリートの棒が一本置いてある。これでは片足しかかけられない。ハテ、どうしたものか。

よく観察すると、「コ」の閉じた方にブツがある。つまりこのトイレは小鳥が枝にとまるごとく、コンクリートの棒に乗っかって用を足すらしい。上は空、前方は畑である。トイレではあるがほぼノグソだ。やや不安定だったが、人が来る心配はないし、天気はいいし、先人のブツも多くないので、意外と爽快ではあった。

さて、実は今までで一番ビビったのは公衆トイレではない。

3回目の自転車旅行(2004年)の時のこと、一部屋バストイレ付き60元(920円ぐらい)、バストイレ無し30元と言われた。バストイレ無しには何度も泊まっているので、僕が30元の方にしようと言うと、葛的先生がなぜか「嫌な予感がするから60元の方にしよう」と言うので、そっちにした。

僕がバストイレ無しでいいと言ったのは、ケチだからではない。こういう安宿の水回りはどこかが壊れていることが多い。共用のシャワーやトイレが壊れていることはまずないし、あったとしても別のを使えばいいだけだ。それで安いならそっちの方がいいと思ったのだ。

次の日の朝、見物がてら共用のトイレに入ってみて、葛的先生の予感が的中したことを悟った。

共用のトイレは、ちょっと広めの学校のトイレみたいな感じで掃除がいきとどいている。それはいいのだが、目の前には和式便器が5つ程並んでいるだけ。扉どころか壁もない。しかもなぜか満員。中国の和式便器は洋式と同じく扉の方を向いているものなので、全員こっちを向いている。

そのころには、どんなトイレでもできる自信があったが、さすがにこれはムリ。僕の自信はもろくも崩れた。そのまま後ずさりしてトイレを出て、素直に自分の部屋のトイレを使った。

さて、ここまで書いたのはあくまで20年前の話である。最近の中国では、こんなトイレに入ったことはない。それでもたま〜に、「あれ?何で個室に二つも便器があるの?」みたいなこともあるけど。
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20年前の自転車旅行は北京から上海(実際には鎮江までしか行けなかった)までの旅だったから、黄河と長江を渡るという貴重な体験をした。もちろん自転車で漕いで渡ったわけではない。

まず、黄河。その名のごとく黄色い。
黄河
さて、これをどう渡るかだが、写真を撮っている地点の近くに橋があったので、橋で渡った。だが、これがただの橋ではない。

橋のたもとに着くと、小さな小屋がある。いくらだか忘れたが、そこのおっさんに金を払うと橋が渡れる。橋は大きな船が横に何隻も繋げて上に鉄板が乗せてある感じで、いわゆる浮橋である。幅はちょうど自動車道路の二車線ぶんある。ガラガラなら何の問題もないが、たくさんの大型トラックがここを通る。というか、トラック以外でここを渡っているのは僕らだけだった。

前がつまっているので、トラックもそれほどスピードは出せない。ちょうど自転車のスピードと同じぐらいなので、トラックの間に挟まれて走るのだが、トラックのかげに隠れて前は見えないし、後ろからぴったりくっついてくるし、恐しいことこの上ない。

ふと下を見ると、黄河が濁流になって流れている。遠目で見たときはそんなに流れているようには見えなかったが、船状のものの隙間から流れるので、けっこうな急流だ。浮橋の上を重いトラックが通るのだから、フラフラと揺れる。ここでコケたら、トラックに轢かれるか黄河に落ちるか、いずれにしても間違いなくオダブツだ。下なんか見るんじゃなかった。

というわけで、なかなか貴重な体験をしたのだが、命の心配で写真なんか撮っている余裕はない。対岸に着いたら写真を撮ろうと思ったが、しばらくはトラックに挟まれて走行させられた。

黄河より遥かに南の江蘇省宿遷市には古黄河なるものがあった。ここは項羽の出身地というのは今知った。それにしても、黄河、移動しすぎだろ。
古黄河
一方、長江は船で渡った。前後から乗り降りできるようになっている船で、ピストン輸送しているらしい。これまた、僕たち以外は自動車ばかりだった。

例によって料金所があって、葛的先生が払いに行ったと思ったら、すぐに帰ってきて、「なんか自転車はタダらしいよー」と言った。ところが、船が岸に着くやいなや、「来た!走れ!冲啊(チョンアー)!」とか叫んで、ものすごい勢いで船に向って自転車を走らせた。僕らはあわててついて行ったのだが、本当に自転車はタダだったんだろうか。
長江フェリー
葛的先生がかぶっている帽子に注目。スパンコール付き。あまりに怪しいから、「お代は結構ですから早くあっち行ってください」みたいな感じだったんじゃないだろうか。

さて、長江の水だが・・・。
長江
うん、長江も黄色いね。
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