カテゴリ: 今月の総括(16年5月〜23年12月)

コロナ禍も三年をこえ、今ではマスクをしない生活が基本になった。僕は満員電車と教室ではマスクをするつもりだったのだが、今年の夏はあまりに暑かったので、なし崩しに着用しなくなってしまった。

マスクを外したからすべてがコロナ前にすべて戻ったかというと、ぜんぜんそうではない。外食はあまりしなくなったし、運動もしなくなってしまった。地上波や衛星放送のテレビも見なくなったし、海外旅行にも行っていない。ほかにも、いろいろと変わってしまったことがある。これは個人的なことばかりではなく社会的なことも同じである。

コロナ禍が始まったころ、数年もすれば終わるだろうとは思っていたが、なんとなく政府から終結宣言でも出てスパッと終わり、元の生活に戻ると思っていた。しかし、今のところそうなってはいない。もうまともに数を数えてきないからはっきりとはわからないが、感染者は以前より増えているのは間違いない。僕の父はほとんど外出していないのに、今年二回もコロナにかかった。僕自身も去年までは一度も風邪をひかなかったのに、今年は三回もひいてしまった。たぶんコロナにもかかっているだろう。

コロナは終わっていないのに、社会がもとに戻りつつある。僕は、電車に乗るときには再びマスクをするようになった。どこを戻して、どこを戻しちゃいけないのか、試行錯誤の日々である。

これが時代の変わり目というものなのだろう。時代は急に変わるのではなく、いつの間にか変わって、あとで気づくものらしい。今回はコロナという分かりやすい契機があったが、それでも今が変化のとば口なのか、半ばなのか、終わりなのか、まだ誰にも分からない。

今年印象に残った事件というと、ジャニー喜多川の性加害と自民党清和会のパーティー券問題だが、どちらも時代の変わり目に対応できなかったからである。ジャニー喜多川の方は1988年の北公次の暴露本以来周知のことだったし、清和会のパー券も「まあそのぐらいしているだろうな」程度のことで、やっていること自体に驚きはない。最近報道されたダイハツの不正も、ダウンタウン松本も同様である。これまで社会や周囲が見てみぬふりをして許してきたことが、時代の変わり目とともに表に現れたというこだろう。

時代の変化に抗うことはできない。なんとか自分を変えて対応するか、さもなきゃ隠居するかしかない。
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今年は夏むちゃくちゃ暑かったので、冬は寒くなる・・・というようなことをいわれていたが、これがまったくの間違いで、前半は春みたいな生暖かい風が吹く日すらあった。さすがに年末は寒くなったが、それでもたいしたことはない。そんな気候のせいか、今月の前半風邪をひいてしまった。熱が出たのでコロナだったのかもしれない。

後半は細々とした用事が入りやたらと忙しかったのだが、そんな中、コンセント増設工事をした。第二種電気工事士の資格を取って以来、記念すべき最初の工事である。

最初の工事は、スイッチやコンセントを取り替える程度の簡単なものをやろうと思っていたのだが、ヒマがなくて手がつけられなかった。これも急を要するものではないのだが、年内に初電気工事をしておきたかったのである。

現場は実家の脱衣所である。去年、ここに暖房器を設置してもらったのだが、母が工事代をケチってコンセントを増設してもらわなかった。そのため遠い壁から延長コードで電気を持ってきているので、どうにもブサイクだし、その上電力を食う器具なのであまり良いことではない。

そこで、先日実家に行ったときに浴室のスイッチを確認してみたら、ここから100Vが取れることが判明した。暖房器はスイッチの上なので、壁の中にケーブルを入れればいい感じに増設できるはず。

このスイッチから電源を取る。普通はそんなことはできないのだが、二つある上のスイッチのパイロットランプを点灯させるために中性線が来ていた。上のスイッチは換気扇のスイッチなのだが、電気食わないのになぜか専用回路になっている。おかげで脱衣所の照明をつけたままで作業できたし、電気を食う暖房器をつけても全く問題ない。
スイッチ
ボード開口。本当はケガキの線にしたがって開口しようと思ったのだが、なぜだか妙なところに角材が入っていて急遽上に上げた。これでは金具が角材に干渉して付けられないので、やむなく金具をちょっと加工するハメに。
ボード開口
完成!一時はどうなるかと思ったが、なかなかいい感じだ。
増設完了
扇風機の上のコンセントが今回増設したもので、扇風機と暖房器のプラグが刺さっている。コードが長くてブサイクなので、これは今度どうにかしよう。

実はほかにもいろいろ予想外のことがあったのだが、初めての工事で精一杯で写真もないし、説明も面倒くさいのでやめておく。30分もあればできると予想していたが、なんだかんだで1時間半ぐらいかかってしまった。まあ、初めてなんてこんなもんだ。

これでペーパー電気工事士からペーペー素人電気工事にクラスチェンジすることができた。
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毎年11月は学校行事で授業が潰れるもなく、細々とした仕事が増えて忙しい。おかげで11月の総括を12月に書く羽目になってしまった。

学校の仕事ばかりではなく、今年は個人的なイベント盛りだくさんだった。ほとんど個人的なことばかりなので、ここに書くようなことではないが、印象に残ったこと二件だけ書いておく。

11月11日に久遠の絆ファンサイトの浦木裕さんが出張で台湾から来日した。コロナ禍以来初めての出張だという。会ったのはいつぶりだかよく覚えていないが、最後に会って5・6年は経っていると思う。

出張先は遠く山梨県で、帰りの飛行機に乗る前にGUNDAM FACTORY YOKOHAMAに行くというので横浜の会場前で会った。開口一番、「中川さん、ガンダムと戦ってください」というので撮った写真がコレ。あとで見えない何かと戦ってみたに入れる予定。見えるけど。
見えるガンダムと戦ってみた
出発まで時間がないのであまり長く会えなかったが、たまたま赤レンガ倉庫でやってたヒストリックカーを見たり・・・。
ポルシェ911
北朝鮮の工作船を見たりした。
北朝鮮の工作船

初めて浦木さんと会ったのは16年ほど前である。彼は当時大学院生で、東大の生産技術研究所に留学(?)のために初めて来日した。僕は成田空港まで迎えに行ったのだが、これまで会ったことがない。分かりやすいように半切1/2に「歓迎光臨 浦木裕先生」とデカデカと書いて持っていった。実はゲートから出てきてすぐに浦木さんだと分かったのだが、せっかく書いたのに使わないともったいないと思い、眼の前で開いて見せた。

この「歓迎光臨 浦木裕先生」は勤務先の学校で授業中に書いた。その時僕が書くのを見ていた生徒が現在神職をしているのだが、11月14日某家で地鎮祭をするので、僕からお願いして執り行ってもらった。こちらは彼が高校生のとき以来だから、16年ぶりの再会である。
地鎮祭
天気は暑くもなく寒くもなく最高の日和で、青空に祝詞の声が朗々と響いた。それだけでなく、彼は儀式の次第と意味の説明を交えながら、見事に地鎮祭を執り行ってくれた。出席するのは初めてだったが、とてもいい地鎮祭だった。

コロナ禍以来、家族や職場の人以外の人と会う機会がめっきり減った。古い友達と教え子に会って、少しコロナ禍以前を取り戻せたような気がする。
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第二種電気工事士の免許が来た。これで僕も晴れて(ペーパー)電気工事士だ。
電工免許
今回の試験、うまい具合に追い風が吹いていた。試験会場が自宅の近くだったというだけではない。勤務先の副校長が、かつて工業高校で第二種電気工事士資格取得の指導をしていたのだ。PTA通信の自己紹介でそれを知り、技能試験の作品を何度も見ていただいた。あらためて感謝します。

さて、こういうブルーカラー系の資格を取ったからいうわけではないが、これからホワイトカラーの時代は終わり、ブルーカラーの時代が来るんじゃないかと考えている。

ブルーカラーの仕事は体を使う仕事である。力や技術のいる仕事だから、はるか昔は誰にでもできることではなかっただろう。

しかし、機械が発達して必要とされる力や技術は少なくなり、かぎりなく誰でもできる仕事に近づいてきた。それと同時に教育が進んで、ホワイトカラーの仕事ができる人が増えてきた。ブルーカラーが減ってホワイトカラーが増えたのが現代である。

ではこれからどうなるか。ホワイトカラーの仕事の多くは、コンピュータに乗っ取られるだろう。なにしろノーミソさえあればできるのがホワイトカラーの仕事である。コンピュータさえ発達してしまえば、よほどの天才でもない限りほとんどの人間は用無しになる。

もちろんブルーカラーの仕事を代わりにする機械も発達するだろうが、人がいらなくなるのはずっと先のことだ。ブルーカラーの仕事はノーミソ(コンピューター)と機械の両方が発達する必要があるからだ。

まして日本は少子化で人材不足である。国力も弱くなっているから、いずれ外国人労働者に頼ることもできなくなる。需要が先細るホワイトカラーに対し、ブルーカラーの需要は拡大する一方である。

これからは、今までホワイトカラーの仕事に就いていたような人も、ブルーカラーの仕事をするようになる。現在の日本では40%あまりがブルーカラーだそうだが、あと20年もすれば8割ぐらいがブルーカラーになるんじゃないだろうか。

ブルーカラーの仕事は、人の命に関わることが多いので、資格がないとできないことがとても多い。それほど取得が難しくないものも多いので、これから就職を考える若い人はいくつか取っておくとよいだろう。
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先月の総括は、ただ暑いとしか書いていなかった。あのとき覚悟はしていたが、今月もまた暑かった。これを書いている21時50分で室温は27.5℃。明日から10月だというのに、上半身裸で書いている。

数日前、実家の父が入院した。母の話によると、前の日から微熱が出て食欲がなくなり、突然嘔吐したので救急車を呼んだという。病院で検査してもらった結果、なんとコロナである。

父は今年の1月にもコロナにかかっている。そのころ家族の一人が咳をしていたから、感染源の想像はつく。しかし、今回はよくわからない。

父は1月にコロナにかかって以来、一人で外に出ることはなくなった。外出するとすれば、デイサービスぐらいなものだが、感染にはかなり注意しているはずだ。あとは家族だが、1月とは違い誰も何の症状も出ていない。それでも感染してしまった。恐ろしい感染力である

一方、勤務先では、あるクラスがインフルエンザで学級閉鎖になった。この時期にインフルエンザというのも奇妙な話だが、今増えているらしい。

学級閉鎖が開けて最初の僕の授業のとき、明らかに咳をしている生徒が多くいた。幸いその日は珍しく涼しい日だったから、窓を全開にして換気しマスクを着用した。学級閉鎖の理由はインフルエンザだから、コロナとは関係ないかもしれないが、気分のいいものではない。

咳をしている生徒は以前であれば確実に休んでいただろう。実家の家族も1月のときは濃厚接触者として一週間(だったっけ?)出勤できなかったが、今回は出勤しなければならないらしい。

これ、どう考えてもおかしいだろう。コロナが5類になったというのは、単に扱いが変わったというだけでウィルスそのものの性質は変わっていない。感染力が強く、感染したらヤバいことには何も変わりないのだ。

もちろん、感染を広げないために、どこにいてもマスクをしろとか、できるだけ外出を控えろなどという気はない。だが、頻繁に咳が出るとか濃厚接触者なのに会社や学校に行かなければならないというのは、いくらなんでも気を抜きすぎである。

これまでの経験は生かすべきだ。そもそも、以前のように具合が悪いのをおして会社や学校に行くのが間違っていたのである。コロナ以前に戻ってしまったのでは、今までの苦労を無にすることになる。
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暑い。ただただ暑い。

7月の総括を書いたときも暑い暑いと書いていたが、内心「こんなに暑いのが続くわけはない。このあと涼しくなるんじゃないの〜」なんて思っていた。

ところが、淡い期待は裏切られ、毎日ひたすら暑い日が続いた。8月は暑いのが当たり前で、だから夏休みというものがあるのだが、それでもここまで続いたのはちょっと記憶にない。

8月はあれをやろうこれをやろうと、いろいろ考えていたのだが、こうクソ暑いと外に出る気がしない。おかげで8月には珍しく、ブログの記事が書けた。

明日から9月。学校もじきに始まる。たのむから、もう少し涼しくなってくれよ。
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今年のブログ強化月間も今日で終わり。

今月は22日に第二種電気工事士技能試験があったので、その練習ばっかりで過ぎてしまった。22日を過ぎると、今度は脱力してしまい、異常な暑さも相まって、ロクなことをしていない。

実は試験が終わったら、アレをしようコレをしようと考えていた。インラインスケートを再開しようとか、多摩川にでもサイクリングに行こうかとか、一年ぶりにデジカメを買った(PENTAX KFを買った:2023年07月21日参照)のでどっか撮影に行こうかとか、制限速度が20kmになったシェアキックボードに乗ろうとか。しかし、できたことといえば、やたナビTEXTの『唐鏡』を完成させたことと、実家のソテツの葉刈りをしたことぐらいだ。

それにしても、あまりにも暑すぎる。どうしても行かなきゃならない用事があれば仕方がないが、そうでないのにわざわざ外に出る気がしない。

暑くてダメなのは昼だけではない。このブログは夜書くことが多いのだが、デスクトップPCがある僕の部屋にはエアコンがない。北向きなので午前中はわりと涼しいのだが、午後からは西日が当たって異常に暑くなる。夜になっても西日の熱が壁に蓄熱されているらしく、北側の壁に手を当てると、ほんのり温かい。

ちょこちょこっと何かを書いて別の部屋に逃げ、しばらくしてまた戻ってくるというような書き方で、どうにも効率が悪い。というわけで、限界が来たので、別の部屋に逃げることにする。

なお、明日からは平常通りの更新になるが、その平常が最近ではあまりに少ないので、もうちょっと何とかしたいと思っている。
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先月に引き続き、今月もなかなか忙しく、ブログの更新どころかやたナビTEXTの更新もままならなかった。

更新が滞ったのは、忙しいのだけが理由ではない。現在、『醒睡笑』『唐鏡』のテキストを作成しているのだが、どちらもちょっと面倒くさいところにかかっているのだ。

『醒睡笑』の方は、いわゆる笑話の部分はすべて終わっている。だが、巻5「上戸」の冒頭に、飲酒を肯定する俗と否定する僧の問答という長い文章があって、折を見てテキスト化していたものの、まだ終わっていない。漢文で書かれている上に、さんざん典拠を引用しているので、読むのに手こずる。正直訓読には自信がないが、やらないわけにはいかない。すでに2年以上かかっているので、夏休みが終わる頃までには完成させたい。

『唐鏡』も終わりが近づいていて、三国時代から西晋に入った。僕がこのあたりの歴史に暗い上に、中国史上もっとも混乱した時代だから、『唐鏡』の簡潔な記事では、読んでいても何がなんだかよく分からない。しかし、歴史の流れを理解しないと翻刻はともかく校訂本文が作れない。幸い、このへんの時代はWikipediaに詳しく書かれている。Wikipediaは信用できないという意見も分からないではないが、だいたいの流れが分かればいいので、そういう用途には重宝する。

いずれにしても先は見えてきたのだが、7月は毎年恒例のブログ強化月間である。やっぱり夏休み明けまでに完成は無理のような気がしてきた。
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今月は一つも記事が書けなかった。僕の場合、忙しいときは記事が書けて、ヒマだと書けなくなるのだが、今月はそうではない。本当に忙しかった、というかやることが多すぎて書けなかった。

「やること」のほとんどは残念ながらここに書くことができない。一つだけ書けるのは、ある資格試験が28日にあったことである。

僕は試験が苦手だ。だから、これまで受ける必要がない試験はできるだけ避けてきた。思うところがあって今回の試験を受けたのだが、前に試験らしきものを受けたのは20年以上前である。試験をする方は慣れているが、受ける方は慣れていない。

準備は十分にしていたので、試験そのものには自信はあった。しかし、あまりに久しぶりだから不安がひどい。午後からなのに寝坊するんじゃないかとか、会場や時間を間違えるんじゃないかとか、筆記用具を忘れるんじゃないかとか、書き始めたら鉛筆の芯が全部折れるんじゃないかとか、開始直後に体調が悪くなるんじゃないかとか、こんなことは入試などで試験をさかんに受けていた時代には感じなかったことだ。

実際に試験が始まってしまえばそんなものは飛んでいってしまうのだが、開始直前まで生きた心地がしなかった。

二時間の試験時間が終わり会場を退出して一息ついた。まだ明るいので、しばらく会場の周りを散歩してみたら、LUUPのシェアサイクルを見つけた。なんだか急に体を動かしたくなって、それで家まで帰ることにした。天気はイマイチだったが、なかなか気分がいい。こういう感覚も久しぶりである。

試験の結果はまだ出ていないが、翌日には主催者のサイトに解答が出ている。自己採点すれば合否はすぐに分かるが、なんだか怖くてできない。さんざん妻に促されて、酒を飲んでいい感じに酔っ払ってから、妻に解答を読み上げてもらう。合格点を大きく上回っている。たぶん大丈夫だろう。

いやいや、まだ安心はできない。何度も見直したけど、もしかしたらマークする所が一つずつずれているかもしれない。

それ以前に、この試験はこれで終わりじゃない。まだ二次試験的なものがあるのだ。
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僕と同年代のある人が大手金融機関からお金を借りることになった。これを元手にして事業をやって、その収益で返済する寸法である。

僕の聞いたところ、リスクの高い事業ではなく、担保も十分にある。月々の返済が不可能になることはまずない。具体的な話を百人聞けば百人が「それは固いですね」というだろし、僕もそう言った。

その人に負債はない。それなりにまとまった金融資産もある。街金で金を借りたこともなく、クレジットカードも延滞したことがないと言う。ことお金に関して言えば、誰がどう見ても優等生である。

ところが、その金融機関は金は貸してはくれるものの、ある条件を付けた。それは彼にとってとても飲むことのできない条件だったらしい。今のところ保留になっているが、向こうがその条件を取り下げない限り、いかに金利が低くてもその金融機関から金を借りる気はないと言っている。

金融資産があるなら、金を借りずにそれを使えばいいと思われるかもしれない。実際、全力で株だの何だの売っぱらえばなんとかなるらしい。しかし、ちょっと考えてみてほしい。

その場合、持っている金融資産はかなり目減りする。その状態で、もし突然まとまった金が必要になったらどうだろう。病気でも災害でも、そんな場面はいくらでも考えられる。そういう場合、当然どこからか借金をしなければならなくなる。

この借金は金を生むための借金ではないから、まともな金融機関から借りるのは難しいだろう。金利も当然高くなる。今回の借金は借りる用途が決まっていて、金を生むための借金だから、借りやすいし金利も安いのだ。

借金というと金がないから借りるというイメージがあるかもしれないが、金があるときに借りる借金もある。いや、実際にはそちらのほうがずっと多い。今は金利が安いのだから、金を借りて金利以上に稼ぐのはさほど難しいことではない。よくテレビなんかで「うちは無借金経営です!」とか言ってドヤ顔している社長がいるが、そんなのは自分は無能だと言っているのと同じである。

それはともかくとして、金融機関が条件をつけた理由で考えられるのは、彼が非正規だということらしい。僕も非正規だが、今まで金や担保物件さえあればいいと思っていた。しかし、金融機関からすると違うようだ。

おそらく、彼が正規の公務員とか大企業の正社員だったら、無条件で金を貸しただろう。しかし、それが一体何の保証になるのだろうか。そういう職業でもクビになることはあるし、会社が潰れることもある。もちろん、辞めたから返せとは言えないから、金を借りた途端に勝手に退職するかもしれない。

つまり、この金融機関は事業内容や個人の返済能力は全く評価せず、何の信用もおけない就業形態でしか評価していないのである。実にお手軽なことだが、そんなので激動の世界経済に立ち向かえるのだろうか。僕は以前から日本の金融機関を信用していないが、その気持ちはますます強くなった。

なお、現在彼は他の金融機関を当たっているらしい。
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