カテゴリ: 今月の総括

2月は一つも記事を書かなかったから、せめて「今月の総括」を書かなきゃと思ってたら、花粉症がひどくなってしまい、どうにも集中できない。こまったなーと思ってたら2月が終わって、3月2日になってた。

例年2月の終わりごろには耳鼻科へ行くのだが、毎年行っている病院のスケジュールを調べてみると、なんと週に二回しか開いていない。ちょっと特殊な治療をやっているらしく、院長先生が担当の日は非常に混むので、すいている非常勤(?)の先生の日に行っていたのだが、なんらかの事情で院長先生の日だけになったらしい。

花粉症の薬をもらうのに待つのはイヤなので、別の病院に行くことにした。どこに行こうか迷っているうちに、ついに大々的に発症した次第。明日こそ耳鼻科に行くぞ。

全然2月の総括になっていないけど、早くも集中力が切れたので、今日はこれで終わり。
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毎年、正月には妻の親戚の新年会と、僕の方の新年会がある。一昨年はコロナでどちらも中止、去年は僕の家の方が中止だった。中止といっても、誰かが感染して中止になったのではない。密を避けての中止である。ところが今年は、思いもしないことが起こった。

まず妻の親戚が直前にコロナに感染したため中止になった。次の日、僕の方は予定通りみんな集まって鍋をつついた。

新年会の次の日、父がコロナに感染していることが判明した。僕の実家は、両親と妹の三人ぐらしである。父は高齢であまり外にでないから、父が最初に感染したとは考えにくい。誰が発端かは分からないが、おそらく三人とも感染していたと考えるのが自然である。

コロナに感染しているとは思ってもみなかったから、母は父を連れて病院に行った。仮に父から感染したとしても、母も感染していることは火を見るより明らかだ。なのに病院でPCR検査を受けたのは父だけである。母はあくまで付き添いで、症状がでていないからPCR検査を受けられないということらしい。この話を聞いて、日本の感染者数なんて全く信用できないと思った。

さて、問題は僕の方である。家の中ではマスクをはずしていたし、換気も決していいとはいえなかった。さらにみんなで鍋をつついていたから、感染していても何の不思議もない。一週間ほど発症におびえる日々が続いたが、さいわい僕も妻も発症しなかった。

以前と違い、まわりで感染したという話を聞くことが多くなった。二度目という人もいる。こんな状況で、マスクはしなくていいとか言われても、素直に聞くことはできない。
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いよいよ2022年も終わり。個人的には大きな問題がなく、淡々と過ぎていった一年だった印象があるが、そんな中、僕にとって一番大きな出来事は、松本寧至先生と石川忠久先生が亡くなられたことである。

石川忠久先生が亡くなられたらしい:2022年07月12日
松本寧至先生が亡くなられた:2022年07月27日
松本寧至先生と僕:2022年07月30日 

松本先生は直接の師匠である。教えてもらった先生はみな師匠と言ってもいいのかもしれないが、文字通りのカバン持ちまでしたのは松本先生だけだ。学問に対する考え方は、すべて松本先生に教えてもらったといっても過言ではない。

忠久先生には直接教えていただくことはなかったが、住んでいた湯島聖堂の理事長として、また学位論文の審査員としてお世話になった。自転車で中国を走ったり、やたナビTEXT『唐物語』『蒙求和歌』などの翻案作品を入れたりするのは忠久先生の影響だろう。

二人とも九十歳をこえていて、いつその日がきても不思議ではないと覚悟はしていたが、まさかほぼ同時にお別れの時が来るとは思わなかった。悲しいというよりも寂しい。なんだか急に自分が年取った気がする。

さて、最後にやたがらすナビの話。先ほど述べた『唐物語』・『蒙求和歌』に加えて、『唐鏡』の電子テキスト化を進めている。三皇五帝から晋までの中国史を、『大鏡』のような鏡物の体裁にしたもので、イマイチ文学的とはいい難いのだが、これがなかなか面白い。これに関してはいずれ詳しく書くつもり。

というわけで、今年もお世話になりました。命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。
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12月というものはそういうものと言ってしまえばそれまでだが、なんだかやたらと忙しいまま、今年も残すところ一日となってしまった。忙しいといっても、締切りに追われるようなことはほとんどなかったが、やることがやたらと多かった。

例年、十二月一番のイベントは二学期の成績を出すことである。今年はとくに面倒だったのは、二学期を通して休む生徒が多かったからである。

理由はお察しの通りコロナである。感染したり濃厚接触者になったりして休むのは出席停止だから、欠時数にはカウントされないのだが、後遺症だのなんだので出席停止でない欠席も多い。そしてなぜか遅刻も多い。1年生はそれほどでもないが、2年3年と学年が上がるにつれて欠席や遅刻が増えてくる。一歩間違えると、欠時オーバーで単位が出ないこともあるので、管理するのが大変だ。

「たるんでいる」と言ってしまえばそれまでだが、そうなっちゃう気持ちは分かる。

今年の三年生は、入学した当初から6月までまともに授業が始まらず、体育祭や文化祭、遠足、修学旅行など、ほとんどの学校行事が正常には行われなかった。彼らは前の世代が経験した高校生活を送れていないのである。

ボウリングでもゴルフでも何でもいいが、ゲームの序盤で大失敗して、後半どうやっても盛り返せない状況、それに近い感じだろう。もう高校生活はどうでもいい、進路さえ決まればあとは卒業できればいいという気持ちになるのも理解できる。

コロナ禍もはや三年目が過ぎようとしている。われわれには三年なんてあっという間だが、若い人には十年ぐらいに値する。貴重な三年がメチャクチャになったのは仕方のないことだが、せめて彼らに同情ぐらいしてあげてほしい。そして同情できるなら、将来彼らが社会に出たときに「コロナ世代」みたいなくだらないカテゴリに入れるのだけは慎んでほしい。
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なんと、今月は一度もブログを更新しないまま総括になってしまった。その総括も、今月はとくに書くことがない。できない子の絵日記みたいだ。

わりと忙しかったのだが、公開できない私的なことばかり。といっても、全然たいしたことではない。いろいろ新しい経験があるので、書いたら面白かろうなとは思うのだが、やはり書けないものは書けない。

それに関連して、今月は新大久保に二回ほど行った。新大久保なんて最後に行ったのは6・7年前、それも通っただけである。そのころすでに韓国料理屋や韓国雑貨、コスメの店がやたらと増えた印象を受けたが、今はそのころの比ではない。もっと前は書道具店があったのでよく行ったが、なんだか寂れてるなという印象だった。

僕のようなオッサンは、40年ぐらい前の原宿竹下通りの賑わいを思い出すが、新大久保の駅前は原宿駅よりもせせこましいし、歩道しか歩けないので、もっと賑わっているように見える。コロナは一体どこに行っちゃったんだろうという感じだ。

歩いている人の層が独特で、圧倒的に若い女性が多い。制服を着た女子高生も多く、なにやら食べ歩きしているのだが、それが見たこともないものだったりする。一見して見分けが付かないが、アジア系の外国人も多いようだ。

オッサンには居心地の悪いことこの上ないが、晩飯の時間だったので韓国料理の店に入ってみた。実際入ってみると、そんなに敷居は高くないし、居心地も悪くない。若者向けなのか、値段が安いわりになかなかうまい。思った以上に量が多くて、もったいないとは思いながらも、ちょっと残してしまった。

昨日54歳になったが、僕が若者だったころは若者の街といえば原宿や渋谷だった。そのころまさかあの寂れた新大久保が、若者で賑わう街になるとは考えもしなかった。そのころの大人たちが、「原宿なんて昔は何もなかった」なんて言っていたが、ついにその気持ちが分かる日が来てしまったのだ。
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今月、円安が進み1ドル150円まで下がった。日銀のステルス介入が入り一時146円まで円高になったが、現在148円台後半まで戻している。日銀は利上げしないと言っているし、お金を刷ればいい円売り介入と違い、ドル売りはドルの在庫があるのだから、しばらくは円安方向にすすむだろう。

輸入の多い日本にとっては不利な状況である。先日中国製の画仙紙を買ったら、去年の値段から1.5倍にまで上がっていた。そこまではいかなくても、さまざまな物が値上がりしている。給料は上がっていないので、かなりきつい状況で悲観的な気分になる。

しかしどこまでも円安になると思うのは早計だ。今円安になっているのは、米国の金利が高いからである。簡単にいうと、全然お金を持っていなくても、金利の安い日本で円を借りて、金利の高いアメリカで貸せば、それだけで儲けが出る。だから円を売ってドルを買う動きが加速するというわけだ。

しかし、アメリカの金利がどこまでも上がるわけではない。金利が上がると、普通は景気が減速する。行き過ぎて不景気になると困るから、その徴候がでるとFRBは金利を下げようとする。FRBが操作できるのは短期金利だけなので、それで実際に下がるかはまた別問題だが、アメリカの金利が上がりっぱなしで、ひたすら円安になるとは限らない。

いずれ1ドル150円にはなるだろうと思っていたが、予想より早かった。このままだとどんどん円安になっていきそうな気がする。しかし、経済というものは複雑に絡み合って三すくみみたいになっている。極端な意見に惑わされず、慎重にいきたい。
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気がついたら9月も終わり。今月は一つしか記事が書けなかった。そんなに忙しかったわけではないのだが、やはり休み明けというのはいろいろゴタゴタするものである。

今月のニュースとしては、何と言っても安倍元首相の国葬(儀)だろう。法律の問題や安倍首相自身の業績を別にして、僕は政治家は基本的に国葬にすべきでないと思っている。

政治というものは、その立場によって、ある人にとっては善政でも別の人にとっては悪政になるものである。すべての国民に称賛される政治家など、例外を除いて存在しない。例外というのは、独立の指導者とか革命の英雄とか、そういう特別な人である。

逆に言えば、平和な時代であれば国葬に付されるような万民に慕われる政治家は必要なく、それは社会にとってむしろいいことなのである。平和な時代の政治家は万民に慕われることはないのだから、税金で運営される国葬などはすべきではない。

僕には、安倍元首相が独立の指導者とか革命の英雄に匹敵する業績があったとは思えない。安倍元首相にあるのは、なんだか薄ぼんやりとした業績ばかりだ。

そう考えると、とくに人気があったわけでもないのに任期がやたらと長かったのも、彼の政策とは無関係に暗殺されてしまったのも薄ぼんやりしている。暗殺の原因になった例のカルト教団は、その薄ぼんやり感につけ込んだのだろう。

あまり興味がなかったから、テレビの中継もほとんど見なかったが、ちょっと見た感じでは国葬と意気込んだわりには、やはり薄ぼんやりした印象を受けた。そこがいかにも安倍元首相らしいし、この薄ぼんやり感が今の日本を象徴しているように思えた。
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今月のニュースは、安倍元首相暗殺事件からの延長で、自民党と旧統一協会との関係に終始していた感がある。あの霊感商法の統一協会と自民党がここまで深い関係だったとは驚き・・・ではない。なにを今さらである。

勝共連合≒統一協会≒原理研究会と自民党の深い関係は、40年ぐらい前にはニュースになっていた。第二次安倍政権からは山上容疑者が犯行の動機としていたように、それを全く隠さなくなっていたから、自民党と統一協会がズブズブだといわれても、何を今さらとしか思わない。

第二次安倍政権以降、明らかに自民党の政策に観念的なものが増えてきた。選択的夫婦別姓が分かりやすい。選択的夫婦別姓は文字通り選択的なのだから強制するものではない。ようはどちらでもいいということだ。同姓にしたいならすればいいだけだ。

これに反対する理由が行政上の問題、例えばシステム的に難しいというのであればまだ分かる。だが、日本の伝統がどうのとか、家族の絆がどうのといわれると、それは観念的としかいうほかない。

もともと日本にそんな伝統はないし、夫婦別姓の国はいくらでもあるが家族の絆がないとは聞いたことがない。そもそも政治家が家族の絆なんか論じる必要はない。別姓にすると家族の絆が壊れるとかいうのは観念にすぎない。

同性婚も同じで、たとえ同性婚が解禁されたとしても、ほとんどの人が異性と結婚するだろう。反対する人は生産性がどうのだの、少子化に拍車がかかるだのワケの分からん理由で反対する。これも反対している人にとって実は理由なんかどうでもよくって、結婚は異性間でするものという観念が先にあるからである。

そういう観念を個人的に持つのは自由である。しかし、それを政治に反映されたらいい迷惑だ。そういう「あんたの観念を押し付けないでくれ」と言いたくなるような政策が、最近の自民党には多い。

もっと問題なのはその観念がどこから来たかである。日本の政治だから、本当に日本人の持つ習慣や宗教に由来するものであれば、まだ検討する余地があるだろう。しかし、この観念の実体は極めて特殊な特定の宗教によるものだったようだ。これでは検討に値しない。最初からお断りである。

お断りしなかった、つまり日本人が観念の強要に寛容すぎだったのが、この問題の発端である。カルトと自民党が密接な関係だったということばかりに焦点があたるが、その教団の教えそのものがひそかに政策に反映されていることはもっと重要である。そしてそれは、よく考えれば簡単に分かることだから、そういう観念の押し付けをする政治家には退場していただくほかない。
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6月の終わりがとんでもない暑さだったのに比して、7月中は梅雨みたいな天気が多く、比較的(あくまで比較的)過ごしやすかった。今日はやたらと暑かったけど。

それにしても7月はいろいろなことが起きた。まず、7月2日のKDDIの携帯電話回線に通信障害が起きた。僕自身はKDDI回線を使っていないので無関係だが、なにしろ電話だから思わぬ影響があった。(KDDIの通信障害に泣かされた:2022年07月02日)。ちなみに、利用者には200円の返金を行なうという。該当者は莫大な数なので、一人二百円でも約73億円になるそうだが・・・う〜ん、どうなんだコレ。

なにしろ現代では最も重要なインフラの不通が3日も続いたから、これは今月一番のニュースだろうと思っていたら、それが霞んでしまうほどの大事件が起きるとは思わなかった。

KDDIの通信障害から約一週間後、安倍晋三元首相の暗殺事件が起きた(安倍晋三元首相、暗殺さる:2022年07月08日)。突然入ったニュースには目を疑ったが、時間が経過しいろいろなことが分かってくるにつれ、犯行が自作銃によるものだったこと、犯行の動機が旧統一教会に対するものだったことなど、暗殺事件そのもの以上にインパクトが大きく、テレビの報道も今日に至るまでこれ一色になっている。書きたいことはいろいろあったが、重すぎてひとつも書けなかった。

そして、新型コロナウィルス第七波である。10日に東京都の新型コロナウィルス感染者数:2022年07月10日という記事を書いたのは、ちょっとヤバそうだなと思ったからなのだが、あれよあれよといううちに都民60人に1人がコロナ陽性:2022年07月29日という事態になった。それでも政府からはロクな対策が出ず、もう自然減を待つ腹らしい。

個人的なことでは、石川忠久先生(石川忠久先生が亡くなられたらしい:2022年07月12日)と松本寧至先生(松本寧至先生が亡くなられた:2022年07月27日)の訃報が大きなニュースだった。二人とも僕が二十歳のころに初めて会って、その後の僕に大きな影響を与えてくれた。今はもう、感謝しかない。

例年、ブログ強化月間が終わると、書き終えた安堵感があるのだが、今年に限っては何か書き足りない気がする。「思しきこと言はぬは、腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつ、あぢきなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。」(『徒然草』第十九段)という気持ちである。
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いや、暑い。まだ6月だというのに、ちょっと尋常じゃない暑さである。

今ブログを書いている部屋は北向きで、夏は壁が西日でジリジリと炙られる。足の裏で壁を触ってみると、この時間(PM10時)でもまだほんわかと温かい。足湯みたいで気持ちいいが、気持ちいいのは足の裏だけで、部屋は蒸し風呂みたいで汗が止まらない。

思えば去年は7月から8月にかけて、父の畑の木を引っこ抜いたり、小屋を壊したり、なかなかの重労働だった。さすがに今年はそんなことはないはずだが・・・と思っていたら母から電話がかかってきた。

「生け垣の枝を剪定してよ」

はいはい、分かりました。近いうちに行きます。まあ、去年ほどの重労働にはならないだろう。

さて、暑さで文章を打つのもキツくなってきた。今日は早々に退散することにする。

明日から7月。そう、毎年恒例のブログ強化月間である。
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